第218話 奇怪な二人

 もうスタンピードの波が過ぎ去っていた最南の都市。そこに在駐していた騎士や民兵は全員粘つくスライムに捕縛され、広場に集められていた。その都市の長は絶望的な状況を館の最上階で見ながら、額から脂汗を垂らしていた。


 突然地震が起きたかと思えば、地中から突如モンスターが湧き現れた。踏み固められて石畳で舗装された道であるにもかかわらずだ。そして地下から湧いたモンスターたちは、外壁近くにある対空兵器の魔道砲を制圧した。


 その後は空からも奇襲を受けて門が内側から開けられ、地上から行軍してきたモンスターによって都市部へと侵攻された。そしてものの数十分で都市の武装勢力は捕縛され、人質にまで取られていた。


 まるで軍隊のように規律のある動きをするモンスターたちに、その都市は完全に落とされていた。既に外壁はモンスターで囲まれ、誰一人として外に出ることは出来ない。そして都市の中にいる民たちは、崖の淵に追いやられているような顔で絶望していた。



「誰か……誰か、助けて……」

「神よ……」

「わぁぁぁぁん!!」



 都市内部を平然と歩くモンスターたちを民は恐れ、ただ祈ることしか出来ない。子供はあまりの恐怖に泣き喚き、それを諫められるほど余裕のある者もいない。モンスターへの恐怖で都市は包まれていた。


 そうしてこの都市が制圧された後、様々なモンスターたちは各自食事の準備を始めた。甲高い声で泣く子の腹をかっさばき、母の前で無残にも内臓を引きずり出す。どうやらモンスターたちにも好みはあるのか、心臓や肝臓など臓器ごとに分けているようだ。


 他にも口の中に香草を無理矢理詰め込んでそのまま丸焼きにしたり、各部位をバラバラにして固い部分は包丁で刻んで挽き肉にしたりなど、残虐非道な行為が民の目の前で行われた。



「ブヒー!!」



 子を目の前で殺された母の土猪ウリボアは悲痛な声を上げるが、彼女もすぐに斬首されて血と魔石を抜かれ、モンスターたちに解体されていった。そしてあっという間に見慣れた肉の塊となり、熱された鉄板でどんどん焼かれていく。


 都市内部に侵攻してきたモンスターたちが自前で連れてきた土猪を食べて英気を養っている中、一人の男性と少女が狼狽している都市長のいる部屋に入ってきた。モンスターの群れの中から出てきた二人に都市長がびくびくとしていると、物腰の柔らかそうな顔付きの男性は苦笑いした。



「まぁ、そう怖がらずに。私たちは貴方たちに危害を加える気はございません」

「……お前たちは、なんだ?」

「申し遅れました。私はオルビス。こちらの少女は、ミナと申します。どうぞよろしくお願いします」

「よろしくね」



 季節外れの黒いマフラーを首元に巻いているオルビスとミナは、壮年の都市長へ笑顔で挨拶した。街中で見れば二人の間柄は父と娘に見えるだろうが、実際はオルビス教の教皇とその信徒である。


 オルビス教は迷宮都市にある神のダンジョンを神域と定義し、誰でも入れる現状に異議を申し立てている宗教団体である。暴食龍の襲撃をきっかけにその宗教団体の影響力は増したが、それでも神のダンジョンへの立ち入りを制限する要望が聞き入れられるほどではない。


 そしてミナは暴食龍の放った攻撃の余波を受けた一般人の中で唯一生き残った少女であり、あのスタンピード後にはオルビス教に属していた。最初は同情集めの道具として使われているに過ぎなかったが、今の彼女の立場は教皇であるオルビスの側近までになっていた。


 ただ都市長はオルビス教については知らなかったのか、その二人をただただ不気味そうに見るだけだった。モンスターの群れの中から出てきた人間、もしくは人間のような見た目をしたモンスター。そのどちらでも最悪なことには変わりがない。


 警戒している様子の都市長に向けて、オルビスは心苦しそうに頭を下げた。



「今回は突然の襲撃、失礼しました。ですが正面から話し合いというわけにもいきませんから、拘束させて頂いた次第です。死者は一人も出していないのでご容赦下さい」

「……何が目的だ」

「今回は、一つ取引を交わしてほしいのです。この団体を動かす食料はこちらで調達できるのですが、何分装備が不十分でしてね。今この都市にある装備と資源を、全て頂きたいのです。その引き替えは広場に集めた人質と、この魔石でいかがでしょう?」



 オルビスはマジックバッグから大量の魔石を机の上に広げ始める。様々な種類、それも大魔石ばかりなので中々の値が付くものばかりだ。恐らくこの魔石と人質を天秤にかければ、装備など安いものだろう。


 だがここで補充された装備が何に使われるかは明白である。なので都市長としてもあっさりと交換を認めるわけにもいかない。怯えた様子を引っ込めた都市長は強気に胸を張り、言い放つ。



「……モンスター共に、くれてやる装備などない」

「ははは。では一人くらい殺した方がいいですか?」

「うわぁぁぁ!!」



 オルビスが黒いマフラーに手を当てると、外から悲鳴が響いた。粘着質なスライムによって地面に張り付けられている騎士の髪をオークが掴んで持ち上げ、その首元に剣を置いている。都市長は慌てた様子で窓からその光景を眺め、ミナも背伸びして外の様子を見ていた。



「こちらとしては神域に我が物顔で踏みいる探索者以外は殺したくないのですが、貴方たちに死ぬ覚悟があるのならば仕方ありません。ただ、ここで貴方たちが命を張ったところで結果は変わらない。もし協力して頂けないのなら動けない騎士たちを虐殺し、外で怯えている民たちもモンスターの餌にするだけです。そしてその後、ゆっくりと装備を回収しましょう」

「いのちはだいじにしなきゃだめだよ? ね、お母さん」



 仏のような顔でさとすように言うオルビスと、小首を傾げて自分の腕を見ながら当然のように呟くミナ。鎧で身を固めたオークたちは不気味なほど速やかに移動し、スライムで拘束されている騎士たちの頭を引き上げて首の下に武器を置いた。騎士は処刑される罪人のように顔を青ざめ、突然動いたモンスターたちに民たちは悲鳴を上げる。


 都市長はその悲鳴を聞いて、苦悶の表情のまま目を閉じた。ここで装備を渡してしまえば、軍のように動くモンスターたちはそれを有効に活用するだろう。それによって王都で更なる被害を生むことになることは、目に見えている。


 ただ、こちらの武力は全て封じられている。ここで装備を渡さないと宣言しても、オルビスの言う通り結果は変わらない。そもそも皆殺しにしようとすれば、初めから出来ただろう。恐らくオルビスという男は、本当に人の命については考慮している。話が通じる相手だ。



「……わかった。そちらの条件を全面的に受け入れる」

「賢明な判断です」



 都市長の言葉を聞いた後、すぐにオークたちは武器を下げると食事に戻った。騎士たちは安心したように息を吐き、その家族は嗚咽おえつを漏らしながら安堵の涙を流した。都市長も窓からその様子を見て安心したように息を吐く。



「心中お察ししますが、何分こちらも時間がありません。今すぐに案内して下さい。装備をモンスターたちに運ばせますので。ミナ、行きますよ」

「はーい」



 キョロキョロと部屋の中を見ていたミナを呼び、オルビスは都市長に案内を促した。そして装備や魔道具はオルビスの指示に従うモンスターによって運び出され、ミナはオークに肩車してもらいながら辺りを歩き回っていた。



「お母さん、大切にね」

「う、うん……」



 ミナは羨ましそうな顔をしながら母の影に隠れている子供に話しかける。丁度ミナと同じくらいの歳である子供は、おずおずと頷いた。その後もミナはオークの上で家族の姿を見ながら、幻想を追うように街中を歩き回っていた。



「ミナ、少しは手伝って下さい。周囲の警戒をお願いします」

「はーい」



 歩き回ってしばらくするとオルビスから要請があったので、ミナも巻かれているマフラーに手を当てながらモンスターに指示を出していく。とはいえこの都市の者たちは周囲を囲むモンスターを見て戦意喪失しているので、大した仕事はない。ミナは暇そうに指先で自身の黒髪を弄りながら小さく欠伸していた。


 そして都市内にあったものを半日程度で運び終えると、オルビスは指をパチンと鳴らした。すると騎士たちを拘束していたスライムたちはのそのそと離れ、彼の周りに集まった。



「私たちの指揮下にあるモンスターはこの都市を襲わないですが、もしかしたらはぐれているものがいるかもしれません。自衛出来る程度の魔道具は置いていきますので、油断はしないようにして下さいね」

「…………」

「では、また会えることを願っております」

「じゃあね」



 そう別れを告げてモンスターを引き連れて都市を出て行った二人を、都市長は真剣な目付きで見送った。そして門を素早く閉めて二人の動向を騎士に観察させていると、モンスターの団体は一カ所に固まって止まった。



「……撃ちますか?」

「馬鹿なことを言うな。こんな装備で勝てる相手ではない」



 魔道砲は二台ほど残してもらっているが、元々万全の装備ですら何も出来ずに封じ込められたのだ。魔道砲に視線をやった騎士をたしなめた都市長は、そのまま緊張した様子で団体を見守った。


 すると先ほど起きたものと同じような地震が起こり、騎士や都市長は慌てた様子を見せた。そして固まっていたモンスターの団体を見ると、その場所にあった地面だけが切り取られたようにへこんでいた。



「……なんだ、あれは」



 そして地鳴りと共に、地が身をもたげる。地中から姿を現したのは、巨大な四足を持つ亀のような見かけをしたものだった。あまりにも巨大すぎるモンスターを前に、双眼鏡を持つ都市長の手が震える。



「あれは……」



 悠々と歩き出す巨大なモンスター、その背中にある甲羅にはいくつも穴が空いている。その穴の横にある看板に、都市長は見覚えがあった。



「ダンジョン……なのか?」



 ダンジョンへの入り口を示す看板が立てられている甲羅を見て、都市長は恐ろしげに呟くことしか出来なかった。

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