第219話 自戒した笑顔

 大亀の甲羅内にある一つのダンジョン。様々なモンスターがひしめくその中で、二人の人間が存在していた。だがモンスターたちはその二人を襲わず、大人しくしていた。



「そういえば、先ほどの襲撃はどうでしたか?」

「…………」

「ははは、その様子だと手痛くやられたようですね」



 全身真っ黒の礼服と季節外れのマフラーを巻いているオルビスは同じ服装をしているミナに軽い調子で言いながら、先ほど魔石と交換した鎧を分解してオークに合うよう調整していた。


 元々オルビスはモンスター保護会の会長である妻と結婚するまでは、多方の職を転々としながら芸術家として活動していた。その時に様々な技術を応用して芸術品を作ることをしていたので、手先だけならばそこらの職人より器用である。そんなオルビスの近くでは、コボルトという犬の顔をした人型のモンスターも一緒に鎧を分解していた。


 そしてそのことを指摘されたミナはぷくっと頬を膨らませながらそっぽを向く。わかりやすい反応をした少女にオルビスは苦笑いした。



「神の寵愛を受けた者が二人に、迷宮制覇隊隊長のクリスティア。それにツトムもいます。手強い相手です。そう簡単には倒せませんよ」

「殺せたと思ったのに、たすけられちゃった。あとツトムずるい。耳の長いひとに隠れてばっかりだった」

「ははは。彼は後方支援が得意ですから、狙われれば逃げるでしょうね。それと、ツトムは出来るだけ生かすようにお願いしますよ」

「わかってるよっ。ワームで捕獲しようとしたもん! でもすぐにげる! ずるい!」

「ミナは実戦経験がありませんし、しょうがないですよ。これから慣れていきましょう」



 オルビスは指示された通りに鎧を分解したコボルトの頭を撫でている。拗ねた様子のミナはされるがままにされているコボルトから視線を外すと、のそのそと自分の足下へ張って歩いてきたムカデのようなモンスターの頭を対抗するように撫でた。



「その子たち、うるさいからきらい。この子たちはこんなに大人しいのに」

「感情的にならず穏やかに接すれば、この子たちも無駄に吠えたりはしませんよ。とはいえ私は虫が苦手ですし、ミナが担当してくれるのはありがたいです。もう少し落ち着ける環境になった時には、お互い苦手なモンスターを克服していきましょう」

「やだ」

「ははは、困ったな」



 残念そうに頭へ後ろ手を当てたオルビスは、ミナを守るようにとぐろを巻いている巨大ムカデを苦々しい表情で見ている。そして鳥肌を振り払うように首へ手を当てて外の様子を窺った。



「恐らく、そろそろこちら側にレオンが送られてくる頃です。その前にもう一つの都市を落とし、セントリアへ向かいます」

「レオンが来るんだ!」



 神のダンジョンが出来てから週に一度は母と神台を見ていたミナは、レオンのことを良く知っていた。神台を見に行く時の母はいつもより明るく、ちょっとした贅沢なお菓子も買って貰えるのでミナは母と出かけることは好きだった。その影響で母を笑顔にしてくれるレオンにも好印象を持っていた。



「レオンさんの捕獲はミナに任せますので、頼みましたよ。彼を捕えておけば楽になりますから」

「うん!」

「足止めも上手くいっていますし、今のところは作戦通りですね。このまま上手くいくといいのですが」



 オルビスはダンジョンで新しく生まれたモンスターの魔石に黒いなにかを埋め込みながら、心配そうな顔でため息をついた。



 ▽▽



「報告は以上になります」

「わかった。では昼食を済ませた後、これを持ってすぐに王都へ向かえ」

「はっ、了解しました」



 クリスティアが報告を聞きながら書いた指示書を受け取ると、情報伝達班の女性は早足で部屋を出て行った。王都の現状を彼女から詳しく聞いたクリスティアは地図を開き、馬車の通る道を見た。



(あの二人だ、死んではいないと思うが……。妨害でもされたか?)



 先ほど聞いた報告では、既に王都へ到着予定のメルチョーと迷宮制覇隊副隊長が何の連絡もないまま到着していないとのことだった。魔流の拳という習得困難で使用時にもリスクを伴う技術を完璧にこなすメルチョーに、ユニークスキルを持った副隊長。そんな二人がまだ王都に到着していないのは、クリスティアも予想外だった。


 それこそ暴食龍に匹敵するようなモンスターでない限り、あの二人を止めることは出来ないだろう。しかし今回のスタンピードには知性のある指揮者が存在するため、策を用いている可能性は十分にある。道を潰されたのかとクリスティアは仮定しているが、今はそれもわからない。



(遠くのモンスターにも指示が出せるか、もしくは指示を出せる者が複数存在するか。……どちらの仮定でも頭の痛くなることだ)



 クリスティアは地図から目を離すと、他にも報告された事案に目を通す。王都の民たちの状況はそこまで深刻ではなく、カンチェルシア家も特に問題は起こしていない。それとアルドレットクロウの白魔道士がセントリア配属を猛烈に志願していることや、レオンが既に報告を終えてこちらへ帰ってきていることなど、細々とした報告にクリスティアは目を通していく。


 そしてあらかた目を通すと彼女は布に包まれた弓を背負って外に出た。セントリアから北へ避難した者は多いが、それでも残っている住民は一定数存在する。街中にはまだ活気があり、普段より少ないが食事処しょくじどころなども開いている。そこは探索者や騎士などを中心に賑わっていて、いい息抜きになっている様子だ。


 自分の住んでいる場所を突然変えるというのは、非常にエネルギーを必要とするものだ。たとえ暴食龍での被害があってもこの地への愛着やら、お金が勿体ないなどと言い訳を見つけて移動しない者はいる。


 彼女自身はスタンピードで一人も被害を出させないために身を粉にして働いてきたので、危険な場所からは全員に逃げて欲しいとは思っている。ただそのおかげでセントリアに来た探索者や騎士たちが助かっていることも事実で、クリスティアには咎めることは出来なかった。



「黒パンと、水を」

「お、おう? あんた、そんだけで大丈夫か?」

「問題ない」



 人気のないぼそぼそとした黒パンと水だけを頼んだクリスティアは、恐ろしいほどの無表情で食事を始めた。クリスティアは森を捨ててから、自身に戒めを課している。その一つとして彼女は、美味と感じるものを食べないようにしていた。


 他にも健康に害を成さないことを線引きにして、様々な戒めを課している。そしてクリスティアは口の中をからからにしながら黒パンをかじっていると、斜め前に座っていたクリーム色の髪色をした女性が驚いたような目で見てきた。



「え、えぇ!? そんなにこのお店在庫なかったんですか!? あ、よければ私のをどうぞ!」



 四種類の定食メニューを一人で頼んで食べ比べていたコリナは、店側がもう黒パンしか出せないほど食料がないのかと勘違いして自分の頼んだものを差し出した。そんなコリナに対してクリスティアは静かに首を振った。



「気遣いは不要だ。これは私が自分で頼んだものだ」

「えぇ!? 黒パンだけじゃ元気出ないでしょう!? どうぞどうぞ!」

「…………」



 食べ物のことになるとやけに積極的になるコリナは、今さっき運ばれてきた鉄板の上で油が踊っているステーキを勧めた。ただ勧めている割にコリナの目はバッチリとステーキを映しているし、若干手が震えている。わざわざ自分の好みであるレアで焼いてもらったものなので、少しだけ思い入れでもあるのだろう。



「私はこれで十分だ。それは貴女が食べるといい」

「そ、そうですか……」



 コリナは嬉しいような残念なような顔をしながら、恐る恐るといった様子でステーキの端をナイフで切った。そしてフォークで刺して口に運んだ途端に、気まずさが吹き飛んだのか幸せ一杯の顔になった。そんなコリナを見てしまったクリスティアは思わず口元を塞ぎ、舌を強く噛んで自制した。


 森を捨てた自分が喜んではいけない。クリスティアは自戒じかいで笑顔を禁じていた。だが元々の性格は活発なダークエルフという種族ということもあってか、どうしても笑ってしまう時がある。そんな時にクリスティアは口元を隠し、舌を噛む痛みで喜の感情を押し殺していた。


 強く噛みすぎて血まで出たのでクリスティアはヒールで舌を治すと、黒パンと水を一緒に飲み込んで足早に食事処を立ち去った。


 そして元々貴族が住んでいた屋敷へと戻ると、クリスティアは布で包んでいた弓を露わにした。薄黒いその弓は暴食龍の素材を用いて作成されたものであり、いわくつきの一品である。


 この弓の作成者は、頭を矢で貫かれた状態で発見された。だがその後も暴食龍の素材を用いられただけあって弓は高額で取引されたが、使用者は怪我、もしくは死亡するということが相次いだ。そしてクリスティアの元に渡ってきたわけだが、どうやらこの弓には気を強く持たなければ矢が自身へ返ってくる呪いが付与されているようだった。


 クリスティアも一度矢が返ってきて肩を撃ち抜かれたが、それでも今はこの弓を使いこなせている。それにこの禍々しい弓を持つと自戒にもなるため、クリスティアにとってはぴったりのものだった。


 そんな弓の整備をしていると、扉が強く叩かれた。入室を許可すると慌てた様子の騎士が入ってきて、声を張り上げた。



「南から、避難民が! 膨大な数です! 少なくとも一万はいるかと!」

「……わかった。一先ずそちらへ向かおう」



 騎士の報告にクリスティアは弓を布で包むと、すぐに現場へと向かった。

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