第20話 渓谷へ

 その後の半日と一日の休みはフライの練習に努は費やした。そしてゆっくりとだがようやく空中での移動が出来るようになった努は、海の上で浮かびながら両手を天に振り上げた。そして盛大に海へ転落した。


 その翌日からは努、ガルム、カミーユの新生PTによる渓谷攻略が幕を開けた。努はいつもと変わらず白の淡い光を放つローブとズボンを着込んでいて、ガルムは変わらず銀主体の重鎧装備だ。しかし今回は片手にはめる手盾ではなく、ガルムの自身の半身が隠れるほどの大きい盾を背中に背負っていた。


 そしてカミーユは冗談のように大きい無骨な鉄色の大剣と、赤い長袖の革鎧を着込んでいた。しかしその革鎧の背中部分は龍化の翼のためか切り取られていて、肌色の肌が露出していた。背中にはあまり鱗はないんだなと努は無遠慮に覗きつつも、ギルドの魔法陣から五十一階層に三人で降り立った。


 手を繋いでいない三人が五十一階層へ降り立った途端、歓迎するように大きい風が吹く。緑に包まれた渓谷が広がり、生い茂る木々や高い場所から落ちる滝などが見える。


 アーチ状の巨大橋のような緑の岩場を下から眺めながらも、努はマジックバッグから緑ポーションの入った瓶を取り出す。



「それではカミーユ。周りの索敵お願いします」

「わかった。フライをかけてもらえるか?」

「あ、はい。フライ」



 瓶の緩衝材を外していた努は座りながら白杖を持ってカミーユに向けてフライを放った。風のようなものがカミーユの赤髪を撫でると、彼女は宙に浮き始める。


 片手を上げてから赤い革鎧をはためかせながら飛んでいったカミーユを見送った努は、引き続き細瓶に漏斗を取り付けてポーションを入れ始める。


 手早くポーションを細瓶に詰め替えた努はそれを自分のホルダーにしっかりと引っ掛けた後、小さいベルトで細瓶が落ちないようにしっかりと固定する。その細瓶を準備運動しているガルムにも渡すと努は自分が使う青ポーションも入れ替え始めた。


 結構な手間なので出来れば事前に準備しようとも努は思ったのだが、森の薬屋のお婆さんからポーションはダンジョンで詰め替えた方が劣化しにくいと言われているので彼はその通りにしている。


 ポーションはただの薬ではなく、魔力の込められた魔法薬である。その魔法薬はダンジョン内で採れる素材を元に魔法、魔道具などを使って魔力を込められて加工される。なので瓶の蓋を開けた途端に込めた魔力が漏れ出て劣化が始まってしまう。


 ただし日々魔石を生み出しているダンジョン内は空気に魔力を多く含んでいるので、外で蓋を開けるより劣化が進みにくい。なので基本ポーションはダンジョン内での詰め替えは探索者の中では常識となっていた。


 青ポーションの詰め替えも終わった努は少し動いてみて細瓶が邪魔に感じたりしないことを確認。それが終わると自分にフライをかけて空中に浮き上がった。


 のろのろとした動きは徒歩と変わらない速度だが、重心は安定しバランスを崩すこともない。しばらく努は浮きながらうろちょろとしていると龍化状態のカミーユが空から帰って来た。背中の翼を振るって勢いを落としたカミーユはゆっくりと着地する。



「黒門を見つけてきたぞ。あっちだ」

「お、マジですか。運がいいですね」

「おおよその出現場所は把握してるからな」



 ダンジョン内はおおよそ一日ごとに地形を変えるとギルドからは発表されているが、それでもセーフポイントや黒門の場所などには特徴的な地形や物体が存在している場合が多い。なのでその特徴を知っていれば黒門の場所はおおよそ特定出来る。


 カミーユの背中の翼が黒くなってポロポロと崩れていきその存在が消えると、彼女は髪の留めを解いて長い赤髪でその背中を隠すようにした。



「……そんな熱のある視線を向けないでくれ」

「あ、すみません。そんなつもりは」



 翼の無くなった背中はどうなっているのかと思いカミーユの背中を見ていた努は、ちゃかすように照れた表情を浮かべたカミーユに緑ポーションの細瓶を渡すと出発を宣言した。


 ガルムとカミーユは徒歩で、努はフライを練習するために浮きながら移動を開始する。たまに努がバランスを崩しかけてガルムに支えられながらも黒門への行進は続く。


 それから数分山道を登っていくと先の茂みが揺れる。そして背景の溶け込むような緑の毛並みをした狼が左右から数匹現れた。その狼たちは首周りの草のような毛を揺らしながら三人へ迫る。



「草狼(バーダントウルフ)ですね。ガルム、コンクラお願いします。カミーユは一番左を攻撃」



 ガルムとカミーユにプロテクをかけながら努は空中から指示を出す。ガルムが前に出て大盾を片手で構えながら赤い闘気を放って注意を引き、カミーユは左端の草狼(バーダントウルフ)へ大剣を横に振るった。


 三匹の草狼は列を成してガルムに襲いかかる。ガルムは先頭に来た一匹を腰に差していたショートソードで切り払う。浅く斬られた草狼は怯みながらも距離を取る。続く二匹の体当たりはまとめて大盾で防いで受け止める。



「シールドバッシュ!」



 大盾を片手にスキルを発動したガルムは一歩前に出て大盾を弾くように押し出す。そして地面を転がった一匹の草狼に鎧の擦れる音を鳴らしながら駆け寄ったガルムは、バーダントウルフをそのまま上から押し潰すように大盾を振り下ろす。草狼の悲惨な悲鳴の後には無色の魔石だけが残った。


 仲間が殺されたことに激昂したように吠えた草狼の横からはカミーユの大剣が通り過ぎ、太い木にぶつかった草狼は全身の骨が砕け飛んだ。断罪するように縦へ振るわれた大剣でそれは魔石へと変わった。


 ガルムのショートソードで顎先を斬られた草狼は三人の様子を窺うように双眸そうぼうを向けたまま歩いている。まだ何処かに草狼が潜んでいるのではないかと考えた努は、ガルムにスキルのウォリーアーハウルを打たせた。盾を自身の鎧に打ち付けて放たれる音色は敵の本能を揺さぶって敵意を引き付ける。


 その音に釣られてか草むらから飛びかかってきた草狼をガルムはショートソードで一刀両断した。そのガルムの背後から襲いかかる草狼はカミーユが大剣で防ぎ、努のエアスラッシュを受けて怯んだところを彼女が仕留めた。


 後続がいないかを確認し終わった努は最後の草狼にエアスラッシュを放ってひるませ、カミーユに始末させる。周りにモンスターがいないかを努とカミーユが確認した後に無色の小魔石を回収して先に向かう。


 それからは草狼(バーダントウルフ)・赤熊(レッドグリズリー)・土猪(ウリボア)などに遭遇しながらも危なげなく倒していき五十二階層へと向かった。


 五十二階層も特に風景も変わらずに緑溢れる渓谷だ。しかし今回は渓谷の森の中へ転移したようで周りは鬱蒼とした木々で囲まれていた。


 カミーユに索敵を任せて努は青ポーションを補充した後に、少し鈍い痛みを感じる耳を押さえた。努は同様に犬耳を上から押さえつけているガルムに話しかける。



「耳痛くないですか?」

「そうだな。耳の内側から押されているみたいだ」

「……ガルムさんはどっちも痛いんですか?」

「こっちの方はあまり痛くない」

「へー」



 ガルムは側頭部にある人間の耳を摘みながらそう口にする。獣人の聴覚は人間の方の耳はあまり聞こえず、獣耳の方が聞こえるようになっている。勿論人の耳より聴覚がいい種族もいれば、そうでない種族もある。


 恐らくこの痛みは標高のせいだろうなと考えた努は、その対策を怠っていたことを反省した。ゲーム時代の知識に頭をもたげすぎて単純なことを努は見落としていた。



(急に高い場所へ飛ばされたら耳大丈夫かな……)



 標高が高くなると耳が痛くなる原因を曖昧に捉えている努はそう思いつつ、口呼吸で痛みを誤魔化しながらもカミーユの帰りを待った。実際探索者たちは突然気圧の低い場所に転移されて鼓膜が膨張。急激な気圧変化に鼓膜を痛めたり、最悪破裂して聴覚を失うこともあった。


 努が鼻を摘んで鼻をかむようにして耳の空気を抜いていると、カミーユは翼を消しながら帰って来た。カミーユは黒門を見つけられなかったのか首を横に振り、一先ず滝の近くに向かうように努へ進言した。



「カミーユは耳痛くないですか?」

「あぁ、君たちは初めてだものな。くっくっく、この痛みはずっと続くから早く慣れたまえよ」

「えぇ……。何か対抗策はないんですか?」

「私は知らんな。最初は慣れない痛みだろうがそこまで痛くもないだろう、我慢だ我慢」



 カミーユは有無を言わせないように先へ進みガルムも黒い犬耳を揉み込みながら付いていく。何かこの痛みを防ぐ道具はないものかと思いながらも努もフライで飛びながら後に続いた。


 どんどんと痛みを増す耳に不快感を覚えながら努は山なりの道を登る。そして前のカミーユが足を止めて小声で伝える。



「槍角鹿(スピアディア)が二匹先にいる」

「回り込めますか?」

「倒した方が早い。行くぞ」



 大剣を肩に担いで向かっていったカミーユと傍にいるガルムに努はプロテクをかけつつも、じんじんと痛む耳を片方押さえる。



(いってぇ)



 常時付き纏う耳の痛みにうんざりしながらも、努はカミーユの大剣を迎え撃って角をへし折られた槍角鹿を見る。その角は痛覚があるのかその槍角鹿は悶えるように暴れている。


 ガルムは槍角鹿の素早い突きを大盾で受けている。鉄の盾を正面から突いても折れない角での刺突は、まともに食らえばガルムのVITでも深い傷を負うだろう。


 それに槍角鹿の突進も力強い。ガルムは真正面から受けるのは分が悪いと感じたのか、角度をつけて受け流そうと試みている。


 そうこうしている間にカミーユが二本目の角を叩き折ると、槍角鹿は地面に膝をついた。角を二本折られた途端にまるで戦意も折られたかのように甲高い鳴き声を上げて、槍角鹿は地面に座り込んでいる。


 差し出されるような形の首をカミーユは断頭した。中魔石に姿を変えた槍角鹿から視線を外したカミーユはガルムの援護へ向かう。


 ガルムは初見のモンスターだったので万が一がないよう慎重に立ち回っていた。決して攻撃をせず防御に専念しているが、槍角鹿が体力切れを起こす様子は見られない。


 ガルムの盾を突き破らんと奮起している槍角鹿はカミーユに横から大剣で頭を叩かれ、頭蓋を陥没させた後に粒子と共に無色の中魔石となった。


 魔石を回収しつつすぐに滝付近を目指すために三人は歩き出す。現状は特に怪我もなく立ち回れているが、今までのモンスターは草原や森でも同じような姿形をしたモンスターがいるためだ。


 五十三階層からはゴブリンの上位互換であるオークが出現する。二足歩行の大きな成人ほどの大きさをした人型のモンスター。肌の色は基本環境によって違い、ここではゴブリンと同じ緑色の肌をしているものがほとんどだ。


 武器を持ちある程度の知能。更に個体によっては魔法のようなものを使える個体も出現することもある。努は順調なのは五十三階層までと気を引き締めながらもカミーユの後ろをふわふわと浮きながら付いていった。

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