第21話 初めての空中遊泳
滝の裏側にあった黒門に入り努たちは五十三階層へ到着する。耳の空気を抜いて痛みが和らいだ努は、今回は低い場所に転移したことにホッとした。
「ここからはオークが徒党を組んで出てくる。気を引き締めていこう」
「後は攫(さら)い鳥ですね。カミーユは大丈夫だと思いますが、僕とガルムは警戒した方がいいでしょう」
上から鉤爪で装備や人を掴んでそのまま上空に攫い、高い場所から落とそうとしてくる攫い鳥は渓谷を代表するモンスターだ。フライに慣れない者を狙いすましたかのように上空から付け狙うそれは、探索者から忌み嫌われている。
努が攫われた時は迎えに行くと空中機動に長けたカミーユは実に頼もしげであったが、彼女が手を離せない場面もある。努はもし攫い鳥が来たらあわよくばガルムを狙ってくれと心の中で祈りながらも索敵しにいったカミーユを待った。
ポーションの準備を終えた努がしばらく青空を眺めていると赤い豆粒が見えた。龍化せずにフライで空を飛んでいるカミーユだ。どんどんとその豆粒は大きくなっていき、そしてその後ろには大きい鳥が迫っていることも努は気付いた。
人を容易く掴めるほど大きい鉤爪に強靭な黒い翼を持った攫い鳥である。何だ何だと思いながらも努は白杖を構えてガルムへ声をかける。
「練習台だ」
そう言って笑顔で二人の傍に降り立ったカミーユ。そしてその上空にいる攫い鳥は三人を吟味するように見回した後、白いローブを着た努に急降下して迫った。横合いから胴体をがっちりと鉤爪に掴まれた努はそのまま上空へ攫われた。
「ツトム!」
ガルムの声はどんどんと遠ざかっていき、努の視界がどんどん地上から離れていく。縄で縛られたように動けない努は何とか目を動かして状況把握に意識を向ける。
努が気を落ち着ける頃には遊園地で乗った観覧車から見た景色が彼を待っていた。そして嘲笑うような攫い鳥の鳴き声の後、努は唐突に鉤爪での拘束を解かれた。烏(からす)が上空から木の実を落とすように、重力に従う身体は真っ逆さまに頭から落ちていく。
(なんだこれなんだこれ!)
パニックに陥った努は不格好に空中で暴れることしか出来なかった。体勢も頭から地面へ向かい、視界も定まらない。洗濯機に入れられたようにグルグルと回る景色の中で、右手に握っている白杖が視界に入って努はようやくスキルを口にする。
「フライ!」
その言葉の後に努の身体が下から風で持ち上げられようにされたが、すぐにそれは無くなった。少し落下の勢いは弱めたもののまだ地面は遠い。この勢いでは死ぬ。努は直感した。
迫り来る死の恐怖に努はフライを連発するも上手く発動しない。下から風が吹いて落下の勢いは弱まるが、それだけだ。その間に努は何とか大の字に手足を広げて体勢は整えられたが、未だ彼はフライを発動させられずにいた。
もう木々が鮮明に見え始めて努の意識が恐怖で薄れた時、その横から声をかけられて努は引っ張られた。赤い革鎧を着たカミーユだ。彼女は努を肩へ担ぐようにするとそのまま斜め下へ滑空するように飛び、そして上昇した。
落下の勢いが消えて上空でゆっくりと下降しながらカミーユは地上を目指す。努は大きく息を乱しながらも緩くなった風景の動きに安心する。
「ツトム。フライをかけられるか? 自分で飛んでみろ」
真横にあるカミーユの顔にびっくりしながらも努は自分にフライをかける。風が努の身体に纏わりつきしばらくすると、彼はカミーユの肩を離れて自分で滞空した。
「で、どうだった? 空中遊泳の感想は?」
「…………」
努が無言でカミーユを睨んだ後に恐怖で涙目になっている顔を隠しながら地面へ向かう。カミーユは後ろについて努の頭をポンポンと叩いた。
「渓谷に初めて来るものの恒例行事だよ。怖い思いをさせてすまんな。だがこれを経験しておかないと攫い鳥にいつまでも狙われるぞ?」
「……まぁ、そうですね。助けて頂いてありがとうございますカミーユさん」
さんを強調した努にカミーユは挑戦者でも現れたかのように面白げな顔をした後。努の耳に顔を寄せた。
「私がクランに所属していた時はな。生意気な新人が来た時はこの行事が楽しみだった。生意気な新人は助けずに空中で足掻く様をしばらく観察するんだ。そして近くに行くとその生意気だった新人が泣き叫びながら助けを乞うのだ。それを散々焦らした後に断るのがまた格別でな? ついつい新人の生意気な態度も許してしまって困っているのだ」
「……さ、早くガルムのところへ戻りましょうカミーユ! 何かあったら大変ですからね!」
「そうだな。ガルムにも経験させなければいけないしな」
意地の悪い笑みを浮かべたカミーユと共に努は肌寒さを誤魔化しながら急いでガルムのいる地へ向かった。努を心配していたガルムはやたら元気よく戻ってきた努に首を傾げた。
――▽▽――
それから何回か攫い鳥に努とガルムは攫われ続けた。ガルムは一度目で不格好ながらも一人で着地することが出来たが、足を痛めてしまった。努は何回かカミーユに抱えられることとなり、その度に二つの意味でドキドキしていた。
その甲斐あってか努も攫い鳥に攫われても一人で着地は出来るようになっていた。めきめきと上がっていくフライの操作にやはり命懸けの方が覚えが早いとカミーユに言われ、努は少し納得しそうになりつつも五十三階層の探索を続ける。
そして細い山道をガルムを先頭に二列になり登っていると、三人の後ろから大きな足音が複数迫ってきた。努はガルムに目配せして最後尾に移動してもらいプロテクを先んじて二人にかけた。
緑色の肌をしたオークが三匹山道を駆け上がってきている。ガルムの身長より少し大きい背丈をしているオークは、茶色の腰巻を巻いていて手にはショートソードや小盾を持っている。
「コンバットクライ」
ガルムの赤い闘気に感化された三匹のオークは我先にガルムへと迫る。丸太のように太い腕から繰り出される斬撃。ガルムは大盾を地面に突き刺しながらも受けた。
半身を出して繰り出されるショートソードでの攻撃はオークの腕を突き刺したが、オークは気にも止めずにガルムへ肩を突き出して大盾へショルダータックルをした。姿勢を低くして耐えるガルム。その後ろから二匹のオークが大盾を回り込もうと動く。
「シールドバッシュ」
ガルムは前のオークを大盾で殴るように押し出す。後ろへ体勢を崩して斜面のある坂を転がるオーク。左右から迫るオークの左側のオークをガルムは再び大盾を地面に刺して攻撃を防ぐ。
右のオークにはカミーユが既に大剣を振り下ろすように振りかぶっている。
「パワースラァァッシュ!」
カミーユの上から振り下ろされた大剣はオークの頭蓋をバターのように切り裂き、オークは縦から真っ二つになった。すぐに粒子が舞い、スプラッタな死に様を見せたオークは魔石へと変わった。
カミーユはガルムに吹き飛ばされて転がっていったオークに止めを刺しにいき、ガルムは大盾とショートソードの堅実な立ち回りでオークを追い詰めていく。丸太のように太い腕から繰り出される攻撃もガルムはものともせず、またオークを大盾で押して体勢を崩して転ばせた。
「シールドスロウ」
囁くような小声でスキル名を放ったガルムは左手の大盾を転んだオークに投擲した。大盾の下部分の鋭い部分がオークの胸に突き刺さり、そしてその大盾は自動でガルムの下に戻ってガルムの左手に収まった。
「ホーリーウイング」
胸に穴を開けたオークに努が攻撃スキルであるホーリーウイングを放つ。聖なる純白の翼が努の前に具現しそれが振るわれると、鋭利な羽根が放たれて倒れているオークに降り注いだ。次々と突き刺さる羽根にオークは呻き声を上げながら魔石化した。
魔石化したオークに努は近寄り緑色の小魔石を回収した。カミーユの方も止めを刺し終わったようで坂の下から上がってきている。
そのカミーユの茂みの横からは四足歩行で走ってきた赤熊(レッドグリズリー)が突如現れ、彼女に気づくと腹の赤い毛を見せつけるように立ち上がって前足を上げた。その体長はオークよりも大きい。カミーユは赤熊を無視して努たちの方へ走る。
赤熊は四足歩行に戻って三人の方へ走ってくる。その巨体にしては中々の速さで人が走って逃げきることは出来ないだろう。ガルムに目を向けられた努は頷いて赤熊を指差すと、彼は大盾とショートソードを打ち鳴らした。
赤熊はそれに呼応するように顔から突き出るような口吻部の先端にある口がガバリと開け、森が震えるような威嚇声を上げながら迫ってくる。ガルムのウォーリアーハウルに返すように放たれた声。しかし彼らはその威嚇声を意に介さず普段通りの動きで戦闘に入る。
赤熊の突進は受け切れないと感じたかガルムは右に避け、側部に大盾を叩きつける。よろめいた赤熊にカミーユが一撃を入れようと迫ったが、横に振るわれた前足を避けて距離を取る。
あの剛腕をまともに受ければVITの高いガルムでも骨折まで持っていかれる。ガルムは気を引き締めながらも大盾を手にじりじりと赤熊に近づいていく。
努はその間に周りを索敵するために一度二人から離れた。茂みに囲まれている山道は視界が悪く状況把握がしづらい。赤熊の両手で挟み込むように振るわれた前足をガルムが防いでいる間、努は二人にプロテクを重ねがけしながら他にモンスターがいるか目を凝らす。
しかしやはり茂みが深くてモンスターがいるかは努にはわからなかった。こういう時に索敵が出来るスキルでもあればと努は感じながらも戦線に戻った。
赤熊の体当たりを大盾で受けるも大きく後退するガルム。続けて突き刺すようなパンチが飛ぶ。ガルムは地面をしっかりと踏みしめてそれを大盾で受けるも、体勢を崩して地面に片膝をつく。
そのガルムに覆い被さるように飛びかかった赤熊の腹に大剣がめり込む。
「そおぉらあぁぁぁ!!」
そのまま切り上げるように大剣が振るわれて赤熊は逆に吹き飛ばされる。宙を浮いた赤熊の腹は裂け、内臓が地面に散乱した。倒れ伏した赤熊の頭にカミーユは大剣を叩き込み、それは粒子を巻き上げた後に無色の中魔石がポトリと地面に落ちた。
戦闘が終わったと緊張していた場に沈黙が訪れる。そしてそれを見越したように擬態していた草狼(バーダントウルフ)が三人を取り囲んだ。
「そろそろお昼ご飯でも食べたいですね」
「仲間に入れてくれとさ」
カミーユの言葉に努が振り返るとまた坂下から走ってきた三匹のオークが視界に入る。努はげんなりしながらも指示を出した。
「ガルムは狼半分とオークにコンクラ。カミーユはオーク優先削りで、ヘイストかけます。狼はいくつか受け持ちます」
努の指示にガルムはコンバットクライを発動。彼の前から赤い気が広がって草狼四匹とオーク三匹がガルムに敵意を刺激されて襲いかかる。カミーユがヘイストをかけられて速くなった足でオークを迎え撃つ。
オーク二匹と草狼四匹を相手取るガルムは大盾を両手に持ってオーク二匹の攻撃を受ける。シールドバッシュで吹き飛ばして時間を稼ぎ、その間に草狼の相手をする。
四匹はじりじりとガルムを囲みながら徐々に距離を詰めている。ガルムは動かない。
痺れを切らしたように牙を剥いて襲いかかる草狼を大盾で正面に受けて弾き飛ばす。その草狼の鼻っ柱は潰されて茂みに消えていった。そして三方から飛びかかる草狼。
一匹は反応して大盾で弾き飛ばしたものの二匹にガルムは飛びかかられて体勢を崩す。一匹はガルムの鎧に包まれた足に歯をかけ、もう一匹はガルムにのしかかった。
足の方は牙が通っていないので問題ないが、のしかかっている方はガルムの首元に齧(かじ)り付こうとしている。ガルムは片腕で唾液をだらだらと垂らす草狼の首元を腕で押さえこみながら体をよじろうとした。
「エアスラッシュ」
獣臭い唾液を垂らしながら歯をかち鳴らしていた草狼が横腹に風刃を受けて吹き飛ぶ。ガルムはすぐに起き上がって足にかぶりついていた草狼を蹴り飛ばした。甲高い悲鳴を上げながら怯む草狼。
復活してきたオークの背後ではカミーユが大剣を振りかぶっている。一匹は無視しても構わないと感じたガルムはオークの両手で振るわれた棍棒を大盾で受け止める。流石に片手では完全に防げなかったようでガルムの曲げていた膝が浮いた。
そして横から草狼に取り付かれたガルムはその草狼の喉奥にショートソードを突き込んだ。自らの血で溺れるような鳴き声を上げている草狼はぐったりと地面に横たわる。
ガルムの側面から強い衝撃。オークの棍棒がガルムを捉えて彼は吹き飛ぶ。一転二転しながら茂みへと入ってしまったガルム。
努はそれを横目で見ながらも三匹の草狼に杖を構えた。襲い来る草狼。
(あそこらへんだろ。プロテク20にヘイスト40。ヘイトは問題なしと)
その草狼の頭を白杖で叩いて怯ませた努は、ガルムが転がった茂みにヒールとプロテクを放って、すぐに飛びかかってきた草狼を横へ避ける。
ガルムを吹き飛ばしたオークは既にカミーユに屠(ほふ)られている。ガルムは軋むように痛んでいた横腹を回復されながらもすぐに立ち上がった。
ガルムに追撃をかけようとした草狼もカミーユがばっさばっさと撫で斬っていく。努の方へ援護にきたガルムに草狼を任せて、彼はカミーユに怪我が無いことを確認するとヘイストとプロテクを重ねがけした。
そして最後の草狼を倒したことを確認した努は少し周りを見回した後に魔石の回収を始める。ガルムとカミーユに周囲の警戒をして貰いながらも小走りで魔石の回収に向かう。
(めんどくさいなこれ)
坂道を転がった魔石や茂みに入り込んだ魔石を四苦八苦して努は拾い集める。なり振り構わずにモンスターを吹き飛ばしてしまうと回収が手間だった。
努はどうせ三人なのだから荷物持ちでも雇おうかと考えながらも、警戒している二人の下に戻った。
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