第6話-2

 電池が切れてしまった従者アルフをベッドへ運んだ魔女たちがお茶で一息ついていると大きな扉を叩く者がいた。

「魔女さま、入っていいですか?」

小鳥のような可愛らしいアンジェリカの声が響いた。魔女がどうぞと告げると五歳の幼女はドレスを新しくしてメイドと部屋に入ってきた。黄色いドレスのアンジェリカは黄色い花のように愛らしい。

(母親がさぞ美人なんでしょうね。この歳でこれだけ美少女なんだから)

「何か御用でしょうか」

「うん! 魔女さま、私とお友だちになって!」

突然何を言い出すかと思えば。アンジェリカは爛々らんらんとした目でブーツを見上げた。

(子供って予測できないのよね……)

「アンジェリカ・エミリー・ドレイクローズと申します。魔女さま」

貴族の少女がドレスの裾を持って礼儀正しくお辞儀すると跳躍の魔女もローブの裾を持って同じように頭を下げた。

「跳躍の魔女の半身、クレイジーブーツと申します。お嬢様」

「アンジェよ!」

「お嬢様。平民の私はお嬢様の名をお呼びすることは不敬に当たりますのでご容赦ください」

外国と接する辺境伯領を治める領主というのは並の権力では立ちいかぬ。爵位というのは上から公・侯・伯・子・男と並ぶが、辺境伯爵は独自の権力を持ち、一介に伯爵と言っても国によっては公爵並みの権力を持っていた。そんな権力者の孫娘とあれば、平民が名を呼ぶことすらはばかるのは至極当然だった。

「お友だちなんだからお名前で呼ぶのよ!」

「お嬢様。なりません」

「むぅ!」

まん丸ほっぺをもっとまん丸にしたアンジェリカは一度ぼんやりと立って月の瞳を露わにしているヨニを見て魔女に視線を戻した。

「おかあさまに、欲しいものを持ってる人とこうりゅうするなら、その人の一番のお友だちと仲良くなりなさいって言われたわ!」

(なるほど。月の織物が欲しいからヨニと親しい私を取り込もうと、ね)

この歳で既に体の隅々まで貴族なのだな、と魔女ブーツは悟られぬように反吐を吐く。

「でしたらお嬢様。私はお嬢様のお友達にはなれません」

「どうして!?」

「嫌だから」

魔女クレイジーブーツは取りつくろう態度をやめた。

「わがままを言えば欲しい物が全部手に入ると思ってるクソガキが気に入らないの。あなたのことよ」

正々堂々と暴言を吐かれたことがなかったのだろう。ふわふわの砂糖菓子の世界で生きてきた少女は初めて侮蔑ぶべつの目を向けられぽかんと口を開けた。

「あの月の織物は私たち魔女や魔術師だって欲しい。でもヨニは上位者だから言葉は通じない。彼らには彼らの世界があって、彼らの社会があって、彼らが持つ物には一つ一つ意味がある。それを知らないでただがむしゃらに欲しいとわめくガキのための踏み台になる気はない」

アンジェリカの瞳にだんだんと涙が溜まる。それを見ても魔女の心は痛まなかった。

「あんたは私を馬鹿にした。こっちから願い下げよ」

「……う」

アンジェリカは堰を切ったように泣き出した。号泣という言葉がよく似合う泣きっぷりにメイドは大層慌てる。

「今すぐこの部屋から出てって」

黄金卿の娘を泣かせた。それだけで追い出す理由にはなるだろう。だから跳躍の魔女はすぐに荷物をまとめ始めた。

「お、おいブーツ……」

フォルカーあんたもさっさと荷物まとめなさい。出て行くわよ」

「待て、待て待て。ここは魔術院所属の俺がまとめといてやるから頭を冷やせって」

ムッとした跳躍の魔女の首に何かがサラリと巻かれた。

肌触りのいい白い布。正絹しょうけんとわかる滑らかな布には銀糸で星の刺繍がされている。

驚いた魔女が振り向くと上位者ヨニが彼女に大きめのスカーフを巻き付けていた。

「え」

跳躍の魔女と周囲が驚いて身動きもできない中、剣士はその美しい瞳を穏やかに細めまぶたの内にしまって、魔女の髪に口付けた。

「……あ、私が布を欲しいって言ったから?」

ヨニは普段通り周囲を気にせずオレンジの髪の少女を長い腕にしまってチュウチュウと口付ける。

「いや、まあ気にはなってたよ? 本気でね。でもこんなホイと渡されるとありがたみが……。その前にどこから出したのこれ?」

魔術師フォルカーは堪え切れずブッと息を吹き出した。勇者オリンドは苦笑いをし、従者アルフは周りの騒がしさに目を覚ましていた。

「ぶっはっはっはっは! いいところで空気ぶち壊すよなヨニって!」

「そうね……」

怒る気力もなくなった魔女の視界にぽかんとするアンジェリカが目に入る。魔女はニヤリと笑うとヨニを抱き返した。

「ヨニは私が好きだからプレゼントをくれたんだもんねー?」

ヨニは何を今更? という眼差しをブーツに向ける。

「ヨニと仲良しにならないと月の織物はもらえないもんねえ?」

ヨニは頭の上に疑問符を浮かべ、再びブーツの髪に口付ける。

「仲良しの証に物をくれるのはプレゼントだけど、物が欲しくて仲良くなるのは違うわよねー? 失礼よ」

「その通りだ」

魔女一行とアンジェリカとメイドはびっくりして部屋の入り口に振り向いた。そこには黄金卿その人と部下数名が佇んでいた。跳躍の魔女は状況を理解して顔から血の気が引いた。

(まずい……)

「アンジェリカ」

黄金卿は孫娘の元へ歩いてくると膝をついた。

「前に、お前が持っているウサギのぬいぐるみを欲しいと言った侯爵家のヤニック君にお前は何と言った?」

「や、やだって言った……」

「どうして嫌だった?」

「……だって、あれはおとうさまがくれたお誕生日のプレゼントだったから……」

「そうだ。アンジェリカにとって大切な物だったからあげないって決めたんだろう?」

「うん」

「さっきのお前はヤニック君と同じことをしたんだ」

五歳の娘はハッとして大きな目を見開いた。

「その子の大切なぬいぐるみが欲しいからお友達になるのかい?」

アンジェリカは息をんだ。いけないことを言ったと心から理解したようだ。

「魔女さまに謝りなさい」

「はい、おじいさま……」

アンジェリカは抱き合うヨニとブーツの前まで歩いていくと手を揃えて深く頭を下げた。

「ご、ごめんなさい……」

魔女はツンとしていたがそれ以上に上位者ヨニが冷たい目で幼女をさげすんでいたので、彼の気を引くため剣士の首に抱きついて形のいい唇を吸った。

フォルカーとオリンドに衝撃が走る。

ヨニは珍しく目も口もぽかんと開け、ややあって初めてブーツから口付けをされたのだと気付くとふんわり笑った。今までで一番柔らかに微笑んだ。

「き、機嫌治った?」

上位者は目を閉じて嬉しそうに少女を抱きしめた。そのままの姿勢で魔女はアンジェリカにムッとした顔を向けた。

「本当は許したくないけど、私がずっと怒ってるとヨニがあなたを叩くかもしれないから許してあげる」

黄金卿は頭を下げた孫娘の元へ静かによると自らも片膝をついて魔女に頭を下げた。

「孫娘アンジェリカのご無礼をお許しください。跳躍の魔女クレイジーブーツさま」

人として当然の態度ではある。だが、貴族でも相手が女なら魔女だろうと頭を下げない者は多い。王の忠臣という評価は間違っていないのだろう。魔女は姿勢を正し黄金卿とその孫娘の前で毅然きぜんと言い放った。

「跳躍の魔女クレイジーブーツは人として正しく謝罪した黄金卿ドレイクローズとその孫娘アンジェリカを許します」


 アンジェリカを中心とした騒ぎは一転。黄金卿は跳躍の魔女への評価を上げ是非夕食も共にと申し出た。

「またあの香辛料食わされるのか……」

「だからサラダだけにするのよ」

魔女たちは広大な屋敷の中をフットマン付きで散策していた。気晴らしに、と魔女が申し出ると黄金卿も嫌な顔はしなかった。

「それから肉を食べるならナイフでそれとなく香辛料をこそげ落としなさい。全部胃にしまってたらお腹壊すわよ」

「そ、そうする」

「マスター」

不安そうな表情のアルフが主人である跳躍の魔女の袖を引く。

「なぁに?」

「僕、あんなにたくさんあるナイフとフォークの使い方がわかりません……」

「ああ、外側から順番に使うことだけ覚えていればいいわ。本当はじっくり教えてあげたいんだけど時間と道具がないのよね……。そうだ、隣のフォルカーの真似をして使えば大丈夫よ」

「い、いいですか? 魔術師さま」

「ん? ああ、いいよ」

「ありがとうございます……!」

アルフはパッと表情を明るくした。フォルカーはその顔を見てふっと微笑む。

「ついこの前までの暗い表情が嘘みたいだな、お前」

「えっ」

「アルフが嬉しそうでフォルカーも嬉しいんだってさ」

「ち、違ぇし」

照れ隠しをしたフォルカーを見上げて今度はアルフがふっと微笑んだ。

「魔術師さまが嬉しいなら、僕も嬉しいです」

「ン゛ッ」

フォルカーは不覚にもアルフの年相応の微笑みを可愛らしいと感じた。

「あら、可愛いこと言っちゃって」

魔女がアルフに抱きついて髪をくしゃくしゃにしていると黙ってついて来ていたヨニがふと足を止めた。魔女はその気配にすぐ気付いて同じく足を止めた。

「ヨニ?」

月の瞳は広い中庭の先にある小さな鉄扉てっぴを見ていた。鉄扉の横には見張りの兵士が二人立っている。上位者は珍しくブーツを放って鉄扉てっぴに向かって真っ直ぐ歩き出す。

「あ、ちょっと」

魔女が手を引いてもヨニは速度を緩めない。上位者が月の瞳でもって兵士たちを遠目に見つめると二人の兵士はふにゃっと膝をついた。

「えっ!?」

「あちゃあ、魔眼の視線をまともに受けたのね」

ヨニは慌ててついてくるフットマンにも月の瞳を向けた。フットマンたちも彼の目をまともに見てしまいその場にへたり込む。

「ああ、もう。知らないわよ」

ヨニは跳躍の魔女を抱えると手も触れず鉄扉てっぴを開け放った。

大きな錠などまるで存在しないかのように。

魔女たちは鉄扉の向こう側に広がる庭園の小さな森に吸い込まれていった。


 彼らは森を抜け小さな温室にたどり着く。ドーム状のガラスの温室は様々な色の薔薇で埋め尽くされ、濃厚な花の香りはむせかえるほど。

「すごいわね……」

「誰かの秘密基地っぽいな」

「いかにも人目から離れたい時の避難室よね」

「俺も作ったなぁ秘密基地……」

「はぁ? いつ?」

軽口を叩く魔女と魔術師を放ってヨニは温室の中心に立った。そして両腕をふわりと広げると月の瞳をいっそう輝かせる。

「え、何?」

「何かするっぽいな」

魔術の専門家たちが好奇心の目を向けているとヨニは唇を薄く開いた。

「──……」

上位者の口から放たれた音は言語のようにも思えたが人族には聞き取れなかった。ドームの内側は急に暗くなり、薔薇がどこかに消え去り星と闇の世界へと変貌する。

「うわっ!」

魔女たちの体が急に空中に浮いた。重力を失った人間たちは何かに掴まろうと一番近くにいたそれぞれの者に腕を伸ばした。

「こ、これどうなってる!?」

「しーっ、ヨニの邪魔しない」

「──……」

ヨニはまだ何かを唱え続けている。上位者が両腕を高く掲げると星空から星が一つ一つ消え始め、いくつかの星が残った。その星の光が一つずつ大きくなり人型に変わると、ヨニを中心に白いローブの男女が魔女たちを丸く囲った。

まぶたを持ち上げた男女はヨニと同じ月と星の装飾をした白いローブを着た魔眼の上位者、暁星の民だった。その中には知った顔、エラの姿もある。上位者はエラを含め全部で九人。中央のヨニを入れると十人。


「げっ」


勇者オリンドが声を出すと上位者たちは一斉に彼を見た。オリンドは自分の口を手でおおい、声を殺して視線を上位者たちから外した。上位者たちはヨニに視線を戻し風の勇者はほっと胸を撫で下ろす。

「──……」

ヨニは上位者たちに何かを伝えた。それから宙に浮いた魔女ブーツの腕を優しく引くと自らの前に立たせる。

「──……」

魔女の肩に手を置いたヨニの発言に上位者たちは頷き、両手を軽く開いて肘の高さで掲げる。彼らの体から青白い星の光が溢れ、手の平で小さな球にまとめられると星の光はブーツの体に向かってふわりと飛んできた。

星の光が魔女の小さな体に収まるのを見届けると、上位者たちはそれぞれまぶたを下ろし頭を下げながら一人ずつ消えていった。そうして魔眼たちがすっかり姿を消すと暗闇だけが残り、上位者ヨニは再び頭上を見上げる。ヨニの頭の上には赤い太陽が轟々ごうごうと燃え盛っていた。

「──……」

ヨニが放った音につられて太陽から火の雫が一筋落ちてくる。ヨニは口を大きく開き、人間が近付けばその熱だけで体が溶けそうな熱い液体をごくりと飲み干した。

「……ン」

満足したとでも言いたげにヨニが目をつむると魔女たちは元の温室に戻っていた。何が起きたのかわからない魔女と魔術師はただただ呆然とし、むせ返る薔薇の香りのなか不敵に笑うヨニを見つめた。

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【超長編】クレイジーブーツと魔眼の男 ふろたん/月海 香 @Furotan

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