第12話 壁の向こうへ

 道標を辿って二十分ほど経つと努はこんもりとした砂丘さきゅうで足を止めた。二人に伏せるように指示しながらも努はマジックバッグから双眼鏡を取り出して遠くに見える番いヤシの木を覗いた。



「あ、多分いますね」



 盛り上がった砂場に身を潜めて双眼鏡を手にしている努は地表から消えている魚。そして黒くて細いシェルクラブの触角を発見してそう告げた。


 ヤシの木に沿って身を隠すように砂浜から出てきた触角はくるりと三百六十度見回した。そして触角の一つが地面に引っ込んだ後にシェルクラブは砂の中でもぞもぞとし始めた。その地表の揺れもほんの少しで遠目からは絶対に発見出来ないような変化だ。


 双眼鏡を渡されてそれを確認した二人は真顔で武器を手にとった。努は苦笑いを零しながらも指示の後に走り出したエイミーにヘイストをかける。シェルクラブは二人の走る姿を察知すると潔(いさぎよ)く砂浜から出てきた。


 砂の中から出てきたシェルクラブの剥き出した白身はドス黒く染まっていて、口からは青色の泡を吐いている。動きも何処かおかしくガルムは怪訝そうな顔をしつつも斬りかかった。


 剥き出しの細脚を長剣で叩き切るようにすると黒く変色した白身から青い血が吹き出る。そして先ほどと比べると弱々しい鉗(はさみ)の叩きつけをガルムは横に避けた。


 エイミーはその間に背甲へ飛び乗って剥き出しの身を切り刻む。少し濁ったような青い血が漏れ出るように溢れて双剣を濡らす。


 シェルクラブは崩れるように地面に伏した。鉗を杖のようにして立ち上がろうとするもエイミーは容赦なく双剣を突く。抉る。刺す。ガルムは細脚を何回も叩くように斬って遂に細脚の一本を叩き斬った。


 シェルクラブは断末魔の悲鳴を上げた後完全に地へ伏せた。どくどくと溢れる青い血。痙攣したように震えている触角。


 そしてシェルクラブはキラキラと光を反射する宝石のように光りだして、身体から光の粒子が流れ始めた。



「えっ」



 あっけなく粒子化を始めたシェルクラブにエイミーは思わず声が漏れた。ガルムも長剣を握りながら呆然としてしまっている様子だった。


 エイミーはシェルクラブから離れて海へ帰っていくように流れていく粒子をただ見送った。ガルムは油断せずに長剣をまだ構えている。努は沼の毒凄いなーとへらへらしていた。


 まだ光の粒子を放っているシェルクラブの体から青色の魔石がどさりと地面に落ちた。両手で抱えられるほどの大きさの大魔石。色のついた魔石に努はガッツポーズをかました。


 そして何かが砕けるような音がした後に黒門が何もなかった空間から姿を見せた。五十一階層へと進む扉とギルドへ帰る扉の二つ。努は右の黒門の扉に目を向けつつも軽く伸びをした。



「上手くいって良かったです。それじゃあ一度渓谷の様子見してからすぐ帰りましょうか」



 青色の大魔石をマジックバッグに詰めた努は明るい声を二人にかけた。二人はおずおずと努に付いてきて黒門へ一緒に入る。三人は粒子化して五十一階層に転送されて、後には神の目と言われているカメラだけが残った。



 ――▽▽――



 川を挟むようなV字型の緑山が印象的な渓谷を見学し、もし落ちた際に即死する高さかを確認した努はすぐにギルドへ戻った。いつもの竜人の門番に努は挨拶する。


 そしていつものように飛んでくる幸運者(ラッキーボーイ)という野次を無視しつつも努たちは受付に並ぶ。虫の探索者の視線はいつも通りだが、今回は中堅クラン所属の探索者が何人か努たちを見ていた。配信効果かなと努はぼんやりと考えていると順番が回って来たので、ステータスカードの更新のために渡された紙に唾液をつける。


 スキンヘッドのおじさんにそれを渡してしばらく待っているとすぐにステータスカードを持ってきた。



「……シェルクラブを突破したのか」



 恐ろしく真剣な顔つきのおじさんにそう言われて努は頷く。彼はおめでとう、と控えめに口を開いた後に薄い茶色に変色したステータスカードを三人に渡した。



「ガルム、エイミーもよくやったな」

「はい。ありがとうございます」

「うん……」



 二人は色の変わったそのステータスカードを見てようやく実感が湧いたのかガルムは嬉しそうに、エイミーは涙目になりながらもそれを受け取った。努も笑顔でステータスカードを受け取って確認する。



 キョウタニ ツトム


 LV  23

 STR(攻撃力)D

 DEX(器用さ)D+

 VIT(頑丈さ) D

 AGI(敏捷性)D

 MND(精神力)C-

 LUK(運)D+


 ジョブ 白魔道士


 スキル ヒール オーラヒール フラッシュ エアブレイド プロテク メディック ヘイスト レイズ ハイヒール エリアヒール ホーリーウイング  



(渓谷攻略は取り敢えずフライ覚える28までレベル上げてからだなぁ。絶対最初は上手く出来ないだろうし練習もしないと。あとは緊急回避の魔道具も試さないとな)



 渓谷の五十六階層からは自然的な渓谷が失せて乾いた砂漠のような渓谷に変わる。そこからは木や自然のクッションなどで即死を免れられなくなるので地形対策が必須になる。


 そのためにフライという魔法がありそれをかけておけばゲームでは即死を免れられることが出来た。ただ現実となったここでは練習がいると考えている努は少し苦い顔をした。



(大手クランが休んでる今のうちに最高階層更新したいんだけどなぁ。流石にキツいか)



 一か月間ずっと幸運者(ラッキーボーイ)と周りから言われ続けている努。宿でも、外でも、ギルドでも。延々とそれだ。新聞屋が写真と共に取り上げたせいか努の名前を知っている者などほとんどいないが、幸運者という二つ名だけは知っている者が多い。


 宿の店員にもたまに幸運者(ラッキーボーイ)と呼ばれ、通りを歩いていても子供に幸運者(ラッキーボーイ)と指を指される。探索者と違い彼らには恐らく悪意は無い。有名人の名前でも呼ぶようにそれを口にする。幸運者幸運者幸運者。


 努は内心では呼ばれる度にうんざりしていた。宿の店員の肩を掴んで僕の名前は京谷努だと叫びたくなることもあった。


 だがそれで揉め事を起こすのも馬鹿らしいので表面上には出さないようにはしている。しかし、努は周りの自分への評価に中々腹が立っていた。このままこの名を背負ってこそこそ生きるなどゴメンだった。


 なのでそれを払拭する実績がすぐに欲しかった。それを払拭する実績はいくつか挙がるが、努は単純明快な道を選んだ。


 この都市とギルドにある巨大モニターに自分を映すこと。それが努の選んだ道だ。


 ただ巨大モニターに映るだけなら最高階層の更新はしなくても映れる。大手クランが潜っている時間以外に五十階層の後半までいければ度々映ることはある。しかしそれではまだこの名は払拭出来ないと努は感じていた。


 実際にそれをしている大手クランの評価はあまり高くない。火竜討伐から逃げているクラン。やはり火竜討伐したクランは凄いなと観衆たちは口々に言っているのを努は巨大モニター前で聞いている。


 なので努は現在の大手クランが到達した最高階層の六十一階層。それの更新を目標にしていた。それを成し遂げた努を幸運者(ラッキーボーイ)と呼ぶ者は、少なくとも探索者以外の者は呼ばなくなるだろう。


 恐らく今回の四十階層突破もたまたまシェルクラブを発見出来ただけ、なんて言われることをエイミーの言葉を聞いてから努は予想していた。そうとわかればすぐに五十階層の渓谷を攻略して火竜を倒す計画を頭で練り上げなければならない。


 休んでいる暇はないぞと意気込んだ努はステータスカードを返すと、受付から離れてガルムとエイミーに振り返った。



「それでは今日はこれで解散です。明日は浜辺で自分のレベル上げをする予定です。付き添いお願いしますね」

「あぁ。わかった」



 ガルムは上機嫌そうに尻尾をぶんぶんと振って答えた。そして意気消沈しているエイミーをちらりと見た後に彼女の背中を強めに平手で叩いた。わわわっとつんのめったエイミーはガルムを一頻(ひとしき)り睨みつけた後、努と目を合わせた。



「……うん。あのツトム、さっきはごめんね? 幸運者(ラッキーボーイ)なんて言っちゃって」



 頭を下げたエイミーに努は少しだけ意外そうにすると、すぐに彼女の頭を上げさせた。



「いえいえ。気にしてませんよ」

「……そ、そうなの? ほんと? でも明らかに怒ってるよね? ね?」



 努の貼り付けたような笑顔が何処か暗く見えて、エイミーは努のご機嫌を窺うようにビクビクとした。そんなエイミーを見て努は思い出すように上を向いて頭をポリポリと掻いた。



「あーっと。エイミーさんは確か虫と一緒にされるのは嫌だ、って言ってましたよね? それでステカ更新も僕と同じ方法に合わせてましたよね」

「え? あ、うん」

「でも、僕のことを幸運者(ラッキーボーイ)って呼ぶんだなって」

「…………」



 まるで心を見透かすような努の目からエイミーは思わず視線を外した。ガルムがくつくつと面白そうに笑いを堪えている。



「僕が言いたいのはそれだけです」

「……め、めちゃめちゃ怒ってるじゃん! ごめんツトム! お願い許して! PTから除名しないで! それされたら私ギルド長からも怒られちゃうからぁ!」

「いや、もうこちらも言いたいことは言ったので許しますよ。むしろこちらからPT継続をお願いします。エイミーさんがいないとかなりキツくなるので」

「うそだ! 絶対まだ許してない! 顔が怖いもん! ツトムの顔まだ怖いもん!」



 努の手に縋(すが)るようにしているエイミーは地面に座りながら彼の裾を引っ張って離さなかった。エイミーの大きな声になんだなんだと集まる探索者に、努は顔を引きつらせながらもエイミーに提案する。



「それじゃあ今回のエイミーさんの報酬は無しにします。それでいいですか?」

「待てツトム。まずはギルド職員を退職させよう。それからツケを肩代わりしていた職員たちに土下座させてこいつの貯金をみんなで山分けする。それからは装備無しで渓谷に放り込もう」



 今が好機と見たのかガルムは横から口を挟む。その口は大きく歪められていてさながら悪徳警官のようだった。



「ガルムさん。どんだけエイミーさんに恨み持ってるんですか……」

「こいつに対する文句は数が知れない。職員の間でも不満が溜まっているから清算させるいい機会だ」

「許してツトムぅぅぅぅぅ!! 私路頭に迷いたくないぃぃぃ!!」

「ちょっ! 引っ張らないで下さいエイミーさん! 伸びますから離して下さい!」

「離したらすぐ逃げるんでしょおおお!! 見捨てないでツトムぅぅぅ!! 私を見捨てないでぇぇぇ!!」

「ちょ、あはは! これなんかドラマみたいだなっ! エイミーさんもういいですから取り敢えず外行きましょう外! 迷惑になってますから!」



 まるで別れ話を切り出されたガールフレンドのように努の手を掴んで縋っているエイミーに、努は思わずそう返して外に連れ出した。


 その後努の願いを出来る限りなんでも一つ聞くということで落ち着き、努は願いが特に思い当たらなかったので保留でお茶を濁した。

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