第138話 死んでからが本番
「ハンナ蘇生するから、その間時間稼ぎお願い」
ダリルは粒子になって消えたハンナを見て呆然としていたが、隣の努に声をかけられてハッと顔を上げた。努はマジックバッグからハンナの装備を選んで準備している。
ダリルの思考は纏まらない。ハンナの死。それを彼は受け止めきれずに思考が停止してしまう。しかしダリルの真っ白になった頭の中には、七十階層へ入る前に言われた言葉だけは残っていた。
自分で考えて行動すること。努に言われたその言葉はダリルの心に重くのしかかった。今まで何か起きればガルムや努に指示されて動いてきた彼は、今回初めて自分の意思で前に出ることになる。それはダリルにとって恐ろしいことだった。
何処か耳が遠くなって視界が狭まるような感覚に襲われ、途端に息苦しくなる。しかし動かなければいけない。自分の意思で動かなくてはいけない。努の指示なしで。
「動きは速いけど、拘束されなければ大丈夫。回復はキチンとするから。一分ヘイトを稼いでくれれば――」
「……僕が」
「ダリル?」
「僕が、何とかしないと。僕が」
ダリルは震える声で何度も同じ言葉を繰り返した後、コンバットクライをマウントゴーレムに撃った。しかしいつもの研ぎ澄まされたような鋭さはなく、ただの赤い波動を出しながら空を駆けていく。
明らかにおかしいダリルの様子に努は支援を飛ばしながら少し考えた。ダリルを使わずにすぐハンナを蘇生して自分がマウントゴーレムのヘイトを取り、彼女が準備を終えるまで凌ぐ方法もある。努はそのために戦闘中、隙を見てはバリアを自身の身体に付与していた。なのである程度ならば凌げる。
しかしダリルにヘイトを数分間稼いで貰った後にハンナを蘇生した方が、セオリー通りではある。バリアを重ねているとはいえ努のAGIやVITは低い。マウントゴーレムの攻撃が直撃すれば間違いなく瀕死に追い込まれるし、掴まれたらどちらにせよ終わりだ。
だが、ダリルの様子は明らかにおかしい。コンバットクライの制御を失っているダリルを努は初めて見た。もし彼にあっさり死なれでもしたら非常に辛い展開になる。タンクが二人欠けた状態から立て直すのは、努でもやりたくなかった。
(……くそ、安定行動したい)
安定を取るならダリルがマウントゴーレムのヘイトを稼ぐことを待ち、レイズ使用のリスクを軽減した方がいい。自分にとって安定した行動を選択することはとても魅力的だ。この後ダリルがあっさり死んで崩れたとしても、安定行動を取った自分はミスをしていないと言い張れる。
もしこれが野良PTでの話ならば、努は絶対に安定を選択するだろう。わざわざヒーラーがリスクを取った選択肢を取り、もし死んでしまえば完全に努の落ち度となる。ヒーラーは一番死んではいけない役割だ。蘇生出来る役割がヒーラーしかいないのだから、リスクのある行動は御法度である。
だがあまり長く迷ってもいられない。努は覚悟を決めたように目を見開くと、ダリルと一緒に動き始めている二人へ指示を出した。
「アーミラとディニエルはそのままダリルのサポートお願い! 僕はハンナを蘇生させる!」
努は遠くにいる二人に指示を出した後、すぐにハンナを蘇生することを選択した。ディニエルが確保してくれた足場に下りてナックルや水筒など、ハンナの装備する物を揃えた。
「レイズ」
白杖から一筋の光が上に向かい、少しすると前に光の粒子が集まり始める。その粒子が一際大きな光を見せた後、ハンナは民族衣装のような服を着た状態で復活していた。
「わ! わー!」
「落ち着け。はい。これ装備ね。僕が狙われるから、早めに装備してマウントゴーレムのヘイト稼ぎお願い。早くしないと僕が死ぬから、頼むぞ」
奇声を上げながら起き上がったハンナ。そんな彼女の肩をがっしりと掴んだ努は懇願するように言うと、状況をまだあまり理解していないハンナに装備を次々と渡す。
「うわあぁぁぁあぁ!!」
そして後ろから聞こえた叫び声に努は振り返ると、そこにはマウントゴーレムの手に捕まっているダリルの姿があった。マウントゴーレムはダリルを興味なさげに壁へ投げて叩きつけた後、レイズを行った努の方へ腕を振って走ってくる。
「急げ!」
初めて聞く努の余裕がない声にハンナは慌ててナックルを装備し始める。努は向かってくるマウントゴーレムの速さにげんなりしながら、自身にプロテクとヘイストをかける。壁にめり込んでいるダリルの方にはアーミラが向かい、ディニエルはマウントゴーレムを追って来ている。
(選択としては正しかったけど、これで死んだら戦犯だなぁ。ヒーラー三強から落ちるかも……)
努はそんなことを思いながら大きく飛んで、向かってくるマウントゴーレムの手を全力で避ける。基本的なマウントゴーレムの攻撃方法は手や腕を使ったものと、目からの熱線攻撃だ。
腕を避けた努にマウントゴーレムはすぐに反応して顔を向け、両目から熱線を次々と発射した。努では避けられない速度の熱線は彼に着弾する。
しかしフードを被っている努は背を向けて熱線を灼岩のローブで無効化し、続いてきた二本の腕を掻い潜って避けていく。灼岩のローブがあるおかげで、努でもマウントゴーレムを相手に何とか立ち回れている。
努は追いついたディニエルを視線の端で把握したが、指示を送る暇はない。熱線無効化というアドバンテージを持っているとしても、努のAGIではマウントゴーレムの動きを全て避けきることは難しい。
努は自身が避けタンクとして立ち回る練習もしているので、火山階層のモンスター相手くらいならばそれも通用する。しかし終盤のマウントゴーレム相手は分が悪すぎた。
腕を振った際に起こる風圧で努は吹き飛ばされ、向かってきた正拳突きは何とか避けることが出来た。しかしマウントゴーレムがもう一つの腕を振りかぶっているのを見て努は察した。
(あ、無理)
身体を真っ赤に染めたマウントゴーレムの動きは速く、どうやっても避けられない。死、そのものが迫ってくるような錯覚を見ながら、努は今まで溜めてきたバリアを信じて直撃だけは避けようと動いた。
その瞬間、努を殴ろうと振りかぶっているマウントゴーレムの肘に複数の氷矢が着弾。関節が黒く固まりほんの少しだが動作が遅れた。
だがそのおかげで努は拳を紙一重で逃れ、拳圧で大きく吹き飛ばされるだけで済んだ。地上にいたディニエルはストリームアローが間に合わないとわかると、中断して瞬時にマウントゴーレムの動作を読み肘関節へ氷矢を射っていた。ディニエルの機転によって努は救われていた。
(最高かよ!)
バリアで一撃は防げる算段はあったが、ここでその保険が温存出来たことはとても大きい。努はディニエルに感謝しながら空中で体勢を立て直す。前を見るとハンナも復帰してマウントゴーレムのヘイトを取ろうとしている。
ダリルの方は遠くてあまり見えないが、まだ復帰は出来ていないようだった。努はすぐに距離を詰めてくるマウントゴーレムに視線を戻し、踏みつぶそうと振り上げている足から逃れた。
その後もディニエルはマウントゴーレムの動作に合わせ、的確に関節を射撃してコンマ数秒ではあるが動きを鈍らせてくれた。非常に高度な射撃能力を持つディニエルの腕と、熱線を無効化する灼岩のローブによって努でもしばらく立ち回れていた。
「あ」
しかし最後の最後で一度マウントゴーレムの拳が掠ってしまい、努は弾かれたように吹き飛ばされて壁にめり込んでしまった。多重に付与させていたバリアによって衝撃を防げたので無傷であったが、もうそれでバリアは全て割られてしまう。
だが努は岩壁に寄りかかりながら、何かを確信したような顔をしていた。
「おし! 取れたっす!」
その攻撃を最後にマウントゴーレムはハンナの方を向いた。ようやくハンナがヘイトを取れたのだ。努は疲れたように息を吐いた後、腕を岩から抜いてヘイストをハンナへ飛ばした。
マウントゴーレムに狙われている時は余裕がなく見ていなかったが、どうやらアーミラも戦線に復帰しているようだ。だがダリルの姿が見当たらない。
(死んではないよな)
ダリルが壁に激突した後、粒子は確認していない。骨折などをして動けない状態かもしれないが、今の戦闘状況から見てまずはハンナ優先だ。努は彼女にヘイストとメディックを集中させ、戦況の安定化を図った。ハンナも一度死んだおかげか冷静になっている。
「もう喰らわないっすよ!」
また大の字に倒れてからの岩射出をマウントゴーレムはしてきたが、ハンナは冷静に離れてから避けていた。終盤のマウントゴーレムはその巨体とは裏腹にとても動きが速くなっているが、ハンナには遠く及ばない。
ディニエルのストリームアローもどんどんと決まり始め、アーミラも攻撃に参加したことでDPSは更に上昇する。努はダリルのいる方を度々気にしてはいたが、またハンナが倒れれば目も当てられないため支援回復に集中していた。
(範囲攻撃してこないな。ラッキー)
一度目の範囲攻撃は反動があるが、二度目にはない。そのため範囲攻撃から攻撃に移られることが厄介な行動の一つであるのだが、今回は運の良いことにそれがなかった。そして次の一撃が、恐らく最後だ。
「ストリームアロー」
疲れた声でディニエルが何十回目かわからないストリームアローを発射し、マウントゴーレムに氷矢が降りかかる。するとマウントゴーレムの輝いていた赤い目の光が掠れた後に消失し、頭の上から身体が黒ずんでいき動作を停止。そしてマウントゴーレムは光の粒子を漏らし始めた。
その後何かが弾ける音と共に二つの黒門が出現。それを確認した努はグッと拳を握った。
「おっし! お疲れ!」
「おおおおぉぉぉ!! 師匠やったっすぅぅ!!」
「ごふっ」
努の声に反応したハンナは歓喜に震えながら、全速力で彼の腹めがけて突っ込んだ。鳩尾に頭突きを食らった努は呻き声を上げながら空中で彼女を抱える。ディニエルはどっと疲れた顔をして弓を下ろし、大剣を肩に担いでいるアーミラは何とも言えないような表情をしていた。
はしゃいで抱きついてくるハンナと込み上げてくる吐き気を抑え、努はようやく落ち着くと彼女と一緒に地上に降りた。そして流れ出る汗を腕で拭っているディニエルの方へ向かった。
「ディニエルー! お疲れっす!!」
「暑苦しい」
抱きついてくるハンナを鬱陶しそうにディニエルは払い投げる。努も緩みきったによによとした表情で彼女に近づいた。
「ディニエル! あの足止めは神がかってたよ! ほんと助かった!」
「ん。ツトムもね」
「くっそ! 格好いいな!」
何事もなかったように手を上げたディニエルに、努は心底笑いながら手を合わせた。努が危機に陥ったあの場面でストリームアローをキャンセルし、射撃に移った機転がなければ彼は恐らく死ぬ間際までは追い詰められていただろう。
その後努はマウントゴーレムからドロップした無色の巨大魔石に少しがっくりした後、大剣を地面に突き刺して息を切らしているアーミラにも声をかけた。
「アーミラもお疲れ! 序盤のゴーレム戦も良かったし、最後の追い込みも良かったよ!」
「あぁ」
だがアーミラは意外にもあまり喜んでいる様子はなく、何処か怒りを押さえ込んでいるような雰囲気だった。努は不思議そうに首を傾げた後、気になっていたことを聞いた。
「そういえば、ダリルどうしたの? 骨折でもしてた?」
「……は。あんな弱虫知るかよ」
心底軽蔑したように言って身を
「ダリル?」
「ひっ」
そこには身体を丸めて縮こまり、震えているダリルがいた。彼は努の呼びかけに情けない声を上げて更に身体を丸めこんだ。その素早い動作からしてダリルはそこまで大きな怪我をしていないことがわかる。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」
「……大丈夫?」
「ごめんなさい、失敗してごめんなさい。ごめんなさい」
「……取り敢えず、帰ろうか」
ひたすら謝ってくるダリルに努は気遣うように声をかけたが、彼はただ涙を流し後ずさって謝るだけだった。努はダリルの錯乱した様子を見て申し訳なくなったが、一先ず脱出してから考えようと思い彼の重鎧を外しにかかった。そしてマジックバッグで鎧を回収すると、重いダリルの肩を担いでフライで運んだ。
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