第90話 各々の思惑
カミーユは努に貰った情報を手に警備団が陣取っている場所へ向かい、群衆の中から頭一つ抜けている巨体のブルーノをすぐに見つけた。すると丁度レオンが警備団に暴食龍のことを報告しているところだった。
焦った様子で暴食龍の姿や自身の感じた脅威具合をブルーノに伝え終えたレオンは、立ち去ろうとして振り返ると丁度カミーユと目が合った。
カミーユはレオンと目が合うと少し身構えた。レオンは出会うたびに口説いてくるので自然と身構えてしまうのだ。もう何十回と断っているのだが、レオンはまるで挨拶のように口説いている。
だがレオンはいつものような軽い調子の口調ではなく、真剣な声でカミーユへ話しかけた。
「カミーユさんか。もしかしてツトムからもう聞いてるか?」
「ん? あぁ」
「ならよかった。あれはヤバい。火竜の比じゃない。早急に準備するべきだ。貴族は聞き入れちゃくれなかったが……とにかく警戒してくれ」
「あぁ。ツトムから散々言われたから、私もブルーノに相談しようとしていたんだ」
「そうなのか。なら早く動いた方がいい。俺もクランメンバーで無理そうな奴らは避難させてくる。それじゃあ」
そう言うやいなやレオンはすぐに走り出して姿を消した。その彼の真面目な様子にカミーユは少し呆気に取られながらも、ブルーノに視線を向けた。すると彼も冗談めいたように肩を竦めた。
「あのレオン君があそこまで怯えてるんだから脅威なんでしょうけど、そこまでのものなのかしら?」
「私を口説きもしないほど余裕がなかったぞ? いつもは目が合えばすぐ甘ったるい言葉を囁(ささや)いてくるというのに」
「……それもそうね。私を口説きもしないのは置いておくとして、それで? 貴方はツトム君から何か言われてきたの?」
「あぁ。レオンが確認したモンスターの詳細らしい」
「あらま。ほんと彼、何でも知ってるわね?」
軽い調子で言うブルーノはカミーユに渡された書類に目を通し始めた。そして貴族の障壁すら破壊しうるかもしれないという記述を見て、まぁと口を押さえた。
「とんでもないこと書いてあるわねぇ。もし本当なら相当不味いわねこれ」
「流石に障壁魔法が破られることはないと思うが、あのレオンの様子から見ても危うさは感じるし、ツトムの情報も既に信ぴょう性は証明されている。だから私はツトムの意見も考慮すべきだと考えている」
「そうねぇ~。でもバーベンベルク家にこの情報を渡したら、鼻で笑って捨てられるわよ。レオン君も実際そうだったみたいだしね」
先ほどレオンから報告を受けた際にそう言われていたブルーノは、困ったわと唇を尖らせながら腕を組んだ。まるでエイミーと錯覚するような可愛らしい仕草であるが、彼は二メートルを越す巨漢の男らしい風貌をした男性である。
そしてその可愛らしい動作とは裏腹に考えていることは複雑であった。もしこの情報が正しい場合はすぐに民衆を避難させなければならない。障壁を破るほどのモンスターというものはブルーノにも想像があまりつかないが、レオンの尋常ではない様子と努の情報は無視できない要因だ。なので少なくとも驚異的なモンスターが攻めてくることに間違いはないだろう。
しかしこのことを貴族に話しても民衆の避難勧告に許可を貰えるとブルーノは思えなかった。万が一のために民衆を避難させるという行動は、貴族の障壁魔法に不安を持っていると言っているようなものだ。当然警備団は貴族からそのことを追求されるだろう。
竜の群れが観測された時に行った厳戒令の公布ですら、ブルーノは苦労して貴族から許可を貰っていたのだ。警備団が今から民衆に避難を促す行為を貴族に許可を取ろうとしても、必ずすんなりとはいかないだろう。
「私も、責任を持とう」
ブルーノがどうしようか迷っていると、カミーユが不敵な笑みを浮かべながらそう言いのけた。ブルーノは彼女の大胆な宣言に驚くように眉を上げたが、すぐに目を閉じて下を向いた。
「わかったわ。それじゃあすぐに民衆の避難を開始させるわね」
「すまない。責任を負わせてしまって」
「うふふ、いいのよ。むしろ後押ししてくれたお礼を言わなきゃね」
少しでも迷ってしまった自分を恥じるようにブルーノは言った後、すぐに近くにいた者へ警備団員を呼び寄せるように命じた。その命令を受けた者は駆け足で笛を鳴らしながら周りの者を集めていく。
貴族にこのことを話しても苦言を申されて動きが鈍るだけなので、ブルーノは避難誘導を黙って実行することを決意した。貴族の意向を無視した独断専行である。もしこの後何事もなくスタンピードが終わればブルーノは貴族から何らかの処罰を受けることになるだろうが、彼は特に気にした様子もなくカミーユにウインクした。
警備団員が吹いている笛の音を聞いた者たちはすぐにブルーノのところへ集まってくる。食事中や仮眠中の者たちもすぐに準備を整えてその笛が鳴る場所へと集まってきた。
「これで何も起きなかったらお互い大変ね」
「その時はツトムとレオンにも責任を取って貰おう。休日デートにでも付き合ってもらうか?」
「あら! いいわね! 私レオン君もーらおっ!」
預り知らぬところでそんな約束事をさせられている二人。そして警備団の者たちが全員集まるとブルーノは状況を説明した後、警備団主導で民衆の避難活動が開始された。
警備団総員によって隊列が組まれて民衆たちに避難を促すと、当然のように民衆から反発の声が出た。記者の者たちも記事を取るために残ると言い出す者が多くいた。
だがエイミーの根回しした集団がどんどん警備団の指示に従い、避難の流れが出来始めた。そしてその集団に釣られて他の者も巻き込みある程度の民衆を避難させることに成功した。
しかしその場に残った民衆も少なからず存在した。貴族の障壁魔法があるのだから大げさだと警備団の対応を一蹴し、その場に残る民衆たち。
だがその頃にはもう数を減らしているスタンピードがレオンによって近くで観測し始められていたため、警備団も居残る民衆へ個別に対応出来るほど人員に余裕がない。そのため避難に応じなかった民衆はやむなく放置された。
――▽▽――
「これは何事だ!」
「ほ、報告します! 警備団が民衆を牽引し、避難を行っているようです!」
「何だと!? そんな報告、こちらには入っていないぞ!?」
屋敷の中でワインを飲んでいたバーベンベルク家の長男は、従者の報告に顔を真っ赤にして叫んだ。外では民衆たちが避難を始めている。そして主導しているのは警備団である。だが民衆を避難させることはバーベンベルク家に報告されていなかった。
バーベンベルク家の当主もそこに居合わせていて何も言わないものの、その報告に不機嫌そうな顔をしてはいた。
「……あの、気色悪い筋肉オーガめが。今すぐ奴をここに呼べ!」
「はい! すぐに!」
「これこれ、待たれよ」
従者の元気な返事に異を唱えたのは、同時に入ってきたメルチョーだった。貴族の私兵団団長であり神聖な武闘会で幾度も優勝を重ねている老人の言葉に、その長男は少し気圧されたがすぐに言葉を返した。
「何故だ! メルチョー!」
「レオンが報告したモンスターがもうそろそろ現れてもおかしくないですぞ。そうなれば貴方も指揮を取らねばなりますまい。ブルーノへの処罰は、スタンピードが片付いてからでよろしいでしょう」
「しかしっ! これはバーベンベルク家への侮辱に他ならん! 先の厳戒令といい、どういうつもりだあの男は!」
長男が吐き捨てるようにまくし立てると机を強く叩く。上に乗っていたグラスが軽く跳ね、中に注がれていた赤ワインが波打つ。
長男はブルーノが以前出した厳戒令というものも気に入らなかった。彼が厳戒令に反対する理由は私情が多いが、勿論正当な理由もある。
モンスターが外のダンジョンから溢れ出して群れを成し、一帯を荒らし回るスタンピード。それは貴族からすれば民へ権威を示すのに丁度いい行事のようなものだからだ。
貴族は治めている都市に住む住民から税を取る代わりに、その都市に住んでいる者たちを守る義務がある。それをわかりやすく民衆に伝えやすいものがスタンピードである。
外から迷宮都市に多く迫るモンスターの群れ。それを貴族の障壁魔法で造作もなく弾き返し、防衛用の魔道具や兵士を駆使して掃討する。それを民衆がその目で実際に見れば、税を払うことへの不満も軽減される。
なので貴族からしてみれば警備団が要請した、事前に民衆を避難させるという厳戒令は都合が悪い。貴族の活躍を見る民衆が減ればその分税への不満も募る。それに長男は民を守るのは貴族の役目であるという強い自覚がある。なので障壁魔法に圧倒的な自信を持っているし、その障壁魔法を疑うような真似をする輩は許せなかった。
それを理由に長男は警備団の要請を何度も跳ね除けたのだが、様々な団体に根回しをしていたブルーノに押し通される形で厳戒令が公布されることになってしまった。そのやり込められたような形で厳戒令を公布させられたことも長男は随分と腹を立てていた。
バーベンベルク家の障壁魔法は王都を守っている障壁魔法とさして変わりない性能を持っている。それは最も優れている障壁魔法と言っても差し支えない。バーベンベルク家の長男として生まれた彼も父から厳しく指導されながら障壁魔法を習得し、今では次期当主に相応しい実力は持っている。少々自尊心が高く周りの評価を気にしすぎることが傷ではあるが、彼は充分な障壁魔法の腕を持っていた。
実際に竜の攻撃も易々と防ぎ、黒炎にも慌てず対処することが出来た。もしあの光景を多くの民衆に見せられれば、バーベンベルク家の名声が更に上がったことだろう。そのことが余計に彼を苛立たせていた。
「お怒りはごもっともでありますが、ここは抑えてくだされ」
「しかしっ」
「往くぞ」
顔を真っ赤にしているバーベンベルク家の長男とは打って変わって怒りの表情をおくびにも出さない当主は、冷淡な声でそう言って歩き始めた。
長男は出て行った当主を見送って肩を上下させた後、赤ワインを一気飲みしてすぐに追いかけていった。メルチョーはその二人が部屋からいなくなると、やれやれと首を振った。
(随分派手に動いたものだの。ブルーノ。あまり無茶はしてほしくないんじゃが)
メルチョーはブルーノの大胆な行動に思わずため息をついた。だが彼が正義のためならば自分の地位など厭わないことをメルチョーは知っていただけに、あまり責められもしなかった。ブルーノは以前からそういう男だった。
今から七、八年ほど前に迷宮都市へ神のダンジョンが出現し、それから数年後。ステータスカードを作成して力を得た探索者たちがその力に増長して犯罪を起こすことが多くなった。治安は悪化し、犯罪率も増えた。
その探索者を捕まえようにも取り締まっていた貴族の私兵団は探索者ほど神のダンジョンへ潜っておらず、ステータスに差があった。メルチョーほどの達人ならばステータス差すらものともしないが、他の一般的な兵士たちでは探索者を押さえ込むことが難しかった。
そんな中、探索者出身の犯罪者を中心に捕まえるクランが出てきた。それがブルーノを中心としたクランだった。そのクランは次々と罪を犯す探索者たちを捕まえ、貴族の兵へ自主的に差し出し始めた。
そのクランが活動を始めてからは探索者の犯罪率は激減し、一般の犯罪率も減少。治安は目に見えて良くなり、更には裏で幅を利かせていた当時一番巨大だった犯罪クランの一つも消滅させた。
その功績を貴族に認められ、ブルーノのクランは警備団という新しい枠組みに収まって迷宮都市の治安維持を任された。迷宮都市の治安の良さはブルーノが作り上げたといっても過言ではない。なのでブルーノは貴族から手酷く処罰はされないだろうが、それでもメルチョーは心配していた。
それにメルチョーはブルーノと師弟関係にあるため、弟子である彼は結構可愛がっていた。見てくれは異質だが、内面はとても素直で正義感に溢れる男だ。そんな彼が正当な評価を受けられないことは惜しいことだ。
(世話が焼けるの。全く)
メルチョーはぷんすか怒っているバーベンベルク家の長男をどう落ち着かせるかを考え、再度大きなため息をついた。
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