第92話 魔の力

 周囲を包む大歓声。攻撃班の者たちも隣の者と嬉しそうに目を合わせて杖を打ち合わせたり、手を取り合ったりしている。その中にいたエルフのディニエルは構えていた弓を下ろして長い息を吐き、精霊術師の副ギルド長は周囲に散らばった空き瓶をせっせと回収し始めている。


 最後の巨大隕石を降らせたアルマはつまらなそうに鼻を鳴らし、綺麗な長い黒髪をひるがえして背を向けた。バーベンベルク家も念のため障壁を再構築してはいたが、少し緊張は解いていた。


 先ほどまで暴食龍に怯えていた探索者や貴族の私兵団、民衆などは熱狂に飲まれていた。物資や回復担当の後方支援隊も怪我人が出なくて良かったと一息ついている。音楽隊も勝利のファンファーレのようなものを流し始めた。


 ギルドの集団にいたエイミーやガルム、カミーユなども安心したように息を吐いていた。特にカミーユの脱力っぷりは凄く、隣の努の肩に捕まって寄りかかっていた。それほどまでに暴食龍が怖かったようだ。



「カミーユ。まだ油断しないで下さい」



 周りが喜びで包まれる中、ただ一人努だけは喜んでいなかった。ギルドの集団をどのくらいの範囲でバリアを張れば守れるかを見極めつつ、遠くの巨大隕石を警戒するように眺めている。そんな努にカミーユは緊張を解いた顔を近づけた。



「いや、大丈夫だ。あの異様な気配はもうすっかりしない。私は竜には敏感なんだ」

「……だといいですけどね」

「なんだ? 私を信用して――」



 努のほっぺたを指で突こうとしたカミーユは、まるで心臓を掴まれているかのような感覚に襲われて身体をビクつかせた。そして彼女は急いで巨大隕石の方へ振り向く。


 だが巨大隕石には特に変化はない。丸い隕石は底の方を崩れさせながらも地面に鎮座している。


 そしてそれから少しすると、何か音が聞こえた。そのことにいち早く気づいたのは攻撃班の中にいた兎人だった。



「ねぇ、何か聞こえない?」

「ん? なに?」

「なんか、ゴリゴリって」



 兎人が長い兎耳を片方折りながらそう言うので猫人の男も耳を澄ませると、確かにその音は聞こえた。ごりごりと、何か石が削れるような音。その音はどんどんと大きくなっていく。


 巨大隕石内から聞こえるその音は、まるで卵の殻を懸命に破るような音だった。そしてどんどんとひび割れていく巨大隕石から白い光が噴き出し、大きな音を立てて爆発した。


 地の底から響くような叫び声の再来。暴食龍が、隕石の中から産声を上げるように叫んだ。


 辺りに巻き上げられた隕石片の中から暴食龍の姿が現れる。だがその姿はかえったばかりのヒナのようだった。


 体表は皮が剥がれて焼きただれているのか、真っ赤に染まって溶けているようだった。目には片方矢が集中して突き刺さっていて、体にもまるでハリネズミのように矢が無数に突き立っている。


 口は前方が吹き飛んで歯茎はぐきと所々欠けている歯が露出し、鼻の穴も抉れていて痛々しい。一番頑丈な後肢も様々な魔法スキルと最後のメテオを受けてけんが弾け飛んでいる。全身の骨も至るところが折れていて、胸からは三本ほど白い骨が突き出ていた。無事な箇所は身体を丸めることによって守られた小さい前肢くらいだ。


 見るからに満身創痍まんしんそうい。とても動けるような状態ではない。現に暴食龍は隕石を吹き飛ばしたものの、生まれたばかりのヒナのようにぐったりと横たわっている。体もじたばたとその場で動くだけで立ち上がれる様子はない。



「お、驚かせやがって……」



 攻撃班は隕石が突然粉々に砕け散って驚いたものの、その暴食龍の死に体を見て胸をなで下ろした。他の者も安堵の息を吐いている。数百名が放ったスキルを全て当てても仕留められなかったモンスターというのは驚愕だが、あのままならば放っておけばいずれ死ぬことは目に見えていた。


 バーベンベルク家も何か魔力の感じる暴食龍の攻撃に警戒していたが、あの程度ならば問題はないと感じていた。そしてすぐに止めを刺させようと安心しきっている攻撃班へ青ポーションで精神力を回復させ、魔道具の準備もするように伝えた。


 確かに暴食龍は死に体だった。だが暴食龍の心臓は確かな鼓動を鳴らしている。そして数え切れないほどのモンスターを喰って魔石を溜め込む特殊な器官。暴食龍特有の魔袋と言われている器官には、まだ膨大な魔石が溜め込まれている。


 その膨大な魔石から生み出された魔力が、暴食龍の動力源だ。身体が尽きるか魔袋の中身が尽きない限り暴食龍は止まらない。


 攻撃班が準備を進めている中、暴食龍は倒れ込んだまま餌を求めるように口を開けた。千切れた舌が動いているその喉奥から、白い光が漏れ出し始めた。



「……あれは」



 暴食龍がダンジョンの最下層からモンスターを喰い散らし、周囲のダンジョンから溢れたモンスターをも喰らい尽くして得た膨大な魔石。その魔石にある魔力を抽出した、純粋な魔力の塊。それらを全て絞り尽くし、暴食龍は固めて吐き出そうとしている。


 魔石を媒体に魔法を行使する貴族だからこそわかる、膨大な魔力の塊。バーベンベルク家の長女と長男は息を飲み、当主は冷や汗を流した。あれほど高密度の魔力は当主でも見たことがない。もしあれが障壁のない迷宮都市に放たれれば、一帯は消滅すると当主は想像出来た。



「周囲の障壁をかき集めろ! 全てだ! 私は新たに障壁を作り上げる!」

「は、はい!」



 当主の指示で長男と長女が慌て迷宮都市を覆っている障壁を北に集め始める。そして当主によってどんどんと新しい障壁が迷宮都市と暴食龍の間へ何重にも展開されていく。



「総員撤退! 出来る限り障壁から離れよ!」



 焦りを含んだ当主の指示により探索者や私兵団は慌てて障壁から下がり始めた。その今まで見たことがない貴族の障壁展開に、当主の見せた焦り。魔力をあまり感じられない者たちでも事態の悪さに気づき始めた。


 そして迷宮都市全体を囲むように張られていた障壁は、北の方へ畳まれるように集まってくる。ぱたりぱたりと何層にも畳まれた障壁が北へ集結した。


 音楽隊の貴族を応援するようなスキルの混じった曲が響く中、誰もが息を飲んだ。貴族以外のほとんどが元にいた位置から大分下がり、白い光を放っている暴食龍を見守っている。その中でも攻撃班と私兵団だけはいつでも攻撃出来るように出来るだけ前に集まっていた。


 そして、その時が来た。暴食龍の魔袋から口へと集められた膨大な魔力。それが球状に圧縮されて固められると、勢い良く発射された。


 大気が歪んだ。地面は削れて弾け、空の雲が割れた。


 暴食龍の目の前にあった障壁は白い魔力の塊によって紙のように破られていく。バーベンベルク家の障壁は作成した者がその障壁と感覚を共有しなければならないという制約がある。当主の作った障壁は次々と割られて彼の身体を内から傷つけた。


 そして当主が個人で作成した障壁は全て破られ、続いて迷宮都市の周りからかき集めた障壁に白い塊がぶつかった。


 何十層にも畳まれた障壁。それを食い破るように白い塊は進行していく。そして破られる度にその障壁を作成した者は被害を受ける。訓練を積むことで感覚や身体への被害は鈍らせることは出来るものの、身体が破壊されるような感覚を薄めるだけだ。苦痛には変わりないし、それが何度も積み重なれば実際に身体へ被害が生じる。



「申し訳、ありません……」



 そしてその三人の中でも一番障壁魔法の腕が未熟だった長女が、口から血を零して倒れ込んでしまった。意識を失った長女の障壁を当主が肩代わりする。そして長男も口の端から血を垂れ流していた。


 白い塊は徐々に障壁を食い破って進行している。第二十層目が破れ、十九、十八、十七と障壁は壊れていく。その度に長男は身体を内側から叩き壊されるような感覚に襲われる。彼は咳き込んでねっとりとした血を吐き始めた。



「もうよい。下がれ」

「……私は、バーベンベルク家の、次期当主です! 民を守れずして! 次期当主は、名乗れない!」



 既に限界を迎えている内臓が悲鳴を上げ、いつ気を失ってもおかしくない状況。だが長男はバーベンベルク家の誇りを胸に障壁を維持していた。その間にも障壁は次々と壊れていく。


 障壁の数は十を切った。白い魔力の塊も障壁を破るごとにその体積が削ぎ落とされていくが、まだ健在で障壁を貫いている。九、八、七層目が突破された。六、五、四、三層目が破壊され、残るは二層のみ。白い魔力の塊も大分勢いを弱めているものの、まだ障壁を食い破らん限りに音を立てて迫っている。


 そして二層目に小さな穴が空き、その穴を広げるように白の魔力がねじ込まれていく。そうして二層目も突破された。残るは一層のみ。


 火花のようなものを散らしながら障壁を削る暴食龍の放った魔力の塊。バーベンベルク家の当主と長男は両手を前に突き出してその魔力を弾き返そうとする。白の魔力もその大きさは欠片ほどの大きさとなっている。



「止まれぇぇぇぇ!!」



 喉を血で濡らしている長男の叫びが木霊した。


 その声と共に白い魔力は消滅。それを見届けた長男は意識を手放した。


 だが一層目の障壁もその衝撃に耐え切れず、白い魔力が存在した場所を中心に大穴が空いた。


 その障壁の大穴から、強い衝撃波と突風が襲いかかった。障壁を中心に波紋のような衝撃が広がる。そして巨大な空気砲のように障壁の大穴から放たれた風は、容易に人の身体を吹き飛ばすほどの強さだった。砂埃と共に障壁の前にいた人たちが紙切れのように吹き飛んでいく。


 前線にいた探索者や貴族の私兵団は誰もが高レベルであり、VITが低いジョブであってもC-ほどはある。VITはC-まで上がると常人よりもかなり頑丈となり、衝撃なども軽減される。それに支援もあるので例え風に身を吹き飛ばされて石の民家にぶつかろうが、急所さえ守れば軽傷で済む。


 だが民衆や、レベルの低い探索者のアタッカー職やヒーラー職は違う。突風に吹き飛ばされて勢い良く石壁に身体をぶつければ、良くて重症、打ちどころが悪ければ即死だ。特に障壁の大穴正面にいた民衆は大きく吹き飛ばされて壁にぶつかり、まるで果物のように次々と身体が弾けた。


 VITが初期値の民衆は勿論、初級探索者や中級探索者のタンク職以外の者も多くが壁や床に叩きつけられて死亡、もしくは重症を負った。高レベルの探索者たちも成すすべなく吹き飛ばされ、何処かの壁へとぶつかった。次々と人々が民家へとぶつかっていき、建物が崩壊していく。


 だが前線にいた者はまだいい方だ。その前線で崩壊した建物の瓦礫や欠片も次々と強風で吹き飛び、後方にいた探索者たちや民衆へ矢のように襲いかかった。尖った欠片をVITによる加護が薄い顔に受けた探索者は泣き叫び、子供を抱えていた女性は前線の探索者が手放した槍が勢い良く腹に突き刺さり壁へ縫い付けられた。


 悲鳴は衝撃波と風で掻き消えていく。砂埃の中では視界も悪く、高速で飛来してくる物体は避けようがない。後方は幾人もの血で染まった。


 そして衝撃がだんだんと収まり、しんとした空気が辺りを支配する。


 その中で無事だった高レベルの探索者は瓦礫がれきの下から這い出た。上の瓦礫をどかして痛む身体を押さえながら前を向くと、そこには絶望があった。



「そんな……」



 バーベンベルク家の障壁は大穴を開けられ、破られていた。他にも無事だった探索者や私兵団、警備団などもその光景を唖然と見つめることしか出来なかった。

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