第五膳 『おでかけとちらし寿司』(回答編)
ちらし寿司と聞かされて僕が彼女を連れてやってきたのはスーパーではない、地産地消を提言する地域の農協だった。季節の野菜他、新鮮な海鮮類も扱う大型店でここならばすべての材料がそろうだろう。
物珍しいものがいっぱいなのか、発泡スチロールに大量の氷を敷きその上に横たわる丸々としたカツオを見て彼女はおっかなびっくりの表情だ。そおっと指を伸ばし腹に触ろうとするので微笑みかける。
「ダメだよ。鮮度が落ちるから買わないものは触っちゃいけないんだ」
彼女は目を丸めて指を引く。ちょっと唇がポッポーといいたそうにとがっている気もしたが。
さて、どんなちらし寿司にするか。というよりもここで疑問が浮かんできて首をかしげる。
「ちらし寿司なんてどこで覚えてきたの?」
茶漬けもカレーもシチューも餃子も知らない彼女が何故にちらし寿司を知っている。すると彼女は店内に掲示してあった大手調味料メーカーのすし酢の販促ポスターを指さした。
「オスシ!」
ああ、なるほど。そういうことか。CMもやっているからどこかで覚えたんだな。写真のものは通常のちらし寿司ではなく、具材にこんにゃくや旬のタケノコを使った田舎ちらしだ。やっぱり彼女のチョイスは渋かったとうなづく。
あれならば材料もここでそろうだろう。僕は好奇心旺盛に弾む彼女を連れてまるでアトラクションのように売り場を巡った。
帰宅してたくさん購入した材料を広げる。買ってきたのは水煮のタケノコ、シイタケ、こんにゃく、リュウキュウ(ハス芋)、みょうが、そしてちょっと高かったけれど味の決め手となる柚子酢だ。
早速炊飯器からご飯を一番大きなボールに取り、ゴマと砂糖と多めの柚子酢を加えてしゃもじで切っていく。べちゃべちゃとねばついてはいけないので彼女には助手に甘んじてもらい団扇で仰いでもらっている。味を田舎風に調えて酢飯を作り終えると具材の準備だ。
それぞれの材料を手ごろの大きさに切り、シイタケとこんにゃくを醤油で甘辛くしっかりと煮つけ、リュウキュウとみょうがとタケノコには薄味をつける。この寿司は食感というものが命でだから特に後者はくたくたになるまで煮たりはしない。
十数分かけて具材を焚き終えると汁気を切り、皿にこんもりと盛った酢飯の上に飾っていく。ここでようやく彼女の出番だ。
彼女は音痴で変な歌をご機嫌に歌いながら具材を散らしている。散り散りバラバラに。ああ、そうか。だからちらし寿司! と一人納得してみる。
出来上がったものを見て心から満足する。彼女もとても嬉しそう。もちろん不格好だ。でも大事なのはそういうことじゃない。
彼女はオスシ、オスシとぴょんぴょん跳ねている。いやいや、ご近所さんにご迷惑だからと静止して。
二人で食卓に着き、頂きます。の前に、
「クルッポー」
二人で一緒に首をかくかく。ああ、なんだかこのあいさつにも慣れたなと思いながら。なんで僕まで首を揺らすんだろう。
それでは頂きます、と手を合わせて黙々と食べ始めた。
脳天に抜ける柚子の香り、そして彩る山の幸。美味しい食感が口内を満たしていく。ぱりぱり、こりこり。しゃきしゃきと。
「オイシイ!」
彼女は瞳をきらめかせて寿司の詰まったほっぺを手のひらですりすり。ご満悦の表情だ。やっぱり渋いよなあと呟きながら食べ進めている僕もまんざらではない。
食べながらも元料理人。色んなアレンジが浮かんでくる。今日は山の幸だけで作ったが酢で締めたアジなど加えてもオイシイだろう。うん、今度やってみる。
爆食彼女と二人で鱈腹食べて腹をさする。彼女のお腹はぽんぽこりん。口からまだ柚の酢の香りがしている。ああ、幸せだな。幸せ。多幸感がものすごい。幸せってこういう瞬間のことをいうのだろう。
空になった器を見つめてふと思う。
彼女が来てからずいぶんと料理が楽しくなった。料理は楽しい、食べてもらうのは楽しいことなのだと。
あのとき僕はきっと一番大事なことを忘れていたんだなと独り言ちた。
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