第94話 糾える縄の如し
「――このログハウスは兄さんの形見のようなものさ。義之がいつか戻ってきてもいいように――」
胸中を吐露する文恵は夢中になり、時間の経過さえ忘れてしまっている。果たして人は老いて語りたがるようになるのか、それとも語りたがる故に老いるのか。それは人間の七不思議の1つと言えそうだ。
「......」
文恵の長話を子守歌のように受け取ったのか、のりこは無意識のうちにうたた寝してしまった。こればかりは老人と子供の埋めようのない隔たりだ。
「おおっと!」
うたた寝しているのりこは、傍にいたりょうたへ体を預けた。校長先生の長話が退屈で寝てしまう児童、今でもいるのではないだろうか?
「我が家にそんな壮絶な過去があったなんて......」
文恵の話を聞いた京子は戦慄して動揺を隠せない。スローライフを思い描いたログハウスの過去が混沌としていたことなど、島長一家が知る由もない。
「それで、その後の義之さんはどうなったんですか?」
義之の経緯が気になる良行は文恵に話の続きを促すが、どういうわけか彼女は言葉を噤んでしまう。どちらかといえば、噤むというより昂る感情に言葉を堰き止められた感覚に近いのかもしれない。
「それについては私から話します。匠さんから新居を引き渡された母は、アニキの帰りを待ち続けました。何年も、何十年も......。けれど、アニキがここへ戻ることはありませんでした」
秋子が神妙な面持ちで義之の顛末を語る。文恵の言葉を続けたものの、彼女もまた苦悶の表情を浮かべて言葉をやっとの思いで紡いでいる。兄のように慕った人物との生き別れは秋子にとって何よりも耐え難い苦痛なのだろう。
「私も上京してアニキを探し続けたけれど、当時の私はその日を生きていくのさえやっとだった。結局、アニキとの再会が叶わぬうちに帰郷することになったのです。思えば、あの時の私は若すぎたのでしょう......」
やがて秋子自身も項垂れてしまう。幼い彼女にとって、義之の存在はあまりにも大きかったのだ。
「アニキの帰りを長年待ち続けた母でしたが、父も亡くなり店の維持すらままならなくなりました。その結果、母は断腸の思いであの家を手放すことにしたのです。その決断は、母にとって家族との死別以上に酷だったことでしょう」
文恵の無念が偲ばれる。耐え難きを耐え、忍び難きを忍んだところで文恵の思いは報われず、全ては水泡と化した。覆水は盆に返らず、過ぎ去った時は巻き戻せない。
「ログハウスを売却したものの、数年経っても買い手が現れなかったのです。けれど、それが母にとってある意味で救いだったのかもしれません」
秋子は言葉を続ける。ログハウスを手放したとはいえ、兄の形見であるログハウスが見ず知らずの人間の手に渡ることを文恵は内心恐れていたのだろう。当人も当時を懐古してか、表情は暗く俯いたままだ。
「買い手の付かぬ空白の時間、それもやがて終わりを告げました。ログハウスはとうとう人の手に渡ったのです。本来なら喜ばしいことでしょうが、母は失望の表情でした」
秋子の言う買い手は当然ながら島長一家。スローライフを夢見た一家が、老婆思い入れのログハウスだと知るはずもない。
「私も恐れていました。母の笑顔が戻らなくなるのではないかと。けれど、ログハウスの入居者は特別な特徴を持っていました。それは良行さん、紛れもないあなたです!」
先程とはうってかわって秋子は力説し始める。その声に思わず良行はぎょっとしてしまっているが、秋子は気に留めず話を進める。
「良行さんの顔を見た時、私は目が点になりました。その輪郭、アニキの生き写しとさえ思ってしまったのです!」
秋子は若き日の義之の写真を手に取り、良行と見比べる。すらっとした体型・面長な顔・精悍な切れ目、その他細部にわたり二人の特徴は酷似していた。
「母の話を聞いた時、私はてっきり妄言かと思ったのです。しかし、私も実際に良行さんを見てそれも合点がいきました」
この世に自分にそっくりな人間は3人いるとされているが、当人たちも義之にそっくりな良行が引っ越してくるとは想像するわけもない。
「良行さんに似た人がこの島に住んでいたなんて私もびっくり!」
京子も秋子へ合わせるように相槌を打つ。これで二人の
「......え? おとうさんがこの島に住んでいたの?」
文恵の長話から目覚めたのりこが放つ第一声。寝ぼけているのか、彼女の言葉は今一つ的を射ていない。
「それに、義之の宝物をこの子たちが見つけ出したことも何か因縁めいているな」
淡々と語るのは春奈。従兄であり旧友だった義之をよく知る人物の一言は何よりも説得力がある。
「あぁ、これのことだね!」
りょうたは思い出したように、ポケットからメガロドンの歯を取り出す。義之が羽成の財宝だと豪語していたそれは、別の意味で宝物になった。
『ワンワン! キューン! ピヤーッ!』
のりこの後を付いてきていたのか、のりこ探検隊の面々もこの場にやってきた。おそらく、この場の雰囲気に彼らを欠いてはならないだろう。
「お帰り、よしゆき」
感情を堪えてきた文恵が言いたかった一言。この島を去った義之と家族を連れてやってきた良行、二人のよしゆきの影が重なる。
「ただいまっ!」
文恵達の心情を悟った良行のにこやかな一言。人の縁は合縁奇縁、私達は与り知らぬところで誰かと繋がっている。二人の
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