第36話 続々と
努が森の薬屋に入りカウンターのベルを鳴らすと、杖をついたエルフのお婆さんが奥から現れる。努の顔を確認した彼女はにっこりと顔を綻ばせた。
「こんにちは」
「おやおや、話題の新人さんがおいでなすったね?」
机に置かれている探索者マニアの講評が書いてある新聞を手に取ったお婆さんは嬉しそうに笑う。努はお婆さんに満面の笑みでVサインを返した後にマジックバッグを床へ下ろした。
「朝から外が馬鹿みたいに五月蝿かったからね。私も店から見てたんだよ。ガルムとカミーユも凄かったけど、ツトムも凄かったじゃないか! ぽんぽん飛ばしてたのはスキルだろう? とんでもないことするね!」
「ありがとうございます」
まるで我が子を褒めるかのようなお婆さんの物言いに努は嬉しそうにはにかんだ。お婆さんは椅子に腰掛けた後も努を褒めちぎる。努がいやいやと謙遜しつつもお婆さんの言葉を聞いていると、彼女は言葉を止めて息をついた。
「……でもエイミーは可哀想だねぇ。あの騒動がなけりゃ、ツトムと一緒に火竜を突破できたろうに」
「そうですね。今度はエイミーさんも連れていこうと思います」
「おやまぁ、とんでもない子だねあんたは!」
努の物言いに驚いたようにお婆さんは椅子に寄りかかった。そのお婆さんの言葉の真意がわからなかった努は取り敢えず笑って誤魔化した。
「それでは、今日も青ポーションをお願いしてもいいですかね?」
「あぁ、それがねぇ。ツトムの影響か青ポーションもみんな買い占められちゃってね。もうないんだよ」
「あー……そうですか」
それを少し予想していた努はがっくりと肩を落とした。火竜攻略の際に努は青ポーションを使用しているところは見られていたので、先んじて買い占める者がいるかもしれないと彼は少し予感していた。
勝利に浮かれてないで昨日のうちに早く買っておけばよかったと努が後悔していると、お婆さんは魔女のような笑い声を上げながらカウンターの下へ潜った。そして引っ張り出されたのは青ポーションのたっぷり入った大きい瓶だった。
「ほら、ちゃんとツトムの分は残してあるよ。あんたは以前の値段でいいさね。ひっひっひっ」
「うわ、凄い悪い顔してる」
「ツトムの活躍は私も直接見ていたしねぇ。絶対青ポーションを買い占めに来ると思ったから、値段を吊り上げといたのさ。一儲け出来たさね」
「それは良かったですね」
「まぁ、もう金なんざいらないんだけどねぇ。最近弟子の方がようやく出来そうだから、そいつに使ってやるくらいかね」
「へぇ。弟子ですか? 僕も探索者引退したら志願しようかな」
おちゃらけたように言う努にお婆さんは目を丸くした後に引き笑いした。
「残念ながらわたしゃエルフにしかポーションの製法を教えられないんだ。あんたがエルフだったら大歓迎なんだがねぇ? まず百五十年ポーション作りに励んでもらうことになるがね」
「やー、それは残念です。あ、これ代金です。火と風の魔石もどうぞ」
三十万Gと五十万G分の魔石を渡して努はその大きい瓶をスライムの緩衝材で包み始める。そしてお婆さんは代金を受け取りながらも申し訳なさげに眉を下げた。
「ただ次回からは青ポーションは値上げするよ。それに売れ行きもいいから朝から並んでもらわないと売り切れちまうから気をつけてね」
「うげー、そうですか」
大手クランは勿論、転売屋なども朝早くから並ぶので早起きしなければ森の薬屋のポーションを購入するのは難しい。面倒くさそうに顔を顰(しか)めながら瓶をマジックバッグに仕舞った努にお婆さんは顔を上げる。
「まぁでも、弟子の方がそろそろ仕上がる頃だからね。回復の質は私より数段落ちるだろうけど、私のレシピだ。他のポーション屋よりかはマシなポーションなら多く生産出来るようになる。それまではそれで繋いどくれよ」
「そうですか。大事にします。本当にありがとうございました」
「いいよぉ。ツトムと私の仲じゃないか!」
「……はい。これからもよろしくお願いします」
幸運者と言われ続けた時も、ソリット社での捏造記事の時でも変わらない態度を一貫してくれたエルフのお婆さん。努はその優しさに救われていた。
たとえお婆さんがポーションを作れなくなろうとも顔を出そうと努は決意しつつ、深くお辞儀をした後に森の薬屋から退出した。
それからはポーションを入れる衝撃に強い細瓶をまた作ってもらうために努はガラス用品を扱っている店へ向かい、その細瓶を五つほど注文した。
ポーション、特に森の薬屋のポーションはとても貴重なので瓶が割れて中身を失うことを努は嫌い、ポーションの容れ物には人一倍こだわっていた。普通の瓶では不意の衝撃で割れてしまうので彼はどうにか衝撃に強い細瓶はないかと職人へ交渉し、少なくない
しかしその細瓶を作成するにはモンスターの素材と職人の技術がいり、モンスター素材の買受から素材を加工し生産するまでは七日ほどかかる。なので努は代わりに店で売られているそこそこの値段がする細瓶を買っておいた。これには森の薬屋以外のポーションを入れる予定だ。
その後は火竜の攻撃により所々破れてしまった赤糸の火装束も努は修繕をするため店へ向かう。次の階層は火山。そこでドロップする宝箱から上位互換の装備は取れるのだが、それまでの繋ぎとして火装束は有用だ。
探索者用の丈夫な衣服や革鎧などを主に取り扱っている店に努は入り、火装束の修繕を依頼する。その時に努はこの店の親方である丸々としたドワーフの男性に謝罪を受けた。自分が素材の品定めに出ていた際に売れていた赤糸の火装束三着。そして努から受け取った大魔石十五個。そのうちの六個を隠していて挙動不審だった少年を問い詰めた結果、事が知れたのだという。
奥から連れられてきた少年もどうやら親方にこっ酷く叱られたらしく、骨格が変わっているかと錯覚するほどに顔面を腫れ上がらせて青あざをいくつも作っていた。蜂(はち)にでも刺された顔で涙ながら謝罪する少年に努は流石にいたたまれなくなった。
「ごめんね。これで治療院に行っておいで」
努は泣いて謝る少年を慰めながらその手に最高品質の中魔石を握らせた。骨などが折れている場合は正常な位置に繋ぎ直してから治療しなければならないので、人体の知識を持っている回復スキル持ちが所属している治療院で治療しなければ逆に悪化させてしまう危険がある。
ダンジョン内ならば最悪変な繋ぎ方をしてしまっても帰れば正常に戻るので問題ないが、ダンジョン外では違う。努は文系の大学で生物学を履修していたので人体に関する知識は人並みよりあるが、顔の骨を繋ぎ合わせた経験などは勿論ない。
少年の顔骨は折れている様子がなく腫れているだけだと努は思ったが、念のため治療院に行かせるように勧めた。親方が弟子の不始末と遠慮するものの、ここまで度の過ぎた制裁を加えられるのは彼も良しとしていなかった。
ぼったくったと言っても大魔石六個ならば準備予算内だったので努からすれば大して痛くない出費だった。自分が損害を被(こうむ)ったと感じてもいないのにあそこまで少年が痛めつけられているのは、努としても心苦しかった。
親方に少年を責めてやらないでくれとお願いした努は、火装束の修繕代金を前払いしてすぐ店を出た。それから努はガルムの破損した装備を鍛冶屋で潰して貰ってから売った後に装備を補充したり、自分の服をクリーニングへ出しにいったりした。
そうこうしている間に昼も大分過ぎたので努は屋台で焼き物を買って立ち食いしつつも、攻略階層順に並ぶ一番台から十番台を流し見した。巨大モニターの一番台には紅魔団が久しく映っている。
努が売却した黒杖を持っているアルマという黒魔道士と、紅の魔剣士という二つ名を持つ火系のスキルを好んで使う剣士の男。その二人が中心的なクランの五人PTは六十一階層の火山を探索中だった。努たち三人PTが火竜を攻略したことで話題が一気にそちらに向いてしまい、紅魔団は休止していた活動を再開せざるを得ない状況に陥っていた。
幸いにも火竜攻略に使った費用と黒杖購入分のGは稼いだものの、まだまだ彼らは新聞社からのインタビューで食っていくつもりだった。それを下から横取りされる形となり、特に黒魔道士のアルマは努たちを邪魔者だと思っていた。
続いてアルドレットクロウ。金色の調べと続き、後は中堅クランが四番台以降に映っている。十番台に先日知り合ったシルバービーストを見つけて努はにっこりしつつも魔石換金所へと向かった。
そろそろ子供がおやつをせがむ時間となり魔石換金所はガランとしていた。基本的に朝か夜に利用する客が多いので、朝に魔石換金を受け付けた場合は昼過ぎから夕方頃に換金するという流れが多い。稀に忙しい場合は翌日換金することになるがそれは滅多にない。
虫眼鏡を持ってせっせと魔石を鑑定している少女に努が話しかけると、彼女は階層主と対面するような面持ちで返事をした。そして奥へ潜って袋にどっさりと入ったGを鉄机に置き、木製のカウンターに薄い敷物を敷いた。
「屑と小魔石の鑑定証はこれね」
「……はい。大丈夫です」
「そう。それじゃあ次は無色の大魔石ね。全部で十三個。低が十、中が三。合計で百万G」
「問題ないです」
とんとんと交渉が進み二枚の鑑定証を受け取った努は顔に貼り付けたような微笑のまま、袋に入ったGを受け取ってマジックバッグへ収納する。ドワーフの少女は次に雷魔石をカウンターに出しつつ、鉄机の上にある鑑定証を手繰り寄せた。
「雷魔石の小は七つとも中品質。中八個は中品質五個に高品質が三個だ」
「……小は全部中品質ですか」
「私の鑑定スキル不足じゃなければ合ってるはず。レベル四だしそこは信用してよ」
少女は事前に用意していたギルドから発行されているスキルレベルの保証書を取り出して努へ見せた。その鑑定レベルは努の黒杖を鑑定してレベルを上げたエイミーより一つ高い。
ドワーフの少女は幼少から魔石を中心に様々な物に触れ、その物の価値を見出してきた。十六という若さでの鑑定レベル四は類い稀な才能と弛まぬ努力によって得た実績である。
「それで、いくらです?」
「小は七万G。中は二百五十万G」
「……そうですか」
全部で二百万Gくらいと予想していた努は微笑を絶やさずにただ呟いた。しばらく悩む振りをしてみようとも彼は思ったが、それは火の大魔石に取っておこうと考えて彼はその値段で了承した。
ホッとしたように息を吐いた少女は雷魔石をカウンターから奥のクッションが敷かれた容れ物に入れて、Gの入った袋を努へ差し出した。ずっしりとした袋を努はマジックバッグに仕舞う。
「それじゃ、火の大魔石ね。よっと」
努の顔の倍はある炎の大魔石を少女は両手で軽々と取り出してカウンターへそっと置いた。日を反射する火の魔石は宝石のように輝いている。少女がすぐに鑑定証を取り出した。
「火の大魔石は恐らく最高品質だ。七百万G出すよ」
「…………」
その金額に度肝を抜かれた努は思わず無表情になって黙り込む。ガルム、カミーユの予想は四百万ほどで、努もそれと変わらない予想金額だった。真意を探るように努は少女をじっと見つめる。物でも見定めるような努の視線に少女は後ずさりして背後にある椅子に足を突っかけたが、それを誤魔化すようにすぐ腰へ両手を当てた。
「ふふん」
「……逆に怪しいんですけど」
したり顔の少女に努が緊張した空気を霧散させる。紅魔団が売った火竜討伐の際にドロップした赤の大魔石がおよそ五百万Gの売値がついていた。品質が最高品質と仮定してもそこまでの価値があるとは努には思えなかった。
「鍛冶場で働いてる私の爺ちゃんが多分欲しがるからね。これはどうしても自分で確保してプレゼントしたいの。だから、ね? お願い!」
「……うーん」
明らかに金にがめついこの少女が果たして家族のために身銭(みぜに)を切ってまで火の魔石を購入するだろうか。そんなことを考えて腕を組んだ努に追撃するように少女は声をかける。
「爺ちゃんを喜ばせてあげたいの!」
「はぁ」
「私今まで我が儘だったからさ! せめてもの恩返しをしてあげたいの!」
「……なんか胡散臭くなってきましたね」
「ちょっ!? 鍛冶場じゃ強力な火力と温度が必要になるから、そのために火の魔石はおっきくて質がいいほどいいの! だからこの魔石は鍛冶場の人は喉から手が出るくらい欲しい物なの! 温度を上げられればその分加工できる物が増えるし、今も加工出来ない素材はいっぱいあるからね!」
「あぁ、なるほど。それなら気兼ねなく売れますね。最初からそう言ってくれればいいのに」
「…………」
安心したように鑑定証を受け取った努に少女は少し呆然とした後、ばっと火の大魔石を両手で抱えた。
「やった! これで爺ちゃんも私を認めてくれる! ありがと! 大好きー!」
カウンターにGを置いた少女は赤魔石に笑顔でキスをし始めた。薄目を開いて変人を見る目をした努はマジックバッグに大量のGを収納した後にギルドでそれを預金し、メモを見ながらギルド宿舎へと向かった。
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