第13話 幸運者の野心

 その翌日。努は欠伸を噛み締めながらも起床した。寝起きでも平常時と変わらない薄目を擦りながらも、努はまだ覚醒していない意識のまま身体が沈み込むようなベッドの誘惑を振り切った。


 寝ぼけ顔のまま努は洗面台に向かう。透明な容器の中に水の魔石が組み込まれている蛇口。その容器の中に備え付けられている無色の屑魔石を努は投入する。すると水色の魔石が淡く光り、蛇口を捻ると冷たい水が出てきた。


 努は手に水を貯めて顔を洗った後にオーダーメイドで作って貰った木の歯ブラシで歯を磨き、少し濁っている鏡で寝癖がないか確認した。


 少し伸びてきた黒髪を摘んでそろそろ床屋にでも行ってみるかと独りごちた努は、無造作に机へ撒かれている書類をマジックバッグに詰め込む。その書類にはライブ配信で見た渓谷の地形やモンスターの特徴などが事細かに記されている。


 昨日その書類を作っていたおかげで夜更かししてしまったので、努は少し眠気を感じながらも部屋着から普段着に着替える。


 黄土色が基調の無難な普段着を着用した努はマジックバッグを背負って部屋を出て、鍵を掛けた後に宿屋の食堂に向かう。もう周りの者も起き始めているのか生活音がいくつか聞こえてくる。外からは井戸水を引き上げる音が聞こえ、努が通り過ぎた部屋からはバタバタと慌てているような足音がしている。


 宿屋の食堂に到着した努は椅子にかけて辺りを見回す。周りの客は比較的エルフや獣人が多く、人間はあまり見かけない。朝から忙しなく注文を取っている若い娘に毎度感心しつつも、努は注文を取り終わった娘に向かって手を挙げた。



「すみません。朝食こっちにもお願いします」

「はーい! 追加注文はありますか?」

「ないでーす」



 宿泊客であれば基本朝食はメニューおまかせの場合は無料である。特に嫌いな物がない努は注文を取った後に頬杖を突きながら周りの者たちを観察する。


 この宿は探索者と普通に仕事をしている労働者が半々の割合で利用している。宿泊料金は一泊一万Gとそこそこ高い宿屋なので稼げている者たちが多い。探索者なら中堅。一般の仕事をしている労働者も知識や経験を活かした仕事に就いている者が多い。


 探索者も人間が少なくエルフやドワーフ。獣人や竜人などが多い。朝から作戦会議をしているのか身を寄せながら食事をしているPTや、飲み込むように肉をガツガツと喰らっている獣人を見かける。


 労働者たちは各々新聞を読んだり優雅に紅茶を飲みながら談笑していたりと様々だ。彼らの読んでいる新聞は勿論一般の情勢や情報などを載せている新聞もあるが、大半はダンジョンに関わる情報が書かれた新聞を読んでいる者が多かった。


 神の管理するダンジョンに潜る探索者。そして探索者がモンスターと戦ったりダンジョンを探索する様子は誰でも気兼ねなく広場のモニターで見ることが出来る。努の世界でいうと神の映すモニターはテレビ。そしてモニターに出ている探索者はテレビに出ている芸能人やスポーツ選手、アイドルなどに置き換えるとわかりやすい。


 そんな探索者たちの情報を取りまとめて新聞で発信しているのがダンジョン新聞。新聞社はいくつかあるが飛び抜けて売れているのがソリット新聞社だ。一番初めに新聞を発行し始めた新聞なので購買者が多く、影響力も強い。


 そして努の幸運者騒動を面白おかしく取り上げたのもソリット新聞社だ。その影響でオークションが盛り上がり値段も釣り上がったから努にもメリットはあったが、無断で顔写真まで写されたことを彼は不快に感じていた。


 運ばれてきたベーコンエッグとサラダ。それと網状の焼き目の上にバターやジャムが乗せられている四切れの食パン。コーンスープに氷の入った麦茶。中までしっかりと焼かれた目玉焼きをナイフで切って口に入れながらも、努は顔写真付きで取り上げられている大手クランを横目で流す。



(まだ活動はしてないみたいだな)



 最高階層を更新したクランは新聞インタビューやら装備の補修で未だダンジョンには潜っていない。半年間更新されなかった最高階層を更新したことで二週間ほど経過した今でもその熱は続いている。


 アルマさんは凄いだの紅の魔剣士は格好いいだのという声は未だに努の耳に入ってくる。その二人が所属する紅魔団(こうまだん)というクランが、最高階層を更新したクランである。



(今のうちに精々喜んでいるといい。すぐに突破してやるからな)



 溶け出したバターが染み込んだカリカリの食パンをかじった努は、熱々のコーンスープをちびちびと飲みながら新聞の一面を飾られている紅魔団から視線を外した。


 そして朝食を食べ終わった努は食器をカウンターに返して受付で鍵を返した後に宿屋を出た。


 そして次に探索者の装備の汚れ落としを生業としているクリーニング屋に向かっていた。毎回努は白のローブやズボンが汚れた場合はここに預けてクリーニングして貰っている。


 ダンジョンに入ると装備は汚れる。モンスターの血などは倒せば粒子となって消えるので汚れないが、例えばモンスターの吐き出したもの。これは宝箱から出た物と認識されるのか消えない物が多い。


 他にもダンジョンにある土や泥。匂いなどもモンスターと違って消えない。探索者は汚れをあまり気にしない者が多いが、努は潔癖とは言わないまでも結構気になる方だった。


 朝早くから開いているクリーニング屋は他の建物と比べると規模が大きい。左右に分かれている白石の建物。右の建物では服を洗濯、乾燥しているのか換気扇から蒸気がモクモクと出てきている。左の建物は客の受付場になっていてそこで装備の預かりや受け取りが行われている。


 努は朝早くから営業を開始しているクリーニング屋の扉を横に開いた。誰も訪れていない受付で、人の良さそうな顔をした坊主のおじさんが努を出迎えた。



「おはようございます。装備の受け取りに来ました」

「はい。ツトム様ですね。こちらになります」



 すっかり顔なじみとなっている努が石の板を渡すとおじさんはにっこりとそれを受け取った後に奥へ引っ込み、数秒で戻ってきた。丁寧に畳まれた装備一式と杖が渡される。それらには埃が付くのを防ぐためか透明の膜のような物が張られている。


 この透明の膜は森の湖付近に現れる透明なスライムの死骸を薄く伸ばしたものだ。それらは物を包装するために使われたり、食品を乾燥から防ぐために使われている。


 しかしダンジョンでモンスターは死ぬと光の粒子となって消え、魔石へと姿を変えてしまう。ならばどうやってスライムの死骸を採取しているのか。その採取の方法は二つある。


 一つはダンジョン内で不規則に確認されている宝箱から手に入れる方法だ。宝箱の出現条件は主に二通り。モンスターを倒した際に魔石と共に出現するか、ダンジョン内で無差別的に出現するかだ。


 宝箱には様々な物が入っている。モンスターの素材。探索者の装備。ダンジョン内でのみ手に入る逸品物(いっぴんもの)。宝箱の等級によって出る物に当たり外れはあるものの、そもそも発見出来たらラッキーだと言われるほどに宝箱の出現率は低い。


 一番等級の低い木の宝箱でも五階層攻略して一個出れば運がいいと言われるほどだ。下の階層ほど出現率は高いのだが、それでも宝箱を見つければ一月は自由に暮らせるくらいのGは手に入ることが多い。


 ちなみに努が引き当てたと言われている金の宝箱は過去に一度しか確認されておらず、それに夢見て探索者の登録受付に人が殺到するという事件があった。その結果ろくに情報を仕入れずに虫の探索者に搾取されている新人探索者が増えたとガルムは嘆いていた。


 もう一つの方法はこの迷宮都市にあるダンジョンではなく、外にあるダンジョンでモンスターを討伐して素材を剥ぎ取る方法だ。


 神の管轄していないダンジョンならばモンスターは粒子化せず、他の生き物と変わらずに死体として残る。モンスターの解体方法など学ばなければいけないことあるが、宝箱という不確定要素よりも安定して素材を入手出来る。


 しかし神の管轄していないダンジョンでは当然、神の恩賜や規則もない。黒門もモニターもない。つまりダンジョン内で死んだ場合、そのまま生き返れずに死ぬ。なので当然白魔道士やポーションが必須となり、慎重な立ち回りを心掛けなければいけなくなる。


 その分モンスターの素材を丸ごと持って帰れるので需要は大きいし利益も見込める。強力なモンスターの素材を持ち帰れれば一攫千金も見込める。ただし命の危険があるのでやる者は少数だ。


 外のダンジョンに行く者のほとんどは圧倒的にレベルの低いモンスターの素材狙いか、ギルドに高額な報酬を保証された遠征討伐依頼を受ける者だ。


 外のダンジョンは一定期間放置されるとそこからモンスターが溢れ出し、近くの村や迷宮都市に攻め入ってくることがある。それを防ぐためにギルドはそういった放置されている外のダンジョンへの遠征討伐依頼を出すことがある。


 あまり討伐依頼が受注されない時は半年に一回ほど迷宮都市はモンスターに襲撃される。レベルが高いモンスターは今のところ確認されてはいないが、それでも被害は出るのでギルドもほとほと遠征依頼の処理には困っている。


 だが探索者からすると遠征討伐に向かうより防備設備の整った迷宮都市でモンスターを迎え撃つ方が安全で、かつ民衆からも感謝される。その結果人気が上がったり貴族に私兵として勧誘されたりするので、遠征討伐依頼を受ける者は少ない。


 攻め込んでくるモンスターもそこまでレベルが高くないので、迷宮都市はそこまで被害を受けない。しかしモンスターの通り道にある村や町は悲惨な目に遭うので、その村や町の者は迷宮都市の探索者を疎んでいる傾向にある。


 そんな村や町から絶大な人気を持っている有名なクラン、迷宮制覇隊というクランがあるがそこは例外である。死亡率は三十%と高く、新人が生き残れる可能性は五十%と言われている。命知らずか村や町に恩義を感じている者しかそこには入らない。


 この努の装備を包んでいる透明な膜には、そういった背景があって成り立っている。料金は前払いなので努はそれを確認した後に頭を下げてクリーニング屋を出てギルドへ向かった。


 ギルドに入ると朝から無駄に元気な虫たちが努を見て小言を言い始める。努が無視すると彼らは露骨な舌打ちをしつつも深くは絡まない。探索者の間で有名なガルムが出てくると立場が危うくなるからだ。


 そんな探索者たちに努は無機質な視線を向けた後、いつもの集合場所へ向かう。そこには装備を整えているガルム。それになんとあのエイミーが前髪を弄りながらも座っていた。



「……もしかしてエイミーさんの双子の姉ですか?」

「酷くない!?」

「冗談です」



 ベンチから勢い良く立ち上がって迫ってきたエイミーに努は暴れ馬を抑えるように両手を前に出した。ガルムはくつくつと口を押さえて笑っている。



「おはようございます。今日は浜辺で自分のレベリングをした後、渓谷攻略のためにフライの練習をする予定です。大丈夫ですか」

「問題ない」

「おっけー!」



 頷いたガルムにサムズアップを返すエイミー。努も笑顔で頷くと受付へ並んだ。いつもの人気のないスキンヘッドの男は努たちを見ると手を挙げた。



「おう、お前ら。取材の依頼が来てるぞ」

「取材?」

「あぁ。ソリット社からの依頼だ。取り敢えずもう来てるらしいからこっちへ来てくれ」



 木のカウンターから回り込んで努たちの方に歩いてきた受付の男は、こっちだと一言告げて三人を案内するように歩き出した。


 ガルムに努が視線を向けると彼は神妙な顔をした後に受付の男へ付いていった。努はガルムの後に続いた。

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