第72話 女王蜘蛛
三週間の訓練期間も残り四日となり二十九階層まで到達している四人PTは今日、沼の階層主に初めて挑むことになっていた。タンクの二人は自主練習を重ね少しずつだが実力をつけ始めている。アタッカーは相変わらずだが三十階層へ挑戦することに文句は言わなかった。
「あ、ステファニーさん。三十階層についてはステファニーさんが死にそうなった場合介入しますので、頑張って下さい」
「わかりましたわ」
努に青ポーションの入った透明な細瓶を五本渡されたステファニーは頷いた。青ポーションを渡し終えると努はそそくさと離れていく。
普通の階層ならばギルドへ帰還することの出来る黒門がPTごとに用意されているが、階層主のいる階層では帰還の門は存在しない。階層主を倒すか、探索者が全滅するか。その二つしか階層主の階層から脱出する術はない。
PTを組んでいる場合PTメンバーが一人でも黒門に入れば強制的に全員次の階層へ転移するので、努も三十階層に入ることになる。努は死にたくないのでステファニーがピンチになれば助けに入って階層主を倒す予定である。
離れた努を一瞥したステファニーは事前に考えてきた作戦を話し始めた。沼の階層主である女王蜘蛛(クイーンスパイダー)は草原、森の階層主と違い神のダンジョン特有のモンスターだ。女王蜘蛛は現時点では外のダンジョンで生息を確認されていない。
なので神のダンジョンで初めて見る者が多く、更に今までの階層主に比べると難易度が一気に上がる。蜘蛛糸での拘束攻撃に加え、その強大な牙で噛まれれば牙先から分泌する毒で身体をドロドロに溶かされて啜(すす)るように捕食される。いわゆる明確な即死攻撃を初めて使ってくる階層主である。
他にも天井に広がる巣に張り付くので遠距離攻撃手段がないと途端に厳しくなる。それに上に張り付かせたまま放置すると巨大な蜘蛛の巣を形成されて落とされ、全員動きを封じられて即死攻撃で全滅だ。周りの太い蜘蛛の糸を切って上の蜘蛛の巣を崩すことでそれは防げるが、遠距離攻撃手段がある方が攻略は楽である。
更に女王蜘蛛がピンチになると上空の巣から子の蜘蛛がわんさかと落ちてくるため、この子蜘蛛たちも素早く対処しなければならない。
その前提を話した上でステファニーはまずタンク二人にはコンバットクライをした後、蜘蛛糸での拘束を受けないように避けることを指示した。二人の装備はどちらも片手剣に手盾というシンプルなものだが、射出された蜘蛛の糸を手盾などで受けてしまえばすぐに拘束されてしまう。
「リガスさんとドルシアさんは少し離れながら二人一組で動いて下さいませ。そして蜘蛛糸は出来る限り避けて、もしどちらかが拘束されてしまったら助けてあげて下さい」
ステファニーはそう言いながらマジックバッグから火を起こす小さな魔道具を全員に渡した。女王蜘蛛の出す拘束糸はとても強靭で、手で引っ張っても全く切れない。刃物でも切れ味が悪いと切れないほどだ。
ただし斬撃に強い拘束糸も火には弱い。小さい火を近づけると女王蜘蛛の拘束糸は溶けるようになくなっていくため、そこを取っ掛りにすれば容易に脱出できる。そのため火の魔道具で拘束糸を燃やすことはかなり有効である。
しかしそれは特殊な糸で作られた巣には有効ではないので、あくまで拘束を解く際にしか使えない。ちなみに獣人の中でも燃えやすい毛質の者はこの方法を使うと大体尻尾が大惨事になるのでこの方法は使えない。
「それとしおり糸には常に気を配り、必ず斬るようにして下さい。私も斬るようにはしますが、手が空かない場合は見逃すこともあるかもしれませんので」
女王蜘蛛は探索者が黒門から転移してきた際、必ず上から降ってきて奇襲を仕掛けてくる。そしてその際にしおり糸というものを腹部の後ろから必ず出している。
このしおり糸は上の巣と繋がっていて、女王蜘蛛が危機を感じた時などにそのしおり糸を辿って素早く上の巣に逃げ帰るためにあるものだ。なので上の巣へ簡単に逃がさないようにそのしおり糸を斬ることは重要である。
その他にも壁に張り付いた時や上の巣に戻った時、更には地面にいる時もしおり糸を床に付着させ、奇抜な動きをすることもある。なので常にしおり糸に気を配ることはアタッカーの役目だ。
しかしアタッカーの者は先日のステファニーとのやり取りで完全に不貞腐れているようで、大して話を聞いていない様子だった。
(……しおり糸は私が気を配った方がいいですわね)
ステファニーはそう結論づけて話を進める。続いては子蜘蛛の処理だが、これはタンクに引き寄せてから一気に殲滅することが安定するだろうとステファニーは考えている。
「それと子蜘蛛についてはタンクの二人に任せます。指示を出すのでコンバットクライをお願いしますわ」
「はい」
「はい!」
上擦った声を上げるリガスにあまり感情が読めないような声質のドルシアは、ステファニーの言葉に答えた。
「あとは……取り敢えず最初の奇襲は私が受け持ちます。その後のことはやって覚えましょう。一度で突破出来るとは思っておりません。ですがこの四日間、何度も挑めば必ず倒せるはずですわ」
「……はい」
「では、行きますわよ」
そしてステファニーを先頭に黒門が開き、努を含めた五人は三十階層へと転移した。
五人が転移した先は薄暗い洞窟のような場所だ。ごつごつとした岩の地面は薄白く発光していて光源となっている。壁も白く発光はしているが蜘蛛の糸が無数に張り付いていて光が薄く、その上には大きい蜘蛛の巣が形成されていた。
そしてその蜘蛛の巣の上に潜んでいる女王蜘蛛は、八つの単眼を不気味に赤く光らせながらもゆっくりと近づいていく。音もなく探索者へ近づく巨体の女王蜘蛛。そして一定距離まで近づくと素早く飛びかかった。
「エアブレイズ」
初見ならば必ずここで一人が餌食になる奇襲だが、ステファニーは既に経験済みである。女王蜘蛛の奇襲に合わせて風の刃を放って迎撃し、女王蜘蛛は体勢を崩しながら地に落ちた。
地にひっくり返ってバタついている全体的に真っ白な女王蜘蛛にアタッカーの者が双剣を抜いて飛びかかる。だが腹部の先にある出糸突起から糸の塊が発射され、アタッカーの男はそれに捉えられて壁に貼り付けられた。
「プロテク、リガスさん、あの人の拘束を解いてあげてください。ドルシアさんはコンバットクライを!」
「は、はい!」
「コンバットクライ」
リガスが壁に叩きつけられてぐったりしているアタッカーへ近づき、ドルシアは女王蜘蛛にコンバットクライを放った。赤の闘気を受けた女王蜘蛛は身を起こすと素早く八本の脚を動かしてドルシアに這い寄った。
二列に並んだ赤い八つの目は獲物の様子を見るようにドルシアを見つめている。鎌状の牙からは涎のようにだらだらと無色の毒液が溢れ、地面に落ちた毒液は水が蒸発するような音を立てて岩を溶かしている。ドルシアがその光景に息を飲んだ瞬間に女王蜘蛛は動いた。
前脚で追い詰めるようににじり寄ってくる女王蜘蛛にドルシアは赤く上気した顔をしながらも、何とか突き刺すような一つの前脚を避ける。そしてもう一本の前脚に弾き飛ばされて壁にぶつかった。
壁の蜘蛛糸は粘性のあるねっとりとした蜘蛛糸で、この糸は力ずくで抜けることが正攻法である。ドルシアは何とか抜けようとするが既に女王蜘蛛は目の前だった。
「あ……あ……」
女王蜘蛛の牙が迫る光景をドルシアは壊れた機械のような声を上げながら見ることしか出来なかった。
「エアブレイド」
その横合いからステファニーのエアブレイドが女王蜘蛛に飛ぶ。しかしそれを察知していた女王蜘蛛はしおり糸を引き寄せて風の刃を上に避けた。
「リガスさん! 次はこっちをお願いしますわ! それが終わったらコンバットクライです!」
ステファニーは指示を飛ばした後にエアブレイドで上の巣に戻った女王蜘蛛に牽制する。しかし女王蜘蛛はそれを嘲笑うように軽やかな動きでエアブレイドを避けていく。
その間に壁へ張り付いたドルシアをリガスが力ずくで引き剥がし、エアブレイドを避け続けている女王蜘蛛にリガスがコンバットクライを飛ばした。
「ヒール。ドルシアさん! リガスさんの援護へ!」
女王蜘蛛がリガスへ向かって降り立ったことを確認したステファニーは、壁にぶつかり頭から血を流しているアタッカーへヒールを飛ばす。そしてドルシアは大分息を乱しながらも指示を聞いてリガスの援護へ向かった。
アタッカーの男は舌打ちを漏らしながらも女王蜘蛛へと近づいた。そして最大の弱点である腹部を狙おうとするも、女王蜘蛛に後ろ脚で蹴飛ばされた。
女王蜘蛛は腹部が柔らかい上にそこを攻撃できれば致命的な傷を負わせることが出来る。狙えるのならば真っ先に狙うべき場所ではあるが、自身の弱点を女王蜘蛛は把握している。なので腹部攻撃への警戒はかなり強い。
その後もアタッカーの者は腹部を狙い続けたが、後ろ脚であしらわれたり糸を飛ばされて動きを封じられていた。ステファニーは前脚での刺突を腹に受けて呻いているリガスにヒールを飛ばす。
「腹はまだ無理です! 先に足から!」
「……っせぇな。わかってんだよ」
アタッカーの男はイラついたようにぶつぶつ言いながらも後ろ脚を集中的に狙い始めた。女王蜘蛛は攻撃力が高い分防御力はかなり低い。なのでアタッカーが仕事を出来ればすぐに倒せるような階層主でもある。
しかしアタッカーは苛立っているのかいつもよりも動きが悪く、後ろ脚を切断できずにいた。ステファニーは前脚の鋭い刺突を受けているタンク二人にヒールを飛ばす。
二人のVITが高いおかげで打撲で済んでいるが、頭や顔面にその刺突を受けた途端に死が見えてくる。もうタンク二人は何度かクリティカル攻撃を受けて死にかけているため、ステファニーは目が離せず攻撃には加われなかった。
ステファニーは死にかけているタンク二人にハイヒールを送るが、クリティカル攻撃を連続で受けているためすぐに瀕死状態になる。そしてヒールを繰り返しているステファニーに女王蜘蛛は赤の目をぎょろりと動かして素早く近寄った。
細長い前脚での刺突。ステファニーはステップしながら前脚を避けていると、女王蜘蛛が上顎をがばりと上げた。そして牙先から毒液が射出。ステファニーはそれを片腕に受けてしまった。
「あっ、ぐぅぅぅぅぅぅ!!」
身体に直接牙を刺されて毒を注入されない限りは骨まで溶かされないものの、その毒はVITの恩賜があっても肌を溶かすくらいの毒性を秘めている。ステファニーの右腕に付けていたロンググローブは毒液を受けて溶け、その下の腕は焼け爛れたように真っ赤になった。
しかしこの程度でステファニーは動きを止めはしない。白魔道士として何百回と死を遂げてきた彼女は震える右腕で細い杖先を動かしてタンク二人へプロテクをかけた。
「コンバットクライ!」
タンクの二人も回復を終えてコンバットクライを何度か女王蜘蛛に放ってヘイトを稼ぎ、ステファニーから女王蜘蛛を遠ざける。ステファニーはその間に爛れた腕をヒールで癒し、ふらつく思考の中で青ポーションを取って半分口にした。
「おらあぁぁぁ!!」
そしてようやくアタッカーの男が女王蜘蛛の後ろ脚を一つ切り飛ばした。ボトリと後ろ脚の先が落ちる。しかし女王蜘蛛は全く意に返さずアタッカーに糸を浴びせ、タンク二人を集中的に攻撃する。
そしてリガスが頭を前脚で叩かれるように殴られ、地面に額を強く打って伏してしまった。ドルシアも横に振られた前脚で吹き飛ばされ、壁の蜘蛛糸に捉えられてしまう。
地面に伏したリガスの頭を女王蜘蛛は前脚二つで器用に掴み、その首筋に牙を突き立てた。
「エアブレイド!」
ステファニーがエアブレイドを飛ばすも、女王蜘蛛はリガスを咥えたまましおり糸を引き寄せ上の巣へ戻っていった。
肉を溶かす毒液が牙から送り込まれて首の肉が溶け、その解けた肉を女王蜘蛛は血と一緒に啜(すす)り始める。そしてリガスは全身の体液を全て吸い取られ、その亡骸は下に捨てられた。黒い鎧や装備だけが無機質な音を立てて地面に落ちる。鎧の中にある干からびた亡骸は光の粒子となって消えていった。
「レイズ」
ステファニーがレイズを唱えると光の粒子が地面に集まり始め、亜麻色の服を着たリガスが蘇生された。そして強烈な殺意がステファニーに突き刺さる。
「プロテク、早く装備を着て! その後はドルシアさん助けて!」
「は、はい!」
余裕のないステファニーにそう指示を受け、復活したリガスは慌ただしく動いて転びかけながらも落ちた装備の元に向かった。ステファニーは落ちてきた女王蜘蛛を見上げる。その七本の脚でステファニーを踏み潰さんと女王蜘蛛は近づいてきた。
ステファニーはその可憐な見た目とは裏腹にキレのある動きで女王蜘蛛の脚先を避け、エアブレイズを飛ばす。腹に当たれば致命傷を負わせられるエアブレイズを女王蜘蛛は身を低くして避けた。
壁にひっついてしおり糸を壁に付着させ、女王蜘蛛は振り子のように動いてステファニーへ襲いかかる。ステファニーは鞭のように振られた前脚をしゃがんで避け、エアブレイドでしおり糸を斬った。しかし女王蜘蛛は少しバランスを崩したものの地面へ着地した。
「コンバットクライ!」
何度かコンバットクライが放たれるものの女王蜘蛛はタンクを気にも留めない。ステファニーを殺そうと針のような前脚を振るい、上空からの奇襲をしかけていく。ステファニーは命からがらそれを避けていく。
そして何度か放たれたドルシアのコンバットクライでようやく女王蜘蛛はステファニーから離れ、ドルシアを狙い始める。しかしプロテクを付与されていなかったドルシアは頭に前足を受けて昏倒。先ほどのリガスと同じように牙で噛まれ、溶かされて死んでしまった。
「この――」
アタッカーの者が力任せに双剣を振るうも女王蜘蛛は察知して上に飛んで避け、そのまま押し潰す。その後アタッカーの頭めがけて何度も鋭い後ろ脚が振り下ろされる。後ろ脚が振り下ろされる度にアタッカーの身体が跳ね、最後には粒子化した。
「レイズ、レイズ」
杖先を向けてレイズを二回唱えたステファニーはずんと重くなった頭を押さえ、青ポーションを飲もうとした。しかし前から飛んできた糸の塊によって拘束されてしまい、壁に縫い付けられてしまった。
「ステファニーさん!」
リガスがステファニーの方を振り向くが女王蜘蛛は彼に目を向けず走り、飛びかかる。ステファニーが縫い付けられている壁に脚を付け、その毒に濡れた牙が彼女に迫った。
「ホーリーウイング」
フライを使い上空で待機していた努が尖った白い羽根の群を飛ばすと、その空気の振動を聴毛で感じ取った女王蜘蛛はそれを避ける。
その後は努の加わったPTですんなりと女王蜘蛛を倒した。しかしそれは努がアタッカーを務めたから勝利できただけなので、ステファニーは浮かない顔で粒子の広がる洞窟の中考え込んでいる。
(……取り入れられるところは取り入れていかないと。あとはタンクのお二人と、アタッカーですわね。……気が重いですわ)
ステファニーは勝利したにも関わらず暗い顔をしている三人のPTメンバーを見て、疲れたように伸びをした後にギルドに帰還する黒門を潜った。
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