第1話-2

 従者がのらりくらりと戻ってきて「魔物はおりませんね」と口にしようとしたら、主人である貴公子は魔女一行が広げた敷物の上で竜涙草のお茶を飲んでいた。従者二人は貴公子の行動に呆れ、無闇に変なものを食うなと叱る訳でもなく静かに主人の側に佇んだ。一方の貴公子は初めて飲んだ竜涙草のお茶の味に驚いていた。

「にっがい!」

「苦いんだよねー。でもこの苦さが体にいいんだ」

「お砂糖入れると美味しいのよ」

ヒールは貴公子が持つティーカップに角砂糖を三つ入れた。

「よく混ぜてね」

ブーツが差し出したスプーンを受け取った貴公子は音を立てないよう砂糖を溶かす。

「……うむ! これなら飲める!」

「私ももらおー。四つ入れちゃおうかな」

「私より多く入れるなんて、お子様だな!」

「お子様なんでー、いいです」

「私は妹に甘いから五つ目の角砂糖をプレゼントするわ」

「あ、やり〜ぃ」

貴公子は兄弟と聞くと元気をなくし視線を落とした。

「……姉妹なのか?」

「双子なんです。ヒールわたしが姉」

「数分違いで生まれたブーツわたしが妹」

「……そうか」

「坊っちゃまはご兄弟いらっしゃるんですか?」

「……私は六男だ。上から数えると十三人目で……」

十三は忌み数。大陸の北西では嫌われる、呪われた数字だった。

(あー、それで放置されてるのか……)

(なりたくて十三人目になった訳じゃないだろうに……)

少年の顔は暗いまま。

「わ、私は兄上たちと同じように役に立つと証明したいのだ。だから魔物の一匹くらい己で倒さなくては……」

「そーお? 別に倒さなくてよくない?」

「えっ?」

ブーツの言葉に少年はぽかんとした。

「私たち七歳か八歳の頃ってなーにしてたっけ?」

「魔術院に入ってすぐだったわね。うーん、あの頃は父さんも母さんも生きてたから……ある意味何も考えてなかったわね」

「勉強してご飯食べて休暇に家に帰ってきて……そんなもんだよね?」

「そうね。ブーツは勉強より外で遊ぶ方が好きだったし、私は休日に友達とクッキー作り合ったりして?」

「あー、あったあった。少なくとも魔物退治なんかしなかったね」

「そうそう。同じ学年で成績のいい優等生なんて自分で論文作ってこまめに先生に提出してたのに」

「論文はヒールも作ってたじゃん」

「サリに比べたら本当にお子様論文だったわよ」

「そーお? すごいと思うけどなー。私は勉強全然だし」

「あんたはホウキ乗りの天才じゃない」

「まあそのくらいはね?」

「……魔女がホウキで飛ぶのは本当なんだな」

「ええ。でも私たちもうホウキは使わないの」

「えっ? 何故だ?」

双子はゴテゴテに装飾された揃いのハイヒールブーツをポンと軽く叩いた。

「私たちは双子の魔女、クレイジーヒールブーツ」

「二つ名の通りこのヒールブーツが得物。坊っちゃんが持ってる剣と同じ」

「まあ見てて」

双子は立ち上がると地面を思いっきり蹴った。ジャンプした魔女たちは空中に降り立ち、堂々と胸を張る。

「浮遊魔法を使わずに空に立つ! それが長年の夢だったの!」

「私たちはこの世で唯一ホウキを使わずに空を移動する魔女、なのよ」

ふふんと胸を張る双子を見上げて貴公子は頬を染めた。

「……スカートの中が見えてるぞ」

「見えるわよ。だから中がパンツスタイルなんじゃない」

双子はスカートの下に魔女服と同じ生地のパンツを履いてその上にロングブーツを履いていた。双子はさっと地面に降りてきてお茶を再開する。

「一つの研究を終えてそれに見合った二つ名をもらったら一人前の魔女になるの。男なら魔術師ね」

「魔術院には年齢に関係なく入れるけどいつまでも研究が終わらない生徒は落ちこぼれ扱いされるし、そう言う扱いは嫌だったからブーツわたしが得意な飛行系で研究終えちゃおうってヒールと話し合ったの」

ヒールわたしは論文、ブーツは論文を元にした実践と試作ね。だから二人で一つの研究なの」

「協力してもいいのか?」

「本当は一人で一つの研究が望ましいわ。でも私たち仲は悪くないし、今後利益を半々にする契約をしてクレイジーヒールブーツの研究は終わりにしたの」

「魔術師も魔女もみんなホウキを使うから、靴を欲しいって言う人もいないしさ」

「わ、わざと人気のない研究をしたのか?」

「そうよ。研究として認められればどの分野で卒業してもいいんだもの」

「それならわざわざ人気が集中してる分野で卒業する必要ないわ」

「その分野の偉人と肩を並べるのは大変なのよ」

「あえて人気のないことをやってみる、ってのも悪くないわけ」

双子はそこまで話すと貴公子の顔を覗き込んだ。

「で? あなたはどう言うことがしたいの?」

「本当は魔物を倒すことに興味ないでしょ? お兄さんがやってたから真似してるだけ」

双子に考えと言動のチグハグを見抜かれてしまった少年はギョッと焦った。

「わ、私は……僕はその……」

貴公子はそれまで何をしても馬鹿にされたり笑い物にされてきた。だが目の前の魔女はきっとそんな風に嘲笑ったりしない。そんな予感がして胸の内を打ち明けた。

「……本当は幻獣について調べてみたいんだ」

「幻獣? ユニコーンとか竜とか?」

「う、うん。倒すんじゃなくて、一緒に暮らせないかなぁって」

「幻獣の研究だと……第一人者誰だっけ?」

ヒールはカバンの中から学生の頃使っていた教科書を取り出した。

「えーと、著名なのは魔術師アダン。魔女エスコラ、魔術師スピネリの三人。研究論文は……」

ブーツはヒールが読み上げた名前と魔術師たちの名をメモし、少年に差し出した。

「お屋敷に帰ったらまず本を読むところからやってみればいいんじゃない?」

「どうせ周りが放って置くんなら好きなことした方が精神的にいいわよ」

貴公子は受け取ったメモをぎゅっと握りしめて、その日初めて笑った。

「うん」


 双子と貴公子一行はそのまま東の森を出るつもりで歩いていたが、幸か不幸か魔犬が彼らの前に立ちはだかった。貴公子は全員を守ろうと剣を抜いたが恐怖で膝が震えていて顔は真っ青。

「下がりなさい! こう言う時の私たちよ!」

「い、嫌だ! は、初めて話を聞いてくれた人なんだ! 私が守る!」

「この魔犬は大きいから中級者向き、あんたは初心者! 無茶だって!」

魔犬はじりじり距離を詰めると貴公子に襲いかからんと地面から高く跳んだ。

「ブルーム! 時間を稼いで!」

「イエス、マスター」

人狼のブルームは三人の前に躍り出た。ヒールが使い魔に支援魔術を使おうとした時、魔犬の真上に星雲が現れ星くずがあられのように降り注ぐ。

「ギャオオオオ!!」

魔犬は一瞬で塵と化した。魔女と貴公子一行の前にいつの間にか、白いローブを着た大柄な男が佇んでいる。フードの下に見えたのは月を写したような蒼銀の輝きを持つ、魔法の瞳。

双子はその瞳を見るや否や貴公子の目を覆い自分たちは視線を落とした。

「ッ……魔眼!?」

「魔眼の上位者がなんでここに……!」

「ま、まがんとはなんだ?」

「魔術じゃなくて魔法の力が宿った目のこと!」

「魔眼持ちで白い服を着ているのは暁星の民って言う連中! 五百年は軽く生きてる奴ら!」

双子はカバンからホウキを取り出し貴公子と従者ブルームをそれぞれの後ろに乗せ、地面を蹴って高く飛び上がった。

「逃げるよ! 魔眼なんか相手にしたら命がいくつあっても足りないんだから!」

はるか下方、置き去りにされた貴公子の従者たちは魔眼相手に剣を抜いたようだった。


「ヤバいヤバい! あれ超ヤバいって!」

 双子は冒険者ギルドに駆け込んだ。しかし、入り口近くにいたヴィートたちがそれを止める。

「今は入るな!」

「なんで!?」

「報告しないといけないことが……!」

「魔眼が出たんだ! 中は混乱してる!」

「そっちも!?」

「も!? そっちもか!?」

「東の森に出たの! あっち、ってぎゃあー!」

双子の真後ろにはいつの間にか月の瞳の剣士が立っていた。ヴィートは魔女たちを引き寄せると得物の双刀を引き抜いた。

「やるってんなら俺にしな!」

月の瞳の剣士はヴィートに興味も持たず、ただクレイジーブーツをじっと見つめた。直後、冒険者ギルドの中が騒がしくなり、双子魔女の後ろに誰かが立つ。双子が振り返るとそこには薄灰色の瞳を持つ白いローブの女性が立っていた。

暁星ぎょうせいの民が二人も……」

魔眼の女性は双子を見るとふわりと微笑み、腕を広げた。

「……え?」

女性は腕を広げたままトコトコ歩いてくると貴公子ごと双子を抱きしめた。

「おぎゃー!?」

「くっ……!」

ヴィートは背後に気を取られ、その隙に魔眼の剣士に突き飛ばされる。

「ヴィート!」

「てめえ……!」

攻撃を仕掛けようと身をひねって地面を蹴ったヴィートの前で、魔眼の剣士は魔眼の女性ごと双子を抱きしめた。

「……は?」

「ほんぎゃあー!?!?」

「何ー!? 何が起きてるのぉー!?」

双子の絶叫はナッツヒールの町中にこだました。


 双子の魔女はギルド運営者によって貴公子とろくなお別れも言えず冒険者ギルドの数少ない客室に連れ込まれた。上等な赤い絨毯が敷かれた大部屋は本来、貴族を接待する時に使うもの。暁星の民は男女とも双子魔女から離れずついて来て、ヒールは二人がけの豪奢なソファに魔眼の女性と密着して座り、ブーツは魔眼の剣士の膝に抱えられて一人用のソファに座ることになった。

「いや何で!?」

ヒールは真横の魔眼の女性から首に腕を回されすりすりと頬擦りを受ける。

「何だかわかんないけど懐かれてる……」

「いやっ本当に何で!?」

困惑して真っ赤になっているブーツのことなど全く気にせず魔眼の剣士はブーツの腰をしっかり抱いて目を瞑っている。

「降ろしてよ!? 何ちゃっかり抱っこしてるわけ!?」

「まるで定位置ですみたいな顔で座ってるわねそっちは……」

「ヒールもされるがままじゃない!」

「抵抗する気が失せたの……」

 間を置かずギルド長と副長、町の魔術師や魔女が部屋に入ってくる。その中にはもちろん魔女クオーツもいて、彼らは本当に魔眼の上位者が二人も居合わせている状況にギョッとした。

「あっ、おばあちゃん!」

「まあまあ、大変だこと」

「ねえこれ何とかして!」

ブーツが声を上げると、白い獅子のような髪と髭にボディビルダーのような肉体を持つギルド長オイヴァが両手を軽く上げて新人魔女を宥める。

「落ち着きたまえ。上位者を刺激してはならん」

「だぁってぇ! こんな恥ずかしい格好で話せっての!? 無理!」

恥ずかしいと言う単語に反応したのか、はたまた別の要因か。魔眼の剣士はまぶたを上げるとブーツの顔を間近で覗き込んだ。月の瞳はあまりに美しく、つい覗き込みそうになってブーツは焦って剣士の胸板を押した。

「近い!!」

の、だが。少女の腕力では剣士の体はびくともせず月の瞳の男はズイズイと顔を近付けてきて、しまいにはブーツの額にキスをした。

「んにゃー!?!?」

剣士はブーツの顔中にキスをして、少女が恥ずかしさで押し黙るまで続けた。獅子頭のギルド長はその様子を見届けてからヒールの正面に座り、エヘンと咳払いをした。


「それで、何があったんだ?」

 ギルド長オイヴァは集会場に居合わせた者と双子魔女の話を聞き取って、書記官メイベルに調書を書かせた。

「ふむ、では集会所では気付いたらその場に魔眼の女性がいた。敵意がないので対応に悩んでいたところヒールとブーツが戻って来て男性と共にハグをしたと」

「見たままを話すとそうなります」

「双子は魔眼に好かれる心当たりが全くない……」

「ありません」

「ううむ……」

魔眼たちは周囲が話し合う間、目を瞑って大人しくしていた。魔眼所持者が目を瞑る、視線を逸らすと言うのは敵意がないことの現れであり、オイヴァは聞いた通りだと頷いた。

「魔術師、魔女の先生方は上位者が急に人里に、それも真昼間に降りて来た理由をどう想像されますか?」

ナッツヒールの魔術師、魔女らはお互いの顔を窺った。すると場の困惑を感じ取った魔女クオーツがその場に居合わせた傭兵や剣士などに説明するため口を開く。

「魔眼のランクは上位、中位、下位とありますが……中位者以下の魔眼は背高族トーラー長耳族エルフ鍛治族ドワーフから関係なく出現します。しかし上位者、それも暁星の民ともなると我ら人とは種が異なる。そう仮定しないと数百年若いままで生きている理由が見当たらないの。我らと違う種である上位者は人のような言葉を持たない。彼らが何を感じ、何を求めているのか追求する魔術師や魔女も数多くいる中、真実は常に星空に隠されている……」

水晶の魔女クオーツの言葉に周りは頷いた。クオーツは続けて手を上げる。

「提案なのだけれど……」

「ええ、何か?」

「魔眼所持者を誰か連れて来て真意を聞くのがいいんじゃないかしら? 出来れば下位者、若い子がいいわね」

「手配しましょう。この上位者二人の扱いはどうします?」

「うーん、ヒールとブーツに懐いているだけならそのままでいいんじゃないかしら……?」

「えーっ!?」

「おばあちゃん!」

「慌てないのよ二人とも。いいこと? 不可解な時こそ冷静に。そう教えたわね?」

育ての祖母でもあり、大先輩のクオーツに諭され双子魔女はグッと黙った。

「ひとまずお家に帰りましょう」


 双子魔女は暁星の民を二人連れたまま帰宅する羽目になり、ナッツヒールの町ではすぐ噂になった。魔眼を連れて帰って来た双子とその従者を見た家政の妖精シルキーは無言で体を硬らせた。

「ごめんシルキー、これには訳があって……」

「あ、買い物忘れてた……」

「ああ、そうだった。ブルームごめん、お釣りで好きなもの買って来ていいから頼める?」

「イエス、マスター」

精神的な疲労が大きい双子はクタクタの様子でソファに腰を下ろした。ブルームは上着を羽織ると買い物カゴを持ってさっと玄関から出ていく。

「いや〜、怒涛の一日……いや半日」

「ホントよ……」

ヘロヘロの双子をよそに暁星の民は室内をキョロキョロと見渡した。

「ンー」

月の瞳の男が鼻歌のような声を出したため双子はびっくりして座ったまま固まった。

「は、何……?」

「ンー」

女性の方も返事をするように一段高い音で鼻歌のような声を出した。二人は鼻歌を交えながら部屋の中をゆっくり歩く。

「……え? 歌ってるの?」

「そうっぽい……」

魔眼たちは向かい合わせの窓辺に立つと喉を使わずに出していた音を止め、ゆっくり腕を広げ喉を広げた。

「アー……」

「アー……」

女性は高い音で主旋律を、男性は低い音で伴奏を歌い、讃美歌のような音を紡ぐ。何が起きているかわからない双子は呆然と目の前の光景を見つめた。

歌は近隣の家にも響いていて、何だろうと思った町の住人は双子の家を見た。すると星雲が家の上を覆い、砂粒のような星くずを降らせる。星くずは家の屋根から庭まで降り注ぎ、歌が終わると氷のように溶けて見えなくなった。

「……今のなに?」

「わ、わかんない……」

顔を見合わせた双子は深く考えることを諦め、ブルームが戻って来て一緒に昼食のサンドイッチを食べ終えるまで思考を放棄した。

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