第210話 変革の狭間

 迷宮都市の大手クランも王都周りのダンジョンに潜って調査を開始したが、一日目はこれといった問題は起きることなく終わった。外のダンジョンは神のダンジョンと仕様が違うものの、環境自体はそこまで変わりがない。今回無限の輪が潜った場所は、十一階層の森に似た環境だった。



「随分と暇だな」



 ただ迷宮都市の大手クランが合同で調査をしても、モンスターが出現することは一切なかった。最後の方はガルムですら集中を切らすほどにダンジョン内は平和そのもので、ほとんどの者は気が抜けていた。



「師匠、顔怖いっすよ? 怒ってるっす?」

「……いや、全然怒ってないよ」



 ディニエルを筆頭にした他の大手クランの索敵組がいるし、ガルムも気が抜けているとはいえモンスターに対処する心構えは出来ているのだろう。それなのに自分が常に気を張ったところで何かが出来るわけではないが、努はそうせざるを得なかった。


 外のダンジョンでは誰かが死ねばそこで終わりだ。そのため誰かが死ぬまでにヒーラーが絶対に回復させなければいけないし、指示出しも必須だろう。努はそんな責任感で自分を追い込むことで、普段の探索以上の集中力を得ていた。


 だが自分の死と仲間の死を意識して常に気を張るというのは非常に疲れる行為で、モンスターと戦ってすらいないのに努だけ疲弊していた。そんな努に周囲のクランメンバーはよくわからないような顔をしていた。


 そうしてダンジョンの調査が一日、二日と行われたが、特に異常は見られなかった。ただモンスターがダンジョン内に存在しないという異常事態は解消されないまま、王都での日々は過ぎていく。



「やぁ、ツトム。迎えに来たよ」

「すまないが、付き合ってくれるか」

「はい。わかりました」

「おやおや……バーベンベルクにはやけに素直だね」



 その間に努は改めてブルックリン・カンチェルシアに食事へと誘われた。ただその際に王都へ召集されていたバーベンベルク家の当主が気を遣って同席してくれたおかげで、努は少しだけ肩の荷が下りた気分だった。


 到底食べきれない量の料理が並ぶ長机を前に三人が座ると、給仕がグラスに赤ワインを注いだ。そしてブルックリンは軽く食事を済ませた後、前回のスタンピードについての話題に触れた。



「前回のスタンピードで、君は大活躍だったそうじゃないか。これが障壁を破られて無様にも気絶している間に、攻めてきた巨大なモンスターを倒したと聞いたけど?」

「……自分は軽い指揮をしただけです。それに魔法のことはよくわかりませんが、バーベンベルク家の三人は事前にモンスターの攻撃を察して全ての障壁を一ヶ所に集めていたように見えました。あの咄嗟な判断がなければ、今頃迷宮都市が消し飛んでいたでしょう」

「へぇー。ま、敗れたことには変わりないよね。それで迷宮都市は王都に莫大な借りを作って、今こうなっているわけだけど?」

「…………」



 ブルックリンはそう言ってバーベンベルク家の当主に冷めた目を向ける。やはり同じ障壁魔法を使える貴族同士というだけあってか、両者の関係はそこまで良いものではないらしい。



「そもそも自分と感覚と同期させなきゃならない障壁魔法なんて、明らかな欠陥だ。それは前から指摘されていたし、それで探索者風情に助けられるなんて、バーベンベルク家も墜ちたものだね」



 ブルックリンは哀れな乞食でも見るような目でバーベンベルク家当主を見ているが、当人の彼は特に気にした様子もなくワイングラスに口を付けていた。その姿にブルックリンは不快そうな顔を露わにしていると、彼はナプキンで口元を拭いた。



「ブルックリン。君は若い。なればこそ、新しい時代を受け入れやすいと思ったのだがな」

「……新しい時代?」

「貴族社会は、前回の革命で崩壊した。もう新たな時代に入っている」



 神のダンジョンが出来てから数年後に起きた、貴族に対する革命。それによって三大貴族であった一つの家は一族皆殺しにされ、圧政を敷いていた中堅貴族たちも次々と吊るされた。


 その当時迷宮都市を統治していたバーベンベルク家も、当然革命を起こされている。ただバーベンベルク家は民草のことを考え、徴収していた税を使って民のために様々な政策を施してきた。貴族という立場上、民と同じ立場に立つことはしなかったが、それでも苦しめるようなことはしてこなかった。


 なので迷宮都市でも革命自体はあったが、探索者たちから警備団という組織が生まれるくらいには信頼関係が構築出来ていた。仲良しとまではいかないが、貴族は民に必要とされていた。そのため革命も小規模だったので、そこまでの被害は出なかった。


 ただバーベンベルク家は迷宮都市で起きた革命に王都の混沌とした状況を見て、既に魔法特権を振りかざす貴族社会は崩壊したことを悟っていた。神のダンジョンによって民は貴族に匹敵する力を得て、しかもその数は膨大だ。貴族が圧政を敷けば、力を持った民に駆逐される未来は想像出来ていた。


 だがそんなバーベンベルク家当主の言葉に、ブルックリンは呆れたような顔をした。



「革命だって? そんな奴らはもう、皆殺しにしたさ」



 だが革命当時に探索者との共存を選んだバーベンベルク家に対して、カンチェルシア家は敵対を選んでいた。いくら神のダンジョンでスキルとステータスを手に入れたとはいえ、まだその技術は成熟していない。数百年前から使われていた魔法の方が力は成熟している。


 それにブルックリンの障壁魔法は今までとは頭一つ抜けていて、女性で当主になれるほどだった。そして革命時、ブルックリンの障壁魔法だけで革命軍は殲滅されたのだ。


 その後カンチェルシア家は革命を起こした探索者を全員捕らえ、その者に関連する者も全員処刑した。透明な障壁魔法を使った拷問にも近い処刑は革命軍の士気を大いに下げ、カンチェルシア家は革命を退けていた。


 その後もカンチェルシア家は革命に関わった探索者をしらみ潰しに殺し、スキルと魔法を同等に扱う発言をした探索者も殺した。そんな探索者を連れてきた騎士も殺したし、探索者を優遇する貴族ですら潰した。



「迷宮都市で腑抜けたか? バーベンベルク。探索者風情に、貴族が負けるはずがない。貴族に刃向かう探索者は僕が全員殺す」

「王が王都に探索者を招いている時点で、もう終わっている。神のダンジョンも今ではもう八十階層が攻略され、探索者のレベルも革命時より数段上がった。以前のようにはいかない」

「歳を食うと、すぐに守りへ入る。貴族の老害共も、同じようなことを言っていたよ」

「神のダンジョンが出た時点で、人類は平等になったのだよ。誰でも力を振るえる時代になった。貴族はもう特別ではない。少しだけ便利な力を持つだけの、人間に過ぎない。今回のスタンピードで、貴女はそれを知るだろう」



 ブルックリンは端正な顔を悪鬼のように歪め、赤ワインの入ったグラスを当主に向かって投げ捨てた。それは透明な障壁に防がれ、努の方に飛んできたガラス片もいつの間にか張られていた障壁魔法で弾かれた。ポタポタと障壁を伝って赤ワインが机に広がる。



「……不愉快だね。実に不愉快だ。お前はもう貴族ですらない。探索者の犬だ」

「魔法に匹敵する力を、民も持っただけのこと。それだけだ」

「ここで死ぬか? バーベンベルク。魔法とスキルを同列に扱う奴は、殺すことに決めているんだ」

「ここで戦えば、私が勝つ。こちらにはツトムがいる」

(なんで勝手に巻き込んでくれてるんだよ)



 いきなり自分が槍玉に挙げられたことに努は内心毒づきながら、何とか無表情を保った。別に努自身は白魔道士なのでそこまでの力はない。障壁魔法に対しては恐らく打つ手がないので、為す術なく殺されるだろう。


 ポケットに手を入れて魔石を握っているであろうブルックリンを見て、努は冷や汗をどばどばと掻いていた。今にも破裂しそうな空気と沈黙が長く続き、息が止まりそうになる。


 きりきりと胃が締め付けられるような感覚に努が陥っていると、ブルックリンはようやくポケットから手を出した。そして忌々しげに舌打ちした。



「もうお前は貴族ではない。その胸に刻め」

「そうだな」

「スタンピードが終わったら、覚悟しておくんだな」



 そう言うとブルックリンは努へと視線を向けた。内心ギクリとした努は身を固まらせたが、意外にもブルックリンの表情は柔らかった。



「……君は、今まで見たことのない人だ。見る限り、君は誰よりも弱そうだ。考慮にすら値しない。だけど、今ここに君がいるせいで僕は手が出せなかった。わからない。不思議だね。人なんて草みたいなものなのに、君を踏むのは躊躇してしまったんだ」

「………」

「君は、是非とも欲しいなぁ。バーベンベルク家を潰したら、僕が飼ってあげるよ。楽しみにしておいてね」



 三日月のように口を歪めてそう言ったブルックリンは、ゆったりとした足取りで立ち去っていった。彼女の姿が見えなくなってからようやく安心したように一息ついた努は、無言でバーベンベルク家当主を見た。



「すまないな。君を槍玉に挙げてしまって。だが私一人では、ブルックリンに勝てないことも事実だ。君の存在が欲しかった」

「……もし戦うことになっていたら、瞬殺されていましたよ。僕が」



 無限の輪の対人戦ワースト一位であり、ほとんどの白魔道士にも勝てないであろう努では、間違いなく瞬殺だろう。だがバーベンベルク家の当主は首を振った。



「ブルックリンの言う通り、君は異質だ。君の貴族に対しても引かない胆力と、魔力に対する鈍感さは、貴族にとっては底知れないものに見える。……これで二度も助けられてしまったな」

「いやいや、ただのハッタリじゃないですか。本当に肝が冷えましたよ」

「それでも感謝する。今回のスタンピードでも、君の活躍には期待している」

「そんなに期待されても困りますよ」



 そう言って会話を終わらせた努は零れた赤ワインを片付けているソムリエらしき人に一言謝った後、部屋へと帰った。


 そしてそれから一週間後、王都の南にある都市から早馬である情報が届いた。

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