第1話『灰の国』

「灰の勇者、灰の聖女。これより共に世界最高峰の頂を目指すため神殿へ旅立たん」

 まさかこんなことになると思わなかった。国王陛下自らお祈りの言葉を私たちに告げ、これを祝福とし私は見ず知らずの騎士と共に旅に出なければならない。

斜め前には私と同じように陛下にひざまく銀色の甲冑の騎士。私たちを見守る多くの王族と貴族。臣下たち。

どうしてこうなってしまったのか。私は走馬灯のようにここ三ヶ月の出来事を思考の海に浮かばせていた。




 気が付いたらそこにいた。私に言えるのはそれだけだ。

私は大きな魔法陣の上にポカンと座り、周囲をぐるっと囲む魔法使いたちは息絶えている。口から血を吐く者もいる。死に際で悶えている者もいる。

天井を見上げると獅子とカラスに脇を固められた赤いエンブレムが私を見下ろしていた。見覚えがあったかもしれないけど詳細は思い出せない。

自分が生まれた国とは全く違うところにいる。

それだけはハッキリとわかっても自分の名前も何もかも過去のことは頭の中に残っていなかった。

自分が何者なのかもわからないまま、私は呆然ぼうぜんと目の前の状況を見つめるしかなかった。


「貴女は異世界から召喚された聖女なの」

 別室に案内されてすぐの、灰の国の第一王女ユリア様の言葉は重い現実を突きつけた。

灰の国。そこは国の中央に座する火鉢を最も神聖な祭壇とし、国民は死んだら身分に関係なく火鉢にべられ遺体を焼かれる。そして時代の節目節目にその灰から戻ってくる死者がいて、彼らは不死人ふしびととして国に歓迎され、勇者として世界最高峰の頂にそびえる世界樹を目指し、そのふもとにある神殿へとおもむく。

聖女は関係なさそうなのにと考えているのがバレたのか、ユリア様はフンと鼻を鳴らし滑らかな白い指で私の顎をクイッと上げた。

「聖女は二百年現れなかった。それはこの国の運命が聖女を必要としなかったから。今回は特例のようね。お父様の考えは分からないけれど。……黒髪に黒目とは、どこの国から来たのかしら? それに妬ましいほど美しい」

鏡に映る私は人形のように整った容姿を持っていた。本来の姿とは違う気がするが髪と瞳の色、目元の雰囲気は残っている気がして拒否感はない。その見た目に合うよう用意されたドレスは真っ黒でレースがふんだんに使われ、上から下まで真っ黒な私はゴシックドールのようだった。

「……私からすれば、あなたの方が金髪緑眼の白肌の美女で羨ましいです」

ユリア様は青みの強い灰色のドレスがよく似合うパーフェクトなお姫様だった。私の言葉に驚いたのか彼女は目を丸くして、一拍置いてからプッと笑った。

「お互いに美しいと思っているなら好敵手ライバルとして認めたようなものね」

いいわ、とユリア様は胸を張った。

「わたくしが直々に淑女しゅくじょの所作を教えて差し上げます」




 三ヶ月と言う短い時間ではあったけどユリア様は本当に良くしてくれた。名前すら忘れた私にユイアと言う王女様と似た名前をくださった。お母様のグレイス王妃だってご一緒に面倒を見てくれた。

儀式の最中チラッと彼女たちを見ると、これまでに仕込んだ所作を忘れないのよと視線で言われ、頷きつつ私はまた斜め前でひざまずいている騎士の後ろ姿を見つめた。

 この灰の勇者はほんの数年前に亡くなった若い騎士で、ある名家の五男だった。不死人として戻り、勇者となる者は古い名前を名乗ってもいいし新しい名前を名乗ってもいい。しかし彼は

「死んだ者に名など不要。ただ灰とお呼びください」

と、歴史に名を残すことを拒んだ。彼のような歴代勇者も何名かいたそうだ。自分はもう死んだから名前は必要ないと。

 勇者は寡黙かもくで、灰の中から蘇って八日間、私と遭遇そうぐうしても一切会話をしなかった。これから一緒に旅立つ仲間なのに私のことはどうでもいいのだろうか?

 馬と当分の物資を与えられた私と灰の勇者は王族たち直々に見送られ発つこととなった。

淑女しゅくじょの所作と本分を忘れないように!」

「はい、ユリア様」

「体に気をつけてくのですよ」

「はい、グレイス様」

喪中の貴族女性のような黒いレースのドレスと揃いのヴェールを被った私は騎士の手に引かれ馬の背に腰掛ける。

「行って参ります、皆さま」

「無事神殿へ辿り着くことを皆で願っています!」




(まっっっず……)

 要所要所にある先代勇者たちの隠れ家や休息所を使いながら騎士は灰の国から北上していた。

私は騎士に連れられ旅半ばで力尽きたであろう歴代勇者の骸や、同じように伏した他の国の不死人たちを傍目はためにここまで来た。不死人は本当の不死ではない。気力が尽きたら蘇らず死体に戻るのだ。彼らは、歩く死体だった。

今いる場所は灰の国の領土ギリギリの国境付近。寒村とは名ばかりの廃墟の隅に歴代勇者が使っていた焚き火跡を見つけ、煮炊きをして夜を越そうとしていた。

目覚めてすぐ、灰の城でもおかしかったこと。普通の人が食べる食べ物が今の私には全く美味しいと感じられなかった。

王宮では仔牛のステーキが糸くずの塊に感じたし、パンは砂利のように感じる。サラダはまだ何とか野菜と認識出来たものの、木の根を生で食べている気分で美味しくはなかった。

(ご飯が美味しくないの最悪……)

私がかじりかけのパンを置いて布巾に包み直すと片膝を立てて座っていた灰の勇者は顔を上げた。炎がチラリと揺れて不思議な黄昏たそがれ色の瞳が私を見る。

「食わんのか」

「味がしなくて……」

初めての会話がこれ。灰の勇者はフイッと顔を逸らした。この日の会話はそれっきり。

 灰の国では火の奇跡がった聖書は失われて久しく、神がそれを知るかのように聖女も全く現れなかった。そのため私ユイアは灰の国にとってかなり久しぶりの聖女で、王族ですら私の扱いに困っていた。

何故聖女を? それも異世界から。その質問に対する答えは旅立ちの日に国王が告げた。

「夢で告げられたのだ。聖女を迎えよと」

 夢の主は国王陛下に有無を言わさない態度だったそうだ。聖女を連れて行かなければ国か勇者が滅びるとも言ったらしい。

 神様だか何だか知らないが、得体の知れないモノに物騒な予言をされたら回避したくなるのが普通の反応だ。私を呼んだことは正しいのだろう。

(にしたって何も喋らない男と二人旅なんて……)

最悪に最悪を重ねたような状況だった。

もうどうにでもなれ、とその時は考えていた。

 翌日、私はあばらの浮き出たゴブリンの群れに囲まれて悲鳴を上げることになる。




 それから、何日経ったか忘れた。行く先々にいるのは魔物、魔物、魔物。生きた人は家か城に閉じこもって出てこない。出て来られないのだ。外に出れば命が危ういから。だから外にいるのは頭がおかしいか、この終末のような世界で火事場泥棒をする恐ろしい集団だけ。たまに騎士団のような立派な装備の人たちもいるけど、全員不死だし、性格は決して褒められたものではなかった。

灰の勇者は最低限しか喋らなかった。言うことといえば、

「見知らぬ男に近付くな。触れるな。懸想けそうなどもってのほかだ」

「微笑むな。泣くな。黙れ」

だった。

食事がまともに取れないこと。なのに何故か餓死がししないこと。出会ったとしても魔物か危ない人たち。そんな状況で話せるのは灰の勇者だけなのに、彼はだんまりだし私に笑うな泣くなといて、私の心が限界までせ細るのにそう時間はかからなかった。

 その日、私と灰の勇者は魔犬に囲まれていた。今の今まで乗っていた馬が魔犬に殺され、地面に放り出されそうになった私を抱えて勇者は飛び降りた。

「そこにいろ」

灰の勇者は強かった。剣なら短くても長く大きくても扱える彼は、拾った武器でも持ってきた物でもなんでも鮮やかに扱った。

私が無気力に地面に座っていると魔犬の返り血がビシャッと頭にかかった。

(う……)

気持ち悪いけどぬぐう気力もなくてそのまま座っていた。灰の勇者は戻って来て、私が魔物の血で汚れているのを見ると静かに怒った。灰の体から熱が立ち上がりチリチリと布が燃えるニオイがする。

何で怒られているのか分からない。乱暴に腕を掴まれて立ち上がらされる。彼は近場の川に私を連れていって、ヴェールもドレスも黙って洗った。もちろん着たまま。

 次の隠れ家に着くまでびしょ濡れだった私は熱を出した。それでも不死人同様死ぬことがない私はただ熱にうなされて、勇者に荷物のように抱えられて運ばれた。


 ほんの一ヶ月。されど一ヶ月。世界樹のふもと、神殿に辿り着く頃……私は無気力な人形に成り果てていた。起きてる時はぼうっとして、眠る時は枕代わりのカバンを濡らしてすすり泣く。こんな世界来なきゃよかったと思った時には神殿の白い石のアーチが目の前にあった。

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