第二章

第6話『蛇の海と黄金卿』

 歩く災害と対峙する黄金の騎士を目の当たりにした領民なら騎士を応援するものだろう。その騎士が自分たちの領主であれば尚更。

しかし領民の多くは歩く災害と呼ばれる魔眼の持ち主に目を奪われていた。その月の瞳があまりに美しかったから。二つある月の片方を斬りつけられても気高かったから。

上位者は月光を切り取った剣を高く掲げた。上位者の口元はたのしそうに笑っていた。




 跳躍ちょうやくの魔女クレイジーブーツ。彼女は双子の姉と共同研究し魔術院を十三歳で卒業した“跳躍の双子魔女クレイジーヒールブーツ”の片割れである。

ある日突如現れた魔眼の上位者、月の聖剣の使い手ヨニと暁星の民の女性エラに抱きしめられた双子魔女の生活は一変した。姉ヒールは代々続く薬師の畑と家を守るため生家へ残り、妹ブーツは月の剣士ヨニを故郷ナッツヒールから遠ざけるため旅へ出た。

妹魔女ブーツのともは剣士ヨニの他に魔眼の下位者である少年アルフ。鉱石魔術の第一人者水晶の魔女クオーツの二番弟子、魔術師フォルカー。竜へ至る道ドラゴンロードの終着地ドラゴンローズの村でくすぶっていた風の勇者オリンドの四人。各町村に点在する冒険者ギルドを頼り、魔女一行はパーティフルメンバーの四人足す一人と言う特殊な構成で旅を再開した。


 魔女一行は幌馬車ほろばしゃでの野宿を繰り返しながら、隣国ガリアと一番広く接する国境がある辺境の地ヴァジミールへ辿り着いた。

大都市と見紛うほど栄える辺境伯領ヴァジミールはボニート・ヴァレンタイン・ドレイクローズと言う王の忠臣によって治められていた。

ドレイクローズ、竜の薔薇。

そう、ドラゴンローズは辺境伯領ヴァジミール最南端の地であった。

ヴァジミールの特産品はハチミツとバラ。その二つを掛け合わせた薔薇の蜂蜜は貴族の令嬢たちには欠かせないものだ。飴にして喉を潤してもよい、紅茶に混ぜてもよい。化粧品の原料にすれば肌からバラが香る。どう使っても素晴らしいものだった。

ドレイクローズを継いだ長子ボニートは薔薇の蜂蜜という画期的な特産品を生み出しアウレム王国国王から黄金卿の爵位を賜った。黄金を輸出するアウレム王国において黄金の名をたまわる騎士はそう多くない。大変な名誉だ。

 そして──跳躍の魔女一行はヴァジミールに着いた途端、黄金卿ドレイクローズ本人と辺境伯領の騎士団に取り囲まれてしまったのだった。




「この庭は五代前の当主が奥方に贈ったもので……」

 黄金卿ドレイクローズに捕まった魔女一行は何故かそのまま広大な領主の屋敷を本人に案内されていた。地中海が誇る白い建造物。扉には防犯用の魔術がわんさと使われ、中庭は噴水にバラ園、その他の花畑など特産と贅沢を詰め込んでいる。黄金卿の興味はもちろん魔眼の上位者ヨニだったが、風の勇者オリンドがいると知ると彼にも興味を向けていた。跳躍の魔女は黄金卿ドレイクローズに適度な相槌をつきながらヨニがふらふらとどこかへ行ってしまわないようにしっかりと手を繋いでいた。


「随分と仲が良いのだな」


黄金卿は権威を示す黄金の兜を取ればまだ四十代の脂が乗ったいい男であった。年に見合わぬ銀髪は生来のもので、ドレイクローズの男たちはその昔から見事な銀髪をしていた。髪と揃いの髭を短く揃えた黄金卿は廊下を歩きながら半ばどこかに意識を飛ばしているヨニに振り返った。

「伯爵さま、仲が良いと言うのは適切ではありません。私が一方的に好かれているだけです」

「だがそなたも心を許しているのだろう?」

否定も肯定も出来ない魔女はふぅと溜め息をついた。

「否定せぬのなら仲が良いと言うことだ」

「……伯爵さま」

「なんだね、跳躍の魔女」

「ヴァジミールに滞在中はこちらに泊まれと言うのは領主としての寛大な御心でしょうか?」

魔女クレイジーブーツは貴族というものを大変警戒していた。貴族というのは権力を維持するためなら大概のことはやってのける。王族に取り入るために魔術院から魔術師や魔女を引き抜いて抱え込むなどよくある話だった。旅を続けねばならない、一つのところに留まれない双子魔女の片割れにとって召し抱えられると言う事態は真っ先に避けねばならなかった。だからこそ辺境や田舎を選んで旅をしていたと言うのに。

(これじゃ努力が水の泡よ)

「もちろんだとも」

「残念ながら長期滞在は出来かねます」

「何故だね?」

「魔眼の上位者をこんな人口の多い都市に置いておけません。領民に何かあったら私は身の破滅。黄金卿はよくて爵位の剥奪はくだつです」

「そんなことにはならんよ」

「予期せぬ事態は避けたいと言う話です」

「よくもまあ黄金卿にそんなことが言える。肝っ玉の強さは噂通りだな跳躍の魔女。はっはっは!」

魔女はまた溜め息をついた。


 魔女一行は昼食に招待され、広大なテーブルに所狭しと並べられた豪華な料理を前にした。肉、魚、新鮮なサラダ。財力を示す香辛料たっぷりの激辛料理と地中海のみずみずしい作物の極端な料理に魔女ブーツは辟易した。

(何でもない田舎のシチューの方がマシよ)

「さぁさぁ遠慮せず口にしてくれたまえ」

魔術院上層部のフォルカーはこう言った会食に慣れているが、双子の魔女はこう言うことも嫌いで魔術院で“研究室を抱える”名誉を放り出した。従者アルフは何をどうしていいかわからず目の前のカトラリーに困惑し、風の勇者は鶏肉の丸焼きに目を奪われていた。魔女はいつも通りヨニの膝の上。ヨニ本人は目をつむって仮眠中だった。ブーツは今日何度目かの溜め息をついた。

「伯爵さま。上位者はそもそも食事を致しませんのでどうかご気分を悪くされませんように」

「わかっていたが、用意しないのも失礼であろう?」

魔女は空いてしまった隣の席をチラリと見やった。

「……ご配慮ありがとうございます」

食事を初めてほんの数分。ダイニングルームの扉が元気よく開けられ小さな影が飛び込んできた。

「おじいさま!」

黄金卿によく似た見事な美しい銀髪。五歳になろうかと言う幼女はターッと駆け込んで来て黄金卿の膝にしがみついた。

「これ、お客様がいらっしゃるのにはしたない」

「えっ?」

幼女は母と同じサファイアブルーの瞳で魔女たちを見た。

「あ、ご、ごめんなさい……」

落ち込んだ表情もほんの一瞬。黄金卿の孫娘は上位者ヨニのローブを彩る月と星の刺繍を見ると駆け寄ってローブに飛びついた。

「きれい!」

「これ、アンジェリカ!」

「おじいさま! わたしもこの月の織物が欲しいです!」

「お嬢様」

跳躍の魔女クレイジーブーツはヨニの膝から降りてアンジェリカと上位者の間で膝を落とした。

「この者は魔眼です」

「まがん?」

「はい。魔法の目を持つ男なのです。彼の着る物、持つ物は私たち魔女や魔術師にもどうやって作ったのかわからないものが多いのです」

話が難しいのかアンジェリカは首をかしげる。

「この織物が人間の手で作られたのかも私たちにはわからないのです」

「欲しいの……」

「この男とお嬢様は会話が出来ません。欲しいと仰っても通じないでしょう」

「欲しいの!」

「アンジェリカ、よしなさい」

「欲しいの! 綺麗だからおかあさまに差し上げるの! お姉様にも!」

「アンジェ!」

黄金卿が強く叱るとアンジェリカは肩をすくめた。

「アンジェを連れて行け」

「は、ははっ」

「お嬢様、お部屋に戻りましょう」

「やだ!」

「お嬢様、駄目です」

「いーやーだー! やだ!」

アンジェリカはわがままを言いつつもフットマンとメイドに連れて行かれた。

「すまんな」

「いえ、こちらこそ市民の出で大切な孫娘さまに話しかけてしまい……」

「よいよい。そなたはその辺りの堅苦しさは苦手であろう。それに、」

黄金卿はいつの間にか目を覚ましていた上位者ヨニの不機嫌そうな顔を見つめる。

「孫を助けてくれたのであろう? さあ、これ以上料理が冷めぬうちに」


「堅苦しいのが苦手ってわかってるならまず屋敷に呼ぶんじゃないわよ」

「言ってやるな」

 香辛料だらけの肉料理は避け、サラダばっかり食べた魔女ブーツはヘンと鼻を鳴らした。魔女たちはそれぞれ大きな客間を与えられ、従者アルフだけは魔女と同室に迎えられたが黄金卿は上位者ヨニにも一室を与えた。無論、ヨニがブーツと違う部屋で休むことなどない。無駄な客間が出来てしまっただけだ。

「こんなの無駄な空間、無駄な手間、無駄な労力よ」

「まあまあ……」

「オリンドあんたあの料理で満足したの?」

「いや、口ん中ピリッピリする。ちょっと腹も痛い」

「だからがっつくなって言ったのよ。案の定ね。薬草のお茶淹れてあげる」

「お、本当か? さんきゅー」

「お湯もらってくるわ。アルフは二人と一緒にいなさい。こんな広いところで迷子になったら一生抜け出せないわよ」

「い、イエスマスター」


 跳躍の魔女が部屋を出ると上位者ヨニは当然のごとくついてくる。魔女がだだっ広い屋敷の厨房に何とかたどり着くと厨房の料理人たちは初めて見る上位者に大変驚いた。

「すみません。お茶を自分でれたいので薬缶やかんとお水を貸して頂けますか?」

「え、ええ! い、いえ! でしたら我々が……」

「申し訳ないのですが私の商売道具を薬師くすしでもない方々にお貸し出来ません」

お前たちを信用していないから触るな、と遠回しに伝えると料理人たちは戸惑いつつも飲料水と薬缶やかんを貸してくれた。

「ありがとうございます」

薬草茶を淹れる間、ヨニは大変大人しかった。魔女の傍らで従者のように付き添うヨニに使用人たちの視線が集まる。

「ヨニ」

ブーツが声をかけると剣士はまぶたを持ち上げて月の瞳をあらわにした。人ならざる美しい瞳を見たメイドやフットマンたちは思わず息を飲む。

「先に戻って寝てれば? 今日ずっと眠そうよ」

ヨニは穏やかな眼差しで魔女を見るとかがんで髪に口付けた。

「あー、はいはい分かりました」

一時も離れるつもりがないと受け取った魔女は茶道具を片付ける方に集中した。


 代わりに運ぶと申し出たフットマンたちをきっぱり断った魔女ブーツはワゴンを押して客間へ戻った。部屋に入るとフォルカーは机で報告書の作業、従者アルフは気疲れもあったのかソファで爆睡。オリンドは床で武具の手入れをしていた。

「お。おかえり」

「ただいま。持ってくる間にお茶が冷めちゃったわ」

「お茶ならメイドが出すのにーって残念がってたぞ」

「厨房に行かないと蜂蜜がないでしょ」

「蜂蜜?」

「ヴァジミール辺境伯領の特産品ローズハニーよ。お茶に入れても美味しいの。だから正式に失敬してきたわ」

「それは素直に借りてきたでいいんじゃないのか?」

「いいから飲みなさい。私が直接淹れたから変なものは入ってないわ」

「どうも」

オリンドは香辛料だらけの口を薬草茶で濯いだ。

「ぷはー」

「ローズハニー、瓶一個くらいは欲しいわね」

「言ったらくれるんじゃないか?」

「バカね、貴族の連中にもらうタダほど怖いものはないのよ。あとから覚えのない契約書突きつけられたらどうするの? 市場より高い金で買う方が何倍もマシ」

「そう言うものか」

「そう言うものよ」

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