第91話 迎撃態勢

 努はドワーフ少女から余っている魔石を買い占め、治療班の中にいた森の薬屋のお婆さんに障壁から離れるように避難を促した。


 そしてアルドレットクロウと話し合い、北の道に妨害工作を施そうと障壁の外へ出ようとした。だが肝心の障壁が開かなかった。


 ルークは高台に陣取っているバーベンベルク家の長女に目を向けたが、どうやら彼女にも理由がわからないようだった。ルークはそのことから一つの答えに辿りついた。



「……ツトム君。どうやらここから離れた方が良さそうだ」

「え?」

「待て、そこの者ら」



 ルークが急いでその場から離れようとした間際、そんな声がアルドレットクロウの集団にかけられた。険しい顔をしているバーベンベルク家の長男が、割れるように両側へ下がった探索者たちの中心を歩いてきていた。


 その長男は集まっているアルドレットクロウの集団を舐めるように見回した後、ルークをキッと睨んだ。



「貴様ら、外に出て何をするつもりだ?」

「はい、先日ゴーレムで作成した拠点を確認してこようかと……」

「そんなことはせずともよい! 貴様らは大人しくこの障壁内で準備をしておればいいのだ! それともなにか? バーベンベルク家の障壁に思うところがあるのか?」

「いえ、そのようなことは」



 少し目線を低くしたルークの言葉にその長男は叫び散らす。ルークは粛々とした態度で受け答えると、長男は高々と鼻を鳴らした。



「ならば、大人しくしていることだ。暴食龍とやらも、我がバーベンベルク家の障壁魔法の前では無力である。貴様らは迎撃の準備を進めればよいのだ」

「はい。出過ぎた真似をしてしまい、申し訳ありません」

「よい。では迎撃の準備を進めたまえ」



 そう言い残して身を翻したバーベンベルク家の長男は、障壁を見回せる灯台のような場所にいる長女の元へ向かっていった。その後ろ姿を見て努は思わず一歩前に出たが、ルークに手を掴まれた。



「止めた方がいい」

「でも、このままでは」

「お願いだ。もしツトム君が問題を起こせば、アルドレットクロウも処罰を受けてしまう」

「……そうですか」



 そう言われてしまえば努はもう何も言えなかった。バーベンベルク家の長男が見えなくなるまで努はその後ろ姿を見送ることしか出来なかった。


 努としてはどうしても障壁外に妨害工作をしておきたかった。だが申し立てるにはもう遅いし、それにあの男に反論を申しても意見が通らなそうな雰囲気を努は感じ取っていた。



「……どうしよっか」

「どうもこうもないですよ。あの調子じゃ、どうせ障壁内で地面に工作しようとしても止められるでしょう?」



 努が苛立ったように石で舗装された地面をつま先でとんとんと叩くと、ルークは無言で頷いた。その返事に努は思わず片手で頭を押さえて首を振った。一番アテにしていた作戦が頓挫してしまい、努は重いため息を吐いた。


 暴食龍は二足歩行の恐竜のようなモンスターであり、翼は存在しない。なので必ず地に足を付けなければ動けないため、地面に対しての罠などが恐らく有効なのではと努は考えていた。


 そして豊富な人材が揃っているアルドレットクロウを引き連れて外に出て、落とし罠や泥沼などの罠を仕掛けようとしていた。


 しかしバーベンベルク家にああ言われてしまっては動けない。障壁内を集団で動いて地面に工作を施そうとしても見咎めを受けるだろう。石で綺麗に舗装された地面を壊せば間違いなく大きな音が出るし、他の工作方法ではどうしても人数が必要になる。貴族にバレないように工作を施すのは不可能に近かった。



「でもねツトム、バーベンベルク家の言っていることも間違ってはいないよ。あの障壁魔法は見事だ。君も見ただろう? 竜の攻撃を全て防いでいたところを」

「確かにそうですが、やれることはやっておきましょう。地面への罠工作は無理でも、やれることはあります」

「わかったよ」



 ルークもレオンのいつもとは違う様子を見ていたので、努の用心すぎると感じる準備にも付き合った。そして少数人で出来ることを努は着々と進めていった。


 そしてそれから一時間後、レオンの報告通りまずはスタンピードの軍勢だったものが姿を現し始めた。血にまみれていたり何処か欠損しているモンスターたちが、迷宮都市に向かって走って来ている。その数は従来のスタンピードより遥かに少なく、もはや軍勢ではなく群れと呼べる規模だった。


 それにそのモンスターの群れは迷宮都市を迂回し、何かから逃げるように南へと抜けていってしまった。その今まで見たことのないモンスターの行動に準備を進めていた者たちは拍子抜けしたようにぽかんとした。


 スタンピードで進軍してくるモンスターは、迷宮都市にある膨大な魔石を目当てに進軍してくるということが定説である。その定説を否定するようなモンスターの行動。明らかに今までのスタンピードとは違う出来事であった。


 そのモンスターの群れが通り終わるとレオンの進言で下級や中級の探索者も避難するように伝えられたが、半数ほどの探索者は残った。中級の者は出来上がってきた自尊心、初級の者は度胸試し感覚だ。下手に避難させようとしても混乱を生むので警備団は特に動かず、その探索者たちは攻撃班や雑用に回された。


 そして日が傾き始めて後方支援隊が照明を焚く準備をし始めた頃、レオンが恐怖を覚えたという暴食龍の姿を鳥人の男が捉えた。


 強大で太い後肢(こうし)で地面を踏みしめ、前かがみになって大きな頭を振り乱しながら走行している暴食龍。体表は黒ずんでいて何処か毒々しい雰囲気を放ち、口から舌を出して多量の唾を垂れ流している。そしてその強大な頭や後肢とは裏腹に前肢は異様なほど小さい。


 その姿は地球に存在した史上最大級と肉食動物として謳われている、ティラノサウルスと酷似していた。


 赤空の下。地鳴りのような音を鳴らしながら口元を赤く染めた暴食龍は、迷宮都市へ迫ってきていた。



 ――▽▽――



 暴食龍を目にした途端にエイミーは肩を跳ねさせて白い尻尾を股の間に挟み、ガルムは藍色の犬耳をぴたりと後ろに寝かせて怯えるような動作を取った。その他獣人や鳥人なども暴食龍を本能で恐れているのか、おのおの尻尾や耳を機敏に動かしている。


 カミーユ、メルチョーなども暴食龍の禍々しさのようなものを感じ取っていた。火竜の時よりも強大な気配にカミーユは以前と同様に心が折れてしまいそうになってしまったが、一度折れた心はもう立ち直っている。それに今回は仲間が二人だけではない。そのことがかろうじてカミーユの心を支えていた。


 ルークやブルーノなどは特に何も感じていないのか、落ち着いた様子だ。他の人間の探索者や貴族の私兵団なども同様である。だが周囲の様子や暴食龍の姿を見て手ごわそうだとは感じていた。


 音楽隊の指揮者が指揮棒を動かし、吟遊詩人たちが曲を奏で始める。その合唱が一帯に響き皆のステータスが次々と上昇していく。スタンピートの時に流れるいつも通りの曲を聞いた者たちは段々と落ち着きを取り戻していった。


 ゴーレムで作った拠点などをものともせず、暴食龍は荒い息を吐きながら突き進んでくる。その筋繊維の塊のような身体は岩などものともせずに進んでいく。そして獲物のかすかな匂いを見逃さない発達した嗅覚は、迷宮都市内にある膨大な魔石を嗅ぎ取っていた。


 暴食龍が満たされる時は、食事をしている時。それだけだ。何かを口にしていない限り暴食龍は飢餓感に襲われ、獲物を探し回る。そしてその鼻は膨大な無色魔石という最上の獲物を嗅ぎとり、その足を迷宮都市へと向かわせていた。その途中にいたスタンピードは暴食龍によってほとんど喰らい尽くされている。


 そんな暴食龍は極上の魔石が匂う在り処に向かうため、全速力で迷宮都市に走っていた。だがその途中で暴食龍は壁に阻まれた。


 透明で暴食龍には捉えられない壁、バーベンベルク家の張っている障壁だ。暴食龍は自身の身体が弾かれたことを不思議そうにしながらも、再びどしどしと障壁へと歩いて行った。そしてやはり何かに阻まれていることに暴食龍は気づいたようだった。


 瞬間、暴食龍は叫んだ。暴食龍に喰われた者がその腹から出たがっているような、がらがらとした叫び声。


 その叫びを聞いた者は誰もが喰われると錯覚し、様々な反応をした。焦って後ろに後退りしたり、気圧されて転倒した者もいる。努以外の誰もが暴食龍に恐怖を覚え、何らかの動作を取っていた。爛れ古龍の咆哮を受けたことのある努ですら身じろぎはしなかったものの、顔が少し強ばっていた


 音楽隊の合唱も一斉に止まる。代わりに暴食龍の叫びが一帯に響き渡り、辺りを支配した。


 そして暴食龍は目を血走らせながら地面がへこむほど踏ん張り、放出。地鳴りと共に体当たりを受け、障壁全体が揺れるような音。


 まるで盛った獣が雌を目の前でお預けされているかのように暴食龍は叫び散らしている。そして障壁には歯を擦り合わせたような音と共に、大きなヒビが入った。


 暴食龍の心に迫る叫びと捕食者の形相。そしてヒビの入った障壁に大半の者がパニックになりかけたが、その凶悪な叫び声をかき消す重厚な音色が響いた。


 音楽隊の指揮者が指揮棒を振り、その指揮に従う吟遊詩人全員による大演奏。それが暴食龍の叫びに負けず劣らない音量で響き始めた。


 全員が統一して行使したスキルは軍神の器楽曲。楽器でしか演奏することが出来ないが、その曲を耳にした者のSTRを上昇させることの出来るスキルである。


 暴食龍の叫びに怯えた皆を勇気づけるような曲が流れる。その曲の音量はどんどんと上がって行き、もはや暴食龍の叫びは曲の一部と錯覚するほどだった。その勇気づけるような音楽隊の曲に恐慌しかけていた皆の心は静まり始める。


 だが貴族の張った障壁一枚にヒビが入ったことは事実だ。そしてそのことを強く認識しているのは障壁近くにいる攻撃スキルを放つ班や、対モンスター魔道具を操作している貴族の私兵団たちだ。


 今まで傷すら見たことのない貴族の障壁にヒビが入った。今回は貴族の指示で先ほどよりかは障壁から遠ざけられているものの、一番近いのは攻撃班だ。自然と後退ってしまう者も出始めている。



「狼狽(うろた)えるな」



 だが攻撃班の言い知れぬ不安をわかっていたのか、バーベンベルク家当主は淡々とした声を拡声器に乗せて言い放つ。するとその声を見計らったようにバーベンベルク家の長男と長女が灯台のような建物から飛び降り、フライで勢いを殺して当主の両隣に着地した。



「凄い威力ですこと。第一障壁にヒビが入ったところなんて初めて見ました」

「くそっ、これでまたあの下郎どもが調子付く」



 長女は楽しそうにお腹を押さえ、長男は未来のことを心配しているのか忌々しげな顔をしている。その二人が手をかざすと、障壁に入っていたヒビはみるみるうちに修復されていった。


 そして当主は右手を高々と上げた。攻撃班にいつでも攻撃出来るように準備をさせる合図だ。その合図に攻撃班は驚きながらも準備を開始する。


 だが先ほどの竜のように障壁を解除してしまえば、今回はすぐにでも暴食龍が襲いかかってくることは予想出来た。



「第二障壁で弾き返す。第一障壁の消失は任せる」

「はい、お父様」

「はい、父上」



 当主にそう言われた二人の子息は頭を下げた後、赤い涎をだらだらと垂らしている暴食龍に目をやった。まるでスタンピードをほとんど平らげたとは思えないほど、その目は飢えに満ちている。だが長男の瞳に恐れはない。自身と長女、父の障壁魔法に絶対の信頼を置いているからだ。


 暴食龍が一旦距離を取り、また勢いを付けて障壁へと突っ込んでくる。第一障壁にヒビを負わせるほどの体当たり。純粋な力でねじ伏せようとする暴食龍。



「はっ!」



 そして暴食龍がその第一障壁に触れる直後に障壁は解除。先ほど頭をぶつけていた場所がいきなり消失して暴食龍はつんのめりながらも、その勢いのまま第二障壁へ向かっていく。


 そして大きな音を立てて障壁へぶつかるように見えた。しかし当主が手をかざすと障壁の性質が変わり、それは柔らかく弾力性を持ったものへと変貌した。その障壁に体勢を崩したまま勢い良く突っ込んだ暴食龍は、障壁へ頭をめり込ませるように倒れ込んだ。


 先ほどより障壁から離れていた攻撃班の少し先で、暴食龍の顔が障壁をめり込んで視線が合った。だがもうその勢いは止まり始めている。


 弾性の含まれた障壁は暴食龍を受け止め、そしてその力をお返しするように弾き返した。自身の力をそのまま返される形となった暴食龍は、その巨体を少し浮かせながら尻餅をつくような形で地面に倒れた。



「放て!」



 その当主の号令と共に障壁は解除され、攻撃班の攻撃スキルが暴食龍へと殺到した。前回の竜と違い今回は単体なので、集中した攻撃スキルの波が暴食龍へ襲いかかった。全員がその暴食龍への恐怖を打ち消すように、一心不乱に攻撃スキルを放っていく。


 大矢の雨が降り注ぎ、魔道大砲が次々と火を噴いた。魔道士たちの魔法スキルが杖先から飛び、着弾して炎上。強靭な筋肉の塊のような暴食龍でもその数百名による嵐のような攻撃には耐え切れず、姿勢が崩れる。



「精神力の切れた者から順次交代! 全ての青ポーションの使用を許可する! 放ち続けろ!」



 その当主も暴食龍の異様な気配には気づいていたようで、青ポーションの使用を許可しつつ攻撃班に指示を出す。森の薬屋が特注で作った青ポーションは一口で精神力が大幅に回復するが、その分大きな素材費用がかかる。しかし当主は出し惜しみせずにその使用を許可し、暴食龍へ攻撃スキルを次々と放たせた。


 炎や雷、風の刃などを中心に魔法スキルが飛び、聖属性や闇属性の纏った高価な魔力矢なども次々と飛んでいく。寒波。雷鳴。熱波。それらが入り混じり暴食龍へ襲いかかる。次々と青ポーションを飲み干す攻撃班。地面に投げられた空瓶が甲高い音を鳴らして転がっていく。



「メテオ」



 そして攻撃班のほとんどが青ポーションを飲み干し始めた頃、現黒魔道士で最強の威力を誇る魔法スキルが最後に暴食龍へ襲いかかる。精神力を最大に込め、隕石を巨大化。黒杖の補正で更に質量が増加した巨大な隕石が、暴食龍を押しつぶすように降った。地面に着弾し、轟音が走る。


 当主が一枚目の障壁魔法を再び張ると、砂埃や小粒の石が衝撃波に乗って細かい音を立てた。


 しばらくして衝撃が収まると障壁が解除され、黒魔道士や精霊術師が風の魔法スキルであるブラストで土煙を晴らしていく。


 そこには強大な丸い隕石が鎮座していた。隕石に成すすべなく押しつぶされた暴食龍を見ていた探索者を中心に、歓声が辺りに響いた。残っていた民衆たちも身を乗り出してその凄まじい攻撃スキルに熱狂した声を上げた。

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