第139話 美味しいご飯
無限の輪PTが黒門からギルドに帰還すると、割れんばかりの歓声で出迎えられた。努はこれで六十階層に続いて七十階層も初見で突破したことになる。いくら神台で先行しているクランの戦闘風景が見られるとはいえ、それは異常なことだった。
黒門の番をしている竜人も若干目を輝かせて努を見ている。四時間ほど戦っていて死の危険もあった努は無事に帰って来れたことに安堵の息を漏らし、明かりの点いているギルド内に密集している人混みの中を掻き分けるように進んでいく。
ギルド食堂の席にいるエイミーとカミーユは笑顔で拍手しているが、ガルムは相当不満げな顔をしている。そしてシルバービーストも今回はギルドで見ていたようで、ミシルは目が飛び出そうなほど驚いた顔をしながら努に近づいた。
「おい! すげーな! 七十階層初めてだろ!?」
「あぁ、どうも」
「うわっ! なんか腹立つ顔!」
にんまりとした笑みを浮かべた努にミシルが思わず言うと、周りの探索者たちは数人こっそりと笑った。努は爆笑しているロレーナをじっと見つめると、その視線に気づいた彼女はぎくりと兎耳を硬直させた後、誤魔化すように口笛を吹いた。
「ちょっと今日は早く帰りたいので、通してもらえますか? 今度クランハウスに伺うので、その時じっくり話しましょう」
「お、そうか。……ま、あんま責めてやんなよ。おーい! 道を開けてくれ!」
ミシルは努の背後にいる沈んだ様子のダリルに目を向けて言うと、率先して声をかけて探索者たちに道を開けさせた。努はすみませんと言いながら、怒ったように藍色の犬耳をピンと立てているガルムに視線を向けた。
「ガルム、顔が怖いよ」
「…………」
剣呑な顔つきでダリルの方を見ているガルムに努は苦笑いしながら牽制した。ディニエルはエイミーと笑顔でハイタッチし、アーミラはカミーユに褒めちぎられている。ハンナはダリルとガルムを交互に見て状況を見守っていた。
「序盤中盤は良かったでしょ?」
「……だが、最後で台無しだ」
「結果良ければ全て良しだよ」
ガルムの辛辣な視線を受けて再び泣き出しそうな顔のダリルを無理やり連れて、努はまだ話が長そうなディニエルとアーミラを置いてギルドを出た。
ハンナは落ち込んでいるダリルを何とか元気づけさせようと声をかけているが、全く効果はないようだった。気まずい沈黙が流れる中クランハウスに帰ると、頭に三角巾を巻いているオーリが三人を出迎えた。
「おかえりなさいませ。七十階層突破、おめでとうございます」
「ありがとうございます。よくわかりましたね?」
「大きい歓声が聞こえてきましたので。それに、ハンナさんの顔を見ればわかります」
「えへへ」
緩みきった顔で照れたように頭を掻いたハンナにオーリは笑いかけた後、今まで見たことのない顔をしているダリルを心配そうな表情で見つめた。努はオーリにお風呂が沸いているか確認すると、ダリルのインナーを軽く引っ張って二階に上がり風呂場へ連れていった。
「取り敢えずお風呂入ってさっぱりしてきな。そしたら飯だ」
「…………」
「……じゃ、下で待ってるから」
努はダリルに一番風呂を譲ると扉を閉めた。そして疲れたように肩を落とすと背負っていたマジックバッグを下げ、リビングのソファーに飛び込んだ。
「はぁ」
凝り固まった身体をほぐすように努は寝転がり、ダリルにどう声をかけたものか迷っていると下準備の済んでいる食材を調理していたオーリに声をかけられた。
「ツトムさん。ダリルさんは、何かあったのでしょうか?」
「あー、ちょっと七十階層で失敗しちゃって、それで落ち込んでいる感じです」
ハンナが死んだ途端にダリルの様子は変わり、いつものように動作が停止していた。なので努は仕方なく声をかけたのだが、彼にその声は届いていないようだった。
ただダリルが自分で考えて行動しようとしていたことは、努にもわかっていた。今までならば絶対に努の指示を仰いでそれに従う場面だが、ダリルは自分から動いてマウントゴーレムのヘイトを稼ぎにいった。
結果的にはそのせいでいつもの動きが出来ず、すぐマウントゴーレムに捕まってしまっていた。いつものダリルならば絶対に有り得ないミスだ。それに大した怪我を負っていないにもかかわらず、戦線に復帰して来なかった。アーミラの言動から察するに、恐らくあの時点でダリルの心は行動出来なくなるほど折れていた。
(どうしたもんかな)
今までのダリルは努が指示を出せば従ってくれていたし、別にこのままでもいいと思っていた。自分ならばダリルに指示出ししながら立ち回れると感じていたからだ。しかしこのままではガルムの下位互換になると思った努は、その癖を無くした方がいいと考え自分で動いて欲しいことを伝えていた。
七十階層でなければPTメンバーが死ぬまで追い詰められることはまずないため、ダリルに経験を積ませるにはここしかないと努は思っていた。だが今まで誰かの影に隠れることでプレッシャーから逃れてきたダリルにとって、努の言葉は重かった。そのせいでマウントゴーレム戦の終盤はいつもの動きが出来ず失敗し、生気を失ったような顔になっていた。
(勝ったから結果オーライ、とはならないよなぁ。僕だってダリルの立場なら死にたくなってるだろうし)
ゲームならばドンマイで済むのだが、ここではそうもいかない。努はダリルにどう声をかけたらいいのかわからずため息を吐いた後、オーリが持ってきてくれたお茶を口にする。その後ハンナが上機嫌でお風呂から上がってきて、ディニエルとアーミラがクランハウスに帰って来た。
「エイミーと打ち上げ行ってきていい? ツトムも連れてくるよう言われた」
「あー、僕はパスで。でもディニエルは行ってきていいですよ。反省会はソリット社の記事見ながら明日やるので」
「ん。わかった」
ディニエルはそう言うと装備を自室に置いて私服に着替えた後、クランハウスを出て行った。アーミラはドーレン工房で武器を預けて来た後に戻ってきていた。
アーミラはリビングで寝転がっているハンナの前に座ると、赤髪を纏めていたヘアゴムを取り払ってソファーに寄りかかった。
「あいつ、何処行きやがった?」
「ダリルのこと? それならお風呂入ってるよ」
「そうかよ」
アーミラは努の返事を聞いて忌々しそうに口を歪める。苛々した様子を隠さないアーミラに努は恐る恐る尋ねた。
「ダリル、そんなに不味かった?」
「……あ? 不味いなんてもんじゃねぇだろ、糞が。少しでもあいつを強いと思ってた俺に腹が立つ」
「……そうか」
「大した怪我もしてねぇのに立ち上がりもしなかったんだぜ? ふざけてんのかダボが」
アーミラは舌打ちした後にどすどすと足音を鳴らしながら、風呂、と言い残してリビングを去っていった。そしてアーミラが風呂から上がっても下りてこないダリルを努は心配し、二階に上がって風呂場を覗いたが彼の姿はなかった。
その後ダリルの部屋をノックしてから入ってみると中は真っ暗で、彼は魂が抜けたような顔でベッドに腰掛けていた。
「ご飯出来てるよ」
「あ、はい」
ダリルは気の抜けたような顔で返事をすると、粛々と努の後についてくる。一階に下りるとオーリは安心したような顔をした後、豪勢な料理を仕上げて次々と食卓に運んでくる。アーミラは無表情のダリルへ今にも殴りかからんばかりの視線を向けていたが、彼は特に反応を示さなかった。
ダリルは席につくと熱された鉄板の上で食欲のそそる音を立てているステーキに視線を落とした。努が箸を持って手を合わせた後に食事へ手をつけ始めると、ダリルも真似した後にフォークとナイフを手に取った。
「今日は質の良いイルラント牛が仕入れられていたので、ステーキにしてみました。どうぞ召し上がって下さい」
オーリに手を差し向けられたダリルは、鉄板の上で油を躍らせているステーキをナイフで切った。その断面はまだほんのりと赤く、ダリルの好んでいる焼き加減だ。彼はそれを見つめた後にフォークで突き刺し口に運ぶ。
すると今まで無表情だったダリルはその途端に眉を上げた。肉を噛み締めて飲み込み、また切り分けて口に入れていく。どんどんと彼の手は進んだ。
「……美味しいなぁ」
「ありがとうございます」
自然と言葉が漏れてしまったダリルに、オーリは嬉しそうにはにかみながら返事する。ダリルは彼女に軽く会釈した後、パンをちぎって肉汁の混じったソースに付けて食べる。
その後のダリルはいつものように速いペースで食事をして、彼の前にある大量の料理は次々となくなっていく。まるで料理を食べるたびに元気を貰っているような様子を、努は驚いたような顔で見守っていた。
「オーリさん。ごちそうさまです」
ダリルは料理を完食して口元をハンカチで拭くと、オーリにお辞儀した。そして引き締まった真剣な目で三人を見回した。
「皆さん。先ほどはすみませんでした」
「…………」
アーミラは無言で不審者でも見るような目でダリルを睨みつけているが、彼は怯むことなく見つめ返す。努とハンナはまるで別人でも見ているような目でダリルを見つめた後、気づいたように口々と言った。
「いや、全然大丈夫だよ」
「そうっすよ! 結果的には勝てたんだから、問題ないっす!」
「……そうですね。僕がいなくてもマウントゴーレムは倒せました」
「あ、いや、そういう意味じゃないっすよ!? 誤解しないで欲しいっす!」
悲しそうに微笑んで顔を背けたダリルにハンナは慌てて弁明した。しかしダリルはすぐに切り替えて努の方を向いた。
「反省会は今日行いますか?」
「いや、明日ソリット社の記事を見ながらするかな」
「そうですか。じゃあ僕は少し外に出て特訓してきます」
ダリルはきびきびとした動きで食器を水場に持っていくとすぐに二階へ上がり、身支度を整えてすぐに出て行った。
「……ちっ」
アーミラは不機嫌そうな顔でダリルを見送った後、彼女も身支度を整えてクランハウスを出て行った。努とハンナはクランハウスを出て行った二人を見て顔を見合わせた。
「……放っておいても大丈夫だったみたいだね」
「そうっすね」
ハンナは優しげな顔で答える。努はおどけるように肩を落とした。
「何かクランリーダーとして声をかけようと思ってたんだけど」
「……師匠が言うとなんか胡散臭くなりそうっすね。裏がありそうっす」
「…………」
「いや、あれっすよ。いつも反省会の時みたいに喋るといいんじゃないっすか?」
微妙な顔をしている努にハンナは苦笑いした。
――▽▽――
無くなっても構わない古い装備を身につけているダリルは、夜風で黒髪をなびかせながら早歩きでギルドに向かっていた。少し混み合っている受付で手続きを済ませて魔法陣へ向かおうとすると、彼は後ろからいきなり背中を蹴られた。
「……アーミラさん?」
ダリルの後ろには赤髪を結んだアーミラが不機嫌そうな顔で佇んでいた。彼女は顎をしゃくってダリルを受付に並び直させると、二人でPTを組まされた。
「え? どうしたんですか?」
「行くぞ」
「え?」
ダリルはアーミラに半ば無理やり魔法陣へ連れて行かれると、すぐに七十一階層へ転移させられた。
白い雪が積もっている雪原がダリルの視界に広がっている。低い気温に身が震えたが、アーミラがすぐに走り出して行ったのでダリルは少し迷った後に彼女へ付いていった。
(……駄目だったな)
雪原を無言で走っていくアーミラを追いながら、ダリルはマウントゴーレム戦を振り返る。序盤中盤はまだ良かった。アーミラと連携が出来るようになったおかげで安定感は増した。スキル回しも乱れはなかった。
ただハンナが死んでからは、てんで駄目だった。ダリルは今までガルムの後ろに付き添い、彼の言葉にずっと従ってきた。そして無限の輪に入った後も努の指示に従っている。何か不測の事態に陥るたび、他の者から指示を受けてダリルは動いてきた。
そんなダリルは七十階層に潜る前、努に自分で考えて行動しろと指摘された。そしてハンナが死んだ後ダリルは、気づけば頭の中が真っ白になりながら突っ込んでいた。しかし恐慌を起こしたダリルの動きは酷く、易々とマウントゴーレムに掴まれて投げ飛ばされた。
あの時はわからなかったが、恐らく努がヘイトを取ってくれたおかげで握り潰されることなく助かったのだとダリルは振り返っていた。その後も、恐怖で震えて立てなかった。アーミラに振り起こされてもダリルは上擦った声を上げて
何もしていない。本当に何もしていないのだ。ダリル抜きで四人はマウントゴーレムを突破した。自分はただ見ていただけだ。ダリルは歯を食いしばり、ひたすらに走った。
「はぁっ、はぁっ」
アーミラを追って全力で走り続け、気づけば結構な距離を走っていた。ようやくアーミラが止まったので、ダリル白い息を吐いて立ち止まる。するとアーミラは背負っていた大剣を抜いた。
「そろそろ来るだろ。構えろよ」
「はぁ」
アーミラの問いかけにダリルは意味も分からず頷いたが、彼の犬耳は背後から迫る複数の足音をすぐに察知した。ダリルとアーミラを追ってきた雪狼の群れが迫っている。すぐに先頭の雪狼が姿を現した。
「……コンバットクライ」
ダリルはいつものように鋭いコンバットクライで雪狼のヘイトを稼ぐと、アーミラが攻撃に移る。安物の大盾で雪狼の突進を受け流したダリルは、普段通りの動きで立ち回り始めた。
身体は自由に動くし、モンスターが動く音も鮮明に聞こえる。VITの加護が薄い頭を守る兜を付けない代わりに、聴力を活かしての視界確保はガルムが得意とする立ち回りだ。それは当然弟子のダリルも受け継いでいる。
(あの時、これが出来てれば)
ダリルは唇を噛み締める。今思い出しても情けない戦いぶりだった。頭が真っ白で何も考えられず、ただただマウントゴーレムに突っ込んでいた。緊張で視界が狭まり耳も遠くなったような感覚のまま戦闘をして、すぐに拘束までされた。その後も立ち上がれずにアーミラからは罵倒され、ハンナがマウントゴーレムを引き付ける様子を見ているだけだった。ダリルは悔しく思った。強いアーミラと活躍していたハンナに、負けたくないと確かに思った。
「……くそ」
マウントゴーレムに殴り飛ばされた努を見てダリルは心が痛んだ。PTメンバーを守るのがタンクの仕事だ。それが出来ないのならタンクをする意味はない。背後から飛びかかってきた雪狼を察知して大盾で弾く。
「ひぐっ。くそぅ……」
ガルムにも失望するような目を向けられた。彼は命の恩人だ。その恩人が敬愛するヒーラーを今回は傷つけてしまった。恩を仇で返したようなものだ。ダリルは雪狼の集団を相手にしながら、涙を雪原に落とす。
「もっと、強く、なりたい……!」
ダリルは先ほどの七十階層終盤とはまるで違う動きで、初見の雪狼と対面しても立ち回れていた。彼が引き付けている間にアーミラが雪狼を次々と倒していき、その群れは粒子に変わってなくなった。
ダリルは鼻をすすりながら魔石を回収するため腰を屈めると、背後から押すように蹴られた。積もっている雪に顔を埋めたダリルが顔を上げて振り返ると、アーミラは大剣を雪原に突き刺して睨みつけていた。
「てめぇ、普通に動けてんじゃねぇかよ。なら最初からやれや、馬鹿が」
「……それは」
「俺より強ぇくせして勝手に落ちぶれてんじゃねぇよ。俺なんざ本気でやってディニエルに勝てなかったんだぞ? なのに何で本気出してねぇてめぇが勝手に落ち込んでんだよ、アホが」
「…………」
目を丸くして見上げてきたダリルにアーミラはむしゃくしゃしたように頭を掻き毟った後、舌打ちをして視線を逸らした。
「早く立て。さっさとこの階層のモンスターに慣れてぇからよ」
「……うん」
ダリルは自力で立ち上がると大剣を抜いて歩き始めたアーミラに付いていった。
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