第3話『聖女たちの供物(くもつ)』

 翌朝。フェリさんとオルタンスさんのおかげでだいぶ回復した私が身支度を整えて部屋を出ると、灰とバッタリ遭遇した。

二人とも何も言わず会話にならないので、私は聖書を抱えたまま勝手に歩き出す。

「……無理に祭壇へ戻る必要はない」

「どうせひまですし仕事はします」

「おい、待て」

灰は鎧を鳴らして歩いてくると左腕を差し出した。

「一人で歩くな」

「……はいはい」

しっかり触るのが嫌だから控えめに灰の腕に手を置いた。


 別に無理に会話しなくていいしと思ってお互い黙ったまま祭壇の広間の手前までやって来ると、不死人の一人がバタバタと駆け寄って来た。

「灰の聖女!」

初日に寄って来た呪術師だ。生えるままのヒゲを見てお爺さんだと思っていたが、顔をよく見ると意外と若い。灰と同じくらいの若さじゃないだろうか?

面倒くさいので任せようと灰の右側に隠れると、当然と言わんばかりに灰は私を隠した。

(まあ、最低限は守ってくれるもんね)

「ご、ご加減はいかがですか?」

呪術師は灰の勇者は怖いみたいだけど初日と違って私の顔を見ようと勇者の前からヒョコッとのぞき込んでくる。

「もしよろしければ、よろしければですが! 奇跡を習いたいので本日祭壇をお訪ねしてもよろしいでしょうか?」

「呪術師が奇跡を? 呪術の炎と奇跡の炎は別物だろう」

「だからこそ学びたいのです! 是非!」

「……どうする?」

灰に問われるものの私は首を横に振った。今日は先約があるから無理だ。

「ダメだ」

「明日なら。もしくは午後……」

と小声で灰の背に言うと彼は息をつく。

「……明日にしろ」

「わ、わかりました! では明日……明日お訪ねします!」

断られた方より約束が出来た方が嬉しかったのか呪術師は機嫌良く去っていった。

「無理に教える必要もないぞ」

「予定が早く済めば調整出来ますし構いません」

「……そうか」


 祭壇の間へ戻るとフェリさんとオルタンスさんが待っていてくれた。軽く朝の挨拶を交わすと、私たちは聖書を手に相談を始める。

「いきなりで驚かれませんか?」

「気にしないのが一番よ。不死人はみんな畑の芋だと思いなさい」

「芋……」

灰の頭がジャガイモになってしまったのを想像した私はプッと吹き出す。

「どうされました?」

「いえ、灰の方の頭をジャガイモで想像したら面白くて……」

「灰の勇者さまがジャガイモならわたくしのお兄様はカボチャね。体が大きくて意外と堅物カタブツなの」

「ブフッ」

「我があるじはー……岩ですかね! 石頭なんです!」

「そ、その辺にしましょう……」


 フェリさんが兄リベリオに話をすると、彼はサッと灰と勇者イレネーを連れて祭壇の間から出た。彼らは広間の入り口で何が起こるのかと首を傾げている。他の不死人たちも何だろうと寄ってきて、広間の前にはすっかりギャラリーが出来上がっていた。


「アー……」


 私たち三人はまず中央の太陽の祭壇を前に発声練習を始めた。


「“おお、我らの太陽よ。夜明けに生まれた子を招きに来てください。遠く日の差さない国にも訪れてください”」


フェリさんが先導し、オルタンスさんと私は繰り返しに差し掛かると彼女が歌った部分を全く同じに追いかけていく。女性たちの高音が丸い天井に反射して響き、讃美歌が神殿全体を満たしていく。


 不死人たちは驚くほど静かに聴き入った。太陽の祭壇へ歌を捧げた私たちは次に結晶の祭壇へと向きを変える。


「アー……」


今度はオルタンスさんを中央にして発声を挟み、彼女が先導で歌い出す。


「“尊き竜よ、どうぞ山を越えて我らに息を吹きかけてください。私たちは何よりもそれを望みます”」


輪唱をして、最後に私を中央にして火の祭壇へ向き合う。


「アー……」


正直ガチガチに緊張している。でも二人がいるから大丈夫だと自分に言い聞かせて私は大きく息を吐いた。


「“ああ、人の魂たる炎。神より分けられた初めの力。いつか灰となる私たちを訪れてください”」


先導部分を何とか乗り越え、二人の輪唱に負けないよう声を出す。背筋を伸ばして喉を開いて。


 汗をビッショリとはいかないけど、歌が終わるとドワッと体が熱くなった。

(き、緊張した〜!)

よく出来ました、と二人に優しく背を叩かれて胸を撫で下ろす。

フェリさんが振り向いて広間の勇者たちに頷くと、男性たちはすぐそれぞれの祭壇へと戻った。不死人たちはボンヤリしていてギャラリーはなかなか散らない。私はまた人目を避け祭壇脇に椅子を置いて腰を下ろした。

「……いつの間に練習を?」

「昨日お二人と一緒に。でも音が反響する祭壇前の方が良いとおっしゃられて今日からそれぞれが一日一曲練習することになりました」

「明日も?」

「はい。人前は緊張しますがまあ、やってみます……」

火照ったままなので顔をパタパタと手であおぐ。

「……そこまで必死になる必要はない」

(人が頑張ったのにそう言うことを)

「何かお言いになりまして?」

「いや……何も」

(あっそ)

 讃美歌のおかげか不死人たちは聖女たちが訪れてから初めて祭壇に足を運んだ。明日来ると言っていた呪術師も待ち切れないといった雰囲気で訪れ、私は横で目を光らせる灰の気配を感じながら聖書の朗読をした。




 翌日翌々日と歌の練習と不死人たちの訪問は続き、私はやっと聖女らしく役目を果たすことが出来た。目の前にいる人に話を読んで聞かせるのは子供に絵本を読んでいる感じがして、人がそれぞれ床に腰を下ろし私を見上げる光景は穏やかで静かだ。

 不死人たちは最初こそ団子になって座ったものの通い続ける人は少なくなり、何日か経てば常連の顔ぶれが決まっていた。


 一人目は最初から熱心だった呪術師のアルヤン。溝の国の出身で、火に対する研究心が強すぎて生きてる間もあちこちを放浪していた。不死人になった時は嬉々として探検に出て、神殿へは礼拝程度に訪れたそうだ。


 二人目は結晶の国の魔法使いシリル。彼の場合は祭壇の間へは入らず入り口で立ち聞きをしていて、最初は他の聖女の話に耳を傾けていたものだと思っていた。しかしある時私しかいないタイミングで来て私目当てだと判明した。

結晶の国の出身と聞いてオルタンスさんに聞いてみたら彼は若くして魔法院の上位にのぼり詰めた天才で、オルタンスさん共々イレネーさんに結晶魔法を教えた先生だった。この世界では魔法使いと言うのは傲慢ごうまんな人が多いらしいが、シリルさんはその中では腰が低く出来た人だとオルタンスさんはベタ褒めにしていた。


 三人目は影の国の魔女ビルギット。闇魔法使いは総じて魔女と呼ばれるらしく、男も女も関係ないと灰が言っていた。闇魔法使いは聖職の対極に位置するため本来は神殿に入ることすら嫌うそうだが、不死人となると抵抗感は薄らぐらしい。

彼女もシリルさん同様祭壇の間へは入らず壁に背を預けてそっと聞いているだけ。何故私がそれを知ったのかと言うと、朗読が終わってすぐ広間へ出たら彼女が慌てて逃げていったから。とんがり帽子を被った黒い背中を見かけただけなので顔はわからないが、綺麗な赤毛だった。


 固定の顔ぶれが決まったある日。私は試しに入り口に立つ魔法使いシリルをチョイチョイと手招きしてみた。シリルは意外そうに目を丸くしたが、嫌がらずに入って来て私の前へ腰を下ろした。

「では火の聖書、第三章、第四節から」

 一節終わったので今日はこれで終わりと告げようとすると、呪術師アルヤンは続きを頼んでくる。

「頼みますもう一節、もう一節お願いします」

「……あまり立て続けだと内容を噛み砕く前に進んでしまいますよ」

「お願いします!」

(アルヤンさんがおねだりするの珍しい……)

「私からもお願いしたい」

意外なことに魔法使いシリルもアルヤンの意見を後押しした。

貴女あなたの声は長く聞いていて飽きない。正直なところ私は聖書の内容を記憶することより貴女あなたの声を聞くことに重点を置いている」

(それで通ってたの?)

入り口をチラッと見ると魔女ビルギットのローブのすそが見えている。今日は三人ともここに長くいたいようだ。

「……わかりました、では続きを。第三章、第五節」


 当然と言えば当然だが聖女の中で人気なのはフェリチッタ様で、私とオルタンスさんは常連がいても二、三人だしその人たちもあまり長く居座らなかった。フェリ様は私たちと違ってベテランの聖女と言うか、お話も慣れているし歌も上手いしで完璧だった。そんな人の話を聞きたい不死人は多く、塩の国の王子もその一人。王子は神殿の前で散々泣き尽くして謝り倒した結果立ち入りを許され、私ではなくまずフェリチッタ様の教えを聞きに通っていた。

(王子の場合うちの勇者が怖い顔で威嚇いかくしてるから近寄れないが正解だと思うけど……)


 二節読み終えるとアルヤンたちは満足して腰を上げた。

「また明日、よろしくお願いします」

「ええ、またどうぞ」

アルヤンは小声で何かを呟きながら急いで戻っていった。魔法使いシリルは何故かその場に留まってじっ……と私の顔を観察する。

「何でしょう?」

「いや、貴女あなたの声をどこかで聞いた気がして記憶の棚を探っているのだが、答えに辿り着かなくてな」

(異世界人の声を聞いたことがあるってそれマジで言ってる?)

「どなたかと勘違いなさっているのでしょう」

「私は記憶をたがえることはない。国祖たる魔法使いユーグに誓おう」

(ええー……)

「……明日までに答えを見つけておく。では失礼」

魔法使いシリルも出て行き、残るは魔女ビルギット。ローブがその場に残っているのでそっとその側へ寄る。

(声かけたら逃げちゃうよね……)

どうしたらいいだろうと考え、私は聖書を開く。

(もう一節読む? でもな……)

「……“ああ、火鉢に燃える炎よ。その熱で眠る子を温めてください。母よりも子を温めてください。眠る子を寒さから遠ざけてください。母よりも子を温めてください”」

小声なのでほかの朗読を邪魔することもないだろうと私は歌う。どちらにしろ練習しておきたかった部分だし、ビルギットはまだ戻りたくないようだし丁度いいと思う。

「“ああ、聖なる炎。かまどに立ち上ってください。私たちにパンを与えてください。それを隣人に与えるために”」

「……グスッ」

(あれっ!? 泣いてる!?)

心配になって柱の影から覗くと、ビルギットは膝を抱えたまま震えていた。

(だ、大丈夫? って聞きたい……。うう……)

「お母さま……」

(え? ん?)

ビルギットは涙を汚れたそででぬぐうと泣きながら駆けていった。

「……魔女と関わるのは一切やめろ」

「ヒィッ」

真後ろから灰に声をかけられたので思わず身がすくんだ。

「な、何故ですか……?」

振り向くと灰はまた魔物の一、二匹簡単に殺せそうな気迫で怒っている。

「闇魔法と聖職は対極に位置する。互いの力がぶつかると相殺してしまう。要するに聖女はけがれてしまうし、魔女は清められて弱……いや死ぬ。死ね」

(なめらかに殺意を込めないで……)

仲良く出来ないと知って心から落胆する。お友だちになれそうな予感があったんだけどな……。

「……分かりました。以後気をつけます」

「……本当に気をつけろよ。おどしではなくだ」

「え」

「用がないなら座ってろ」

私は思わず祭壇に戻る灰の背をポカンと見つめる。

(は? 灰が本気で私の心配してるとか? いやまさか)

灰の背をじっとり睨んでから首を振って考えを否定した。

(今さら絶対許さない)

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