第203話 魔流の拳伝承者、ハンナ
日が少しだけ顔を出している頃に、努はいきなり身体を揺らされて目を覚ました。いきなりの出来事に努が寝ぼけながら顔を上げると、藍色の犬耳を立てた男が窓のカーテンを開けていた。
「ツトム、今日も行くぞ」
「……は? え?」
「一日走っただけでは意味がない。毎日行わなければな」
「……マジ?」
わざわざ努の部屋にまで来て起こしにきたガルムは、当然のように言った。それから努は早朝にガルムとダリル、そして迷宮都市の外壁で待っていたゼノと走り込みを行うことになった。
「ひー、ひー」
「大丈夫ですか?」
「触れるな。裏切り者め。汗臭い」
「酷くないですかっ!? 僕だってガルムさんには逆らえないんですから、許して下さいよ!」
努は白魔道士だからと言い訳を駆使して走り込みを拒否しようとしたが、ガルムは首を縦に振らなかった。なのでダリルに助けを求めてみたものの、彼は目を合わせずにただ一言謝るだけだった。
涙目で抗議してくるダリルを鬱陶しそうに払いながら、努は一人疲れた様子で街中を歩いている。ダンジョン探索でしか運動しない努にとって、走り込みは辛い。
ただ努も冬将軍を突破して暇になっていたので、嫌々ながらも自主的には参加していた。アルドレットクロウは八十階層で消費した資金を貯めるために足を止め、後追いはまだいない。なので努は八十一階層には進まず、まずは二軍に冬将軍突破をさせるつもりだった。
それにスタンピードが始まってからは、また神のダンジョンに潜ることを自粛するような空気になるだろう。そのため努はそれまでに二軍の八十階層突破を目標にしていた。
「おっと、私はここで失礼するよ。愛する妻が今か今かと家で待っているのでね!」
「それをわざわざ僕に言う必要性はこれっぽっちも感じないけど、お疲れ」
「はっはっは! では、さらばだ!」
ゼノは妻の手料理が待っていると言って帰って行き、疲れで余裕のない努は親指を逆さにしてぶーぶー言っている。ギルドの酒場にいるおっさんみたいなノリにダリルが苦笑いしていると、努が思い出したように口にした。
「そういえば、ガルムとダリルって彼女とかいないの?」
「えぇっ!? なんでいきなりそんな話になるんですか!?」
「いや、お前すごい反応するな。もしかしているの?」
「いませんよ! いません!」
「私もいないな」
そんな質問にダリルはもの凄い勢いで尻尾をばたばたとさせた後に否定し、ガルムはあっさりとそう言った。努はつまらなそうな顔をした後、もう興味がなくなったのか口を止める。するとダリルが何処かうずうずした様子で声をかけてきた。
「ツトムさんだけ言わないのはずるいですよ!? ほら、いるんですか! いないんですか!?」
「やけに食いついてくるね。まぁ、僕もいないよ」
「えー!? 嘘だぁ!」
「僕はそもそも作る気ないから。ダンジョンが恋人でーす」
努がそう言うとダリルは全然納得していない様子で、何とか聞き出そうと後を付いてくる。ダリルはまだまだこういった話がしたいのか悶々としているようだが、努は別に興味がなかったので受け流すだけだった。
努が『ライブダンジョン!』で在籍していて、一番楽しかったクランは出会い厨によって崩壊した。なのでクラン内で男女がどうこうするということだけで努は嫌悪感が湧く。それにこの世界でそういった関係の者を作る気もないので、恋愛事情については非常にドライだった。
「まぁ、別に恋愛禁止ではないからダリルは好きにしなよ。ただ、そうなった時はゼノみたいにクランハウスへ通うかんじにはしてね」
「ぼ、僕だって全然興味ないですから! ダンジョンが恋人ですから!」
「どうだかね」
「あぁ。こいつもそろそろませてくる頃だ。怪しいぞ」
「はい! この話はもうおしまいです! あ! あそこのお肉美味しそうですね! 僕買ってきます!」
ガルムまで入ってきて戦況が悪いことを察したダリルは、すぐに話題を逸らす。そしてダリルは涎を飲み込みがら豚の丸焼きを見世物にしている屋台へと並び始めた。
「僕の予想はアーミラかな」
「うむ、そうか。私の予想は……オーリだな」
「えぇ……? あー、でも確かに胃袋を掴んでるしな。あるかも」
「そうだろう?」
珍しくにやにやとしながら話すガルムに、努も釣られて黒い笑みを浮かべながらあれこれ話し込む。そして豚の丸焼きを削ぎ切りにして甘辛いタレがかけた料理を買ってきたダリルを連れ、三人はクランハウスへと帰って行った。
「おかえりなさいませ。……朝食の準備はいりませんでしたか?」
「へ? ……あ、いや! 全然食べられます! 食べられますよ!」
ダリルの持っている屋台料理を見て悲しそうな顔で尋ねたオーリに、彼は慌てたようにばくばくと肉を食べ終えた。
「あーあー、オーリさんの料理があるのになー。ダリルひどいなー」
「うぅ……」
「ツトムさん。大丈夫ですよ。ダリルの朝食は抜いておきますので」
「え!?」
「さぁ、リビングへどうぞ」
「え!? え!? 冗談ですよね!?」
口元を押さえて軽く笑いながらリビングに手を差し向けるオーリと、死刑宣告でもされたような顔をしておろおろとしているダリル。そんな二人を見て努とガルムは顔を見合わせた後、意味深な表情をしていた。
結局朝食はダリルの分も出たのだが、心なしか量は少なめに見えた。それは屋台料理を食べてきたダリルへの気遣いなのだろうが、彼はオーリにごめんなさいと謝り倒していた。
「朝からキャンキャンうるせぇな。しばくぞ」
「怖いよ!?」
「ほどほどにね」
「ツトムさん!?」
「まぁ、今日は何が何でもみんな休む日だから、練習はなしだよ」
そんな努に対してアーミラは一つ舌打ちを漏らしたが、そのことは元々わかってはいたので何も言わなかった。その後アーミラはコリナを誘って神台を見に行き、それにリーレイアとエイミーも付いていった。
ガルムとダリルはドーレン工房に行ってくるそうで、ついでにオーリも発注した装備を見てくるそうだ。どんどんとクランハウスを出て行くクランメンバーを横目に、努はある程度新聞を読み終わると疲れたように指の関節を鳴らした。
努も先ほど出て行った二組から誘いは受けていたが、今朝の走り込みで疲れていたので遠慮していた。そしてリビングに残っていたのは、背中に鮮やかな翼を持つ小さな少女だった。
「お、あー、おー? うーん」
「結構頑張ってるよね、その練習」
寝癖のようにひょこんと立っている青髪を揺らしながら米粒のように小さい魔石を握っているハンナに、努は新聞を折り畳みながら声をかける。するとハンナはふてくされたような表情になった。
「全然成果は出ないっすけどね」
「まぁ、そんなもんじゃない」
「ん~、使えたら最強なんっすけどね~。冬将軍も一人でいちころっすよ!」
ハンナがそう言いながらぐっと魔石に力を込めると、空気の破裂するような音がした。そして彼女は電気でも流されたような悲鳴を上げた後、痛そうに手を振った。
「あ! 師匠! 血が出たっす!」
「何やってるの。ヒール」
自分の手の平を見て怪我のアピールをしながら近寄ってきたハンナに、努は一応様子を見た後にヒールを飛ばした。魔力の暴発によって出来たほんの小さな切り傷は、緑の気を受けるとすぐに治癒された。
「小さいと余計やりにくいっすね~。やっぱり神のダンジョンで練習した方が楽っす」
「……いや、そこまで無理はするなよ。本当にさ」
「ん? 大丈夫っすよ。出たら治るっす!」
「いやいやいや、爆発四散しておいてなに言ってるの」
ハンナがメルチョーから魔流の拳という技術を学んでいることを努は知っていたが、この前神台で見たときは小魔石を握って文字通り身体が爆発四散していた。もはや爆弾を持って自ら起爆して自殺しているかのような光景は、見ていて気分の良いものではない。
それに魔流の拳という技術は、神のダンジョンが出現して七年間経っても習得した者がいない。かろうじて警備団取締役のブルーノという男が実用出来るようにしているが、それもユニークスキルによる異常なVIT頼りで無理矢理使用しているに過ぎない。
魔流の拳という技術はメルチョーの強さを表すには事欠かない。その力はとても強大で、魔法の使える貴族ですら恐れるほどだ。魔石の魔力を自身の身体に宿して放たれる強烈な力は、魔法に匹敵するものだった。
しかしその技術を習得することはとても難しく、練習ですら幾人もの強者たちが命を落とす危険なものだった。そして死んでも生き返る神のダンジョンが出てからは様々な者が魔流の拳を習得しようとしたが、今のところ完全に使える者はメルチョー以外にいない。もはやユニークスキルのような技術である。
そんな技術をハンナが習得出来るとは、努も正直思っていない。それに努はメルチョーにひっそり聞いてみたところ、ここまで覚えの悪い弟子は初めてだと言われている。恐らく魔流の拳の習得よりも、今の避けタンクという技術を磨いていった方がいいだろう。
ハンナは無限の輪の中でも馬鹿の部類に入る。戦略関連では飲み込みのいいアーミラと違い、暗記をすること自体が中々出来ない子だ。だが天才肌のエイミーの言葉を理解出来るほどにセンスは持ち合わせていた。現に冬将軍の刀強奪については、既にある程度のコツは掴んでいる。
避けタンクを中心にやらせればハンナは順調に伸びるだろう。ただハンナは周りに止められたにもかかわらず、アタッカー職でタンクに転向したような者である。そのため意外に頑固なので恐らく言っても聞かないだろう。
恐らく鳥籠に縛り付けておくより、広大な空を自由に飛ばせる方がハンナは伸びる。そう努は判断してハンナにはある程度自由にやらせていた。そして当のハンナは努の言葉を聞いて、恥ずかしがるようにわざとらしく身体をしならせていた。
「もー、そんなにあたしのことが心配っすか~?」
「別にハンナが勝手に痛い思いするのはいいけど、僕は嫌だからね。だから僕は止めてるけど、ハンナが自主的にやってるっていう体を作ってるんだよ」
「そういうことだろうと思ったっす! あーあー、師匠は相変わらずっすね~。少しは優しいコリナを見習うっす!」
流し目で魔石を手先で弄りながら言うハンナは、何処か誘うように後方の翼をゆらゆらと動かしている。努が冷めた目で見返すと、ハンナは怒ったように翼をはためかせた。
「なんっすか、その目は! 悪いのは師匠の方っす!」
「うるさい」
「……ぐぅ。何でそんなに偉そうなんっすか。あたしを肉盾扱いしておいて、酷いっす! コリナはちゃんと優しくしてくれるっす! 師匠にはいたわりが足りないっす!」
「ハンナに優しくしても、別に効率上がらなそうだしね」
「ど、どういうことっすか?」
手持ち無沙汰になったのかスキルを回しながら言う努に、ハンナは途端にびくびくした様子で聞き返す。
「今回は違うPTだったけど、もし今後同じPTになるんだったら、びしばし行くからよろしくね」
「な、なんでそうなるっすかぁ!? いたわって! もっとあたしをいたわってほしいっす!」
「ディニエルも入れようか」
「止めてほしいっす!? 死んじゃうっす!」
そう必死に抗議してきているようであまり本気さが伝わって来ないハンナの言葉に、努はため息を吐きながら飛ばしていたスキルを霧散させた。
自由に空を飛びたいと言うので実際に放っておくと、何故か自己主張するように鳴きながら鳥籠に帰ってくる。鳥籠にいたいのか空を飛び回りたいのか、どちらかにしてほしいものである。
「まぁ、魔流の拳を練習するのは好きにするといいよ。ただ自分が避けタンクってことは忘れずにね」
「わ、わかってるっす! そろそろコツを掴んで、ぱぱっと冬将軍も倒してやるっす!」
「その謎の自信はどこから来るんだよ……」
「ふっふっふっ。ここにみんなが宿ってるからっすよ!」
ゼノの真似でもしているのか、ハンナは自分の左胸を拳でとんとんと叩く。ただゼノと違ってハンナには豊満な胸があるため、些か目に毒な光景となった。そのことをハンナもやってから気がついたのか、若干顔を赤くしている。
「師匠の目がえっちっす!」
「いや、勝手に自爆しといてその言い草はないだろ……。自分の身体なんだから自覚はあるでしょ?」
「うわぁぁぁぁん!! 師匠ひどいっす!!」
翼を折り畳んで前を手で隠しているハンナに、努は呆れたような顔をする。その反応が更に羞恥を煽ったのか、ハンナは顔を真っ赤にして飛び去るようにリビングから出て行った。
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