第44話 どもんと異邦人

「我、いまだ木鶏たりえず......」

 羽馴の森の奥地、羽馴の滝でどもんは座禅を組んで滝行をしている。滝から流れ落ちる流水は至極冷えており、傍から見ているだけでも心身が冷え切ってしまう。だが、どもんの求める覇道は心身の動揺を越えたその先、つまり木鶏たりえることにある。

「我、いまだ木鶏......」

 どもんはのりこに敗北したことで、自身の修行不足を痛感していた。自由奔放に生きている彼女が無自覚ながら覇道を習得していること。それは彼にとって青天の霹靂へきれきといっても過言ではないだろう。

「我、いまだ......」

 木鶏たりえることへ執着するあまり、どもんは意識を失いつつあった。長時間にわたる滝行で体が悲鳴を上げながら、それでもどもんは木鶏たりえることを求め続けた。しかしながら、身体に支障をきたしてしまっては元も子もない。

「――頼もう!」

 薄れゆく意識の中で、微かに聞こえる来訪者の声。だが、それに応じる余力はどもんに残されていない。これでは、木鶏たりえる前にあの世の境地へ至ってしまう。

「......何やら尋常ならぬ気配を感じる!」

 何らかの異常を感じた来訪者は、どもんの救助へ向かう。滝行をする流水はあまりにも冷たい。そのことから、来訪者はどもんが体を冷やして意識を失いかけていることに気が付いた。

 来訪者は胸元で奇妙な組み手を構え、腹に力を込める。すると彼は煙に巻かれ、どもんの下へ瞬間移動した。それはさながら、忍術を彷彿とさせる光景だった。すかさず彼はどもんを背中に抱え、滝から離れた。

 ――気を失ったどもんは、意識の中を彷徨さまよっていた。

『どもん、お前はどうしてそんなに物覚えが悪いんだ! まったく......浩一の垢を煎じて飲ませてやりたいものだ!』

 男の声がどもんを恫喝する。どうやらそれは、どもんにとって肉親であるようだ。

『あなた......そこまでどもんを責めないで! この子は、きっと優しい子なの。こないだだって、怪我した小鳥を......!』

 男を諭す優しい女の声。彼女もまたどもんの肉親であるようで、どもんを擁護しているように見受けられる。

『優しさだけで人の命は救えないんだ! それはお前も分かっているだろう!!』

 彼女の擁護する言葉を、男は容赦なく跳ねのけてしまう。

『とにかく、こんな出来の悪いヤツを俺の息子とは認めない!』

 男はどもんに対して辛辣な言葉を言い放つ。それを聞いた女は慟哭どうこくしていた。そこでどもんの意識は再び遠のいた。

「......ん? ここは」

 どもんは意識を取り戻した。さっきまで滝行をしていたはずなのに、気が付けば滝から離れた岩に臥していた。

「目を覚ましたか」

 どもんの傍らには、見知らぬ姿の少年の姿があった。会話こそ日本語であるものの、和服を着ていたり髷を結っていたりと不思議な容姿をしている。尤も、四六時中道着姿のどもんもかなりの変人であるが。

「お前が俺を助けてくれたのか......かたじけない」

 どもんは、修行の最中に死にかけていた己を恥じた。我が身を賭してまで、どもんが覇道を追い求める理由は何なのか?

「お主、何をそこまで焦っているのだ?」

 少年には、どもんの焦燥が透けて見えてしまう。どもんの焦燥は、覇道と何か関係があるのかもしれない。

「俺は何一つとして存在意義を示せていない。そんな俺がみじめで許せないんだ」

 どもんにとって覇道とは自身の存在意義、換言すればアイデンティティたりえるものなのかもしれない。よわい10年弱にして彼が自己の在り方を悩むあたり、その人生は壮絶であることに違いない。

「齢は拙者と変わらぬように見受けた。お主、一体何があったのだ?」

 自身と同い年と見た少年は、どもんに問いかける。彼はその真意を知りたい、それだけだった。

「これは俺の問題。他人は口出し無用だ」

 どもんは真意を明かそうとしない。確かに、他人の心に土足で踏み込むのはあまり褒められたものではないだろう。

「ただ、これだけは言える。師匠は惨めな俺を認めてくれている。これは紛れもない事実だ」

 どもんにとって亜細亜は単なる師匠に留まらず、彼の存在を肯定してくれる貴重な人物であるようだ。

「お主の事情は知らぬ。だが、理想の為に自己を犠牲にしてはならぬ。死ぬことは恩返しにならん」

 少年の指摘は尤もだった。自らの命を犠牲にしてしまっては、恩を仇で返すことになってしまうのだから。彼の言葉は的を射ており、どもんは言葉を失ってしまう。返す言葉がないとはまさにこのことだ。

「一つだけ聞こう。お前は一体何者なんだ?」

 しばらくの沈黙のうちに、どもんがやっとの思いで紡いだ言葉だった。それは少年の容姿に対してではなく、同い年と思われる彼のやけに達観した心情に対しての言葉だった。

「拙者もここでは語れぬ。だが、背負っているものの重さはお主と同じかもしれんな?」

 少年は意味深長な物言いをする。その瞳は、どことなく悲哀を感じさせる。少年は自覚を持てぬまま、社会という騒乱へ放り出される。その不条理を、社会人となった大人たちはとうの昔に忘れてしまっているかもしれない。

「......さて、ここに秘宝の手がかりはなさそうだ。拙者はここを発つぞ?」

 そういうと、少年は胸元で奇妙な組み手をして煙に巻く。するとまもなく、少年はどもんの数メートル先へ瞬間移動した。

「......!! 忍者!?」

 その光景にどもんは舌を巻く。それは紛れもなく忍術そのものだ。

「一つだけ教えよう。拙者は豊臣皇国皇子・豊臣秀光。お主とは、またどこかで会えるといいな!」

 秀光は名残惜しそうな表情で見つめる。ここでどもんに出会ったのも何かの縁であろう、彼はそう直感した。

「俺はどもん! 花州かしゅうどもんだ!! 俺も、お前との再会を楽しみにしている!」

 どもんは秀光の呼びかけへ応じる。束の間でありながら、男の友情が紡がれた瞬間であった。

 ――羽馴の滝を発った秀光は、ある言葉を呟いた。

、手掛かりなしか......」

 秀光の探し求める羽馴忍法帳、その正体とは一体......。

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