第2話 ギルド登録

「げひっ!」



 木製の床に顔面から落ちた努はカエルが潰れたような声を上げた。耳に入る騒がしい人の声、いつの間にかに着せられていた薄茶色の粗末な服。


 努は自分の身体をまさぐるようにして自分の手があることを確認すると、安堵の息を吐いた。自分の身体に異常がないことを確認している最中、努は隣に立っていた男に服の首元を掴まれて半ば無理やり起こされた。



「ふむ、どうやら死に戻りは初めてのようだな。自分で立てるか?」

「は、はい」



 藍色の上等な服を纏い、胸に金色の星型バッジを付けた軍人のような男。いかにも真面目そうな面構えの彼に起こされて、努は落としていた黒杖を支えに何とか立ち上がった。


 努の背は170センチ前後と平均的だが、努を起こした男は190センチ近い。努は警官に声をかけられた時のような心境だった。



「君、ステータスカードは?」

「す、ステータスカード?」

「……君はモグリか」



 長身の男が訝しげに細められた目で努を見下ろすと、彼は怖気つくように後ずさった。そんな努を見て男はまぁいいとため息を吐いた。



「神が作ったダンジョンだ。誰でもダンジョンに踏み入る権利はある。……しかし君、孤児には見えないな。それにその杖。何処で手に入れた?」

「えっと……」

「……どうやら記憶が混濁しているようだな。だがステータスカードを持っていない君が、そんな杖を持ってダンジョンに潜れば話題になる。元々の装備ではないだろう。しかし草原でそんなご立派な杖を落とす馬鹿がいるとも思えない。だから、恐らく宝箱から出た物のはずだ。宝箱の色は覚えているか?」

「……えーっと。こう、キラキラと輝いていました。日の光を弾くみたいに」



 尋問するように早口で言われた努はよくわからないままそう答えた。努が持っている黒い杖は九十階層の古城で出るレアドロップを元に作った最高位の杖。そのレアドロップが出る宝箱の特徴を努が言うと、男の表情は沸き立った。



「それは……まさに神からの贈り物といったところか! 君は運がいい!」



 いきなり肩をバンバンと叩かれて努は愛想笑いを浮かべながらも、ようやく辺りを見回すことが出来た。手足に赤色の鱗がびっしりと揃っている竜人。様々な動物的特徴の耳や尻尾を機敏に動かしている獣人。今努の肩を嬉しそうに叩いている男も頭に黒いピンとした犬耳を生やし、黒い尻尾を左右に振っていた。


 勿論普通の人間も多く見かけた。受付嬢に鼻の下を伸ばしている者や武具を手入れしているもの。そして努の周りで彼の様子を窺っているのも普通の人間が多かった。



「おっと、すまない。ついはしゃぎすぎてしまったようだ。それでは早速鑑定しにいこうか」

「あ、はい」



 好奇と不審の入り混じった視線に晒されて努は少しビビリながらも、犬人の男に連れられるように歩き出した。その間にも周りの景色を出来うる限り努は見回した。見る人見る人ファンタジー。耳の長い金髪エルフ。小学生みたいな身長の厳ついおじさん。鳥の翼が生えた人までもいる。


 そしてこの建物も少し異質だった。建物自体はほぼ木造の普通な建物だ。しかし努が恐らく出てきた場所には空間がそこだけ切り取られているように真っ黒な門があった。


 努がそれを見ていると黒い門がいきなり開いた。そして努と同じ服を着た五人が吐き出されるように出てきて、床に叩きつけられていた。そして努と同じように藍色の服を着た職員のような人に声をかけられてそのまま建物から出て行く。


 中でも目を引くのはファンタジー感満載の中で浮いている電子モニターの存在。ホログラムのように浮き出ているモニターには、徒党を組んだ者たちがゴブリンと戦っている姿が映っていた。



「着いたぞ。ここに入る」



 返事をする間もなく入れられた個室。カウンターの奥に座っている藍色の制服を着た猫人は退屈げに肘をついていた。そして気怠げに努と犬人の男を目に入れると感心したように声を上げた。



「お利口わんちゃんがここに来るとは珍しいね」

「お前のことなど視界にも入れたくはないが、取り敢えずこれを鑑定しろ。神の気まぐれか、金をこのモグリが引いた」

「……それは杖かな?見せて見せて!」



 猫耳をピンと立てながらアーモンド型の瞳を細めた猫人は、努に渡された杖を手にとって見定めた。むむむと唸った猫人は杖に魔力を通すと驚きの声を上げた。



「……私が今まで鑑定してきた物で一番価値が高い、と思う」

「ほう」

「私じゃスキルレベル足りなくて詠唱省略しか効果がわからなかったよ……。多分他にも効果があると思う。それに魔力伝導率。増大率もぶっちぎって最高レベル。これだけでも相当な値がつくね。最高品質の大魔石十個……いや! 火の大魔石も二個オマケかな! あ、これは現状の値段ね! こんなの簡易鑑定じゃ勿体無いから有料で鑑定しない?」

「こいつはモグリだぞ。金があると思うか?」

「だよねぇ……。でもこれ鑑定したら私のスキルレベルも上がるかもしれないし、むむむ……。ねぇ君! 後払いでいいからやらない!? 今なら中品質の中魔石一個でいいよ!」



 カウンターから身体を乗り出してきた白髪の猫人。中魔石と言われてもパッと来ない努は思わず犬人の男を見上げた。犬人はふむ、と顎に手を当てた後に少し屈んで努に視線を合わせた。



「こいつはムカつくがこれでも鑑定の腕はギルド一番だ。こいつの鑑定証で中魔石一個は破格の値段だろう」

「なんか一言余計な言葉があったけどまぁ、よし! そうだぞ~? お姉さんの鑑定は本来大魔石一個はするんだからね~?」

「しかし後払いといっても待つのは半日です、などとこいつは言いかねない。つまりこの杖をここで今すぐ売らなければいけなくなるかもしれないぞ」

「おーい! わんちゃんはどっちの味方だよー! 私ギルド職員! 同じギルド職員だよー! ギルドの利益が最優先でしょーが!」



 カウンターをバンバン叩いてぶーたれている猫人を無視して犬人は言葉を続ける。



「その杖は恐らく最高峰の物だ。もし君がそれを使えれば第五十階層の壁を越えて、莫大な名声と富を得ることが出来るかもしれない。それでもその杖を売るのか?」

「…………」



 努は考える。これが夢ではなく現実であるということ。あの爛れ古龍のブレスで受けた今まで感じたことのないような痛み。そして今、真剣な顔で努を見据えている犬人。これが夢であると断言することは、努には出来なかった。


 夢でなく現実なら現実的な選択。後で夢だとわかったなら笑い話で済む話だと、努は一度深呼吸して目を閉じた。数秒。そして細い目を開いて冷静になった頭で口にした。



「売ります」



 作成はそれなりに大変だが、今の自分にはこの杖しかない。この杖だけあっても防具や道具がなければまるで意味はない。それよりは先立つもの、金がいると努は判断した。



「……そうか。君が考えて出した結論ならいい」



 犬人は決断した努の顔を見た後に立ち上がると、猫人に鑑定しろと手振りで指示した。猫人は待ってましたと言わんばかりに杖を持ち、しなやかな白い尻尾を揺らしながらカウンターの奥に引っ込んだ。



「鑑定には数時間がかかる。今のうちにステータスカードの作成をしておこう。ダンジョンに潜らなくともG《ゴールド》を預けるために必要な物だからな」

「あ、はい。お願いします」



 個室から出て色々な人種で混み合っているカウンターに二人は向かう。すれ違った時にチラリと見られたり、遠巻きから多くの人の視線を努は感じた。どうやら結構な注目を浴びているらしいと、努はほんわかしている表情をきりりと吊り上げた。


 そして人のいないカウンターの端まで行くと犬人は手をカウンターについて逆側に飛び移った。ぎょっと顔を引いた努に犬人はにっと笑った。



「それでは、改めてようこそ。神の管理するダンジョンのギルド受付へ。歓迎しよう。それではこれからステータスカードを作成するが、大丈夫か?」

「はい。お願いします」

「では手数料として十万Gを頂くが……ここは私が出そう。後で杖の売却代金から差し引いておくが、いいか?」

「はい」

「それではこのカードに体液を出せ」



 真っ白のまな板のような物をカウンターに滑らした犬人は、カウンターの下でごそごそし始めた。



「体液……?」

「基本は血か唾だ」

「あ、はい」



 カウンターの下から出てきた犬人に細い針のような物を差し出されたが、努は唾液を溜めてカウンターに置かれたステータスカードに垂らした。するとステータスカードが白く発光する。あまり眩しく感じない目に優しい光が収まると、犬人がハンカチで努の唾液を拭いてからそれを見た。



「キョウタニツトム……ほう。LUKとMNDが同じか。ジョブは白魔道士。まぁ、LV 1にしてはいいステータスだな」



 そう評されて手渡されたステータスカードを努はしっかりと両手で持って見た。



 キョウタニ ツトム


 LV  1

 STR(攻撃力)D-

 DEX(器用さ)D-

 VIT(頑丈さ) D-

 AGI(敏捷性)D-

 MND(精神力)D

 LUK(運)D


 ジョブ 白魔道士


 スキル ヒール



(白魔道士か。ならメインアカウントってことになるのかな)



 あの神の誘いというアイテムを受け取ったのはメインアカだからそうなったのかな、と努は考えつつもステータスカードをカウンターに置いた。



「今度からはそれを受付に預けてからダンジョンに入るんだぞ。モグリでも神の恩賜おんしは受けられるが、神の規則には適用されない」

「えっと神の恩賜? 規則?」

「ダンジョン内では死んでもあの黒門で生き返る。それはその身で経験しただろう。それが神の恩賜だ。装備は一番価値が高い物以外はダンジョンに取り込まれてしまうがな」



 努が顔面を打ち付けた場所を犬人は指差しながら説明した。その言葉で爛れ古龍のブレスを思い出して努が身震いしている中、犬人は構わず話を続けた。



「神の規則はたった一つ。――害意を持って人を殺すべからず」

「べ、べからず?」

「要するにダンジョン内で人を殺してはならない、ということだ。もし人が人を殺した場合、殺した人間は二度とこのダンジョンに入れなくなる。神に見放されることは死よりも重い。絶対にするのではないぞ」

「は、はい」



 顔を近づけられて凄まれた努は爛れ古龍を前にした時のように身を縮こませた。



「しかしステータスカードを登録していなければ、神から人として認識されない。ダンジョンのモンスターと同様の扱い、モグリとなる。ダンジョン内でモグリを殺しても神の規則は適用されない」

「つまり……」

「モグリは人間に殺された場合はモンスターと同様に粒子化し、証拠はほぼ残らない。モグリ殺しを楽しむ馬鹿もいる。次からは必ずステータスカードを持参して受付に来い。そうすれば殺されることはまずない。最悪殺されたとしてもあそこで生き返れるからな」

「……わかりました」



 そう努が口にすると犬人はよろしいと努のステータスカードを手にとった。



「これで説明義務は以上だ。何か聞きたいことはあるかな?」



 少し長めの黒髪を指で掻きながらそう言った犬人に、努は少し考えた後に手を上げた。



「……それじゃ、いくつかいいですか?」

「なんだ?」

「まずは神の規則についてです。それは人を殺さなければ違反にならないんですか? 痛めつけたりとか、モンスターを誘導して他の人にわざとぶつけたりとか」

「ほう。君はその若さで中々腹黒いようだな」



 それはどうもと努は肩をすくめると犬人はふむ、と腕を組んだ。



「命を奪わない限り神の規則には残念ながら適用されない。それと害意の無い攻撃、例えば魔法での誤射などが挙げられるな。それで死んだ場合も神の規則は適用されずにあの黒門で生き返れる。モンスターの誘導についてだが……」

「あ、それは適用されるんですか?」



 言いにくそうに言葉を詰まらせた犬人に努が先立ってそう言うと、犬人はいや、と首を横に振った。



「モンスターの誘導は神の規則に違反しない。しかし余程の事情やレアドロップを抱えているか、後先考えない馬鹿共しか擦り付けはしない」

「……あれのせいですかね」

「うむ。正解だ」



 努がこの建物の至るところに浮き出ているモニターを指差すと、犬人は静かに頷いた。



「あれは神がダンジョン内のPTを映し出している物だ。基本的には最深部攻略をしているPTや、モンスターと戦いを繰り広げているPTが映し出されやすいのだがな。このギルド内だけでも五十台ほど設置されている。もし擦り付けているところを誰かに見られれば……」

「信用を失いますよね。そんなPTに好き好んで近づく人はいない。それに報復も受けるでしょうしね」

「そうだな。だから少なくともクランに所属している奴らは擦り付けを絶対しない。した場合そのクランの評判や人気も下がるし、当然クランからも追放だ。何処のクランもその教育だけは徹底している」

「なるほどね……あ、ではあと二つほどいいですか?」

「なんだ」



 努は周りを気にするようにしながら少し小さめの声で話した。



「護衛みたいなものを雇いたいなと思うのですが、そういう制度はギルドにありますか? もしそういう制度があるのなら、出来れば貴方を雇いたいんですけど」

「……ほうほう。ステータスカードも知らない君がよくそれを知っていたな」

「あれを見てればわかります」



 黒門から出てきた者と藍色の制服を着たギルド職員。先ほどから努は見ていたがほとんどの者はそのギルド職員と共にギルドを出て行くか、ギルドの受付へ一緒に並んでいる。


 黒門から出てくる者は大抵一つの武器や防具を抱え、服は努と同じ物を着せられて吐き出されてくる。そしてギルドの外まで付いていくギルド職員。受付まではまだしも、外まで付いていくものなのかと努は疑問を感じていた。


 しかし犬人のモグリ狩りの話を聞いて、ここの治安が良くないのだと思った。そんな場所にこんな薄着で外に出ていけば悪い目に遭うことはすぐに想像できた。



「あと可能ならばチュートリアル……って言ったらわかりますかね? ダンジョン攻略の手ほどきだったり、ダンジョンの常識なんかも教えてくれればありがたいです。あ、あれです。僕孤児なんで常識がわからないんですよね」

「うむ、確かにそういう制度、ってわけじゃないんだが、ギルド職員が個人的に依頼を受けることはある。君の依頼内容はわかった。その依頼を私は引き受けよう」

「ありがとうございます。では最後に一つ」

「うむ、まだ質問があるとは少し楽しみだ。大抵のことは答えよう」



 どんと来いと鍛えられた胸を張った犬人に努は最後の質問を投げかけた。



「貴方の名前を教えて下さい」

「……私の名前はガルムだ。これからよろしく頼むよ。キョウタニツトム殿」

「あ、ツトムで大丈夫です」



 少し毒気の抜かれたようなガルムにツトムは細い目を更に細めて笑みを浮かべた。

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