第1話『クレイジーブーツ&クレイジーヒール』

「ブーツ! ちゃっちゃと起きなさい!」

 アウレム王国の南、ナッツヒール。木の実の魔女がその実を用いて人々の体を癒した逸話から名付けられた小さな町に双子の魔女がいた。

「無理ぃ……あと五十分」

「起きる!」

「ぎゃあ!」

床板にごちんと石頭が叩きつけられる。クレイジーブーツの二つ名を持つ十六歳の少女は、双子の姉クレイジーヒールの杖から放たれた浮遊魔法でシーツから振り落とされた。小さな部屋に多く積まれた物は作りかけの革細工や登山用のブーツ。狭い部屋に大きく陣取る机の横にある小さなベッドで双子の妹は寝ていた。毛足の長い絨毯には魔力が込められた糸で豪奢に装飾がされた背の高い革のブーツが佇んでいる。

「真夜中まで起きてるから朝起きられないのよ」

「早寝早起きの魔女なんてヒールくらいだって……」

ブーツは自分のブーツを足に引っ掛けると肌着のまま、肩まであるボサボサのオレンジの髪を掻きながら洗面所へ歩いて向かった。元々仕込んである魔法が発動し、ヘアブラシや歯ブラシが少女の身支度を進めていく。

「朝ごはん、ウインナー? 目玉焼き?」

「ういんあー」

 ブーツが魔女の黒いワンピースに袖を通してダイニングへ向かうと狼耳が生えた十六歳の少年が椅子にちょこんと座っていた。

「おはようブルーム

「おはようございます。ブーツさん」

ブーツは人狼の重たく硬い茶髪をくしゃくしゃーっと撫で、自分も席に腰を下ろした。

「ふや〜ぁ」

 ブーツがだらしなく開けた口に焼き立てのウインナーを差し出す者がいる。家政の妖精シルキーは上品な紺色のエプロンドレスを着て今日も朝からヒール率いる魔女一家の家事を取り仕切っていた。

「む」

ブーツはフォークに突き刺して差し出されたウインナーをパリパリといい音をさせながら咀嚼した。三人分の朝食を作り終えたシルキーはキッチンに戻り洗い物を始める。ヒールはブーツと同じオレンジ色の背中まである髪を整え、年頃の娘らしいフリルのついた魔女服に袖を通し全身をバッチリ決めると焼きたてのパンを齧りテーブルの上に新聞紙を広げた。

「西の森での魔犬討伐要請が出ているわね」

ヒールとその使い魔ブルーム、そしてブーツは毎朝こうして魔女の仕事と並行して冒険者たちがこなすクエストに目を通し、薬草を作ったり研究の時間の合間に日銭を稼いでいた。

「薬草の納品依頼は?」

「新聞の募集にはないみたい。薬草の補充に行ったら追加の納品はないかおばあちゃんに聞いてみましょ」

「うん。買い物は?」

「シルキーの分の牛乳が減ってきたかしら。あとは明日の食材? シルキー、欲しい食材は?」

シルキーは慣れた様子ですでに書き終えた買い物メモをヒールに手渡してきた。ヒールは牛乳、タマゴ、何でもいいが肉か魚……と行儀良く並ぶ箇条かじょう書きを頭に入れていく。

「はい、ブーツ」

「ん」

ブーツはメモを受け取ると文字を斜め読みして二つ名の由来となった装飾ゴテゴテのハイヒールブーツに差し込んだ。

「ヒールぅ」

「何よ甘ったれ」

「今日のお昼、パン屋さんのサンドイッチがいーい」

「今週キツイから外食ナシ」

「えー」

「シルキーに作ってもらいなさいよ」

「シルキーのご飯は好きだけど、今日はパン屋の気分なの!」

「じゃあ自分の小遣いで何とかするのね」

「うぇえ」


 ヒールはブルームの髪を人狼専用のブラシで整え、素っ気ないシャツとズボンに着替えさせると妹ブーツと共に大量の薬草を持って外へ出た。明るい若草が花穂を膨らませ、だんだんと春の香りをさせる。陽光の下で花々は町の畑や花壇を飾り、魔術師にも魔女にも柔らかく微笑んでいる。王都を外れた田舎町の変わらない穏やかな朝だった。

 ツンと立ったとんがり帽子を首にかけた双子は家から歩いて何歩かと言う薬屋に足を踏み入れる。

「おはよー、クオーツおばあちゃん」

「おはようヒール、ブーツ。ブルーム」

クオーツと呼ばれたベテラン魔女は趣味の編み物を机に置き、曲がった腰でよいしょと安楽椅子から降りた。

「あー、いい、いい。倉庫まで運んでおくから」

「いつもありがとうねえ」

「大先輩に無理させたくないだけ!」

クオーツは昔馴染みで近所同士なのもあり、双子を気にかけてくれていた。二人は魔術院でわからないことがあると休暇中はクオーツに頼った。同じ魔術院を出たオールドガールのクオーツは双子が早くに父母を亡くしても変わらぬ態度で面倒を見てくれた。双子にとって魔女クオーツは本当に祖母のような人だった。

「おばあちゃん、次の補充どうする?」

「そうねえ、カモミールがあると嬉しいわ。お茶を作りたくて」

「オッケー、仕事ついでに摘んでくるね!」

ふんわりと微笑む優しい老女に見えるクオーツ。しかしかつて魔術院では彼女を知らぬ魔術師はいないと言われた美貌を持ち、優れた鉱石魔術の研究者で魔女見習いにとっては憧れの存在だった。そんなにすごい人が二百歳の誕生日を機に田舎のナッツヒールに引っ込んでしまうと、魔術院の教師も生徒も大層落ち込んだ。

「また明日ね!」

「気をつけて行くのよ〜」

「はーい!」


 薬草の補充を終えた双子と人狼はその足で冒険者ギルドへ向かった。既に入り口が混み合っている中、双子は整理券を手渡され行列の最後に並ぶ。

「仕事残ってるといいなぁ」

「今日こそは取れるわ! 占いでいいことあるって出たもの!」

冒険者用のクエストは雑用でも大捕物でも早い者勝ち。目の前でクエストが全てなくなるなんてこともザラにあるため、双子は毎朝早起きをして残り物の薬草採取にありついていた。アウレム王国は大きな金脈を持っていて、当然硬貨は混じり気のない金。周辺国に比べれば裕福であるものの、森では魔物が発生する瘴気が蔓延するなど苦労も絶えなかった。だからこそアウレム王国では魔物を狩る冒険者たちの存在が不可欠だった。

「いつも言ってるけど午後でもいいじゃん。午後クエ楽だし」

冒険者ギルドでは朝八時と午後六時にクエストが配布される。いわゆる午後クエは言うなれば夜勤向け。魔女や魔術師に向いているクエストが多いのは午後で、午前は剣士や傭兵が率いるパーティ向きだった。

「ダメ! うちの生活サイクルはひいお婆ちゃんの代から変えてないし、変えない方が薬草の管理的にもいいでしょ? うちは代々薬師くすしなんだから」

「はいはい、ヒールの好きな伝統と文化ね」

 双子は受付までたどり着くと無事クエストにありついた。

「西の森の薬草採集か東の森での護衛〜?」

受付に座った書記官メイベルは今日も美しい白肌に艶やかな栗毛の女性。彼女は護衛クエストの方を手の平で丁寧に示して双子に耳打ちをする。

「こちらは昨日までに二回、護衛についたパーティから断られてしまったんです」

「えっ? どうしてですか? 東の森なら瘴気も薄いし初心者パーティ向きですよね?」

「それがですね……」

メイベルはさらに声を落とした。

「依頼主のパーティがとんでもないお子ちゃまを抱えていて、歴戦の傭兵たちでも苦労すると」

「契約反故の違約金を払ってまで嫌がられたってことですか……?」

「それも二回……?」

書記官メイベルはコクンと頷いた。

(事故案件だわ……)

(事故案件。なら……)

「三回目、断られたら」

「それまでのパーティに補助金が出ますよね?」

「はい。もちろん」

クエストは何度失敗してもいいものと、そうではないものがある。どのクエストでも基本は中断して帰ってくれば依頼を受けたパーティが違約金を払わなければならない。しかしギルドが決めた上限回数までに依頼をこなせなかった場合は、依頼主の理想が依頼内容に見合っていないとして国からギルドを通して補助金が配られる。依頼主はギルドへ違反金を払い、その金額の半分はそれまで依頼を受けたパーティ全員に配られる。

(補助金プラス違反金はんぶん!)

(今日は牛肉が買えるわ!)

「では護衛クエストを受けます」

「承知しました。ではここにサインをお願いします」

双子は軽い気持ちで空欄にサラサラっとペンを走らせた。これがこのあとの大騒動への伏線だとも知らずに。


「ヴィート!」

「お? おお、ヒール。ブーツ」

 双子は冒険者ギルドの食堂で、同じ護衛クエストを受けた昔馴染みの傭兵ヴィートのパーティに声をかけた。ヴィートは大陸の北西では珍しくない平凡な茶髪の壮年の男だ。

「同じクエスト受けたんだけどさー」

「ええ? マジかよ。やめとけあんな奴」

「その“あんな奴”の話を聞きたいのよ」

「ええー? 物好きだな」

「情報収集は魔術の基本よ。ねえ、教えてくれる?」

「契約内容を口外することは契約違反だ。でも、ビールを奢られたら俺たちの口が滑るかもな〜」

「ミーラ! ヴィートのところにビール三つちょうだい!」

「はーい! 毎度あり〜♪」

 ヴィートとお馴染みの傭兵たち三人組はビールとつまみをご機嫌に頬張り、周囲が素知らぬ振りをしてくれるあいだ雇い主について“うっかり”話し始める。ヒールは紅茶を頼み、ブルームや妹と共に傭兵たちと同じ席で優雅にティータイムとなった。

「七、八歳のガキンチョだけどあの金髪碧眼じゃ貴族か王族だろうなぁ」

「そうだろうなー。なんせ従者が二人ついてるし」

「でもその従者がワガママ貴公子を放っておくだけで叱りも守りもしねえんだよなぁ」

「ああ。坊っちゃんは右に行ったら魔物がいて危ねえって言うとわざわざ突っ込むし、左は崖だって行ったら飛び降りようとするし……」

「困ったガキだよ本当に」

(事故案件だわ……)

(違反金払え……)

「貴公子サマが魔物を一匹倒すのが目標なんだと」

「従者にやらせて達成しときゃあいいのによ。何でも自分でやるって聞かねえんだ……」

「傭兵ごときにはわからん話だ」

「本当にな」


 双子はきちんと帽子をかぶってブルームを連れ集会場を出ると、東の森へ向かう林道の前に停まっていた立派な馬車を視界に入れた。

「あれかぁ」

「まー、金持ちのニオイがぷんぷんするわね」

「違反金もらってさっさと帰ろ」

「そうね」

 馬車の前には二十歳を過ぎた身なりの立派な男が二人立っていた。言われずとも従者ですとわかる紳士服の男たちに魔女たちはスカートを摘んで丁寧にお辞儀をした。

「依頼を受けた魔女クレイジーヒール」

「同じく魔女クレイジーブーツです。以後お見知り置きを」

従者たちは貴族のお高くとまった目で魔女の乙女らを蔑むと馬車から降りる主人のために踏み台を用意した。

「坊っちゃま、冒険者が到着しました」

「うむ!」

馬車から堂々と降りてきた少年はヴィートたちの話した通りの七、八歳の子供で金髪碧眼。ただ地面に降り立つまえ思いっきりつんのめり顔に泥をつけるところであった。従者は支えた少年の心配よりも先に「お召し物を汚してはなりません」と言い放った。

(クソ従者……)

(ふつう怪我の心配が先じゃない)

「うむ、お前たち! ついてくるがいい!」


 どこぞのお坊ちゃまは森へ入ると動くものがあれば無闇に剣を振り回した。そのくせ暗がりを怖がって木陰には入れず、従者に魔物がいるか確認しろと命じて自分は魔女たちの後ろに隠れて報告を待った。従者は魔物を探すにしてものんびりとしていて、サボりも同然だった。

(思ったんだけどさ)

双子のヒールとブーツは言葉など使わずとも視線で会話ができた。双子という特殊な生まれに備わった、古来からある不思議な能力で。

(なに?)

(これ育児放棄じゃない?)

(あー、ブーツもそう思う?)

(放置されてきました感プンプンするもん)

(同感)

頷き合った魔女たちは従者の目を盗んで膝を折り依頼主の坊っちゃまを両側から挟んだ。

「あーあ、暇だなー」

「ひ、暇だと!?」

「暇ねえ。薬草でも摘む?」

「何!? 命令違反だぞ!」

ヒールは傍らに生えていた、葉の上に赤ワインをこぼしたような染みのある薬草をプチっと摘んだ。

「この竜涙草は切り傷にも効くし、お茶にも出来るのよね」

「竜涙草のお茶はこの辺でしか飲めないんだよねー。何でだっけ?」

お坊ちゃんは突然始まった双子の会話の意図が分からず疑問符を頭に浮かべている。

「竜涙草は摘むとすぐ発酵が始まるの。だから荷馬車に乗せて王都まで運ぶのは無理なのよ。ナッツヒールから王都までは十日以上かかるもの。発酵し過ぎて渋くなっちゃうの」

「王都の人はこの美味しいお茶が飲めないんだよねー。可哀想に」

双子は肩にかけた鞄の中から薬草摘みに使っている小さな編みカゴを取り出すと竜涙草を貴公子の眼前に掲げた。

「あーあ、この竜涙草をカゴいっぱいに摘んだら美味しいお茶が出来るのに」

「でも依頼主を放置する訳にもいかないしー」

双子はお揃いの金の瞳で貴公子の顔を覗き込んだ。

「依頼主さまが許可してくれたら、美味しいお茶をご馳走するんだけどなぁ〜?」

「依頼主さまが許可してくれないと、どうにも出来ないわね〜」

お坊ちゃんはハッとすると竜涙草を手にして声を上げた。

「許可する! りゅうるいそうの茶を我に献上しろ!」

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