第93話 開放の時

 努は障壁へ魔力の塊が放たれた瞬間からギルドの集団を包むようにバリアを事前に張っていた。そして障壁が破壊されて起きた衝撃や飛んできた物体を何重にもしたバリアで防いでいく。位置取りも障壁の大穴から離れていたのでそこまで大きい衝撃は来ていない。


 だがあの魔力砲の威力に努は肝を冷やされていた。一瞬だけ一人で逃げようとも考えたが見捨てることは出来ないため、青ポーションを使いバリアを何重にも重ねがけした。もし貴族の障壁魔法が無ければ確実に死んでいた。


 ギルドの集団は皆その衝撃と飛んでいく周りの者たちにただ困惑しながらも、呆然とした様子でバリア内から外の景色を眺めていた。


 そしてある程度風が止み砂埃も晴れてきたところで努はバリアを解除した。



「しょ、障壁が……」



 エイミーが震える手で大穴の空いた障壁を指差す。ギルドメンバーたちも破られた障壁に対して多大な衝撃を受けているようで、目を見開いて固まってしまっている。



「全員、フライで一旦上に上がりましょう。暴食龍が来るかもしれません」



 フライを制御出来る者は自己申告でスタンピード前に白魔道士や祈祷師にフライをかけて貰っている。フライの持続時間は丸一日なので、ギルドメンバーは全員今からでも飛べる。


 努は大穴の空いた障壁の先にいる攻撃の反動で動かない暴食龍を見据えながら言うが、ギルドメンバー全員は障壁が突破されたというショックで動けないようだった。努は何処かで見たことある光景だなとデジャヴを感じつつ、拡声器を取り出して口元に当てた。



「はい! ガルム! 目を覚まして下さい!」

「ぬおっ」



 耳元で拡声器ごしに呼ばれたガルムは素早く厚みのある犬耳を押さえた。拡声器で増幅した声で努は無理やりギルドメンバーの気を戻していく。がくがくと子犬のように震えているカミーユはいつぞやの火竜戦の時のようだったが、あの時の経験が活きたのかすぐに立ち直った。



「暴食龍がまだ動くかもしれません! フライで皆飛んで下さい! そして動けない者を後方へ運んで下さい!」



 努の声にギルドメンバーは障壁が壊れたことと暴食龍への恐怖に息を荒くしながらも頷く。そしてギルドメンバーたちが深呼吸しながらフライで浮き上がる頃に、死んだようにじっとしていた暴食龍が顔を起こし始めた。


 暴食龍の魔袋は先ほどの攻撃でほとんどの魔力を失った。もう暴食龍に自分の体を動かすだけの魔力はない。モンスターの体に共通して備わっている魔石はまだ残っているが、その魔石の魔力も大半は使ってしまっている。もうその魔石から魔力を引き出すことを生存本能が抑えている。これ以上魔石から魔力を引き出せば死ぬとわかっているからだ。


 だが魔袋が空になった暴食龍の飢餓感は溢れている。喰いたいというその欲求は、生存本能すら凌駕するものだった。


 暴食龍は生命維持のために残された僅かな魔力を魔石からひねり出し、魔袋に魔力を供給した。それは自分の心臓を喰って生き血を啜るようなもので、そんな自殺行為を行った暴食龍はじきに息絶えるだろう。


 だが自身を喰らうことでまた体が動くようになり、今まで経験したことがない飢餓感に暴食龍は支配された。まだ身じろぎ程度しか動いていないものの、いずれ動き出すことは目に見えていた。



「皆さん! 暴食龍が動いています! まだ終わっていません! フライで飛べる者はすぐ後方へ! 使えない者は全速力で逃げて下さい!」



 努は上空から拡声器を使って呆然としてしまっている探索者や私兵団の者に指示を出すも、彼らは障壁が崩れたショックで動けずにいる。



(手間かけさせんなよっ!)



 努は動けていない者たちの近くに寄って近くで声をかけ、何とか目を覚まさせて上空へ避難させる。障壁に一番近い民家の傍にいたディニエル、副ギルド長などにも努は声をかけてフライで引っ張り上げて後方へと避難させていく。



「各自動ける者は他の者を起こして後方へ避難させて下さい! 早くしないと暴食龍が来ますよ!」



 努の声にギルドメンバーや起こされた者が総員で立ち止まってしまっている者たちを起こし、フライで引き上げていく。その中で一番早く動いたのがレオンで、死んでも構わないとこの場に残ったクランメンバーたちを高速で避難させていた。


 そして努はアルドレットクロウの場所を空から探し始める。幸いにも身体の大きく目立つ火竜や女王蜘蛛クイーンスパイダーなどが倒れていた場所に、アルドレットクロウの一団はいた。



「ルークさん! ルークさーん!」



 努の呼びかけに周囲の者たちを纏めていたルークは手を上げた。



「ツ、ツトム君か。どうしたんだい?」

「ルークさん! シェルクラブの召喚士はいますか? 先ほど話していた作戦をします!」

「彼かい? ……少なくとも周囲にはいないみたいだね。遠くに飛ばされたのは見たんだけど」

「急いで探して下さい! 最優先でお願いします! 自分は出来る限り皆を避難させますので!」

「う、うん。わかったよ!」



 努は事前に魔石換金所のドワーフから魔石を買取り、シェルクラブに大魔石を装飾させていた。シェルクラブは自身の甲殻を鉱石などで補強する際に、白いネバネバした分泌液を口から出して鉱石に付けて自身へくっつけている。なので魔石で甲殻をコーティングするのは容易だった。


 だが肝心の召喚士がいなければシェルクラブを動かせない。最悪女王蜘蛛で代わりをすることを考えたものの、女王蜘蛛は腹に崩壊した建物の破片が突き刺さって瀕死状態だ。代役は効かない。


 努はルークにシェルクラブの召喚士を急いで探させ、自分は拡声器で呼びかけつつも前線で怪我をして倒れている者や、骨折などで動けない者を中心に救助して後ろへ運び込んでいた。


 各団体のリーダーも主導となりどんどんと前線から避難が行われていく。カミーユを中心としたギルドはフライで続々と怪我人を中心に避難させている。警備団はブルーノが気絶した者を六人同時に運び込み、メルチョーは重症を負ったバーベンベルク家の三名を保護していた。


 レオンは既にクランメンバー十数名を遠い場所へと運び終え、ルークも周囲のクランメンバーを纏め上げてフライで飛び回りシェルクラブの召喚士を捜索している。ヴァイスは気絶したアルマとヒーラーを両脇に抱えて避難させていた。


 そして音楽隊による支援スキルの効果時間が切れ、皆は少し身体に重みを感じた。シェルクラブの召喚士が見つからず、まだ半数の者が起き上がっていない頃。暴食龍が本格的に動き出した。


 比較的損傷の少なかった前肢。後肢に比べるとそれはとても小さくて存在意義が怪しいものだったが、きちんとした力は備わっていて自身の体を持ち上げられるほどである。暴食龍はその短い前肢を使って這いずるようにして迫ってきていた。


 魔袋の中身は先ほどの攻撃で空になり、自身の魔石をも喰らった暴食龍は本当の意味で飢餓状態に陥っている。暴食龍はその飢えを満たすことしか考えていない。赤々とした肉が剥き出しになったおぞましい外見と、荒い息遣いに捕食者の咆哮。その暴食龍が迫ってくる姿は正に恐怖そのものだった。



「うわあああぁぁ!!」

「助けてくれぇぇぇ!!」



 その暴食龍の姿と咆哮を聞いたほとんどのものが恐慌状態となり、大混乱。その混乱と恐怖は伝染して判断力を奪った。努がフライで引き上げていた探索者が恐怖で暴れだし、フライの制御を失う。そして空中で溺れたように手足を振り乱した。


 周りで引き上げられていた者たちも同時に恐怖でもがいていて、数人はそのまま体勢を戻せずに地面に落ちて足を折った。そしてまだ立ち呆けていた者たちも恐怖に心を支配され、フライを使えるものは慌てて上空へ上がろうとした。



「落ち着いて! 慌てず避難を! そこまで暴食龍の速度は速くありません! フライを使わないで! 走っても間に合います!」



 暴食龍も限界を越えて動いているため、そこまで這いずる速度は早くない。だが努の叫びも虚しく、恐怖に支配されながらフライを使った者は体勢を崩して次々と墜落していく。VITはCほどはあるので大怪我はしなかったものの、打撲や骨折の痛みで動けなくなる者が多数出た。



「ヒール! ヒール!」



 努は上空から地に伏せて怪我を負った者へヒールを飛ばした。治癒専門の白魔道士に回復させるためにわざわざ怪我人を運んでいたが、もうそんな余裕はない。努のヒールによって怪我人は回復していく。骨折した者は少し治りが悪いものの、走れる程度までは回復した。



「フライは使うな! 走って逃げろ! まだ間に合うから!」



 そう努は拡声器を持って叫びながらヒールを飛ばすが、暴食龍は段々と動きを早めて割れた障壁へと向かってきている。流石にこの状況でも呆けている者はほとんどいないが、まだ前線に残ってしまっている怪我人は多くいた。暴食龍に怯え、助けてくれと涙を流しながら這い這いで逃げようとしている。


 努は内心焦りを覚えつつ下を見回して支援回復を行っているが、明らかに間に合わない。怪我人が多すぎる。青ポーション残量、暴食龍が障壁に辿り着く時間を考えても努一人ではとても持たない。今なら小生意気な狐の手でも努は借りたい気分だった。


 焦りながらも下の怪我人を急いで回復して回っている中、努はふと瓦礫に突き刺さっている一本の杖を見つけた。


 まるで誰かに見つけられることを願っているかのように真っ直ぐ突き立っている杖。それは努がこの世界に持ち込んだ黒杖だった。



(こんなところに、いい黒杖が!)



 努は黒杖の刺さっている瓦礫に向かい、迷わずそれを引き抜いた。


 支援スキル効果上昇、支援スキル時間延長、支援スキル範囲増大、支援重複開放、回復量増加、回復スキル範囲増大、精神力消費減少、精神力増大、精神力自動回復力上昇、支援回復スキル詠唱短縮。


 それが最大強化されて空きスロットが全開放され、そのスロットにありったけの白魔道士専用宝具を付けた黒杖の性能だ。努がそれを手にすると黒杖に散りばめられた宝具が光り、彼の手に帰ってこれたことを喜んでいるようだった。



「オーラヒール」



 そして努が全体回復スキル唱えて黒杖を掲げると、彼を中心に緑の気が傘のように大きく広がった。努は慌ててその範囲を制御し、障壁内にいた者たち全体へ行き渡らせるようにオーラヒールをコントロールした


 そして障壁内を覆うように垂れ下がってきた緑の気を受けた者たちの怪我はみるみるうちに回復していき、身動きが取れるようになった。黒杖の回復量増加、範囲増大、努の知識も相まって全員が動ける状態には回復した。


 その回復範囲が広すぎては暴食龍まで回復してしまうし、狭すぎても回復は行き届かない。努の絶妙なスキルコントロールがあるからこそ成せる技であった。青ポーションを一飲みして努は言葉を続ける。



「ヘイスト」



 切れていたヘイストも同じように放ち、一帯の者のAGIを上昇させて逃げやすいようにした。一気に精神力を持って行かれた努はくらつく頭を押さえた後に青ポーションをがぶ飲みし、その空瓶を乱暴に腰のベルトに仕舞った。そして拡声器を手にして叫んだ。



「走ってとにかく後ろへ逃げろぉ! フライは走れない奴以外使うな! 落ちたらもう回復してやらないからな!」



 そう言いつつもまたフライを使って落ちている者を見かけた努は、ヒールの弾丸を飛ばして素早く回復させる。黒杖の補正があれば回復力の低い撃つ回復スキルも充分な回復力を持つことが出来ていた。


 努はまた怪我をしている者を撃つ回復スキルで瞬時に回復して走らせた。彼を中心に緑の弾丸が辺りに飛び、それは的確に当たって怪我や骨折を回復させていく。


 そして努は前線から目に見える人たちが避難していることを確認すると、障壁に空いた穴をバリアで塞いだ。



「バリア、バリア、バリア」



 努は青ポーションを飲みながらもバリアを繰り返し使って穴を塞ぐ。そのバリアは暴食龍によって簡単に破られるだろうが、僅かでも時間を稼げればよかった。宝具の光る黒杖によって精神力は抑えられて大分余裕がある。


 しばらく努がバリアを重ねがけしていると、後方から複数人がフライで飛んできた。ガルムを筆頭としたギルドのタンク職だ。その後ろには他のギルドメンバーも遅れて向かってきている。


 そのタンク職の中にいたガルムは努と目を合わせた。



「私たちで、あれの気を引く。支援してくれるか?」

「……まるで死ににいくみたいな顔してますね。皆さん」

「その覚悟はある。守るべき者がいるのだから」



 家族、恋人、親友、友人。皆それぞれ守りたい者が迷宮都市にいる。ガルムは怯えをおくびにも顔に出さずにそう言いのけ、後ろに控えているタンク職の男女も同じような顔をしていた。


 努は遅れて飛んできているギルドメンバーの方を見てあることに気づくと、安心したような顔でガルムへ振り向いた。



「そんな深刻にならなくていいですよ。そもそも暴食龍は敵意ヘイトではなく多分食欲で動いていると思うので、皆さんがコンバットクライを撃っても恐らく反応しません。取り敢えずアルド――」

「ならば私が鼻先にでも飛んで自ら餌に」

「おい」



 努は言葉を遮ってそんなことをのたまうガルムの顔を黒杖の先で押すように小突いた。ひんやりとした宝石を顔に押し付けられたガルムは困惑しながらもその杖を退かした。



「そんな無茶認められるわけないでしょ」

「だが、ツトムの言うことが正しければあれは食欲でうごいているのだろう? ならば……」

「えぇ。推測ですけど、魔石がある場所に向かうんじゃないでしょうか。だから迷宮都市の中央に向かってしまうと思います」



『ライブダンジョン!』でも途中でリポップする雑魚MOBにはヘイトを無視して食いついていたし、直接暴食龍を見た様子でも明らかに探索者を見ていない。暴食龍の目指す先は迷宮都市中央にある、魔石貯蔵庫だろう。


 恐らく食欲を満たすまで暴食龍は探索者に見向きもしない。なのでアタッカーで攻めれば比較的安全に暴食龍は倒せるだろう。その間に暴食龍は迷宮都市中央にある魔石貯蔵庫までの道を荒らし回り、甚大な被害をもたらすだろうが。



「不味いではないか! ならばすぐに私が――」

「話を最後まで聞け」

「ぬおっ」



 その言葉を聞いて暴食龍へ慌てて向かおうとしたガルムの尻尾を努は思わずむんずと掴んだ。前回の火竜戦の後に知ったことだが、獣人の尻尾を触ることはあまりよろしくないことだと努は聞かされていた。なので先ほども控えていたのだが、今回は掴みやすい場所にあったのでつい反射的に掴んでしまった。



「その前にやれることをやってから考えましょう。あれを見て下さい」

「ん?」



 ガルムのふさふさした尻尾を離して努が指を差す先には、火竜とシェルクラブ。そしてその背に乗っているアルドレットクロウの数名が彼らの方へ向かってきていた。

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