第5話『優しい死』

 灰になだめられながら朝を迎えた私は、聖女二人に預けられ祭壇の間で静かに過ごした。灰や勇者リベリオ、勇者イレネーさんは私の願いを聞いてくれてアルヤンさんを埋葬しに向かった。

「いい子ねユイア。大丈夫よ」

「はい、ユイア様がお導きになったのならアルヤン様はきっとよい場所でお眠りになっています」

「……ありがとうございます」


 タイミング悪く、不躾ぶしつけな靴音と共に騎士ガブリエルがエレオノーラと共に姿を現す。彼は当然のように祭壇の間へ歩を進め聖女たちの前で立ち止まった。

「ほう? 珍しい。勇者はどうした?」

「埋葬へ向かいました。すぐ戻っていらっしゃいますよ」

「フン……」

騎士ガブリエルは明らかに私を見下ろしており、元気がないながらも私は毅然きぜんと立ち上がる。

(弱みを見せたらダメ。灰も言ってたじゃない)

フェリ様とオルタンスさんも立ち上がり、聖女たちは騎士ガブリエルに対峙する。

「何かご用でしょうか?」

「お前と言う小娘に用はない」

(親しくもない女性にお前って……)

「灰の聖女、手を」

(は?)

この場に灰がいたら絶対許さないと思うが、真意が読めず困惑する。

「フン、俺に差し出す手はないと」

「……私の足りぬ頭ではどう言うおつもりなのか全く想像出来ません」

「本物かどうか確かめようと言うだけだ」

「お近くにおられるならお分かりになるかと」

「用心深いな。灰の言いつけか?」

「それもございます」

「ほう。二百年聖女の守りを忘れていた国のくせにそこそこ振る舞うではないか」

(ほーんと嫌味)

「灰のお方は出来た方でございます」

「そう言えと?」

「いいえ。旅の始めからよく守ってくださっています」

ガブリエルはかぶとの奥で何を考えているか分からないまま押し黙り、フンと鼻を鳴らす。

「本物の聖女なら奇跡も使えるのであろう?」

「昨日お使いになられましたよ」

「何だと?」

フェリ様は私の肩を引き寄せてガブリエルに微笑む。

「貴方は見ておりませんでしたね。神殿が彼女に微笑みを」

(神殿の微笑み? 何それ?)

「本日讃美歌を聞けばお分かりになるでしょう」

ガブリエルは私をにらむときびすを返す。

「エレオノーラ、言いつけ通り歌の練習をしておけ」

「は、はい旦那さま」

ガブリエルを侮蔑ぶべつの目で見送った私たちはほっと胸を撫で下ろす。

「本当に不躾ぶしつけな男ですね」

「そうね、褒められた態度ではありません。おはようございますエレオノーラ様」

「お、おはようございます皆さま……」

エレオノーラはヴェールの下でうつむいており、どうしたのだろうと体に触れるとビクッとおびえる。

「……どうしたの?」

「な、何でも……」

「……ちょっとごめんね」

嫌な予感がした私は彼女の白いヴェールをめくる。

「あっ……!」

 エレオノーラの顔は初めて見た。金髪碧眼のお人形のような可愛らしい顔立ち。歳は私よりさらに若く十四、五と言ったところ。そしてその病的な白い肌に似合わぬ青痣あおあざが痛々しかった。

「まあ!」

「い、痛そう……」

「だ、大丈夫です! 何でもありません!」

「エレオノーラはどうしたの?」

「顔にアザが……」

「何ですって?」

フェリ様は怒った声を出すとエレオノーラをふところに手招く。フェリ様は彼女の頬を撫でると、ああと息を漏らす。

「何と言う酷い仕打ちでしょう。痛かったわね。治して差し上げます。座って」

「だ、大丈夫です」

「これは大丈夫とは言わないのよエレオノーラ。さあ」


 聖女フェリチッタが太陽の祭壇の前に腰を下ろしたエレオノーラの頬にじっと触れていると、彼女の痛々しいあざは少しずつ色を薄くしていった。

「他に怪我は?」

「あ、ありません……」

(ありそう……)

「ガブリエルからいつも折檻せっかんを?」

「い、いえ。私が悪かったんです。旦那さまは普段からそう言う……ことは……」

しない、とは言えなかったみたいだ。エレオノーラは肩を震わせて涙をこぼした。

「可哀想にエレオノーラ」

「大丈夫よ。今日はずっとここに居なさい」

「うっうっ……」


 聖女たちに囲まれなぐめられるエレオノーラ。勇者たちが戻って来るとその光景に目を丸くし、灰は怒りをまとって近付いて来たので私が手で制する。

「これには少し訳が」

「どうか、皆さまお座りになって」

エレオノーラは普段からガブリエルに折檻せっかんを受けているはずだと話すと、勇者たちは心底呆れた様子だった。

「罪なき女性に手を上げるなど……」

「騎士ってのは随分ご立派だな」

「傭兵が言えた口か?」

「なんだと?」

「祭壇の前で喧嘩しないでくださる?」

私がフンと鼻を鳴らすとイレネーと灰は矛先ほこさきを収める。

「わたくしはこのままエレオノーラを預かりたい気持ちでいっぱいです」

「私もそう思います……。エレオノーラ様があまりにもお可哀想で……」

「そうですね。いくら何でもこれは……」

ヴェール越しにエレオノーラの髪を撫でる。綺麗にはしているけど毛先はパサパサで健康とは言い難い。

(いくら不死人でもこうバサバサには……ん?)

ヴェールの下に手を突っ込んで指の背で彼女の首に触れる。

「……あれ?」

(彼女の体、ただ冷たいだけじゃない……これは……)

「どうなさった? ユイア様」

「……不死人なのに体温がある」

「え?」

「は?」

「んなまさか」

「本当です。ほら」

灰の手を掴んで手甲を引っこ抜き、彼女の肌に触れさせる。じっと待つと灰にも分かったらしく驚いて手を引く。

「……常人じょうじんほどではないが、確かに」

「どう言うことだ?」

「さ、さあ?」

「……そなたまさか」

勇者リベリオは思い当たることがあった様子で声を落とす。

「そなた、不死から生まれた赤子か?」

「おいおい冗談だろ」

「不死から生まれた赤ちゃん? 何ですか?」

身籠みごもったまま不死人になった女から生まれた赤子のことだ」

「不死なのに出産出来るんですか?」

「普通は無理だが、時々そうやって生まれる子供がいる。生まれる前から死んでいるのに産声を上げると言う不思議な存在でな」

「生者と死者の狭間の子なの。そうなのね? エレオノーラ」

フェリ様が問うとエレオノーラは小刻みに頷いた。

「だから祭壇が反応したのですね」

「ど、どう言うことですか?」

「不死の子は……魂がとても清らかなの。生まれる前に時間が止まってしまったから。修行を積んだ聖職者にも等しい力を持って息を吹き返すの」

「ああそれで……」

つまりエレオノーラは大して練習しなくても最初から聖女に近く、しかし不死人でもあるため微妙な立ち位置らしい。

「わざわざ偽物として用意するには不相応です。いささか疑問が出て参りました」

「エレオノーラ様を選ぶだけの理由があるようですね……」

「やっぱり本物に仕上げたいんじゃないのか?」

「それなら堂々と聖女の従者にするはずだ。何故聖女だと嘘をつく?」

「あー、要らねえ嘘付いてるってか」

「フム……」

みんなで頭を悩ませたがこの場では答えが出ないと判断し、それぞれ腰を上げる。

「エレオノーラはわたくしが預かります」

「お願い致します」

灰の肩越しにチラッと魔法使いシリルの姿を見かけて私はギョッとする。

「どうした?」

「今の話シリルさんに聞かれてしまったかも……」

「え?」

「ああ、心配すんな。あの人は……あれだ」

イレネーは珍しく言葉をにごす。代わりにとオルタンスが口を開いた。

「シリル先生は今の私たちの会話を秘匿ひとくしてくださったのです」

キョトンとする私に対し、灰は納得したように頷く。

「なるほど」

「え? なに一人で納得してるんですか?」

「説明してやるから来い。どなたか祭壇を頼めますか?」

「ム、では私が」

「お願い致します」




「シリルは間者だろう」

「カンジャ? って?」

 灰は私を連れ神殿の頂上に近いベランダへ足を運んだ。風が強く、ヴェールが飛びそうなので自分の頭を押さえていると灰が風上に立って背中を支えてくれる。

「ある地点と国とを行き来して情報を伝える者のことだ。灰の国にもいる」

「……えっと?」

「馴染みがないから分からないか?」

「全然分かりません……」

「よほど平和なところにいたんだなお前は」

「戦争は経験したことないので……」

「……何だって?」

「私の国は百年近く大きな戦争がなかったんです」

灰は信じられない様子でビックリしていた。

「……そんな世もあるのか」

「この世界怖すぎます」

「そんなところから来たらそう思うだろうな……無理もないか」

「シリルさんはカンジャさん、なんですか?」

「情報を揉み消したり漏洩ろうえいを防いだりしていればそうだろう。情勢によっては暗殺者を兼任していることもある」

その言葉で思い当たる物がありピンと来た。

「忍者ですね!?」

「ニンジャ?」

「母国の古いお芝居にそう言う職業があるんです! 王様の代わりに情報を集めてきて、お芝居の最後では王様の代わりに悪人をやっつけたりします!」

「ああ、近しいな」

「シリルさん忍者なんだ……」

時代劇を先に思い浮かべスパイと言う概念が出てこなかった私は、シリルさんイコール忍者で納得してしまった。

「灰の国にもいるんですか? 忍者さん」

「無論。俺に何かあってお前が一人きりにならないよう常に控えている。どこにいるかは俺も知らん。音と姿を消して移動しているからな」

「……え、じゃあ旅の最中も?」

「いた」

「ええー!!」

色々恥ずかしいこともバレてる気がする! と顔を手で隠す。

「私のプライベート……」

「そう言うところを黙っているのも間者の仕事だ」

「恥ずかしい……」

「いない者と思え。間者とはそう言う仕事だ」

「いるって分かったら無視出来ません……。うう、あれとかこれとか、それとか……あうう……」

「どうせ接触はしないのだからそのうち忘れる。いや、忘れろ」




 祭壇へ戻る途中、アルヤンさんが果てていたベランダに差し掛かり私は思わず立ち止まってしまう。

「……もうそこには何もいない」

「でも……」

「悔やむならその分祭壇へ祈ってやれ。聖女の仕事だ」

「……はい」


 今日は朗読をせず、アルヤンさんに祈りを捧げるため私は聖書を手に祭壇に向き合った。


「……“ああ、遠い火。灰となる者を家へ招いてください。あなたの光で夜を過ごせるように。寒空を越えて耐えるために”」


(アルヤンさんの魂が温かで穏やかな場所へ辿り着きますように……)


「“ああ、遠い火”……」


また世界に祭壇と自分だけしかいないように感じた私は聖書を閉じて両手を胸の前で握る。

(アルヤンさん……。きっと痛かったはず、苦しかったはず……)

罪悪感は捨て切れない。これを一生抱えていくと思う。そしてこれから、この残酷な世界で見送る人は増えて行くはず。

(私が余計なことしなければ良かったのに。ごめんなさい)


「“明るい火。迷える者のために立ちのぼってください。家へ帰る者のためしるべとなってください”」


知らないはずの鎮魂歌を歌う私の前で、祭壇から炎がふわりと上がり蝶の姿となる。小さな蝶は祭壇から飛び立つと神殿の高い天井へと消えていった。

目を閉じていた私は目の前で起きた奇跡も知らず、灰や、ほかの不死人、ガブリエルが蝶を静かに見送ったことも知らなかった。ガブリエルは不満そうにフンと鼻を鳴らした。

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