第47話 僕の知らない物語

「これがツユクサ、これがオオバコ。それから......」

 もえが瞳を輝かせながら、自身がスケッチした野草をりょうたへ紹介している。キャンバスに描かれた野草は生命力に溢れていて、とても色鉛筆で描いたとは思えないような存在感がある。

「......」

 彼女が野草について夢中で語る一方で、りょうたは話についていけず困惑している。基本的にインドア派の彼にとって、野草は興味の範疇にない。

「りょうたくん......私の話、つまらない??」

 りょうたの表情から何かを察したもえは、話を止めてしまう。夢中で語りすぎてりょうたを置いてきぼりにしてしまったという念に駆られる。

「もえちゃん、違うんだ......。僕、野草のことってあんまりよく分からなくて」

 羽馴島へ引っ越してくるまで、りょうたにとって自然は遠くの存在だった。都会に住んでいた人間にとって、野草の違いなどさして問題ではない。そういう意味で、りょうたが野草に疎いのは至極当然のことである。

「ごめんね。私、りょうたくんと話すのが嬉しくてつい......」

 もえは内向的な性格で、どちらかと言えば人と話すのが苦手だ。そのせいもあって、彼女は専ら野草のスケッチをしていることが多い。そんな彼女にとって、りょうたは貴重な話し相手となっている。

「ううん、僕ももえちゃんと話すのは嬉しいよ」

 もえの話を理解できなくとも、その喜びを共感したい。そのような気遣いに、りょうたの優しさが垣間見える。

「けど、りょうたくんは植物に興味ないもんね......」

 しかし、もえはりょうたの気遣いを察して表情を曇らせる。こんな時、りょうたはどんな顔をすればいいのか分からない。言葉を失ったりょうたは沈黙し、うつむくことしかできなかった。

 ――放課後、のりこは玄関でりょうたを待っていた。いつもならすぐに合流できるはずの二人だが、りょうたは一向に玄関へ現れる様子がない。

「おかしいわねぇ? りょうたは何をしているのかしら??」

 あまりに待たされて、のりこは苛立ちを隠せない。江戸っ子気質ののりこは待たされることが苦手だ。

「――おねえちゃん!」

 ようやくりょうたが玄関へやってきた。のりこを待たせていることを申し訳なく思っていたのか、廊下を走ってきたようだ。

「遅い! 一体何してたの!?」

 いつになく待たされたのりこは機嫌が悪い。しかし、りょうたは申し訳なさそうに言葉を続けた。

「ごめん、今日は先に帰ってて!!」

 りょうたは言葉少なにその場を立ち去った。彼は一体どこへ向かったのだろうか?

「全く! 勝手なんだから!!」

 りょうたの態度にのりこはご立腹。彼女は不貞腐れながら下校した。

 ――りょうたがやって来たのは図書室だった。放課後の楽しみがE・Bであるりょうたにとって、図書室は無縁の場所である。果たして、彼の目的は一体何なのだろうか?

「図鑑......図鑑......」

 りょうたは何やら独り言を呟いている。彼が探しているものは、どうやら何かの図鑑らしい。

「図鑑......ずか......え?」

 蔵書を漁るりょうたの眼前に見覚えのある人物がいた。終始空手着姿の少年、どもんだ。

「我、未だ木鶏たりえず......」

 どもんは机の上で胡坐を掻き、瞳を閉じている。彼の姿勢は、図書室の光景としては違和感を覚える。

「どもんさん、こんな所で何しているんだろう......」

 りょうたはどもんを奇異の目で見ている。よく見ると、その傍らにもう一人誰かいるようだ。

「我、未だ木鶏たりえず......」

 どもんの傍らにいる少年は、剣道着に袴という奇妙な出で立ちをしている。彼もまた、椅子の上で正座をしながら瞳を閉じている。この二人、おそらく瞑想しているのかもしれない。りょうたは自分にそう言い言い聞かせつつ、彼らには触れないことにした。

「植物図鑑......あった!」

 りょうたが探していたもの、それは植物図鑑だった。それはえらく分厚いもので、小学1年生が持つには少々重いかもしれない。換言すれば、それだけ情報量が多い書物といえる。

「......お? のりこの弟じゃないか?」

 瞑想を中断したのか、どもんは目を見開いている。彼は平然としているが、図書室で胡坐という姿勢はやはり奇異に映る。

「どもんさん、ここで何をしているの?」

 りょうたは空気を読んで、わざとらしくどもんへ尋ねる。もちろん、どもんの答えは分かり切っているのだが。

「あぁ、こたろうと共に瞑想会をしていたんだ。この静けさは瞑想が捗る、実にいい」

 話によると、どもんはこたろうの誘いを受けて瞑想会を敢行しているらしい。とはいえ、図書室でわざわざ瞑想する必要性がりょうたには理解できなかった。

「せっかくだ、お前も瞑想会に参加してみないか?」

 どういうわけか、どもんはりょうたを瞑想会へ勧誘しようとしている。りょうたの目的は植物図鑑であって瞑想ではない。

「いえ、結構です......」

 どもんの勧誘をりょうたは即座に断る。そんなことをして、周囲から奇異の目で見られることは必至だ。

「......武士道とは死ぬことと見つけたり」

 剣道着姿の少年、こたろうは何やら妄言を発している。これはさしずめ、恥じる心を捨てろということか?

「失礼します......」

 りょうたはそそくさとその場を後にする。ここに長居は無用だ。

「ところでこたろう、その言葉はどういう意味なんだ?」

 どもんはこたろうへ尋ねる。それに対し、こたろうはしばし間を開けてからこう言った。

「......分かりません」

 言葉の意味を知らずとも、雰囲気でそれらしさを感じ取ろうとする二人であった。

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