第89話 暴食龍

 レオンが暴食龍の存在を貴族に伝えている中、努はカミーユと合流すると事前に書き記していた暴食龍について纏めたものを取り出した。そして事情を話した後にそれをカミーユに渡した。


 カミーユは努に渡された暴食龍の記述を見るとすぐに顔を上げた。



「……黒竜や雷竜よりも強いのか?」

「間違いなく強いです。最大限の警戒をして下さい。……貴族の障壁ですら破られる可能性もあると考えて下さい」

「いや、流石にそれはないとは思うがな。努は貴族の障壁についてそこまで知らないのだろう? バーベンベルク家が神のダンジョンが出来てからもここを王都から任されているのは伊達じゃないぞ」

「ですが、そのくらい警戒して下さい。もし暴食龍がスタンピードを飲み込んだのだとしたら、僕にも強さが想像できません」



『ライブダンジョン!』で暴食龍に出現するモンスターを全て食べさせて最大まで強化した場合、爛れ古龍すら越える力を持つことになる。ゲームでならば初見でもそこまで強化されることはないので、そこまでバランスは悪くないボスモンスターであった。


 だが暴食龍がスタンピードを食っていると仮定するならば、最大強化されていると考えた方がいい。それにその最大強化の上さえいっている可能性すらある。だから努は暴食龍を恐れていたが、周りで話を聞いていたギルドメンバーたちは楽観的だった。


 貴族が迷宮都市に張っている障壁が今まで破られたことは一度もない。二枚張っている中の一枚目なら数十年前にヒビが入ったことがあるが、その一枚目はいわば様子見に過ぎない。一枚目でどれほどの威力かを見極め、性質を変えた強固な二枚目で弾き返す。それがバーベンベルク家の鉄板な戦法だ。


 バーベンベルク家は様々な魔法を扱うことの出来る貴族が集まる王都の中で、一、二を争う障壁魔法の使い手である。王都に張られている障壁と同等の守備力を持つと言っても過言ではない。


 なのでそういったことを知っている者からすれば、努の態度は少々大げさに見えた。それに努は迷宮都市外から来た孤児の生まれと認識されているため、障壁魔法に対する常識が欠けているから焦っているのだろうと見られていた。


 だがカミーユは努とPTを組んだ時に、彼が少なくとも無知な孤児ではないことに気づいている。現に情報の少ない雷竜や黒竜の情報を知り得ていた。努とPTを組んでいたガルムやエイミーも、真剣に努の意見に耳を傾けていた。


 カミーユは書類に再び視線を落とした後、努を改めて見た。そして彼の目を見て覚悟を決めたように力強く返答した。



「わかった。では私からも皆に警告して回ろう。これは警備団に提出しても構わないか?」

「はい。問題ありません」

「よし、では皆も、最大限の警戒をしておいてくれ!」

「……了解しました」



 カミーユが書類を手に持ちながらギルドメンバーを見回しながら言い含めると、その者たちは内心疑問に思いながらも了解した。そしてカミーユは駆け足で警備団の元へ向かっていった。


 努はカミーユを見送りこの後どう行動するか迷っていると、後ろからちょんちょんと肩の服を引っ張られた。努が振り向くとエイミーが様子を伺うように細い尻尾を宙に彷徨さまよわせていた。



「わたしはみんなを避難させた方がいいかな?」

「……そうですね。お願いします」

「おっけー。うーん、でも警備団が避難勧告出すかなー? ……それじゃ、取り敢えずわたしのファンたちには先にお願いしておくね。そうすればある程度避難の流れを作れると思うから」



 そう言うとエイミーも駆け足で集団の中へ入っていき、すぐに知り合いや自分のファンなどを見つけて話しかけていった。エイミーには根強いファンがいるし顔も広い。彼女の言葉を聞き届けてくれる者は多いだろう。



「私は、どうすればいいだろうか」

「そうですね、民衆の方はエイミーに任せても大丈夫でしょう。ガルムは……他のクランへ警告をお願いしてもいいですか?」

「そうか。わかった」



 ガルムはアタッカーが優遇されタンクが不遇になってきた時代の中で、唯一タンク職であるにも関わらずアタッカーの中に入っていた者である。そのためガルムは同業者にはかなり名を知られているため、努は彼を他のクランへの警告係として向かわせた。



(……暴食龍の対策か、出来る限りのことをしないとな)



 努は事前に考えている対策も加味しつつ、今出来ることは何かを考えた。そして努は魔石換金所、森の薬屋、アルドレットクロウに向かって暴食龍対策の準備を施した。



 ――▽▽――



「それじゃあ、みんな! よろしくね!」

「はーい!」



 笑顔で手を振るエイミーに婦人と一緒の子供たちが嬉しそうに跳ねながらぶんぶんと手を振る。そしてエイミーはすぐに走って次の者を探し始めた。


 エイミーは民衆の集団をかき分けて自分の知り合いを見つけては、警備団の避難に協力してくれるようお願いをした。ファンの者は二つ返事ですぐにその情報を広め、知り合いの者たちも快く応じてくれていた。



「あ! おばちゃん! ちょっといい?」

「んん? なんだ、エイミーちゃんじゃないか。どうしたんだい?」

「ちょっと聞いて欲しいことがあるんだけど……」



 エイミーが強いモンスターが攻めてくるから避難した方がいいということを告げると、その小太りしたおばさんは困ったように片手を顎に当てた。



「そうなの~? でもうちの夫、迷宮マニアだからなぁ。私も警備の人の言うこと聞いた方がいいって言ってるのに、まるで聞かないのさ!」

「あぁ~。それは困っちゃうね~」

「そうでしょー? この前なんてさー」



 そうして十分ほどエイミーは世間話を続けて会話を盛り上げた後、また避難の話に戻ってある書類をポーチ型のマジックバッグから取り出した。



「これ、最新のダンジョンの情報が書かれたやつなんですけど、これを引き合いに何とか旦那さんを説得出来ないかな?」

「あら、そうなの? これならうちの旦那も言うこと聞くかもしれないね。でもいいのかい?」

「全然いいですよ! それじゃあお願いしますね!」



 そうエイミーは笑顔でそう言い残して駆け足で次の知り合いを探しに向かった。先ほどのおばさんは主婦の中でも顔が広くおしゃべりなので、間違いなく話を広めてくれる。だからエイミーは時間をかけてでも彼女にその情報を知らせたのだ。


 その後も顔の広い知り合いを中心にエイミーは避難のお願いをしていった。そしてそれを話した者たちからどんどんと情報が広まっていく。


 エイミーだけでは情報を広めることに限界があるが、そうやって人づてに情報が伝わっていけば拡散率は高くなる。それに避難のことを知り合いから聞くということに意味がある。知り合いから得た情報に加えて警備団に避難のお願いをされれば、避難に応じる可能性はぐっと上がるからだ。


 エイミーはそういった計算をしつつも民衆に混じって情報を発信していく。そしてエイミーを始めに人から人へ情報は伝わっていき、その集団は警備団の指示に合わせて避難を開始するだろう。エイミーの民衆に対する避難の根回しは上手くいっていた。



(こんなもんかな)



 エイミーは民衆の会話に避難やスタンピードに対する情報が増えてきたことを確認し、充分だと感じるとギルドの集団の方へと戻っていった。



「久しいな。ガルム。どうした?」



 一方ガルムはまずアルドレットクロウの集団に向かい、交流のあるビットマンと接触していた。ビットマンは久しぶりに会ったガルムを笑顔で迎えた。そんな彼とガルムは握手を交わした後、早速本題に入った。



「スタンピードについて警告しにきた。恐らく警備団から発表があるだろうが、今までのスタンピードと同じとは考えない方がいい」

「ほう」

「暴食龍、というモンスターがこちらに向かっているのだが、黒竜や雷竜よりも強いとのことだ。絶対に油断するな」

「……そうか。わかった。お前がそこまで言うのなら、私からルークさんに警告しておこう」

「感謝する」



 頭を下げたガルムにビットマンも顔を引き締めて真剣に言葉を返すと、きびきびと動いて行動し始めた。アルドレットクロウで一軍のタンクを務めているビットマンは、クランでの発言力が増して来ている。彼の発言をルークや他のクランメンバーは無下にはしないだろう。


 ガルムはビットマンに任せてアルドレットクロウの場所から抜けると、続けて紅魔団が集まっている場所へと向かった。


 紅魔団の集まりは大手クランの中でも一番規模が小さく、十数人程度の集まりだ。そこにガルムは入ると地面に座ってクロスボウを整備していたヴァイスに声をかけた。



「……何だ。紅魔団へ加入する気になったか?」

「それは以前も断っただろう。今回は警告しに来たのだ」

「……お前が来れば紅魔団は更に飛躍出来る。孤児院だって囲い込んでいい」

「くどいぞ」



 ガルムのにべもない様子にヴァイスは無表情で視線を落とした。だが次に会った時もヴァイスはガルムをクランに勧誘することは容易に想像出来た。その赤い瞳には諦めているような様子は見られないからだ。


 ガルムはギルドの仕事で六十一階層以降のダンジョンを探索することがあるのだが、そこで紅魔団と出くわすと必ず勧誘を受けていた。エイミーもアタッカーとして優秀な部類なので勧誘されてはいたが、明らかにガルムを勧誘する時のヴァイスの言葉には熱があった。


 ヴァイスは神のダンジョンが出来た当初からガルムと知り合っており、PTを組んだこともあった。そしてヴァイスはガルムとPTを組んでその腕を認めていて、いつかクランに誘おうと思っていた。


 だがヴァイスがクランへ勧誘しようとした頃にガルムは当時の大手クランに誘いを受け、加入してしまっていたのだ。その当時はまだ紅魔団は中堅クランだったため、ヴァイスは泣く泣くガルムの勧誘を諦めたのだ。


 だが今は違う。紅魔団は最大手クランとなり、ギルド職員となったガルムも幸運者で話題となった努とPTを組んでいて、火竜討伐後の新聞記事を見ると探索者に復帰する様子だった。なのでヴァイスは以前の反省を活かしてガルムをクランに引き込もうとすぐに勧誘していたのだが、悲しいことに断られていた。


 もしクランに入るとしてもガルムは既に入る場所を決めてしまっている。なので随分と大きくなったクランのリーダーであるヴァイスの勧誘は嬉しかったが、きちんと断っていた。



「警告しに来たのだ。スタンピードのことでな」

「……警告?」

「今回のスタンピードには気をつけた方がいい。暴食龍というモンスターが確認されていて、それはスタンピードの軍勢を食い尽くしてこちらへ向かっているとのことだ」

「……そうか。皆に伝えておこう」

「油断しないことだ。お前でも死ぬかもしれん」

「……殺せるものなら殺して欲しいものだ」



 ヴァイスはユニークスキルのせいで人間離れしてきた自分を蔑むように言いつつ、ガルムの言葉を真剣に受け止めてその警告を紅魔団に広めた。その後スタンピード戦のために集まっていた中堅クランやその他初級探索者などにもその情報を伝えた。


 しかし大半の者はその警告を表立って批判することはなかったが、内心では大げさだと嘲笑したり侮ることが多かった。それほどに貴族の障壁に対する信頼は大きい。その信頼を覆すことはガルムやヴァイスですら困難なものだった。


 だが貴族の障壁が破られるかもしれない、などとは表立って言えない。それはバーベンベルク家への侮りと見られて処罰を受ける可能性があるからだ。そういったことを言わず皆を説得するということは少し無理があった。



「……くそ」



 あまり成果が得られていないことを実感してしまっていたガルムは歯噛みした。

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