第202話 第二スタンピードの兆候
そうした話し合いによって先の方針が纏まったリーレイアは、翌日アーミラに謝罪して真剣勝負するという話も無しになった。そのことにアーミラは消化不良を起こしたような顔をした後、朝食を食べ終えてのんびりしていたダリルの首根っこを掴んだ。どうやらリーレイアの代わりらしい。
「おら、行くぞ」
「何で僕なんですかぁぁ!?」
遠ざかっていくダリルの声を聞きながら努が新聞を読んでいると、朝から元気なハンナも何故かエイミーに頭を下げていた。
「エイミー先輩! 冬将軍の刀の奪い方、教えてほしいっす!」
「いいよ! んー、じゃあ訓練場行こ! 教えてあげる!」
「よろしくお願いするっす!」
「コツはね、こう、狙って~、バッてかんじ!」
「おー! わかったっす!」
(いや、わからねぇよ)
エイミーの動作を真似ているハンナの受け答えに、努は思わず内心で突っ込んだ。あれこれやり取りしている二人を横目に見ていると、ガルムも朝の走り込みに向かう準備をし始めた。その走り込みにはゼノも付いていくようだ。
「ツトム君もどうだい? 朝から汗をかくのは気持ち良いぞ!」
「僕は遠慮しておくよ」
「ふーむ、しかしツトム君は体力がないように見受けられる。なに、一緒に走れば意外と走れるものさ! さぁ、行こう!」
「うむ、ツトム。ゼノの言うことは一理ある。少しは鍛えた方がいい」
爽やかな笑みを浮かべて朝の走り込みに誘ってくるゼノの後ろから、ガルムもずいっと顔を出してくる。努は助けを求めるように周りを見回したが、まだ朝食をもりもり食べているコリナは視線を合わせないようにしていた。そしてソファーに座っていたリーレイアは努と目が合うと、こくりと頷いた。
「私もご一緒します」
「いや、そうじゃないでしょ」
「んふふ、ごめんなさい。では行きましょうか」
「……たちが悪いな。え? これ本当に行かなきゃ駄目なやつ?」
嫌な笑顔をしているリーレイアへの突っ込みもむなしく、努は三人と一緒に朝の走り込みをすることになった。見習いの者に部屋で食べるお菓子を作ってもらっていたディニエルは、そんな努を見送るように手を振っていた。
「やぁやぁ、おはよう! みんなおはよう!」
「ど、どうも」
「うるせー」
通り過ぎる民衆たちの間を縫い、ゼノは時折ハイタッチをしながら進んでいく。民衆の一部からはゼノをウザがる声もしたが、彼は全く気にしていないようだった。そんな中ゼノは屋台のおっちゃんに、バナナへ蜂蜜を垂らしてこんがり焼いたものを頂いていた。
そして人の少ない迷宮都市を囲む外壁に到着すると、ゼノを先頭に四人は走り始めた。最初から早いペースでの走りに、努は暗い目で付いていく。
「いや、もう、無理」
「まだまだ! いけいけツトム君! ほら顔を上げて! 上げて上げて上げて上げて! 私を見たまえ! 美しい私を! そうすればまだ走れる!」
「頑張れ」
そして五分もしないうちに努は根をあげたが、前を走っているゼノが休ませてくれない。リーレイアとガルムにも手を引っ張られ、努は吐き気がするほど走らされた。
それから努が動かなくなるまで走り込みは続いた。努が疲れて地面に寝転がった後もガルムとゼノは走り続けていき、リーレイアが倒れた彼をクランハウスへ送り届けることになった。
努はお爺さんのように杖を地面につき、這うようにクランハウスへと帰還。付き添ってきたリーレイアは少しだけ楽しそうな顔をしていた。
「水を……」
「どうぞ。タオルもすぐに持って参ります」
「おかえりなさい。大丈夫ですか?」
「体力バカ共に殺されかけたよ……」
汗だくの努に冷水の入ったコップを渡したオーリは、タオルを取りに洗濯所へと向かう。努は椅子に座ってぐったりと背もたれに寄りかかりながら、心配そうに声をかけてきたコリナにそう返した。
この世界に来てから努も運動するようになって多少は鍛えられていたが、それでもコリナより体力はなかった。帰り道にメディックとヒールをかけてはいたが、疲労に関しては少し楽になる程度なので結局辛かった。
そしてオーリからタオルを受け取っていたリーレイアは、澄ました顔で努に声をかけた。
「大丈夫ですか?」
「誰のせいで、こういうことになったと思う?」
「ゼノのせいでしょう」
努が恨みがましい目で睨むと、リーレイアはおかしそうに口を押さえて笑った。そんな彼女の無邪気な笑顔に、ここ最近PTを組んでいたコリナは意外そうな顔をしている。
「恐らく私が何も言わなくても、ツトムさんは連れて行かれていたでしょう。なので自分が責められるのはおかしいかと」
「はいはい。わかりましたよ」
「拗ねないで下さいよ。お詫びに頭でも拭きます」
「いや、自分でやります」
「はいはい。いいですから、じっとしていて下さい」
リーレイアは上機嫌そうに汗で濡れた努の黒髪を丁寧に拭き始めた。努が抵抗するも彼女の方が力は強いので、ガッと頭を掴まれればそれまでだった。
雨に濡れた愛犬でも拭くように努の頭をタオルでわしゃわしゃとしているリーレイアに、コリナはポカンとした顔で尋ねた。
「なんかお二人、凄い仲がいいですね?」
「そうでしょうか?」
「うーん? 気のせいかなぁ……」
とぼけた様子で首を捻るリーレイアに、努は少し乾いた髪を左右に分けて目を細めた。
「まぁ、ちょっとした相談を聞いた後だからですよ」
「そうですね、それがあるかもしれません」
「へー。そうなんですね」
「これで二軍の空気も良くなるといいんですけどね?」
「それは重々承知していますので、問題ないです」
嫌みったらしさ満載で言った努を、リーレイアは無視するように目を瞑りながら答える。意気投合している様子の二人に、コリナの困惑顔は深まるばかりだった。
▽▽
走り込みから帰ってきたガルムとゼノがリビングで休んでいる中、努は読めていなかった新聞を読んでいた。そして最近よく話題になる記事を見て眉を潜めた。
(スタンピードのことばっかだな)
暴食龍の出現からもう少しで半年となり、再びスタンピードの時期がやってくる。努は神妙な顔をしながらスタンピードについての記事を読んでいた。
スタンピードとは外のダンジョンから溢れ出た大量のモンスターが、魔石の集まっている場所を襲撃してくるという現象である。そして半年に一度は必ず起きるスタンピードの被害を軽減するため、外のダンジョンは主に迷宮制覇隊という団体と、探索者、貴族の私兵などでモンスターが間引きされてきた。
しかし七年前に突如出現した、神のダンジョン。そのダンジョン内では死が存在せず、魔石や高値で売れる物品が入っている宝箱まで見つけられる夢の場所。更にはステータスカードを作成すれば神からジョブが授けられてスキルを使えるようになり、レベルが上がればステータスが上昇して人間離れした力を手にすることが出来た。
そんな場所に人が集まらないわけがなく。ほとんどの探索者が神のダンジョンへ潜るようになった。それからスキルとステータスという誰でも手に入れられる力によって、貴族が独占していた魔法という力は相対的に弱まった。そして今まで魔法という力を誇示して民から搾取し続けてきた悪徳な貴族たちは、神のダンジョンによって力を得た民衆から次々と革命を起こされて吊るされていった。
その革命で貴族に有利すぎた特権が撤廃されたのは喜ばしいことだが、良いことばかりでもなかった。それによって外のダンジョンのモンスターを間引きしていた、探索者と貴族の私兵がほとんどいなくなってしまったのだ。魔法の力を盾に民衆を苦しめていた悪徳貴族でも、モンスターの間引きという点だけで言えば立派な戦力だったのだ。
そして二つに代わるものは見つからず、迷宮制覇隊の負担が大きくなった。しかしここ数十年スタンピードで大きな被害が出ていないため迷宮制覇隊も軽視され始め、送られていた資金と寄付もどんどんと減少。そのためモンスターの間引きが機能しなくなった。
迷宮制覇隊はスタンピードの恐ろしさを知っている者が多いため、間引きが行われない危険性を周りにすぐ知らせた。しかし数十年間、主に迷宮制覇隊の活躍によってスタンピードによる被害はほとんど出ていなかった。なのでその知らせは本気で受け取られず、神のダンジョンで得た力による慢心もあって十分に届かなかった。
(皮肉なもんだよな)
そうしてモンスターの間引きが十分に行われずに外のダンジョンの中でモンスターが溢れ、魔力がどんどん濃密となり数々の竜や暴食龍を生み出した。そしてその結果が、北から侵攻してきた暴食龍による甚大な被害であった。
暴食龍による死亡者は結果的に五百人を越えた。回復スキルという瀕死の人間を治せる力があるにもかかわらず、多くの犠牲が出た。建造物の被害や、遺族への賠償額も尋常ではなく、王都からの援助がなければ立て直しに相当な時間がかかったことだろう。
そんな大被害をもたらした、前回のスタンピード。ただ、前回のスタンピードは北のダンジョンから襲来してきたモンスターだけである。
そして今回は南のダンジョンから迷宮都市へと流れてくる。つまりは暴食龍に匹敵するモンスターがもう一度、迷宮都市へと攻めてくるのだ。それも今度は王都がある方角からということで、お偉いさん方も非常に焦っている様子である。
(逃げたいなぁ……)
死んだらそこまでの現実で暴食龍と同等かそれ以上のモンスターと戦うなど、努としては絶対にゴメンである。それにスタンピードについての記事は不穏なものばかりだ。
(逆にいないとか怖すぎるわ)
外のダンジョンへ間引きしにいった経験のあるアルドレットクロウの話では、南のダンジョンにはモンスターが存在しないことが多くあったと聞いている。そしてそろそろ半年が経つというのに、スタンピード特有の気配はまるで無いという。
不穏な気配しかしない今の状況を王都も相当危惧しているようで、とにかく人手をかき集めているようである。迷宮都市を統括しているバーベンベルク家の当主と、メルチョーもつい最近王都へ呼び出されていた。
(王都とか、どうでもいいからなぁ)
ちなみに努も王都から招待されたとバーベンベルク家から連絡が来ていたが、丁重に断っていた。異世界、それも神のダンジョンが存在しない王都で何が起ころうと努は知ったことではない。海外の貧しい人たちよりどうでもいいので、別に何人死のうが心は痛まない。
ただバーベンベルク家には先のスタンピードで多少感謝はしていたので、迷宮都市の防衛については協力するつもりはある。そもそも迷宮都市が陥落して神のダンジョンに潜れなくなることが一番困るし、一年近く住めば多少愛着は湧いてきていた。
(もう、一年か)
気づけばこの世界に来て、既に一年近くが経過していた。もはやこちら側がリアルなのではないかと錯覚するには、いい頃合いかもしれない。
(……どうせ、帰る時が来る)
だが、ゲームはゲーム。リアルはリアルだ。どれだけゲームにのめり込んだとしても、いずれリアルに帰らなければならない時は来る。『ライブダンジョン!』という世界はサービス終了という終わりが来て、努を完全にリアルへ呼び戻した。
努はリアルを削りに削りPCの前に張り付いて『ライブダンジョン!』をプレイしてきたが、完全に捨てていたわけでもない。大学受験中や就活中はある程度控えたし、毎日風呂やトイレに行く時はリアルに帰っている。
そして『ライブダンジョン!』に酷似したこの世界。努にとっては楽園のような場所だが、同時にゲームの世界でもあった。だからいずれ、元の世界というリアルに帰る時が来る。そういうものだと努は思っていた。
(帰ってあっちでも一年経ってたら最悪だな……)
元の世界へ帰った時のことを考えながら、努は新聞を折り畳んだ。
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