第4話-2

「ふにゃあ……」

「聖女が大口であくびをするな。みっともない」

 朝一番に灰の小言が飛んできたのでブーツのかかとでガツンと彼の足の甲を踏み抜く。大丈夫、彼は鉄靴を履いているから穴すら空いていない。灰は足を押さえてプルプルと震えていたのでざまあと思いながらしれっと聖女の態度に戻る。

「……まあいい」

(フン、カッコつけちゃって)

「で、散歩には行けたのか」

「ええ! 貴方あなたと違ってとっても紳士なロナルド様がお誘いくださって」

「そうか」

「……知り合いですか?」

「そんなところだ」

灰のそばに寄ってじっとしていると灰の体からふわりと物が燃えるニオイが立つ。

(変だな。香りもロナルド様とは全く違うのに何で昨日は灰を思い出したんだろう……)

「……何だ?」

「ん?」

「急にそばへ寄ってどうしたんだ」

「理由なく寄ったら駄目ですか?」

「え、いや……そんなことはないが……」

何故か灰はドギマギしている。

(変なの)


 歌の準備を進めていたらガブリエルに連れられたエレオノーラが顔を見せる。昨晩気持ちを私に吐けたこともあって顔面蒼白がんめんそうはくとはなっておらず、落ち着いている様子だったので私はほっとする。

「ご機嫌よう諸君」

現れたガブリエルは祭壇までのカーペットの真ん中を堂々と歩いて来る。本来そこは聖職である聖女しか通ることを許されないのに。

(本当に尊大よねこの人)

「ウム! おはようございますガブリエル殿」

「……どうも」

灰に至っては挨拶すらせず、二人はまた至近距離でガンを飛ばしあっていた。鋭い眼光がぶつかり合って周りの石が砕けそうだ。

(こっわ……)

「あ、あの……」

不安げなエレオノーラの背を優しく支え、私はオルタンスさんに目配せをする。

「大丈夫ですよエレオノーラ様。昨日の通りに行いましょう」

「エレオノーラ様、お手を」

フェリ様にうながされエレオノーラは聖女の手を取る。

「大丈夫よ」

「は、はい……」


 四人で讃美歌の練習を始め、今日はガブリエルが飽きるのを待つため二巡三巡と繰り返す。

「……おい、こんなにやるのか?」

「ウム! 聖女たちも人数が増えて喜ばしいのであろうな!」

「……チッ」

私たちは目配せをしたり手を握って合図を送り合うと、エレオノーラを中央へ動かし聖書を開かせる。

「わ、わたし歌は……」

「これだけ声が出てるなら見よう見まねでも出来るわ。大丈夫」

「広場へ出たら二階の祭壇の方を向いて、落ち着いて歌うのよ」

「う、でも……」

「私たちに任せて。カバーするわ」

「歌は心よ、エレオノーラ」

聖女たちが頭を突き合わせているとガブリエルはだんだんイラつき始める。

「何をコソコソと……」


 聖女たちが不死人をしりぞけて広間の真ん中へ向かうとガブリエルはまさかと二階の祭壇を見る。


「……あー……」


エレオノーラはガチガチに緊張していた。声が震えている。しかし私たちが発声をし、彼女の背を両側からさするとエレオノーラの声も伸びていく。

(今よ)

ポンポン、と背を叩いてあげるとエレオノーラは大きく息を吸った。


「“ああ、全ての白い光”」


「っ……!?」


「“部屋を温める白い光。薔薇のガラスを通り私たちを導いてください”」


先導部分を終えたエレオノーラに続き私たちは輪唱を重ねる。女性四人の声が高い天井に響き、反射し、神殿を包み込む。聖女三人の力が加わった歌は神殿内に変化をもたらした。


 二階の祭壇には何もなかった。火の祭壇のような薪も、結晶の祭壇のような鉱石のつぶても、太陽の祭壇のような天からの光も。

しかし、何かがキラリと輝いた。まるで鏡に跳ね返された太陽光のような光が。

それは一瞬とは言え確かに一階の広間の元へ届き、私たちはふっと笑った。

「えっ!?」

「い、いま光ったよな?」

「おお!? 本物の聖女なのか!?」

不死人たちはザワザワとした。一番驚いていたのが誰でもないガブリエルで、彼は祭壇とエレオノーラを何度も見比べた。

「さすがエレオノーラ様」

「ええ、お上手になりましたね」

「そ、そんな。皆様のおかげです……」

ガブリエルは歌が終わると早々にエレオノーラの腕を掴みその場を足早に出て行く。

「だ、大丈夫かな……」

「……後で様子を見に行きましょう」




「あれは一体何だ」

「な、何って……」

 エレオノーラは二階へ連れて行かれると祭壇をくまなく調べたガブリエルに問い詰められる。周りには音が届かないよう音消しの結界が張られている。

「何だと言っているんだ!」

「わ、私は貴方あなたの言う通りにしただけです!」

「口答えを……」

バチンと頬が叩かれる音がする。

「いっ……たい……」

「聖女から歌を学べとは言った。祭壇へ捧げろとは言っていない」

「で、でも……うっ!」

ガブリエルはまたエレオノーラを叩く。

「お前は飾りだ! 立場をわきまえろ!」

「ごめんなさい、ごめんなさい……!」

ガブリエルは何度も何度も、エレオノーラを叩いた。




「本当に才覚があるのやも知れません」

「エレオノーラにですか?」

「はい」

 歌を終えた私たちは休憩にテラスへ出ていた。

「確かに私たちはエレオノーラ様の補助をしましたが、前提としてそれぞれの聖女がそれぞれの聖なる方から加護を受けているため、属性がバラバラなのです」

「属性? と言うと太陽とか結晶とかですか?」

「ええ、聖女の讃美歌はあくまで先導者に従う。後続は先導する者の属性を押し上げる効果しかありません」

「私たちは後押しをしただけなのに鏡の国の讃美歌が祭壇に届いた?」

「ええ」

「でも彼女、不死人ですよ?」

「そこですよね」

聖女と言うのは生きたまま祝福を受け力を授かった者を指し、不死人は含まれない。

「生者にしかなれないはずの聖女の才覚がある……不思議ですね」

「ええ。ですがこれもまた、神々のお導きなのかも知れません」

「嘘から出たまことですね」

私がそう言うと二人は「ん?」と首を捻る。

「私の母国にあることわざなのです。最初は嘘をついていたけど本人も思いがけずそれが事実になることを指します」

「まあ! まさにエレオノーラはそれでしょう」

「だとしたら喜ばしいことです」

「いや、そうとは限りません」


 聖女たちの話に割って入ったのは他でもない灰だった。

「まあ灰の勇者さま」

「ご機嫌よう聖女さま方。ガブリエルはあの女を利用し何かを成し遂げようとしているのは見て取れます。あれが本当に力を持ってしまったら悪い事態に進むかも……」

「いいえ灰の勇者さま。それは杞憂きゆうでしょう」

「何故そう言い切れるのですか? 薄明の聖女」

「どうか気軽にフェリと。エレオノーラは恐らく偽物として振る舞うよう指示されているはずです。本当の聖女になってしまうとガブリエルが思い描く展開から外れ都合が悪いでしょう」

「何故そのようにお思いで?」

「直感です」

根拠がないように聞こえるが、聖女たちは特別な祝福を受けた存在だ。直感も啓示けいじの一つとなることがある。なかなか無視できないことだそうだ。

「……左様でございますか」

「ええ。ですのでわたくしたちはエレオノーラを保護し、ガブリエルへの対応は勇者さま方にお任せ致します」

「無論、あんな野蛮人を聖女に近付けさせはしません」

「ふふ、頼りにしております」

「皆さま、祭壇へお戻りでしたらご案内致しますが」

「ありがとうございます。ですがわたくしはオルタンス様にお話がありまして」

「え? 本当ですか?」

「ええ。ですからユイア様は先にお戻りに」

「わかりました。ではまた後で」

「ええ、ご機嫌よう」

「ご機嫌よう」




「好きな色は?」

「何ですか急に」

 廊下を歩き出すと灰はそんなことを聞いてきた。私が突然何なんだといぶかしむも灰は気にせず続ける。

「赤、太陽、緑、青、青紫、紫とあるだろう。どれだ?」

「太陽?」

(オレンジ色のこと? この世界オレンジって概念がないのかな……)

「太陽は太陽だろう」

「それ虹の色ですよね? 太陽にあたる部分は私の国だとオレンジと黄色ですね。七色なんです」

「……そこも違うのか。まあ、いい。で、どれなんだ」

「えー好きな色? ……あんまり考えたことなかったです。いて言うなら青かな……」

「青か。わかった」

(何が分かったんだか……)

「他には? 食い物の話でもいい」

「普通の食べ物食べられない私によく聞けますねそんなこと」

「ウッ」

「まあいいですどうでも。どうせ言ったところで文化が違いすぎて通じませんし」

(チョコとかアイスとかないでしょこの世界)

「し、質問に答えろ。とにかく好きな物だ」

(ロナルドさんにもそんなこと聞かれたな……偶然?)

「うーん……何でしょうね。記憶がハッキリしてる訳じゃないし、昔のことはあんまり覚えてないんですよ」

「……そうか。花は好きか」

「お花? まあ、そこそこ」

薔薇バラは?」

「そんなに。この世界にあるか知りませんけど、ポピーとかアネモネが好きです」

灰は黙ってこっちを見ていた。困惑している。

「あーはいはい、ないんですねポピーは。このくらいの丸く開く花なんです。真ん中が黒っぽいんですが、赤とかオレンジ……太陽の色? が有名で」

指で輪を作り大体の大きさを作って見せると、灰は嗚呼とうなずく。

「アドニスならこちらにもある」

「ああ、アドニスって言うんですね」

「次の探索で見つけて来てやる」

「期待しないで待ってます」




 朗読をしようと呪術師アルヤンを待っていたのだが、彼は珍しく姿を現さなかった。魔女ビルギットも来ず、目の前には魔法使いシリルだけ。

「……では第四章第一節から」

「聖女」

「はい」

「今日は朗読ではなく歌にしたらいかがだろう」

「歌ですか? 構いませんが……」

「朗読を聞かせる相手が私一人ではつまらないだろうし、歌なら広間にいる者も聞くだろう」

「私は例え聞いてくださる方がお一人でもいらっしゃるなら朗読しますよ」

「私はそう言うは求めていない」

取りつくろうなと言うニュアンスで言われたので、じゃあと私は立ち上がる。

貴方あなたが良いなら歌にします」

「そうしてください」


 シリルに背を向け聖書を手に火の祭壇へ向き合う。灰は壁に寄りかかり私を見守る。


「“ああ、聖なる炎。かまどに立ち上ってください。私たちにパンを与えてください。それを隣人に与えるために”」


この神殿で歌う讃美歌の不思議なところは、聖女が主旋律しゅせんりつしか歌わないのに伴奏ばんそうがあるように聴こえてくるところだった。耳を澄ませるとパイプオルガンのような音が私の歌に合わせて響いてくる。


「“ああ、勇ましい火。戦士たちを強く導いてください。世界の根本へ辿り着けるように。彼らが理想郷を手にするために”」


シリルと灰は私の歌を静かに聴き、広間にはチラホラ人が集まっていた。私は彼らの様子すら目に入らないほど集中し、目の前の祭壇と自分だけを感じ取る。


「“ああ、遠い火。灰となる者を家へ招いてください。あなたの光で夜を過ごせるように。寒空を越えて耐えるために”」


讃美歌にはそれぞれの情景があり、歌っているとだんだんどう言うシチュエーションで歌うのかよく分かって来た。

戦士を送り出す歌。

隣人と糧を分け合う歌。

子への祝福を願う歌。

帰郷のための歌。

どれも大切だし、意味はわかる。歌は心よ、とフェリ様が言っていた。色んな人が子供で、親で、恋人で、兄弟で、孤児だから。聖女は全員のために道を示さなければならない。


「“ああ、穏やかな火よ。遠い子のために立ち上ってください。あなたのそばへ帰れるように。灰になれない子のために”」


祭壇の火がふわっと舞った気がして、私はハッと意識を取り戻した。歌いながら眠ってしまったような、心がここになかったかのような。


 シンと静まり返った周りに気付いて振り向くと、フェリ様やオルタンスさんの朗読を聞いていた人たちも聖女も全員私の歌に聴き入っていたようだ。顔がカーッと熱くなり、私はシリルの方へ向く。

「お上手でした」

「あ、ありがとうございます……」

(恥ずかしい……)

周りにペコペコお辞儀をして終わりですと告げると人々は祭壇の間から出て行った。


 顔を真っ赤っかにした私は椅子に座り気分を落ち着ける。灰はそばにやって来て私の隣へ腰かけた。

「今までで一番よかった」

「そ、そうですか。何だか夢中になってて……」

「お前の歌は特別上手い訳ではないが、ああいや、技術はないが、何だ、その」

灰は言葉に悩みながら感想を言おうとしている。

「……スープがよく染みたパンと言うか」

「なに?」

「飲み込みやすい」

「飲み込み……?」

「頭によく入る。俺は芸術には詳しくないが……まあそんな感じだ」

めてくれてるなって言うのは分かりました。素直に受け取ります」

「そうか、よかった」




 結局夜までに呪術師アルヤンは現れなかった。魔女ビルギットも来ず、常連が来なくなった喫茶店の店主みたいなわびしい気持ちを味わってしまい、祭壇の見張りを勇者イレネーに任せて私は灰と散歩をする。

「アルヤンさん来ませんでしたね……」

「探索にでも出たんだろう」

「でも毎日必ず顔出してたのに……」


 二階の庭へ出た時だ。何かを見た灰が息を飲み、私を抱き寄せる。

「えっ、ちょっと何」

「見るな」

「え?」

「……目をつむってこのまま立ってろ」

「え、あの……」

「目をつむれ」

仕方なく言う通りにして行儀良く立つと、灰はヴェールをめくって私が目を閉じているのを確認してゆっくり離れる。

「どうしたんですか?」

「……そのアルヤンが死んでる」

「え!?」

「見るな!!」

目を開けてしまったものの灰の強い口調で後ろを振り向くことをためらい、自分の両手をギュッと握る。

「アルヤンさんがどうして……」

「……これは多分自滅だ」

「じ、自滅?」

「呪術の火と奇跡の火は別物だとお前の前でも言ったが、この男はそれを分かっていて奇跡を試したんだな。自分でも使えるだろうと」

「そ、それがどうして死に繋がるんですか?」

「同じ炎に見えて二つは奇跡と呪術。水と油だ。混ぜ合わせることは出来ん。体の中に矛盾した二つの属性があると強い方が片方を追い出そうとする」

「そ、それで死んじゃうんですか……?」

「こいつの場合そうなったと言うだけだ」

「そんな……私のせい……」

灰は戻ってくると私の肩を優しく抱き寄せる。

「お前のせいじゃない。こいつの自業自得だ」

「でも私が教えなければ……」

「お前のせいじゃない」

灰の胸にすがると、彼は私の背を優しく支えた。

「ごめんなさい……」

私の目元からハラハラと涙が落ちる。

「お前は謝る必要すらない。導きの力を自分のためだけに使った呪術師のせいだ。奇跡は万人に分け与えるための力。自分のために使うとこうなる」

「それを先に知ってたらアルヤンさんに教えなかったのに……」

「お前は正しいことをした。求める者に奇跡を分け与えただけだ」


 灰は私の涙が落ち着くまで待ってくれた。

「あの、アルヤンさんにお祈りを捧げたいです」

「駄目だ。死体が……」

「見ないようにします。アルヤンさんの前に連れて行ってください」

灰は、目をつむった私の手を引いて庭先の茂みの前まで進んだ。

「……この茂みの向こうにいる」

「アルヤンさん……。ごめんなさい、苦しかったですよね」

両手を握った私は涙が一筋流れるのを感じながら祈る。

「どうか、あなたの魂が穏やかで温かい場所にありますように。この世界で一番優しい場所にありますように」

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