第26話 龍化の代償

「ヒール、ヘイスト」



 ガルムの脇腹へヒールを飛ばしオークの殴打で出来た打撲を癒し、大剣を振りかぶっているカミーユにヘイストの効果時間が切れる寸前に重ねがけする。地面に転がる数十の無色魔石を眺めながら、努はフライで浮かびながら空から戦況を見守っていた。


 ゲームでは見下ろすような第三者視点だったので、フライを制御出来るようになった今努はこちらの方が的確に指示を出しやすい。ワイバーンなどの飛行系モンスターがいる場合は使えないが、いない場合は空から支援した方がいいと彼は考えて実行していた。


 懐中時計を見て一時間近く続けて戦いっぱなしだということに努はげんなりしつつ、ようやく収まりを見せたモンスターの群れを見て重いため息を吐いた。


 帯電羊(チャージシープ)を狩って価値の高い雷魔石を手に入れて黒門まですぐに見つけられた。運が向いてきたと努が黒門を潜った先は崖際で、更にオークの団体がかなり近くにいた。弓、蛮刀などの装備がわかるほどの近場。すぐに戦闘は始まった。


 オーク六匹と戦っている間に近接戦闘が得意なカンガルーのような見た目のカンフガルー、ワイバーンなども群れで乱入。崖際は危険だったので場所を変えつつ戦闘を続け、その後またオークの集団が乱入してきて努はてんやわんやしていた。


 ガルムは多く攻撃を受け銀鎧の上半身は半壊。大盾もヘコみワイバーンの刺がいくつも刺さっている。カミーユは装備の損傷はあまりないが龍化が切れた途端に疲れが見え始め、大剣の勢いが大分落ちているように見えた。


 ようやく最後のオークが倒れて魔石になったのを確認すると、ガルムとカミーユは地面に座り込んだ。努もするすると彼らの頭上から降りてくる。


 やはり大勢のモンスター相手に三人では厳しいなと、努はPTの人数不足を実感する。ここまで多いとガルム一人では絶対に処理出来ないので、努やカミーユもある程度モンスターを受け持たなければならなくなる。


 せめてあともう一人タンクかアタッカーがいればと、努はエイミーを幻視しながら歯噛みする。もう一人いればこれより多いモンスターを相手にも上手く戦況を回せる自信が彼にはあった。尤もエイミーがもし在籍していたならばカミーユがいないことになるので大して変わりはないのだが。



(エイミーさん、大丈夫かな)



 エイミーはあの記事が出た朝に単身でソリット本社に乗り込み、警備団に捕まったと努はガルムに聞かされている。そしてそのエイミーの乗り込みが自分の指示だとソリット社に報じられていて、努は呆れて笑いも出なかった。


 釈放されるまでは面談も出来ないと言われて努は心配になったが、ソリット社の記事からして本社はエイミーを訴えてはいないようだった。警備団からも何故かお咎めがなく副ギルド長からもそう報告を受け、エイミーはそろそろ釈放されるだろうと話していた。



(あの人も大変そうだなぁ)



 地面へ伏している二人にタオルをかけつつ魔石を回収していく努は、副ギルド長のことを思い出していた。副ギルド長は日本人のくたびれたサラリーマンを思わせる風貌で、やたら腰が低い中年男性だ。今は突然ギルド長の業務を委任され、元々の副ギルド長の事務作業も相まって忙殺される勢いで駆けずり回っている。


 最近はふっくらとしていた頬が何処か痩せこけているように見えて、努は副ギルド長がいつ倒れるかヒヤヒヤしていた。最近事務の方は後任の者に任せているので余裕は出てきたが、ソリット社との記事修正の件についてはあまり進展はないらしい。


 迷宮都市を治めている貴族にダンジョンに関する新聞を発行することの出来る権利を授けられている新聞社は三つ。その中でもソリット社は一番最初にその権利を獲得し、後ろの新聞社の追従もほぼ受けていないので現状は寡占状態である。


 そのため新聞発行はもちろん印刷代行、街の行事などでの利益は莫大で民衆への影響力も高く、大手クランの探索者や人気の探索者たちとの繋がりも深い。最初は対等であったギルドとも今では名ばかりで、ソリット社の方が立場が上になりつつある。


 なので記事修正交渉にもソリット社は強気で、エイミーに関しての記事はまだしも、幸運者(ラッキーボーイ)に関しての修正については首を縦に振らない。ソリット社は今まで記事内容の誤字修正などで訂正は何度か行ってきたが、記事内容を修正してお詫びまでしたことはほとんどない。


 それに記事内容を訂正するとしても人気探索者ならまだしも、運が強くたまたまシェルクラブを突破しただけの幸運者に対して謝罪と賠償をすることなどソリット社には出来ない。その謝罪は他の新聞社に付け入る隙を作ってしまうし、勿論新聞社トップとしてのプライドもあった


 それに今はエイミーの襲撃事件のことを逆に追及されていると、努は副ギルド長から報告を受けていた。流石に可哀想になってきたので努がカミーユ返しましょうかと尋ねると、副ギルド長にむしろ預かっていてくれと彼は頭を下げられた。どうやらカミーユも以前なにかやらかしたらしく、あいつエイミーと大して変わらないんじゃないかと努は思った。



(ま、火竜狩ったら交渉も多少は進展するでしょ。三人で火竜突破したPTの情報を他の新聞社に独占されたくないだろうし)



 三人での火竜初見突破でもしたら自分の評価も流石に上がるだろうと努は見込んでいる。なので火竜狩りは出来れば一度で成功させたい。そしてそれを実現させるために今は反省会だと、努は魔石を回収し終わると二人に声をかけた。



「お疲れ様です。……大丈夫ですか?」

「あぁ……」



 頭にかけられたタオルをそのままに俯せでいるカミーユ。赤い長髪の束が汗でいくつか首元に張り付き、まだ息は荒れていた。ここまで疲弊しているカミーユを努は初めて見たので驚きつつも話を続ける。



「周辺のモンスターは大体倒したと思います。今日はもう撤退したいんですけど、自分初めの黒門の場所もう覚えてないんですよね……」



 黒門から出てすぐに戦闘が始まりかなり移動してしまったので、初めの黒門の位置を努は見失っていた。



「取り敢えずセーフポイントを探した方がいいですよね?」

「あぁ……。そうだな……」

「ちょっと僕探してきますね。ガルム! 僕はセーフポイント探してきます! バッグ置いておくのでモンスター来たらポーション使っちゃって下さい!」

「私も……」

「いいですよ。一人で探してきます。以前の打ち合わせと配信でセーフポイントの特徴は確認してるので」



 背中からマジックバッグを下ろした努の手を掴んでカミーユも立とうとしたが、努がそれを宥めた。努に触れている手は大分火照っていて汗ばんでいた。


 努は比較的元気なガルムにその場を任せ、宙に浮かんで速い速度で飛んでいく。そして不幸中の幸いかすぐ近くにセーフポイントの特徴に酷似(こくじ)している、崖の途中に空いている洞窟を見つけた。底の浅い洞窟にはなにもいなかったので努はすぐに戻った。


 ガルムは黙って腕を組んで努のマジックバッグを背負って立ち、地面にはまだカミーユが俯せに寝転んでいた。努がセーフポイントを見つけたと早口で言うとガルムは頷いた後に口を開いた。



「カミーユさんの意識がもうあまりない」

「えっ!?」



 淡々と口にするガルムの言葉に驚きながら努は倒れているカミーユを見た。先ほどよりも大分息が荒く、頬も異常なほど真っ赤だった。



「急いでセーフポイントに運びましょう!」

「……了解した」



 少し歯切れの悪い返事をしたガルムに努は少し違和感を覚えつつも、異常なほど熱のこもっているカミーユを背負った。急いでセーフポイントの洞窟に向かい、到着するとすぐに地面へ下ろす。努はスライムマットを地面に敷いてそこへ再びカミーユを寝かせた。そして頭の方のマットを丸めて枕替わりにして彼女の頭を浮かせる。


 カミーユは憔悴(しょうすい)しもう意識さえ失っていた。彼女の異常な身体の熱さと発汗は龍化が原因なのか。しかし何度も龍化を見てきたが起き上がれないほどの異常は今までなかったと努は考えつつも、一先ず彼女にヒールとメディックをかけた。そして尋常ではない熱さの身体を冷やすためタオルと木の桶、飲料水を生み出す魔道具をマジックバッグから出した。


 無色の魔石を魔道具に入れて桶に水を貯める。そして努が冷えた飲み物が飲みたいという理由で買った、外のダンジョンでしか採取出来ないという高価な氷魔石を使った棒状の魔道具。まだ使っていなくてよかったと努はそれで水をかき回して冷やし、赤の革鎧を少し緩めて絞ったタオルで額や首、脇や太ももなどを冷やしていく。



「ガルム。これで扇いでくれる?」

「あぁ」



 眉を少し顰(しか)めてその様子を見守っていたガルムに努は扇子を渡してカミーユを扇がせた。そして努は正座して隣に座りながらカミーユの体温を見て、タオルを水に沈めて絞っては取り替えてヒールとメディックをかけていく。


 努は青ポーションを口にしながら十五分ほどそれを続けていると、カミーユの体温は正常に戻り始めて息も整い始めた。そのことに一安心した努は汗でずぶ濡れになっているカミーユをタオルで拭いた。



「取り敢えず落ち着いたようですね。良かったです」

「……そうだな」



 努の使った魔道具を見てガルムは何か言いたげな表情をしていたが、努の安心したような笑顔を見るとその表情を緩めた。そしてしばらくするとカミーユが身じろぎしながら意識を取り戻し始めた。



「………ぁ」

「あ、起きましたね。水飲めます?」



 うっすらと目を開けたカミーユに努は声をかけ、冷えた水をコップに注いでカミーユの唇にそっと当てた。少しずつ傾けると彼女はそれをこくこくと飲み始める。


 段々と意識がはっきりとしてきたのかカミーユの目は徐々に開いていき、身体にも力が入ってきているように見える。努はコップにまた水を注ぐとカミーユに差し出した。



「もう自分で飲めます?」

「……飲めそうもないな。悪いが飲ませてくれ」

「はい、どうぞ」



 コップをカミーユの口元にゆっくり近づけさせる努。彼女は微かに笑いながら首を振った。



「そこは口移しだろ?」

「…………」

「つれないなぁ」



 心配して損したと言いたげな目をしている努からコップを受け取ったカミーユは、身体を起こしてそれをゆっくりと飲み始めた。



「ちょ、前隠して前!」

「ん? あぁ。でも努が脱がしたんだろ?」



 カミーユが身を起こすと緩んでいた赤い革鎧が脱げて、緩やかな膨らみをはっきりと形取っている黒いインナーが露わになる。革鎧を着直したカミーユは後ろを向いた努に悪戯げな笑みを向ける。



「いつもは私の背中に情熱的な視線を向けてくるじゃないか。ん?」

「あぁ。龍化で生えた翼が消えた後はどうなってるのかなぁと思いまして」

「……それは秘密だ」



 むふー、と水を飲み干したカミーユに塩飴とおかわりの水を努は渡す。塩飴を口へ放り込んで美味しそうに飴を転がすカミーユ。ガルムにも努はそれらを渡すと彼は黒い尻尾を左右に揺らした。



「取り敢えず、体調は大丈夫ですか?」

「あぁ。てっきり死んだかと思っ……」



 カミーユは塩飴を噛み砕きながら周りを見回してマットの上にあるいくつかの空瓶と、今も稼働している氷魔石の入った棒状の魔道具を見て言葉を止めた。



「氷魔石の魔道具……。それにポーションまで……。一体何をしているのだ」

「へ?」



 目を切れ長に細めて努を見据えたカミーユは少し怒気の含んだ言葉を口にする。努はマジックバッグを整理しながらポカンとした。



「あのまま死なせて装備さえ回収してくれればよかったのだ。勿体無いではないか」

「……あぁ。なるほど」



 カミーユの言葉の意味の理解が遅れた努は少し黙った後に納得した。要するにあの状態のまま見殺しにして装備を回収して帰還すれば、氷魔石やポーションを消費する必要はなかったということだ。



「ガルムもそう思う?」

「……あぁ」



 努の行動を見ていたガルムは静かに頷く。もし自分がカミーユの立場だと仮定した場合、自分も彼女と同じことを思うだろうなとガルムは感じていた。どうせ死んでも生き返るのだから無駄に物資を使う必要はない。



「だがツトムはそれが嫌なのだろう? 全く困ったものだ」

「……わかってるじゃん、ガルム」



 にっと努が満足そうに笑うとガルムも僅かに口角を上げた。いぇーいと努はガルムとハイタッチしようとしたが全く噛み合わず、気まずい雰囲気になった。



「とまぁ、そんな感じです」

「いや、どんな感じだ」



 誤魔化すように言った努にカミーユは冷静に返した。努ははぁー、と大袈裟にため息をついた後に話す内容をまとめるように斜め上を向きながら頭を捻った。そして考えがまとまったのかカミーユの目をじっと見つめた。



「あー、僕は痛いのが嫌いです。僕がステカ更新の時、針を刺さないことはもう知ってますよね?」

「ん? あぁ」

「だから勿論死ぬのも嫌です。お二人は平気で死ねるかもしれませんが、僕は嫌ですよ。出来ればもう一回も死にたくないです」



 爛れ古龍の腐食ブレスを受けて死んだ経験は、努にとって思い出すだけでも背筋が凍るような記憶だ。巨大な生き物に飲み込まれて胃酸で溶かされるような痛み。彼はもう二度と味わいたくなかった。



「だから死を避けることにお金は惜しみません。カミーユが死んだら僕が死ぬ可能性も増えます。なので出来るだけカミーユにはお金をかけてでも生存してもらって、僕の盾になって貰わないといけません」

「盾は私ではないのか」

「あー、うん。ごめん。カミーユには矛になって貰わなければいけません」



 途中で突っ込んできたガルムに努は謝りつつも話を続ける。



「だからカミーユが倒れたら巡り巡って僕が困るわけですよ。なのでお金をかけるのも当然です」

「……探索者に向いていないんじゃないか?」

「あはは、確かに。でもそれが出来たら黒杖売った時にもうしてますよ。それに何だかんだ楽しくてですね」



 日本に帰れる可能性があるにもかかわらずそれを無視する選択肢は努にはなかった。それにダンジョンに潜ることも努は嫌いではなかった。死ぬ可能性があるならわからなかったが、万が一死んでも生き返れる保証がある。



「とまぁ、そんな感じです」

「……死にたくない、か。そんな気持ちは、とうの昔に捨て去っていた」



 今の五十八階層という階層へ辿り着くまでに何回死んだだろうか。百回死んだ日からは数えることを止めていたカミーユは自嘲するように笑った。



「君の苦しむ姿を見たくなかった! 君のためなら金は惜しまない! とでも言ってくれれば嬉しかったのだがな?」

「……いや、ないですね。確かにお金は惜しみませんけど、それはガルムでも同じです。ヒーラーはPTメンバーに平等が鉄則ですから」



 自分でクランを設立したゲーム時代に特定の者を優先して回復するメンヘラ地雷ヒーラーや、ネカマへプレゼントを贈りまくる直結厨を見てきている努は遠い目でそう答えた。



「くくくっ。そうか」

「あ、もう動けそうですか?」

「あぁ、問題ない。むしろ潜る前より元気なくらいだ」

「それはよかった。それじゃあ装備も壊れちゃいましたしさっさと撤退しましょう」

「ツトム」



 正座を崩して立ち上がろうとした努にカミーユは正面から抱きついた。えっ、と努が慌てる頃にカミーユは身体を離した。



「ありがとう。おかげで助かった」



 正面からカミーユに飛びきりの笑顔を向けられた努は、少し呆けた後に上擦った言葉を返した。

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