第220話 民衆の群れ

「おい! 早く開けろ!」

「押すんじゃねぇよクソが!」

「モンスターが来てるんだぞ!? このまま俺たちを見殺しにする気か!?」

「お願い! 子供だけでも入れて!」



 バーベンベルク家の張っている障壁を叩く人の数は、ゆうに一万は越えている。騎士が南からの避難民をクリスティアに報告してから数時間で、その数はどんどんと多くなっていた。


 叫んでいる声の中に複数の都市名が混じっていることからして、どうやら避難民たちは一つの都市から来たわけではないらしい。恐らく途中で合流でもしたのだろうが、クリスティアはスタンピードが避難民たちをここへ誘導してきた可能性を考えていた。


 今回のスタンピードには知性のあるモンスターが存在することは、クリスティアにもわかっている。そして人間に化ける、もしくは人間と共に暮らす生き物に擬態するモンスターが存在する疑念も彼女の頭の中にはあった。


 その対策を立てるため現在セントリアは受け入れ体勢を整えていると説明して一時封鎖しているのだが、痺れを切らした避難民たちは不安を発散するように障壁を叩き出していた。



(おっ、猿のスタンピードかな?)



 人々が必死な形相で障壁を叩く光景を見て努は内心そう思っていると、隣にいたゼノはやれやれと言った様子で目の間を押さえていた。



「ツトム君。気持ちは察するが、それでも彼らを責めてやるな。元々の発端は、スタンピードのせいなのだ」

「選択を先延ばしにしたツケが回ってきただけとも言えますけどね」



 避難民たちの身なりや家族構成、それにほとんどの者がセントリアへ徒歩で来た時点で裕福ではないことがわかる。更には手荷物も少なく、もう食料なども残っていないのだろう。だからこそこのまま北上して王都へ向かわずにセントリアへ入れろと騒いでいるようだが、その中にはモンスターが混じっている可能性がある。



「まぁ、探索者を見たいって理由で避難に応じなかった迷宮都市の人よりかはマシだけどさ。でもあの人たちも王都から出た避難勧告に応じずに、逃げる選択をしなかったことには変わりはないよ」

「否定はしないが、あの者たちにはその選択が本当に正しいのかわからなかっただけだ。それを責めるのは酷だろう。それに、今では危機を感じてここまで徒歩で来たのだぞ?」

「こんなにも一斉にセントリアへ来るってことは、あの避難民たちは大方スタンピードに上手く誘導されたんでしょう。別に自分から行動したわけじゃない。それにスタンピードで誘導されたなら、あの中にモンスターが紛れ込んでいてもおかしくない」

「それならば、事前に王都へ避難した者たちの中にだって紛れている可能性がある。……む? もしそうならば……大分不味くないかね?」

「人類滅亡待ったなしですね」

「縁起でもないことを言うのはよしてくれたまえよ……。君だって困るだろう」



 気楽そうに言う努に対して、ゼノは普段のおちゃらけた様子を引っ込めて深刻そうな顔をしている。薬指にある婚約指輪を祈るように握っているゼノに努は唾でも吐きそうな顔をした後、興味なさげに炊き出しの配膳準備をしている迷宮制覇隊を見た。


 クリスティアは避難民が来た直後に炊き出しの準備を始めていて、もう温かい食事は大量に完成させている。一先ず外にいる人々の腹を満たして気を落ち着かせようとしているようで、三角巾を頭に巻いている彼女は食事の受け渡しに奔走していた。



「うーん。炊き出しはいい手だと思いますけど、事態を解決する手ではないからなぁ。クリスティアさんは決断を遅らせるような人ではないでしょうけど、最終的にはどうするつもりなんですかね」

「そのまま外に放置というわけにはいかないだろう。王都へ向かう気力もないように見える。こうなってしまってはもう、仕方があるまいよ」

「だけど、避難民が怪我をしていないところは妙だね。わざわざここまで誘導するならついでに怪我人を敵地に送りつけて、こっちの資源を減らしてきそうなもんだけど」



 努のずけずけとした言葉にゼノは少し呆けた顔をした後、軽く頭を押さえた。



「外道か、君は」

「こんなこと、人間だったら誰でも思いつくでしょ。あとは、そうだな……」

「あの避難民たちに、モンスターをけしかけるのはどうでしょうか? そうなればバーベンベルク家や迷宮制覇隊の立場からして、入れざるを得ないでしょうし」



 努が腕を組んで次の手を考えていると、後ろからそんな提案が投げかけられた。緑髪を耳の後ろへ掻き上げながら避難民を見ているリーレイアを見て、ゼノはうんざりしたような顔をした。



「君もか、リーレイア」

「こんなこと、竜人だったら誰でも思いつきますよ」

「アーミラは……あ、神竜人か。なら納得だ」

「…………」

「冗談だよ」



 真顔で距離を詰めてきたリーレイアに肩をすくめてそう返した努を見て、ゼノは指先を額に当てて仰々しくため息をついた。



「分厚い仮面を取ったのは結構なことだが、その物言いはあまり感心出来ないね」

「クランリーダーがこれですからね。自分より醜い者がいると、安心するんです」

「だそうだが? ツトム君?」

「いや、不細工に不細工って言われても別に何とも思わないでしょ? 他人を下げないと自分を上げることが出来ない真性の不細工なんだなとは思うけど」

「……私、不細工じゃないですし」

「あっ……。そうなんだ」

「…………」

「おい、剣に手をかけるのはやめろ」



 何かを察したような顔をした努に腹が立ったのか、リーレイアはレイピアの柄に手をかけている。努がその指摘をすると彼女は舌打ちをした後に手を離す。その舌打ちは何処かアーミラと似通っている雰囲気があった。


 目の据わっているリーレイアから気を逸らすように、努はトマトの形がなくなるまで煮込まれた具材たっぷりのスープを飲んでいる避難民たちに視線を戻す。



「まぁ、モンスターの追撃はあるかもね。クリスティアさんは切り捨てる判断もしそうではあるけど、バーベンベルク家は微妙だし。十分考えられる手だとは思うよ」

「……でしょうね。この状況ならば、カンチェルシア家の方が良かったのかもしれません。あの当主ならば、家畜を屠殺とさつするように切り捨てるでしょうし」

「だろうね」

「君たちは、くれぐれも人前で話さないようにすべきだね」



 もうこの二人といるのは嫌だと言わんばかりに肩をすぼめているゼノに、努は何故か自信ありげに胸を張った。



「勿論だよ。他人事だからここまで言えるだけだし、あんまり不穏なことを人前で言っても士気が下がるだけだしね」

「はっはっは。私の士気は考慮してくれないのかな」

「ゼノは理想と現実を混同しないでしょ。話しちゃいけない相手くらいはわきまえてるよ」



 特にハンナに対してはこういった黒い話題は振らない方がいいと努は考えている。恐らく彼女は本気で受け取ってしまうため、無駄に騒いでしまうだろう。他の者たちについてはガルムやダリル、コリナなどがゼノと同じような反応を示すだろうが、納得はしないにしても理解は示してくれるだろう。



「きゃああああ!!」



 そうして努たち三人が話していると、突然障壁外から女性の悲鳴が響いた。



「モンスターだ! モンスターが出たぞぉぉぉ!!」



 どうやら地中から虫系のモンスターが現れたらしく、辺りは一転としてパニックになっていた。



「助けてくれぇぇ!!」

「お願い、入れて! 息子もいるの!」

「ふざけんじゃねぇ! 早く開けろ!」



 さながらゾンビ映画のようなシーンを見て、努は諦めたように首を振った。



「はぁ、当たりだね。どうするんだろ、これ」

「あ、どうやら開けてしまったようですよ」



 避難民が慌ててドミノ倒しにならないよう細やかに障壁を操りながら、バーベンベルク家当主は開門したようだ。その様子を見て努は重いため息をついた後、ポケットに入っているウンディーネを出した。



「取りあえず、僕たちもクリスティアさんに指示を仰ごう。リーレイアは僕と来て。ゼノは宿屋のみんなを纏めてきてもらえる?」

「はい」

「君たちと同じ発想をした者が相手とは、先が思いやられるよ」

「いや、今回はリーレイアの発想でしょ。僕は関係ないから」

「もう無駄口を叩いている暇はありませんよ。早く行きましょう」

「はいはい」



 ゼノはすぐに無限の輪のクランメンバーが泊まっている宿屋へ駆け、努とリーレイアは軽く言い合いながら迷宮制覇隊のいる場所へと向かった。



 ▽▽



 結果的に一万人を越える避難民はセントリアの地域を区切って隔離するという方向で纏まり、後から来た無限の輪一行はクリスティアの指示で外のモンスターを討伐することになった。


 外に湧いた虫系モンスターたちはそこまで強くなく、数もそれほどいなかったのですぐに殲滅出来た。そうして緊急措置として避難民たちを障壁内へ受け入れたが、一万人を越えるとなると一人一人の検問も大分時間がかかる。一日通してセントリアまで歩いてきた避難民たちも大分憔悴しょうすいしているため、速やかに事は進まない。


 遅々とした検問が行われていくが、もうすぐに夜となる。魔道具で光を焚いて調査を進めていくが、段々と文句が出始める。



「このまま地べたで寝ろって言うのかよ。ふざけやがって」

「飯はまだかよ」

「あぁ、もう、我慢出来なかったの?」

「わーーん!!」

「うわ、くっせぇ! 漏らしやがったな!」



 一万人、それも教育を受けておらず裕福でない者の集団を統制することは不可能に近い。行動自体はバーベンベルク家当主が障壁を使って誘導しているので問題はないが、その中でさえも口汚く罵ったり暴力沙汰が起きることが多かった。トイレも数が足りないため待ちきれずに漏らしてしまう者も出始め、騒ぎは大きくなっていく。



「落ち着け。今炊き出しはしているし、便所も増設してる」

「喧嘩は止めろ」



 探索者に対しては少し風当たりの強い騎士だが、文句ばかり言う避難民たちに対しては真摯に対応している。モンスターに対する戦闘面では探索者の方が上であるが、人に対しての対応では騎士の方が手慣れている。しっかりとした武器と鎧を装備している騎士たちの対応で、騒ぎは鎮火されていった。


 そして一夜挟んで朝から避難民たちの素行調査は進んでいくが、あまり良い結果は出ない。そんな状況のセントリアの障壁を、金色の髪を風になびかせている男がノックするように叩いた。



「おーい、開けてくれー」



 王都に報告してセントリアへ帰ってきたレオンがそう言うと、障壁が自動ドアのように開いた。その障壁を潜ったレオンは大勢いる避難民たちを珍しそうに見た。



「なんじゃありゃ」



 王都から夜通しで走って先ほどセントリアに到着したレオンは、隔離されている避難民について知らなかった。なので検問を受けている集団を不思議に思って近づくと、その中から一人の少女が声を上げた。



「あ! レオンだ!」



 季節外れの黒いマフラーをしている幼げな少女は、レオンを見つけると嬉しそうに声を上げた。その少女も避難民の内の一人で隔離されているため、水族館の魚を見るように透明な障壁へ顔を押しつけている。そんな少女を見てレオンは上機嫌そうな顔で近づいた。



「おう、レオンだぜ。お嬢ちゃん、よく知ってるな?」

「お母さんがファンなの!」

「ほーう? こんな美人がファンになってくれるなんて、ありがてぇな」

「……私はこの子の母親ではない」



 少女の隣にいた女騎士は冷めた目でレオンにそう告げる。そいつは残念と肩を落としたレオンは、避難民たちを眺めた後に疑問を投げかけた。



「で、何で障壁の中にいんの?」

「……この人たちは、昨日南から避難してきた。現在は検問中で、一時的に障壁の中へ隔離されている」

「なるほどなー」

「貴様は早く報告に向かえ。こちら側は隔離されている。貴様は邪魔だ」

「少しは休憩させてくれよー。これでも夜通し走ってきたんだぜ?」

「鬱陶しい奴だ」



 障壁の中にいる女騎士は厳しい目付きでレオンを睨んだが、少女の手前渋々といった様子で事情を話した。そんな女騎士の視線を気にせずのんびりと欠伸を噛み締めた後、レオンはキラキラとした瞳で見上げてくる少女へ合わせるように障壁へ左手を当てる。



「ま、それならしょうがねぇな。じゃ、検問が終わったらまた会おうぜ」

「えー! いっちゃやだ!」

「えー、それじゃあもうちょっと残っちゃおうかなー」



 まだ年端としはもいかない少女を相手でもおちゃらけた様子のレオンを、女騎士は白い目で見ている。すると少女は右手を細くすぼめて、障壁に手を当てているレオンに向けて放った。



「えい!」



 一瞬にして虫の甲殻のように黒く変色した少女の手刀は、透明な障壁を突き破ってレオンの左手を掴んだ。バーベンベルク家の障壁を易々と突き破った少女に、レオンと女騎士はギョッとした。



「つかまえた!」

「……おいおい。こいつはどういうことだ?」



 迷宮都市に張り巡らされた障壁より強度は弱いとはいえ、レオンでさえ破壊するのには苦労するであろう障壁。それを少女が素手で貫いたことにレオンは驚きを隠しきれなかった。


 その後も熱したナイフでバターを斬るように変質した左手で障壁を切り落とした少女は、レオンへと歩み寄る。



「こちらにモンスター発見! 早く来てくれ!」

金色の加護ゴールドブレス



 女騎士はすぐに声を上げ、明らかな異常にレオンもユニークスキルで自身のAGIを上げながらバックステップする。だが自身の左手を掴んでいる少女は離すことなく付いてきている。



「はやーい!」

「っち! なんだぁこれは!? 外れやしねぇ!」



 まるで自身の手と少女の右手が同化してしまったのかと錯覚するほど、その拘束は外れる気配がなかった。更にその右手から何か白い糸のような物が出始め、レオンの左腕を覆っていく。



「ミナと一緒にきてね。おとなしくしないと、いたいよ?」



 少女の背中にある洋服をさなぎのように突き破り、細長い節足が何本も生えてくる光景を見たレオンの顔は青ざめた。

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