第2話-2

 そのあと眠気は来ず、祭壇前の小さな椅子に腰掛けたまま翌朝を迎えた。灰の勇者は私を追って祭壇前まで来たが、手に負えないと思ったのか黙って祭壇わきで腕を組んで座っていた。多分眠っている。

不死人たちは気付けば数個の派閥が出来ており、二、三人や四、五人でかたまりを作って神殿内のあちこちにたむろしている。昨日は気付かなかったが何人か女性もいて、女性は女性で固まっている。一匹狼っぽい人もちらほら。

(今のところ大人しく座ってれば誤魔化せるけど、奇跡の教えをわれたらどうしたらいいんだろう……)

考えたくないが切実な問題だ。火の奇跡は失われて久しいんだから。

(どうしたらいいかな……)

「あー、オホン」

気が付けば薄明はくめいの勇者リベリオが目の前に立っていた。

「その、おはようございます。聖女ユイア」

考えるのもだるいけど「淑女の所作を忘れずに!」と言うユリア様の幻聴が聞こえたので、椅子から立ち上がってドレスのすそを持ち上げる。

「ご機嫌よう、薄明の勇者さま」

「リベリオでよい!」

「はい、リベリオ様」

私は訂正することすら面倒くさいだけだったのに、名前を呼ばれて勇者リベリオは嬉しそうだった。

「その、エヘン。灰の勇者殿は随分お静かなのだが……」

勇者リベリオがチラッと視線を向けた先では相変わらず灰が腕を組んだまま動かない。

「眠っていらっしゃるのかと思われます」

「そなたは眠っておらぬようだが……大丈夫か?」

「はい。お気遣きづかいありがとうございます」

機械的に返事をしていると勇者リベリオは首をかく。

「あー、その、なんだ。薄明の出身ではあるが私は大した身分でもないのでそう改まる必要はないのだ」

「いいえ、どの勇者さまもとうときお方でございます」

「いや、そう言うことではなくだな……」

「お兄様は本当に会話が下手ですわね」

盲目なのに真っ直ぐこちらにやって来た聖女フェリチッタがフンと鼻を鳴らす。

侯爵家こうしゃくけ当主であった方が、なげかわしい」

「そう言うなフェリ! 兄は悲しいぞ!」

「まず早朝から声を張り上げないでくださいませ」

侯爵こうしゃくって爵位の上から二つ目じゃん……。何が“大した身分ではない”んだ……。アンタが大した身分じゃなかったら私は野良猫の死体よ)

彼女は妹の立場から勇者リベリオにツンとした態度を取ると、私の元へさらに寄って手を取った。

「わたくし散歩がしたいの。ともをお願い出来ますか?」

「……私でよければ」

「ではそう言うことで、お兄様」

「ああ、ウム」

聖女フェリチッタは結晶の祭壇前にもチラッと顔を向け、その視線に気付いた聖女オルタンスはパッと立ち上がる。

「あるじ様、聖女同士で話して参ります」

「あ? ……ああ、勝手にしろ」

「ありがとうございます!」

聖女オルタンスは甲冑をガシャガシャ鳴らしながらやって来ると聖女フェリチッタが差し出した左手をすかさず取った。

「お供いたします!」

「ええ、お願いします」

 聖女が三人祭壇の間から出て来たので不死人たちは思わずと言った風に視線でその姿を追う。

「男の無粋ぶすいな視線は毅然きぜんとした背ではじくものですよ」

私の心を読んだように聖女フェリチッタはそう口にして、ねえ? と聖女オルタンスに問う。

「はい。聖女をよこしまな目で見る者に奇跡をう資格はないと神母しんぼさまも仰っておりました」

神父しんぷならわかるけど、神母しんぼ?)

「……すみません。神母しんぼさまとは?」

私たちは聖女フェリチッタに合わせゆっくりと神殿内を進む。美しい石のアーチが私たちの頭上を過ぎていく。

「聖女を教育する立場の方です。聖女の修行場は修道院の中でも最高峰であり、一部門として独立しているのですよ」

「……そうなのですね」

(なるほど、この世界の聖女は本来そうやって教育されるのか)

「わたくしたちは本来、修道院の奥深くで幼い頃から神話を頭に叩き込みます。短くとも十年、長ければ二十年と」

聖女フェリチッタは組んだ私の腕をポンと優しく叩く。

「聖書を手に取らずとも読み上げられるように。しかしその教育の場を失って久しい国に放り込まれた聖女はどうしたら良いのでしょう? わたくしなら泣いて逃げ出します」

(古い大国の聖女がそんなことを言うなんて……。私に合わせてくれてるのかな)

「どう思いますか? オルタンス様」

「はい! 私もきっとどうしたらいいか分からなくて泣いてしまうと思います……」

「そうよね」

聖女フェリチッタは私の肩を抱き寄せると優しく撫でた。

「ここまでよく頑張りましたね」

本来ならワッと泣き出す場面なんだろうけど、私の心身はカラカラで涙すら出て来なかった。

「……いいえとんでも。奇跡も覚えずいたらぬばかりで」

「これから覚えればよいのですよ。火の奇跡は継承こそ失われど、古き聖書はいずこかにあるはずです」

「……本当ですか?」

「でなければ聖女も現れません。ねえ? オルタンス様」

「はい! そのはずです!」

(……火の奇跡が書かれた聖書がある? でもどこに……。どうやって探したら?)

「聖女を育てるのも勇者のつとめです。灰の勇者さまは必ずや貴女のために聖書を持ち帰るでしょう。でなければ勇者と名乗る資格はありません。それどころか不死人の恥です」

(そこまでキッパリ言い切っちゃうのか……)

「ですが、灰の国は聖女が出ないまま二百年は経っておりますし……」

「そのようなことは言い訳にはなりません」

「そ、そうですか」

(なんか、かっこいいな。私もこれだけスッパリ言えればいいんだけど)

「今後はわたくしたちと共に聖書の読み方を覚えましょう。大丈夫よ、そう難しいことではないの。完璧に覚えるまでは聖書を持ったまま朗読ろうどくすればよいし」

「……朗読ろうどくでいいんですか?」

覚えるまでは答えを見ながら読み上げてよい、と。

「ええ」

聖女フェリチッタがオルタンスに振り向くとオルタンスも頷く。

「私もずいぶんと朗読に時間をかけました。私が出来たのだからユイア様も大丈夫です!」

(それ、根拠こんきょにはなってないんですが……)

まあ二人ともはげましてくれているようだし、聖女同士ならひねくれる必要もない。

「ありがとうございます」

「失礼ですけれど、古語の読み方は習っていまして?」

「はい。第一王女ユリア様から直々に教えを頂きました」

「まあ、ユリア様が?」

聖女フェリチッタはそこでハッとして口元を手でおおった。

「失礼だけど貴女、生まれは? 灰の国ですか?」

(鋭い。それに頭の回転が早いんだなこの人)

「……ここではない世界です」

「まあ!」

「なんと!」

歩みを止めた二人は人目も気にせず私を囲む。

「いつですか!? いつから!?」

「四ヶ月前です」

「たった四ヶ月!? まあ!」

聖女たちはお互いの立場も身分も放り出して私を抱擁ほうようした。

「なんてこと! 見習いも同然で! それも“よそ”から!」

「私でよければ何でもお聞きくださいユイア様! 聖女としてはそこそこですがお役に立てると思います!」

「あ、ありがとうございます……」

私より先に二人が泣いていたので思わず笑みがこぼれる。肩の力が抜けて呼吸も楽になり、私は彼女たちに抱擁ほうようを返した。

「先に泣かれてしまうと泣くに泣けません」

「可哀想なユイア……遠慮なく私たちに話をして。必ずそうするのよ。聖女の悩みは聖女にしかわからぬものです」

「そうです! このオルタンスもそう思います! グスッ」

「もう、泣かないでください二人とも」


 聖女二人をなだめて祭壇の間へ戻ると、灰の勇者と勇者リベリオが火の祭壇の前で立ったまま話していた。二人は戻って来た私たちを見るとお互いうなずいて、勇者リベリオは妹フェリチッタを迎えに来る。

「フェリ、手を」

「ええ、お兄様」

「どうした。泣いておるのか?」

「聞いてくださいお兄様。それが……」

二人は太陽の祭壇に向かいながらさっきあったことを話し、聖女オルタンスは私に一礼すると結晶の祭壇へと戻った。

灰の勇者の元へ戻ると、彼は小さな分厚い本を差し出した。手に取ると、表紙には灰の国の紋章。加えて灰の勇者に触れた時のような熱を感じ、思わず目を丸くする。

「聖書だ。読めるようにしておけ」

「……はい」

(ビックリした。まさかフェリチッタ様の言う通り自主的に見つけてくるなんて。放置されるものだとばかり……)

「……何だその顔は」

私はムッとした顔でヴェールの下から彼をにらんで、プイと顔をそむけた。

「勇者さまは何も言ってくださらないのでお考えがさっぱり分かりません」

「……それで昨日は機嫌が悪かったのか?」

「疲れたと申したのに真面目に取り合ってくださらなかったのはどなたでしょう?」

灰のこの一ヶ月の行動が相当頭にきていたので初めてながらキッパリと告げる。むくれていると灰の勇者は腕を組んだままうつむいた。

(反省したって今更遅いんだから)

「……悪かった」

「聞こえません」

「……申し訳なかった」

「その言葉が昨晩のことに対してなら受け取ります」

「……他にもあるのか?」

「胸に手を当てて考えて頂けたらと思います」

祭壇前の椅子に腰掛けた私は聖書の表紙を開いた。

不恰好ぶかっこうでも形になるなら覚えなきゃ。じゃないときっと追い出される……)

「……読み方は」

「本に集中しますのでどうぞ、冒険にでも散策にでもお出かけになってください」

邪魔だと突っぱねると灰の勇者は装備が入った小さなカバンを肩にかけて勇者リベリオの元へと向かった。灰はリベリオにバシッと背中を思いっきり叩かれて肩を組まれ、半ば強制的に祭壇の外へと向かった。

 しばらくして祭壇横でダラダラと眠っていた勇者イレネーが起き出しだるそうに広間を後にすると、聖女二人は椅子を持って広間の中央に集まった。

「ユイア様」

(私も?)

戸惑ったものの椅子と聖書を持って真ん中へ向かうと、私たちは三つの祭壇のように向き合って座った。

「わたくしたち相手に朗読の練習を」

「……この場でですか?」

「もちろんです」

「大丈夫ですよユイア様。修道院での朗読もこのように丸くなって座るのです」

「……分かりました。えっと……第一章、第一節──」




 その日から勇者が三人ともいない時は朗読の練習。勇者が帰って来ると祭壇の見張りを任せ神殿の中を散策すると言う日々が始まった。

聖女と言うのは性格も一定の審査や基準があるのか二人ともお互いの身分に関係なく優しいし、でも身分差も分かっているから踏み込んではいけない話題にも気をつけていて相当出来た人柄だった。灰の勇者につめあかせんじて飲ませたい。

「聞けば聞くほど灰の勇者は女性への気配りがないと思いますわ」

「私もそう思います。平民の女性が外の世界から来て三ヶ月で所作を叩き込んだだけでもすごいと言うのに、一言もねぎらいがないとは」

「あはは……」

私の代わりに二人が静かにキレているので思わず苦笑い。

「でも、魔物からは守ってくれましたし……」

「「そんなことは当然です!」」

「勇者はただの不死人ではありません! 祭壇と聖女の守り手ですよ!?」

「そうです! 神殿に無事届けるのは当然の義務です! 我があるじもそれだけは最低限きっちり守っております!」

(他に関しては守ってないのかイレネーさん……)

私はプリプリ怒った二人をなだめ、これも日課のようになって来たなと思いながら散歩を終えて帰った。

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