第2話-3
その時は珍しく、勇者たちは二週間以上祭壇を空けて探索を続けていた。おかげで私は聖書の朗読をだいぶ進め、一章の内容をざっと覚える程になっていた。
「覚えたてですが灰の勇者さまがお戻りになられたら早速読んで差し上げるべきでしょう」
「もうお
「勇者自身も話を理解しなければ奇跡は
「分かりました……」
(じゃあ帰ってきたら早速読まなきゃ)
「それにしても今回はなかなかお戻りになられませんね、皆さま」
「そうねぇ……。いつもなら長くても二、三日で戻っていらっしゃるのに……」
勇者に限らずほかの不死人たちも出て行ったきり戻ってこない日が続いていた。よく数えたら三十人はいた不死人たちが、今は神殿の
「何かあったのでしょうか?」
「そうね……。違うといいのだけれど」
聖女たちが心配をしていると、神殿に戻って来た人たちがいたようで居残り組がざわつく。
その姿を見て私たちはギョッとした。勇者リベリオが左足を失くした状態で灰の勇者と肩を組んで現れ、その後ろには勇者イレネーがリベリオの落とした足を肩に担いで戻って来たのだ。
「リベリオ様そのお姿は一体!?」
「お兄様? お兄様に何かあったの!?」
「やあ大事ない! ウム!」
声は元気だが明らかに
素早く動けないフェリチッタ様の代わりに私とオルタンス様がさっと椅子を片付けて道を開け、フェリチッタ様を祭壇前に座らせた兄リベリオ様の隣へと座らせた。
フェリチッタ様は兄リベリオの体を触り、片足がないことに気付いてギョッとした。
「お兄様!」
「そう焦るでない! 傷はすぐ
灰の勇者は勇者イレネーから足を受け取るとリベリオの太ももの断面へ密着させ、針と糸でシャッシャと繋げる。そして仕上げに粉末のエリクサーをバサバサとかけた。
「……あとは気合いでくっ付けてください」
「ウム! 助かったぞ二人とも! 感謝する!」
灰の勇者と結晶の勇者はそれぞれ己の聖女の腕を掴むと祭壇へと散っていく。
「一体リベリオ様に何が?」
灰の勇者も
「リベリオ殿が平民をかばった。それだけだ」
「まあ……」
なんて立派な人なのだろう。と思うと同時にフェリ様の心も心配になった。
(ただでさえお兄さんを不死人として失ったばかりなのに……)
この世界は残酷だ。容赦がない。それでも見る景色は本当に美しかった。
(この世界の住人には何もかもが過酷すぎるわ……)
「おい」
「ハッ、はい。勇者さま」
「横になる。祭壇の見張りはいつも以上に気を付けておけ」
「か、かしこまりました」
灰の勇者は金品だけを持って広間から出て行った。
(あの人だって弱い兵士じゃないのにリベリオ様と一緒でボロボロなんて……どんな魔物だったの? よほどの強敵よね?)
チラッと結晶の勇者の様子を窺うも、勇者イレネーは普段通り平然としていた。
(ケロッとしてる。結晶魔法は強いって聞いてたけど本当なんだ……)
私は椅子に腰掛けて落ち込んだ。聖書をもっと早く読めるようになっていれば灰の助けになったかも知れないし、リベリオ様が足を落とすことはなかったかもしれない。
(一章だけとか言ってられない……もっと覚えなきゃ)
自分にできることをしなくちゃ。私は黙々と聖書を読み進めた。
集中が途切れず、気付いたら朝になっていた。辺りを見回すとまだ灰は戻っておらず、思わずキョロキョロとしてしまう。
(二章を一晩で覚えちゃった? ああでも朗読だと自信ない……)
太陽の祭壇の前では聖女フェリチッタの膝で大人しくしている勇者リベリオの姿があった。フェリチッタはリベリオに軽口を叩くまでになっており、ほっと胸を撫で下ろす。
(よかった。そこまで落ち込んでないみたい……)
灰を探しに行かないと、と思って腰を上げると体がガチガチに固まっていてウッとなる。
(しまった、
何とか体をほぐしながら立ち上がると、神殿の扉がド派手に開かれる。何かのパレードかと思うくらい人が入って来て、その先頭、中央には小柄な男性がいた。
彼はズンズン進んでくると祭壇の広間へ真っ直ぐ向かって来て、私の姿を
(は? え? ちょっと何?)
灰の勇者ですら私の手を取る時は差し出すに留めるか、一言「手を」と口にしたのにこの若い青年は自分の都合で私の手を握って来た。
(あれ、でも挨拶の時は勝手に取っていいのか。灰ってもしかして私が思うより紳士?)
「灰の国の聖女に見えるとは! なんと私は幸運なのでしょう!」
(まだ子どもじゃない!)
「お初にお目にかかります! 私は」
「ガーガーうるせぇなぁ。アヒルでもいるのかそこに?」
勇者イレネーが祭壇横で膝を立てたまま首をひねって少年を
「ああ違った。
「貴様! 結晶の国の勇者とは言え何という無礼な口利きを!」
少年の従者が槍を構えてイレネーの前へ立つと、イレネーは
「おいガキ。お前が誰か当ててやる。塩の国の王子だろ」
「お分かりになられましたか!?」
「黙れって言ってんだよ」
勇者イレネーはズカズカと私たちの元へ来ると王子の胸ぐらを掴んで祭壇の広間から外へ放り投げた。従者に受け止められた王子はその場でポカンとして姿勢を崩したまま、従者たちはイレネーに武器をそれぞれ向けた。
「聖女と祭壇に気安く近寄るなってママに言われなかったのか」
「貴様!」
「従者に囲まれて今頃ヌクヌク登場かよ!!」
イレネーが珍しく声を張り上げる。彼は私を背中に隠して
「お前が来るまでに初発組は二層上の竜の国まで進んだんだよ! 英雄気取りなら道中足の一本二本差し出してみたんだろうな、エェ!? そこで横たわってる薄明の勇者も見ねえで女にちゃっちゃか近寄りやがって!」
「貴様! それ以上の
「先に聖女と祭壇を
そこへ、灰の勇者が戻って来た。彼は塩の国の王子を
「これで借りは返したぞ」
(借り?)
勇者イレネーは鼻をフンと鳴らすと結晶の祭壇前へと戻り、いつものごとく不良のように足を広げて座った。
「……何があった?」
灰は私を塩の国の不死人たちから隠してこそりと話しかける。
「し、塩の国の王子様が私に挨拶を……」
「それだけでイレネーがあれほど怒るか?」
「その、手を握られて……」
私の言葉で灰の目つきが変わり、彼もまた塩の国の王子を
「そこのクソガキは聖女の断りなく体に触れたと?」
「クソガキだと!?」
「触れたのか!!」
(え? 聖女ってそんな簡単に触っちゃダメなの?)
そう言えば、ここへ来てすぐ灰は呪術師相手にも周りにも「うちの聖女に勝手に触ったら殺す」勢いで凄んでいたけど、あれも勇者の義務だったの?
(今も義務を果たしてくれてる?)
男に気安く近寄るな、微笑むなと言われていた理由が何となく掴めた。聖女が他者と、特に勇者以外の異性と触れるのは厳禁みたいだ。
(そう言うことだったのか……)
「触られたのか」
「え?」
「お前の許可なくこのガキはお前に触れたのかと聞いている」
「え、ええと……」
言いよどんだものの正直に頷くと、灰は剣を引き抜いて王子の前へズンズン進んでいった。
(あー、殺しちゃう……)
「貴様、それ以上近寄るな!」
従者たちは大慌てで王子をかばって団子になった。王子はすっかり
(ホント物騒よこの世界……)
「塩の国は神殿に入る資格もない。去れ。死ね。道端の石ころの方がまだ役に立つ」
簡潔ながら最大の
「どっちだ」
「え」
「どっちを触られた」
「み、右です……」
灰の勇者は私の右手を丁寧にぬぐった。
(そんなバイ菌みたいな扱い……)
「他には」
「え?」
「触られたか?」
「い、いいえ」
「
「いえ、本当に手を握られただけですので……」
灰は不満そうではあったが私の言葉信じてくれたみたいで、ハンカチは固く握った拳の中で灰にしてわざわざ王子の死体に投げつけに行った。
(ひ、酷い……。うっかり手に触っただけなのに……)
灰は私を椅子に座らせると、残りの腰を抜かした塩の国の不死人たちを
「ハ、そうだ。勇者さま」
「何だ」
「二章までなら神話を朗読出来ますが、お聞きになりますか?」
「ああ」
彼は私の前であぐらをかくと
「では、最初から順に。火の聖書、第一章第一節。──」
散歩中、ほかの不死人たちが私たちに聞こえるよう噂するには塩の国の王子は継承権第一位。つまり第一王子ではあるものの第四子で、王妃と姉にチヤホヤされて育った温室育ち。世界情勢や
「まあ塩の国は建国から長いし大国だが跡継ぎがあれじゃな……。第二王子が持ち上げられる訳だよ」
「事故死に見せかけて暗殺されたって話も本当かもな」
祭壇のそばでわざわざ喋ってくれていた不死人たちは灰の勇者が現れるとサーッと散っていった。初日の勇者の行動は正しいものの、完全に避けられているのでそれでいいのだろうかとちょっと心配になる。
「お帰りなさいませ」
「ああ」
竜の国を何度も行き来するうちに慣れたのか、灰は平然と帰って来るようになった。
「聖書は五章まで朗読出来ます」
灰は荷物を漁ると辞書のような本をポンと私に差し出した。パラッと二、三枚めくって中身を確認すると、新しい聖書だった。
「……前の聖書を読み終えられるよう努力します」
「そうしろ」
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