第2話『双子魔女と月の瞳』
「夢であって欲しかった……」
十六歳の魔女クレイジーブーツは、目が覚めても狭い寝室に白いローブの剣士が目を瞑って立っている様子を見てがっくりとうなだれた。
「何で〜……?」
ブーツの目が覚めると剣士は目を開いた。朝焼けが完全に差さない薄暗がりの中、青い月の瞳は淡く輝いている。
「はぁ、ホント思わず見つめたくなる綺麗な目してんのね」
魔眼の視線を直接受け取ると魔法をかけられてしまうため、ブーツは剣士の顔を見るにしても眉間か鼻に注目するようにしていた。魔眼の上位者は未だベッドの上で寝そべっている少女に近付くと背を屈めて彼女の顔を覗き込んだ。
「ちょっと、そんな近くで見ないでよ。うっかり魔法にかかったらどうすんの? 責任取ってくれるわけ?」
上位者の男は目を伏せると唇で優しく少女の額に触れた。それが朝の挨拶だと言わんばかりに。
「あー、はいはい。おはよう、おはようってば! もう!」
剣士の顔を押しのけたブーツは男に後ろを向かせると急いで魔女のワンピースに着替える。慌ただしく階下に降りるとヒールも同様身支度を終えるところで、しかし姉の場合は魔眼の女性に捕まって髪をブラシで梳かされていた。
「……何それ?」
「こっちが聞きたい!」
女性は降りて来たブーツに気付くと昨日のようにふんわりと笑った。
「……おはようって言われた気分。おはよう魔眼さん」
「もー、髪は自分でやるからいいの!」
魔眼の女性はブーツの髪も整え、双子はそれぞれの魔眼に見守られながら食事の席についた。妖精シルキーは上位者たちを見ないようにしつつ三人分の朝食を配り、この状況を冷めた目で見ている人狼ブルームの顔色を窺った。「大丈夫でしょうか?」と言いたげなシルキーの視線を受け取ったブルームは狼の耳をぴこっと動かした。
「……マスターたちに危害がないならいいんじゃない?」
「そう言うものだろうか……?」と首を傾げながらシルキーは家事に戻っていった。魔女と使い魔は朝食を終えると上位者には構わずいつも通り冒険者ギルドへと出かけた。
「来た!」
ギルドの集会場には噂をその目で確かめようとする町の住人たちが集まっていた。魔女の正装をバッチリ決めた双子は居た堪れない気持ちになりながら整理券をもらおうとしたが、整理券を配っていた書記官は二人と使い魔と上位者をすぐ中へ通す。
「ギルド長がお待ちだから昨日と同じ部屋に行って。日銭もなんとかしてくれるはずだから」
「え、ホント?」
「そんな話だったよ。おねだりしてみな。ほら行った行った」
書記官の言う通り客室へ向かうとオイヴァと魔女クオーツが待っていた。
「おはようヒール、ブーツ」
「おはようおばあちゃん……。おはようございますギルド長」
「おはようございます」
「よく来てくれた。さあ座って」
オイヴァと魔女たちは紅茶を共にし、お互いの顔を見やる。上位者たちは昨日と全く同じ姿勢でソファに腰掛け、双子は突っ込む気力すらなかった。
「昨日、あの後すぐ魔術院に相談をしたの。そうしたら今日にでも人員を派遣してくださるって」
「王都からわざわざぁ?」
「水晶の魔女が声かけたんなら魔術院の上層部じゃない。そんな忙しい人達が本当に来るの?」
「そうねえ。声をかけたのは仲のいい人だけだけど、腰巾着は来るかもしれないわ」
「うへえ……上層部苦手」
「だから私がいるのよ」
「ありがとうおばあちゃん……」
「あれから、変わったことはあった?」
双子は上位者たちが歌った話をし、クオーツはそれについては近所の者から星くずの魔法を見たと言う話があったと話した。
「あ、あと白状すると昨日の朝ブーツを占ったら悪い結果といい結果が両方出たの」
「え!? 私!? なんで!?」
「い、今まで家族全員の運勢見てたとか言ったけど嘘なの! ブーツのことしか占ってなかった!」
「なんでそんなちっちゃな嘘ついたの!?」
「だ、だって……」
ヒールは気まずそうにフリルスカートを摘んだ。
「私は運良く魔術院にいる間ブルームに会えたけどブーツは使い魔がまだじゃない……。だからその……姉の責任感というか」
姉のヒールは頭も良かったが努力を怠らない人物でもあった。そしてなにより真面目で、常に妹を気にかけていた。妹は相変わらず心配性な姉に盛大な溜め息をついた。
「お姉ちゃん……」
「いい方が当たればいいと思ってそっちしか言わなかったの! でも悪い方が酷かったじゃない! こんなことになるなんて……」
魔女ヒールが不安そうな顔をすると魔眼の女性は少女の顔を己へ振り向かせる。何をするのかと思えば彼女はそのまま少女の額に口付けた。
「ふぁああ……!?」
魔眼の女性はにっこりと微笑むと双子の姉の頭を抱き寄せてそっと撫でた。
「……慰めてくれたっぽい?」
「そ、そうかも……」
「ふむ……。見る限りかなり好意的ですね」
「そのようねえ」
大人しかった月の瞳の剣士は何かに気付いて魔女ブーツを抱えたままスクッと立ち上がった。
「いや、降ろして?」
「あら、私より先に気付いたのね。魔術院の面々が到着したのよ」
月の瞳の男は立ち上がった場所から動かずじっと階下を睨んでいる。
「物体を無視して向こう側が見えるのは魔眼に共通する特徴だけど、暁星の民もその能力は健在のようね。さ、魔術院上層部とお話ししましょう? 魔眼さん?」
間もなくしてギルド長と魔女たちのいる客室に複数人が足を踏み入れた。
「……本当に暁星の民が二人いるとは」
最初に声を出したのは魔術院にて魔女クオーツの研究室を継いだ魔術師ルーカス。黒い長髪を肩で切り揃え、片眼鏡をした愛想のない生真面目な壮年の男。
「うわぁ、何だそれ? お姫様抱っこ?」
次に声を出したのはルーカスと同じく魔女クオーツの研究の一端を引き継いだ魔術師フォルカー。彼の浅黒い肌は大陸を越えた南の国出身の母からの遺伝で、その短髪は黄色みの強い灰色。年はルーカスの一つ下。ルーカスもフォルカーも結晶の装飾が入った深い藍色の魔術師の正装に袖を通している。首には魔術師の象徴、同じ色の生地のとんがり帽子。
ルーカスとフォルカーは魔術師としては珍しく二つ名ではなく本名で通している。二人は自分なりの研究で二つ名を得たものの先達クオーツの研究を引き継ぎ、魔術院の上層に籍を置く研究員となった男たちだった。双子魔女から見ればこちらも大先輩なのだが……。
「何よ、ジロジロ見ないで! 阿呆ォルカー!」
「あー、はいはい色気のないところまでそのままだな靴べら女」
「何ですって!」
先輩と後輩の立場でも双子と彼らは、特にブーツとフォルカーは目が合えば口喧嘩をする仲だった。最初はフォルカーが生徒時代のブーツにちょっかいを出したのがきっかけ。その後ルーカスと姉ヒールを巻き込んで何かと絡むようになったのだ。
「おやめ、二人とも」
水晶の魔女の一声で弟子と少女は口をつぐんだ。月の瞳の男は魔術師ルーカスと魔術師フォルカーを冷たい目で見ていた。魔術師たちは魔眼を見ないようにしつつギルド長に頭を下げた。
「ギルド長におかれましてはお初にお目にかかります。水晶の魔女クオーツの後継者、魔術師ルーカスです」
「同じく二番弟子の魔術師フォルカーです」
「初めまして。高名な魔術師さまにお会い出来て光栄です。さ、お席へどうぞ」
オイヴァが丁寧に席を示し、二人の魔術師が腰を下ろそうとすると月の瞳の剣士はブーツを抱えたまま部屋を出て行こうとした。
「ちょっ……!」
ブーツは剣士の腕から降りようともがき、剣士は突然暴れ出したブーツを取り落とさないように動きを止めた。
「だから降ろしなさいよ! 何で抱っこが普通なわけ!?」
剣士は不機嫌そうな目で魔女ブーツを見ていた。魔女はつい、月の瞳を見てしまい、ハッとして顔を逸らした。
(やっべ見ちゃった……)
月の瞳の男はブーツを降ろさずに背後の魔術師二人を睨んだ。それも特にフォルカーの方を刺々しい視線で。
「……よく分かんないけど俺睨まれてるな」
「不興を買ったのだろうよ」
「挨拶しただけだけど?」
魔眼の男はフォルカーに強い視線を向け続けていた。隙を見て男の腕から降りた魔女ブーツはサーッとソファに戻る。月の瞳はまだ冷たかったが、双子の妹が一人でソファに座るとその隣に佇んだ。
「では、報告書を」
オイヴァが魔術師二人に一連の報告書を手渡すと、魔術師たちは順に目を通してなるほどと頷いた。
「ふむ、人族のどれにも興味を持たないはずの暁星の民にしては奇妙な行動ばかりですね」
「お二人が訪れる前にも彼らは双子に愛情深く接していました」
「ああ、お姫様抱っこしてたもんな。他には? 当事者の方がわかってるだろ?」
双子は気まずそうに視線を交わすと大きく溜め息をついた。
「今朝は女性の方が髪を整えてくれて……見た方が早いです」
双子はやっととんがり帽子を取って髪型を見せた。姉のヒールは長髪をハーフアップにして一部を編み込まれ、妹ブーツも短いながら左側を大きく編み込まれ年頃の娘らしい洒落た髪型になっていた。
「ほう!」
「よりによってこんな可愛い髪型阿呆ォルカーに見せたくなかった……」
「靴べら女にしてはまあそこそこ」
「うるさいわね!」
魔術師フォルカーが双子の妹を茶化すと剣士から先程同様、吹雪のような冷たい視線が飛んでくる。
「おっと、こわ」
「ふむ、剣士の方は妹の方が気に入ってるのでしょうか?」
「恐らく……。女性の方はどちらも撫でたりハグしたりするんですが、男性の方はもっぱら妹だけで……」
「可愛がり方に偏りがあるんですか。何故ブーツだけ?」
「さ、さあ……?」
魔術師ルーカスは顎に手を添えて思考に耽った。その間、魔術師フォルカーは立てていた推測を口にする。
「これだけ他者と態度が違うし二人に何らかの要因があるとは思うが、それが何かってところだろうな。お師匠はどうです?」
「そうねえ。確かに要因はありそうだけど……。それ以上に私が気になっているのは女性の方の態度よ」
「え?」
「まるで母親みたい。そうは思わない?」
双子はハッと顔を見合わせた。自分たちが幼い頃眠るように死んでしまった村娘、母ティツィアーナ。母は双子の髪を毎朝ブラシで丁寧に整えてくれて、可愛いからと三つ編みをよく作ってくれた。慌ただしい日常に揉まれ忘れかけていた思い出がふっと蘇った双子は思わず女性の顔を見た。ふわりと微笑む暁星の民の表情は、どことなく母に似ている。
「お、お母さん……?」
ヒールが思わずその単語を口にすると女性は目を見開いて、口元を手で覆うと双子の姉に抱きついた。
「ちょっ……!」
「あら、言葉がわかっているみたいな反応ね」
推測をふっかけてみた魔女クオーツは冷静に魔眼の女性を観察した。
「ティツィとは別人にしても、母親だったのかもしれないわね」
「暁星の民が子どもを生むと考えているんですか? 先生」
「なくはないわ。彼らの間に子どもが生まれる逸話は見つかっていないけれど、いないと断言するには暁星の民への研究はあまりに浅い」
「確かに、そうですね」
魔女クオーツが観察している前で魔眼の女性は姉ヒールを愛おしそうに抱きしめて撫でている。誰かの母親と言う推測を立てた水晶の魔女は次に剣士の方を見た。月の瞳の男は妹ブーツの横で魔術師フォルカーに冷たい視線を向け続けている。
「……そちらは何故かフォルカーが気に入らないみたい。何か思い当たる? フォルカー」
「そうですねえ。顔を合わせてすぐブーツを靴べら女って呼んだか……」
靴べら女の単語を出した瞬間、剣士はフォルカーの前にズカズカと歩いていって胸ぐらを掴んだ。
「ぐへっ」
「やはり言葉がわかってるようね」
剣士はフォルカーを至近距離で睨みつける。俺の目を見ろ、と言わんばかりに顔を近付け殺気を放つ男の態度を見てブーツは慌てて駆け寄った。
「靴べら女ってのはあれだから! あの、ほら友達同士で悪ふざけするでしょ!? そう言うやつ! 本気じゃないから!」
ブーツが月と星の白いローブにしがみついて剣士を引き止めると、月の瞳は不機嫌そうにフォルカーを突き放してブーツを抱きかかえた。そして流れるように少女を膝に抱いてソファに座る。
「いや、だから何で当然のように抱っこなの?」
「言葉を理解しているなら何故こちらの問いかけを無視するかですよね、先生?」
「そうね。長年疑問だらけだった暁星の民について色々とわかるかも知れないわ。二人にはそのまま上位者と生活をしてもらいましょう」
「ええ?」
「おばあちゃん、いや水晶の魔女さま! いくら何でもそれはちょっと!」
「上位者の研究に協力すれば支援金が出るかもしれないわ?」
魔女クオーツの単語に双子の耳は大きくなった。
「……支援金?」
「ええ。魔眼研究者は多いし、上位者ともなれば隻眼の魔術師が黙っていない。明日以降本人に持ちかけてみましょう。でも二人の生活があるからゆっくりとね」
それって私たちに拒否権ないじゃん、と双子は溜め息をついた。
「そうだ。魔眼の下位者はどうなったかしら?」
「ああ、そちらは手配が早かったので私たちが連れてきました。一階で部下と共に待機させています」
「そう。それなら部屋に呼びましょう」
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