第192話 愛する妻のためならばたとえ火の中水の中

「はい、これ。今週の分」

「ありがとう」



 ゼノは山のように茶碗へ盛られている米を口にかっ込むと、妻から渡された書類を受け取った。それは一週間ごとに妻が神台を観察して得た、ゼノの改善点について纏められたものだ。


 ゼノはダンジョンで努から直接指導を受けることも多いが、神台映像を見ている妻からも様々なことを指導されていた。勿論ゼノも自分で改善点を意識して探してはいるが、現場と第三者視点からの指摘は参考になる。



「正直、私とツトムさんの指摘ってあまり変わらないのよね」

「そうか?」

「言い方が違うくらいかしらね。ツトムさんが天使で、私が小悪魔かしら?」

「天使と邪神の間違いではないのかね?」

「失礼しちゃうわ」



 澄ました顔で食器を片づける妻にゼノは苦笑いを送った。努からはもう少し盾を使って立ち回るように指摘され、妻からはとにかく精一杯戦って死んでこいと言われている。


 七十階層で露呈したゼノの弱点。それは痛みへの耐性が低いことだ。


 ゼノは王都の学園を主席で卒業し、剣術にも長けていて騎士団から期待のホープとしてスカウトを受けるほどだった。そんな勧誘を振り切って自信満々で迷宮都市に来たわけだが、プライドの高いタンク職ということもあり中々芽が出なかった。


 そして酒場で腐っている時に妻と出会ってから、ゼノは王都での栄光を捨てて泥にまみれて努力してきた。それからゼノは妻に頭を下げて自身でも迷宮マニアの記事を書き始め、タンク職の中で影響力を持つようになって名が売れ始めた。


 だがそれはあくまで、一般人でも到達出来る程度の努力だ。勿論ゼノの実力はアルドレットクロウに勧誘されるほどなので、タンクの中でも高いほうだろう。ダンジョンでの死も何十回と経験はしているし、基礎的な体力は十分ある。スキル操作も長年努力してきたおかげで仕上がっている。


 しかし血まみれで狂気的な努力をしてきたガルムやダリルと比べてしまうと、どうしても劣ってしまう。似たタイプのタンクとしてはアルドレットクロウのビットマンが挙げられるが、ゼノは彼のように歴戦の猛者というわけではない。そのため努に死ねと言われれば戸惑いなく死ねるガルムやダリルには、今のところ劣るだろう。


 それにアイドルのような立ち回りをしているエイミーのようにずば抜けた戦闘センスはないし、ハンナのように一点特化しているというわけではない。他にも百年の時を過ごしているエルフのディニエルに、龍化というユニークスキルを持つ神竜人のアーミラ。同期も死神の目を持つコリナに、精霊と剣に愛されているリーレイアと化け物揃いである。


 その中では凡人に数えられるゼノでは、一般的な努力をしたところで追いつくわけがない。だからこそ妻はゼノに過酷な練習メニューを毎日実践させていた。



「はい、食事は済んだわね。それじゃあさっさと行ってきなさい」

「……はっはっは。今日はそろそろ寝たいのだが?」

「今夜は、寝かせないよ!」

「おかしいな。魅力的な言葉のはずなのだが、見てくれ。鳥肌が立っているぞ」

「大丈夫よ、貴方の限界は私が一番知っているからね。それまでは徹底的に絞ってあげるから!」



 だがゼノにも無限の輪のクランメンバーにないものが存在していた。それは自分の理解者である、最愛のパートナーである。


 アルドレットクロウの勧誘を断って無限の輪に入った時は、お互い意見がぶつかってぎくしゃくとした関係となった。しかしそれを乗り越えてから二人の仲は更に親密となり、深い愛情で結ばれている。


 それに妻も王都の学園からゼノを長年見てきたので、彼がもし折れそうになってもすぐに気づくことが出来るだろう。今まで大口を叩くゼノを唯一信じて支えてきた彼女の存在は、とても大きい。


 それにゼノ自身も最初は下に見ていたダリルの実力を認め、マウントゴーレム戦でのポーション不使用もしっかりと反省する素直さを持っている。そして妻に支えられているおかげで形成される鋼のメンタルは、無限の輪のクランメンバーにも引けを取らないだろう。



「行ってくるよ」

「いや、途中まで一緒に行きましょうか」



 妻はゼノの手を取ると笑顔で外に連れ出した。これから徹底的にダンジョンのモンスターに扱かれる未来が見えるのに、ゼノも笑顔を崩さなかった。



 ―▽▽―



 先日ガルムたちが紅魔団と模擬戦をしていたところを見かけた努は、ついでに金色の調べとも共同練習をしようと企画した。そして予算を組んで金色の調べやギルドに申し入れたところ、すぐに了承がもらえた。


 ギルド内にある公開訓練場には結構な人が集まっていて、その中では無限の輪と金色の調べの一軍二軍が揃っている。



「もう一本だ!」

「よくやるねぇ。いいぜ。威勢のいい奴は好きだからな!」



 アタッカーとタンクは合同で模擬戦を行わせ、今回は徹底的に対人能力を引き上げる練習を行わせる。その中でゼノは金色の調べのクランリーダーであるレオンとの模擬戦で、土にまみれながら幾度も戦いを挑んでいた。


 AGI敏捷性が最も高い金狼人のレオンを相手にすることは、冬将軍の居合い斬りを見切るための良い練習となる。ガルムは何度か戦闘を行って防げるようになったが、ゼノは中々上手くいっていないようである。



「にゃー、もう! ディニちゃんムカつく!!」

「冬将軍には十分通じると思う」

「ディニエル! よく仇を討ってくれたっす!」



 今回の模擬戦においてガルムにも勝って七連勝をしていたエイミーであったが、その連勝をディニエルに止められて憤慨している様子である。そしてつい先ほどエイミーに負けていたハンナは大喜びしていた。


 ヒーラーに関しては努を中心に立ち回りの見直しがなされ、実戦練習というよりは講義のようになっていた。それに模擬戦をする者に対してバリアを張る役目もあったので、あまり対人練習は行わなかった。しかしそれでも終盤はヒーラーが対人戦の練習をする余裕もあった。



「ふん、情けない野郎なのです。女の勝負も受けられないとは。そんなに負けるのが怖いのです?」

「受ける理由がないし、そういうことはまともに支援回復出来てから言おうね」

「ボッコボコにしてやるから、かかってくるのです」



 一切対人戦を行わなかった努に対して、ユニスはファイティングポーズで待機している。一応努以外のヒーラーは少しだけ対人戦の練習をしていた。そしてそれを見学して絶対に勝てないと思った努は、勝負を明らかに避けていた。


 ちなみにユニスはナックルのようなものを拳にはめていて、祈祷師のコリナはモーニングスターを持っていた。努もギルドで杖術を習ってはいたが、本気で戦うとすればスキルを使わねばならず、流石にユニス相手と言えどもエアブレイズを放つのははばかられた。



「弱虫毛虫、ツトム虫なのです! かかってくるのです!」

(こいつになら撃っていい気もするけどな)



 やけに煽ってくるユニスに努は呆れながら周りを見回すと、彼女の後輩と目が合った。すると狐人である後輩はため息をついた後、二人の方へやってきた。



「先輩。もう行きますよ」

「離すのです! こいつは一回ぶっ飛ばさないと気が済まないのです!」

「さようなら」



 そしてユニスは後輩に後ろから抱えられ、ぴーぴー喚きながら連行されていった。



 ―▽▽―



 それから一ヶ月はダンジョンでPTの連携力を鍛えつつ、他のクランとの模擬戦を取り入れて個人力を鍛えることも行った。模擬戦をしたクランは、金色の調べ、紅魔団、アルドレットクロウ、シルバービーストと、おおよその大手クランが参加した。


 紅魔団との共同練習は、神のダンジョン初期からガルムと交流があったヴァイスから誘ってきたらしい。最近やっとのことで七十階層を突破した紅魔団は、ポーションを使いすぎてクランの財政状況がよろしくない。そのためしばらくは地道にダンジョンへ潜ったりしているそうだ。



「本日はよろしくお願いします」

「……あぁ、はい。よろしくお願いします」



 セシリアという紅魔団のヒーラーが持っている黒杖を見て、努は少し意外そうにしながら挨拶を返す。火山階層の宝箱からドロップする一般的な赤杖を持って模擬戦をしているアルマを一瞥した努は、セシリアに向き直った。


 それから努はセシリアのスキルを見て駄目なところを指摘したり、一般的な情報を教えていった。特に鑑定を使っても不明点が多い黒杖の性能は努が一番良く知っているため、中々的確なアドバイスが出来ただろう。


 努がわざわざセシリアにヒーラーの技術を教えるのは、勿論対価があるからだ。



「……真正面から受けすぎだ。型に拘りすぎている。精霊を使う剣術をもっと全面に出した方がいい」

「なるほど。ではもう一度お願いできますか?」

「ビャー」



 肩にサラマンダーを乗せたリーレイアは、黒衣に身を包んだヴァイスに指導を受けながら模擬戦を行っている。迷宮単独制覇で有名であるヴァイスは、様々な武器に精通していることでも名が知られている。そんな彼から指導を受けられるというのは、中々に大きな対価であった。


 そしてアルドレットクロウとの共同練習だが、流石に一軍二軍は参加しないようだった。一軍については八十階層突破の見込みがもうあるので、共同練習に参加したのは三軍四軍辺りのPTだった。


 その三軍四軍の中には、アーミラのクランに在籍していた者が何人か這い上がっている。元々アーミラとレベルがあまり変わらなかった彼らは、そのレベル帯の中でも有望な者ばかりだった。だが当時のアーミラからは雑魚扱いされていたので、見返してやろうという気持ちを原動力にして今まで努力してきた。そして三軍まで這い上がってきたのだ。


 だがその三人はアルドレットクロウの三軍という地位を得てからは、アーミラに対して燃え上がっていた復讐心は大分鎮火されていた。今の待遇に三人はさして不満はないし、最近のアルドレットクロウは乗りに乗っている。今までは地味な印象が強い大手クランだったが、三種の役割が広まった今では新聞にもよく取り上げられるほど有名になった。


 今ではアルドレットクロウの一員ということに誇りを持ち、家族を背負っている者もいる。なので表立って対立するようなことはしないだろう。だが今のアーミラを見て何も思わないわけではない。二十前後の男性三人は、アーミラを嫌悪するような目で見ていた。



「よっしゃ、俺がぶっ倒してきてやるよ」

「おいニクス、あんまり目立ったことはするなよ。ここまで来て除名とか洒落にならんぞ」

「わかってるよ。あくまでルールの範囲内でやるさ。俺もそれだけはゴメンだからな」



 その中でも当時一番アーミラに怒号を浴びせられていたニクスという男は、そう言いながら二人を安心させるように手を振った。流石にその男もリーレイアのようにクラン移籍するほどアーミラを憎んでいるわけではない。ただ鬱憤が溜まっているのは事実だったので、意気揚々とアーミラの方へ向かっていった。


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