第2話-4

 ウンウンと頭を悩ませながら朗読をハイペースで進めていたある日。夜明けに突然頭が痛くなってしまい私はこめかみを抑える。

(うう……)

灰の勇者は帰って来てないし祭壇からは離れられない。横になりたい気持ちをこらえながら椅子に腰掛けていたら頭痛はどんどん酷くなっていった。


「……あれ?」

 気が付いたら見知らぬ天井だったのもこれで三度目だ。祭壇の広間とは違う窓型のステンドグラスに刻まれた聖女たちが私に優しく微笑む。

手に違和感を感じ広げると、石炭のようなものを握っていた。

(何だろうこの石……)

頭の痛みはだいぶ引いていた。気怠けだるいものの何とかベッドから起き上がると、丁度灰が部屋に入って来た。

「あ……」

また怒られるのだろうと視線を落とすと目の前にエリクサーの瓶が差し出された。

顔を上げると兜の下にはいつも通り灰の不思議な黄昏色の瞳がこちらを見ていた。

「飲め」

「でもこれは勇者さまの……」

いつもヴェールを被っていたから何も被らない状態だと落ち着かないい。顔がスースーする。

「エリクサーは祭壇に捧げれば無限に復活する」

(まあ、そうなんだけど……)

受け取ったビンは重かった。コルクを抜いてエリクサーに口をつけると、不思議なほど満たされる。

(飲み物なんて久しぶり)

やはり聖女と言うのは普通の人間ではない。神殿に着いてから飲み食いをしなくても喉も乾かないしお腹も空かないから変だとは思っていた。

(私、もう人間じゃないんだ……)

私の隣に腰掛けた勇者にエリクサーを返すと「もういいのか」と問われる。

「もう大丈夫です」

勇者は私の横顔を見つめたまま何か考えると、再びエリクサーの瓶を差し出した。

「満足するまで飲め」

「もう大丈夫ですので」

「お前の言う大丈夫は“大丈夫ではない”と言うことが今回ハッキリした。何故無茶をする?」

(無茶させてるのは誰よ)

「……言いたいことがあるならハッキリ言え」

そっぽを向いて黙っていると勇者は溜め息をつく。

「俺を嫌うのは構わん。だが聖女を守るのは勇者の役割だ」

「存じております。勇者さまは義務を果たしてくださっております」

「なら何故そう不機嫌になる? 何が至らぬ?」

「お気になさらないでください。言ったところで理解してもらえるとは思っていません」

「話さなければ永遠にわからんぞ」

「……異世界から来た小娘の言うことなど誰が理解するでしょう」

私は外から落ちて来た異物だ。テーブルクロスに落ちたソースの染みだ。

「ただでさえ訳の分からないまま聖女だなんだと言われて、勝手にあがめられて気味が悪いのに、聖女の責務だ義務だと聖書を押し付けられて読むように言われる。若くて美しいからと男はいやらしい目で見てくる。それを疲れたと言えば文句を言うなと口をふさがれる。地獄よ」

灰は珍しく黙って私の言葉を聞いている。

「ユリア様や聖女さまと話していて分かったことがあります。私は異世界で平民でしたし、魔法のない世界から来ました」

「……魔法がない?」

「科学と言うものが社会を保っている世界です。この世界で近いのは錬金術でしょうか。魔法と言う概念はあります。でもそれは過去の人間が抱いた空想と言う位置付けで、実際にはなかったとされています。人は魔法を使えない代わりに万人が等しく科学の恩恵を受けています」

「……では魔法も奇跡も使ったことはないと?」

「ありません。手や杖から炎や氷が飛び出るのは空想やお芝居の中だけです」

そうだ、元の世界で言えばここはゲームの中だ。ダークファンタジーのゲーム。そう言うもので遊んでいた気がする。

「……魔法も奇跡もないのに人は平穏に暮らしているのか」

「科学のおかげで人口も爆発的に増えました。なくてはならない物です。そう言う意味では、この世界の魔法と私の世界の科学は同じ位置にあります」

「……それで?」

「何がですか?」

「話の続きは?」

話して何になるだろう。決定的な違いを叩きつけるだけなのに。ここに埋められない溝がありますって言えばいいの?

「私の世界では成人は十八です。二十歳だったこともあります。女性が十六で成人とされていたのはずいぶん昔の話です。元の世界なら私はまだ未成年だし、飲酒も許可されていません」

「……まだ子どもだったのか」

「こっちなら塩の国の王子とあんまり変わらないんじゃないですか? 知りませんけど」

何とも言えない空気になり盛大に溜め息をつく。だから嫌だったんだ話すの。

「もういいですか? 疲れたのでほっといてください」

灰の勇者は何か言いたそうだったが、口をつぐんで腰を上げた。

「何か必要な物は?」

「ありません」

「本当にないのか」

「ないっつってんの、しつこいな」

「……ベルを置いておくから必要なら鳴らすように」

灰の勇者に八つ当たりしたって何にもならないのに。彼が部屋を立ち去った後、私は一人で静かに涙を流した。




 灰は一日一回私の様子を見に来た。

エリクサーを飲めと差し出し、私はそれを無視しベッドの上で聖書をぼんやり黙読もくどくして、しばらくすれば彼は去る。

灰は祭壇に戻れだの聖女の義務がどうだのを言わなくなった。

 呼ばれないなら仕事もないし、いよいよお払い箱かと考えているとその日は珍しく聖女二人が部屋を訪ねた。

「お加減はいかが?」

「フェリ様、オルタンス様」

二人をベッドに招いて三人で並んで座る。

(いつ振りだろう、こう言うの。前は三人でよく並んで散歩してたな……)

「灰の勇者さまに色々とお聞きしました」

「そうですか」

「わたくしたちは成人もしていない娘にかなりの無理を強いていたのね。ごめんなさい」

二人は私に頭を下げた。

「……お二人が悪い訳じゃありません。社会の規律ルールが違うだけです」

「だとしても、よ」

「申し訳ございませんでしたユイア様……」

「……二人に謝られても嬉しくないです」

二人は頭を上げてくれた。私はうつむいたままだけれど。

「灰の勇者さまから言伝ことづてを預かったの。よければ聞いて頂戴」

「……彼はなんて?」

フェリ様は灰の考えを話してくれた。

彼は私が最初からたくみに言葉を操ることから元の世界でも上流階級だと思っていた。成人年齢も同じだと考えていたから言動が幼稚で余程ワガママに育ったのだろうとも。厳しい言い方をしてこの世界の決まりを見せていればそのうち納得すると考えていたとか。

「悪いことをしたと、そうおっしゃっていたわ」

「……今更謝っても遅いんですけどね、彼の場合」

「それでもお詫びするとおっしゃったわ」

「今更いいです、別に」

謝られたところでどうにかなる話ではない。価値観が違うんだから。

「……それとね、多分これも貴女あなたは知らないだろうから教えてあげてと話されたの。聖女の役目に就けなかった娘たちの行き先ね」

ドク…と心臓が締まった。嫌だ、聞きたくない。

「修行を無事に終えても全員が聖女になれる訳ではないわ。その時必要な聖女は一つの国に一人ですから。残った娘たちは、修道院が身柄を引き取るの。次の神母として聖女を育成する立場に変わるのよ」

「……役に立たないなら道端にポイッて捨てられて終わりでは……?」

「まさか!」

フェリ様とオルタンス様はやっぱりと頭を抱えた。

「聖女はどの国から見ても尊い存在よ。そんな酷い扱いはどこへ行っても受けないわ」

「ああ、なんだ……。てっきり聖書も読めないならゴミ同然に捨てられるもんだとばかり……」

「だから余裕がなかったんですねユイア様。大丈夫ですよ。聖女の役目が無理だと思うなら灰の国にお戻りになれますし、別の国の修道院に引き取っていただくことも出来ます」

逃げ道があることを聞いたら安堵するより脱力感が強かった。私は一人で逃げ道がないと思って勝手にビースカ泣いていただけみたいだ。

「何だ、そうなの」

「どうしますか? お戻りになられます?」

「……もう少し考えてから決めます」

「そうですか。分かりました」

言伝ことづてはそれだけです。今日はわたくしたち、一日休みを頂けましたの」

「お休みですか?」

「ええ。三人で自由にしていていいと。自由とは申しても普段通り神殿の中だけですし、一人で出歩くことはないようにと言いつけられていますが」

この世界で女性が一人で出歩かないのは当たり前だった。男性に囲まれて乱暴をされたら傷物になるし、そう言う女性は心身のどっちが傷付いても泣き寝入りするしかない。男性をとがめるのは男性の役割だし、女性をとがめるのは女性の役割。性別でくっきり分けられていた。

灰が私をしつこく連れ回したのは手元に置いておかないとあっという間にさらわれて死ぬから。灰はいつだって体を張ってくれていた。

「……実は、見間違いでなければ聖書の中に楽譜がくふがあって……」

二冊目の聖書の後ろの方を開くと音符が規則正しく並んでいた。

「私、歌はほとんどやったことなくて全く自信がないんです……」

「大丈夫よ、練習しましょう。そうだ、貴女の国の歌を教えて頂ける?」

「私の世界のですか? えーと……」

 私は二人と並んで発声練習をしたり、日本語で歌を歌ったりして一日を過ごした。不死人たちは神殿の廊下から聖女たちの楽しげな声が響くのを聞いて、天上の歌だと聞き入っていた。

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