第2話『贄(にえ)を焚(く)べる場所』

 神殿に着いた時にはドレスは泥だらけだった。すそも破れてみっともない。視線を下げて神殿への門を潜った私は高い天井とステンドグラスから差し込む柔らかい光に顔を上げた。

(綺麗……)

建築様式がどうだのこうだの言える知識はなかったが、美しさは感じ取れた。

灰の国から来たと言うのはやはりくすぶる衣服とニオイでわかるのだろう。勇者と共に聖女である私が姿を表すと既に神殿内にいた不死人たちがどよめいた。

「あれは聖女か?」

「灰の国の聖女? お伽話とぎばなしじゃなかったのか!」

「俺たちは百年に一度の奇跡を見ているらしい」

驚いたことに神殿内の不死人たちはざっと数えても二十人はいた。そして彼らは私と勇者同様、長旅を経てここへ辿り着いたのだと泥まみれで擦り切れた装備が語っていた。

(長旅で疲れし、気力も湧かないし、誰にも声をかけられたくない……)

「灰の国の聖女!」

パッと近付いてきた男の人がいた。獣の皮を身につけていて猟師りょうしのようにも見えるその人は袖口に焦げ跡があった。

(炎使い……呪術師だ)

「まさかお会い出来るとは!」

駆け寄ってきた彼に対し、灰の勇者は柄に手をかけ剣身をチラつかせた。「それ以上近付いたら斬るぞ」だ。呪術師はサッと両手を上げて降参のポーズ。

「勘違いしないでくれ! 何も俺は……」

「黙って、去れ」

勇者は有無を言わせぬ迫力で呪術師相手に凄んだ。呪術師はそっと下がるしかなくて、勇者は背後に隠れた私の腕を掴んで神殿の奥へと進む。

「ほかの聖女に挨拶をしろ」

「……もう疲れました」

「それは向こうも同じだ」

(このぶっきらぼうな感じ、直らないのかしら)

「……はい」

 もう一歩でも歩くのは嫌だったけど、石で出来た祭壇が壁に張り付いて三つ向かい合わせになっている広間へ辿り着くと既に二組の勇者と聖女がいた。

太陽の紋章の前で黄金の鎧をまとう細身の長剣の騎士と、傍に座る目隠しをした白金のドレスの聖女。

竜と結晶の紋章の前でキラキラと光を反射して美しく輝くも無骨なデザインの結晶で出来た甲冑をまとった大槌を持つ武人。その傍らに立つのは素っ気ないデザインの銀色の甲冑を着た騎士だった。

(薄明の国と結晶の国かな……。結晶の国はどうして男二人なんだろう? 男なのに聖女とか?)

そしてほかの勇者や騎士を見て気付いたのは、灰の国の鎧は同じ銀色でも光が当たらないと黒に見え、鎧にはカラスの羽の紋様が刻まれていたこと。元々は赤いマントも付いていたのか灰の勇者の首元には赤い布が残っていた。

此度こたびは灰の国からも聖女がいらっしゃったのですね!」

意外なことに穏やかでありながらも可愛らしい声でそう話したのは銀色の甲冑の騎士だった。

(男装?)

「黙れオルタンス」

「も、申し訳ございませんあるじ様」

大槌を抱えた武人に頭を下げ、結晶の国の聖女オルタンスは一歩下がった。

灰の勇者は太陽の祭壇前に立つ二人に近付くと左胸に手を当て頭を下げる。

「灰の国から参りました。薄明はくめいの国の勇……」

「ああ良い良い! 堅苦しい挨拶は嫌いなのだ!」

黄金の甲冑の騎士はそう言って手をヒラヒラさせると灰の勇者に右手を差し出した。

「リベリオだ。ただのリベリオでよい! こちらは妹でフェリチッタと申す」

「灰とお呼びください。ご兄妹でいらっしゃいましたか」

灰の勇者は聖女に手を差し出し会釈をする。

「お手をよろしいですか、レディ」

薄明の国の聖女フェリチッタは腰を上げると灰の勇者に左手を預け、ドレスのすそを持って優雅にお辞儀をした。王族なのか、騎士の家系の中でも上流なのだろう。ユリア様を思わせる振る舞いに私は思わず見惚れてしまった。

「ご紹介に預かりましたフェリチッタです。灰の勇者さま」

聖女フェリチッタの声は静かで美しく、白銀の月のようだった。

「私に名はありません。ただ灰とお呼びください。横に控えているのがユイアです」

「ユイア様。どうぞわたくしの手を」

「え」

灰の勇者に突き出される形で聖女フェリチッタの前へ立つ。彼女は見えないのに上手く私の手を握り、頬や髪を触るとふっと微笑む。

「美しい方ね」

(そりゃ、私の体じゃないし)

「……ユイアでございます。フェリチッタ様」

「どうぞフェリと。わたくしたちは同じ聖女ですから上も下もございません」

そうは言われても薄明はくめいの国は大国だそうだし、道中見聞きした限り一番歴史の古い国だ。神話自体が古く、取り扱う奇跡も数が多く高威力こういりょくの物が多い。奇跡が全く使えない私からすれば尊敬すべき大先輩だった。

「いいえ、私のような者には恐れ多いことです。薄明はくめいの国の聖女さまにまみえ光栄にございます」

フェリチッタはまたスッと私の頬を撫でた。

「そう口にする割には哀しそうですね」

「そんなことは……」

返事に困った私は手を離して一歩下がった。灰の勇者は私の腕を掴むとさらに一歩下がらせる。

「見習いから上がったばかりで無礼が多く、申し訳ございません」

「無礼だとは思いませんよ、灰の勇者さま。疲れておいででしょう? わたくしどもの相手はほどほどになさって是非あちらの方々とご挨拶を」

灰の勇者がチラッと勇者リベリオを見ると彼もウムと頷く。

「聖女を早く休ませてやりなさい」

「では、失礼します」

ぐるっと方向転換した灰の勇者と私は結晶の国の二人の前へ歩み寄る。

大槌おおつちを持つ勇者は座ったまま灰の勇者を見上げ、へっと笑った。

「俺も堅苦かたくるしい挨拶はいい。元は騎士じゃなくて傭兵だしな」

「灰だ。こちらはユイア」

「ハッ、露骨ろこつな態度ありがとうよ騎士殿。俺はイレネー。こいつはオルタンス。おっと黙ってろオルタンス。余計なことは言うな」

「はい、あるじ様」

薄明はくめいの国はともかく、どこの国も聖女の扱いなんてこんなものなのかしら)

「……ユイアでございます。結晶の国の勇者さま、聖女さま」

「またえれぇ美人だなぁオイ?」

(顔はヴェールで隠してるのに何で分かるんだろう……)

灰の勇者は勇者イレネーが好ましくないのか「では」と早々にきびすを返し私を火の祭壇前に連れて行った。背後から舌打ちが聞こえたのは聞かなかったことにしたい。


 三組ともお互いが見える広場ではあるものの、プライベートが保てるだけの距離はあったので私は胸を撫で下ろした。

「おい、火を」

「……私が奇跡を扱えないのはご存知じゃないですか」

この世界における聖女とは奇跡と呼ばれる術を扱う聖職者の女性を指す。私は異世界から呼ばれ、灰の国には聖書がない。聖書がなければ奇跡を扱えない。今の私は聖女と言っても“よその世界から来た女”以外の意味を持たなかった。

灰の勇者は私の右手首を掴むと焚き木の燃え残りに手をかざさせた。ボッ、と音がして火がおこる。神殿に入ってすぐにいた不死人たちは私たちの挙動きょどうをずっと気にしていたのだろう。おお、と歓声とどよめきが立った。

「見ろ、本当に聖女だ」

「灰の国から火の奇跡が学べるんだな。こりゃ楽しみだ」

(お飾りの聖女なのに……)

灰の国の威信いしんに関わるから勇者がおこしたに違いない。私は勇者の束縛から早々に手を引っ込め手の甲をさする。

(もう帰りたい……)

灰の勇者は鞘から剣を引き抜くとズカズカと不死人たちに向かっていった。

「我が聖女に近付く者は」

怯えた不死人たちに灰の勇者は凄んでみせた。気迫だけでゴブリンを殺しそうな勢いだ。

「打ち落とした首は谷底に、タマはカラスに食わせてやる。俺の許可なく立ち入るな」

「ハッ、必死すぎて笑っちまうな」

不死人の一人が憎まれ口を叩くと灰の勇者は即、剣を投げてその不死人の頭を砕いた。辺りはシンと静まり返る。

「……わかったな?」

不死人の頭から剣を引き抜くと血を払い、彼は戻ってくる。

(よみがえるとは言えアタマ潰されて可哀想……)

「おい」

「……何でしょう勇者さま」

「出てくる。荷物を片付けたら必ず祭壇の側に座ってろ」

「かしこまりました」

「念を押しておくが聖女以外とは喋るな」

「わかっています。いってらっしゃいませ」

口答えするだけ無駄だとわかっていたので勇者をそのまま見送った。不死人たちは灰の勇者を避けて散り、私が取り残されるとまた団子になって私を観察した。

「しかし美人だな……」

「いやいや、ヴェールの下は醜女しこめかもしれねえぞ」

「あの細い首だぞ!? んなことあるか」

(帰りたい……)

「灰の聖女よ!」

勇者リベリオの声は広間の天井が丸いのもあいまってよく通る。私が顔を上げて彼の方へ向くとちょいちょいと手招きされる。

(灰が敬語使ってたなら目上だよね。どうしよう……王族だったらご機嫌損ねると面倒くさいことになるし)

悩んだ挙句に勇者リベリオの元へ向かう。彼は聖女フェリチッタの隣へ腰掛けるように手で示した。

フェリチッタは盲目なのに私をしっかり見上げていた。本当に見えてないのかしらこの人。

「どうぞお近くに」

「……荷を片付けねばなりませんので」

「勇者が戻ってきたら私が無理を言ったと言えばよい! いいから座りなさい」

「いえ、灰の方にその手の言い訳は通じないのです。申し訳ございませんが失礼致します」

ドレスのすそを持ってお辞儀をし、さっさと火の祭壇前に戻る。

ポッと放って置かれたカバンは哀愁あいしゅうがただよい、それが私自身に見えて思わず溜め息をつく。

(荷物の片付けって言ったって大した物入ってないのに……)

カバンの中身は魔物から逃げてくる時にほとんどこぼしてしまった。毛布だってない。フタを持ち上げても入っているのはほんの数本のロウソク。

(西洋文化に近いからロウソクは祭壇に捧げるんだっけ……)

一番太いロウソクを持って祭壇から火を貰い、祭壇の縁に捧げる。相変わらず団子状のギャラリーは私がロウソクに火をつけたのを見ておお、と歓声を上げた。

(本気で放って置いて欲しい……)

視線に晒されるのが嫌で、私は群衆から見えない位置で段差に腰を下ろした。

(お城に帰りたい……)

涙を流す気力もなく、私の意識はふっと闇に沈んだ。


 目を覚ましたら暖かかった。肩にかかる重みは何かと触ってみるとそれは毛布で、頭の下にはぺったんこのカバンがたたまれてかれていた。背後でシュッシュッと砥石で剣を研ぐ音がしている。

そっと首を回すと灰の勇者の背中が見えた。帰って来たようだ。

(……あれ)

よく見れば横になっていた場所は祭壇前ではなかった。辺りは暗く、狭い部屋。勇者がおこしたであろう焚き火が彼の向こう側で揺らいでいる。

(寝落ちしたし、また何か言われるんだろうな……)

毛布を取り去ってたたみながら起き上がると、一瞬勇者の手が止まった。

「……何か言うことは?」

「申し訳ございません」

灰の勇者は剣を持ち上げ光の反射で研ぎ具合を確認するとさやへとしまう。

「見知らぬ男どもの前で寝落ちるくらいなら疲れたと先に言え」

(言ったわよ)

「はい、申し訳ございません」

灰の勇者は不満そうにあぐらをかいたまま体ごと振り向いた。

「……何が不満だ?」

(不満なのはそっちでしょ)

「慣れぬ旅で疲れているだけです」

「欲しいものは欲しいと言わなければ分からん」

(じゃあ元の世界に帰してくれますか?)

なんて、言えるはずもなく毛布を勇者に返す。

「毛布、ありがとうございました。祭壇に戻ります」

「おい」

腰を上げようとしたら腕を掴まれた。ほどこうとしたものの強く掴まれ逃げられない。

(ああもう、面倒くさい)

勇者から顔を逸らしたまま黙っていると彼は私を引き寄せた。近い。腕が痛い。離して。

「そんなに疲れているのか?」

「……うるさい」

「何?」

「うるさい」

私は勇者の体を押しのけて立ち上がり、なみだこらえながら足早にその場を離れた。

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