第93話 健造の遺志

 更地となった羽成家の新築計画など、親族含め誰も知りえない事実だった。それは実妹たる文恵とて例外ではない。

「兄さん、あなたは一体何を考えているの......」

 文恵の困惑している表情は匠からも見て取れた。代々継承してきた我が家をどうして解体しなければならなかったのか、この真意を文恵は理解しかねた。

「健造さんは最期にこう語っていました。この家は自身にとって呪いだと」

 匠は淡々と健造の本懐を語り始める。健造自身、本来は故郷を離れて自立したかったそうだ。だが、当時の家督制度がその意思を阻み、長兄たる健造は家を存続しなければならなかった。その家督制度に対する抵抗として、長年内に秘めていたのが羽成家新築計画だったのだ。

 だが、その意思は新たな呪いとして息子の義之に降りかかる形となってしまった。皮肉なことだが、羽成家の呪いは健造自身がスケープゴートとなることで達成されたのだ。

「伝統を呪いだなんて! そんな話を誰が受け入れるものですか!!」

 先祖代々の伝統を重んじる文恵からすれば、兄の行動は単なる冒涜としか映らない。革新的な思想は、いつの時代も伝統という壁に阻まれるのが通例だ。

「文恵さんの思いは尤もかもしれない。けれど現状はどうだろうか? 義之君が上京した時点で、既にさいは投げられていたと僕は思います。あなたがどう思うかは勝手ですが、今更立ち止まることを健造さんは良しとしないでしょう」

 匠は語気を強めて文恵に語り掛ける。兄弟子たる健造の遺志を実現しなければならない、それが今の匠を突き動かしていた。

「僕は健造さんの弟弟子として、健造さんの遺志を形として遺します。お兄様のご遺志を尊重していただけますか?」

 匠の表情には真剣そのもの。だが、それでも文恵は匠の言葉に対して不服の表情だ。

「もう勝手にしてください! これだから男という生き物は!!」

 煮えくり返る腸を抑えきれなくなったのか、文恵は侮蔑の言葉とともに実兄の遺言状を地面へ打ち捨てた。自制の利かない文恵は感情のままにどこかへ飛び出してしまった。

「勝手にしろというのなら、こちらも好きにさせていただきますよ。僕はただ、弟弟子として託された責務を全うするだけですから」

 匠は冷淡ながらも澄んだ瞳で正面を見つめた。彼の胸の内にあるのは、兄弟子たる健造の最期の言葉だけだった――。

 ――健造の遺言の基づき、更地となっていた羽成家跡に新たな住宅が建築されていくこととなる。匠は住宅建設にあたって陣頭指揮を執り、彼に縁とゆかりのある事業者達が集まって建設に貢献した。

 そんな中、健造の遺言によってある人物が建設現場へ呼び出されていた。スーツ姿が初々しい彼女の名は源春奈。源三姉妹の長女で、就職を機に羽馴島を出ていた。

「この建物はもしやログハウス? これが健造さんの感性だとは信じられないなぁ......」

 羽成家跡地には丸太とおぼしき資材が大量に搬入されている。当時の羽馴島は昔ながらの日本家屋が大半を占めていたため、羽成家の新宅がログハウスだと気付く島民はそうそういなかった。

「春奈さん、この度は遠いところご足労をかけました」

 建設現場が慌ただしい中、人ごみからひょっこりと姿を現したのは彼女を呼び出した張本人たる匠である。彼の物越しは、現場責任者には似つかわしくないものだ。

「いえいえ。匠さんも、伯父のわがままの為にわざわざありがとうございます。それで、話と言うのは何でしょうか?」

 春奈は匠に対して深々と頭を下げた。彼女もまた、匠の真摯な態度に敬意を表しているようだ。

「健造さんの遺言に基づいて新宅を建設中なのはご存知かと思います。さて、本題は屋内の家具家電についてです。それについても健造さんから遺言が残されているのです――」

 匠は健造の遺言について淡々と語る。一般論として、新宅の家具家電などは入居者の好みで購入されるものだ。だが、健造はそれについても遺言を残しているらしい。

「――えっ? ログハウスの家具家電を全部サンイン電器で調達して欲しい!? しかも全部最新のハイグレードで!!?」

 健造の遺言を聞かされた春奈は唖然としている。当時の春奈はまだサンイン電器の新入社員で、営業部に配属されてまもない彼女は販路が見いだせずに苦戦を強いられていた。健造がそこまで彼女の事情を汲んでいたかは定かでないものの、春奈にとってこれは思いがけない助け舟といえよう。

「えぇっと、この売上なら今期の成果報酬は弾むけれど......本当にいいんでしょうか?」

 これまでの春奈の人生において、まず見ることがなかったであろう家電類の購入金額。その金額に思わず卒倒しかけるが、彼女は今一度平静を保とうとする。

「これが健造さんの遺志であることは間違いない。伯父さんからの祝儀だと思って、どうかこの依頼を受けて欲しい」

 困惑を隠せない春奈に対して、匠は重ねて健造の遺志を汲んで欲しいと懇願する。それが兄弟子の遺志ならば、弟弟子として当然の責務であるに違いない。

「......分かりました。この依頼、承ります!」

 健造の遺志を汲み取った春奈は匠の依頼を快諾した。彼女の働きによって、羽成家の新宅にサンイン電器の家具家電が続々と設置されることとなる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る