第42話 分福茶釜

 昼食のバーベキューを終えた島長一家はその後、乗馬や乳しぼりなどの牧場体験を満喫した。のりこは相変わらず動物に好かれていて、馬も彼女に従順だった。そんな姉に相反してりょうたは動物に対してぎこちなさが目立ち、乳しぼりでは乳牛に嫌がられてしまった。

 牧場体験をしているうちに、気付けば昼下がりになっていた。牧場散策をしていたのりこは建物を見つける。

「あっ、タヌキのお店だ!」

 のりこが指差す先に『分福茶釜ぶんぶくちゃがま』と掲示された店があった。店の雰囲気から、どうやら甘味処のようだ。

「のりこ、行きまーす!」

 のりこはその店へ一目散に駆けていった。

「おい、のりこ!!」

 のりこを制止することも叶わず、良行は彼女の後を追いかける。

「おねえちゃん、お店の中へ入って行っちゃった……」

 りょうたはのりこの様子をただ眺めていた。京子はまだ黒ビールの酔いが抜けきらないのか、彼女の歩みはどことなく千鳥足だ。

「おかあさん、お酒は無理に飲まない方がいいよ?」

 酒に飲まれた母を息子の立場である弟がいさめる。これではどちらが親なのか。彼女は本来あまり飲酒をしないのだが、牧場という環境が彼女の気を大きくしてしまっているらしい。

「とうちゃーく!」

 店内は古民家を思わせる佇まいで、畳が敷き詰められている。客席はまばらだが、各々おのおのゆったりとくつろいでいるのが分かる。

「あら、いらっしゃい!」

 どうやら店員は高齢女性のようだ。彼女は頭に手拭を巻き、モンペを履いている。店内の雰囲気と相まって、実家のような安心感を演出している。

「おぉ? 何だこの写真は?」

 良行が店内へ入ると、ある物が目についた。店の内壁にコルクボードが提げられており、そこに動物の写真が掲載されている。

「あぁ! ルナちゃんだ!!」

 写真に気付いたのりこは思わず叫ぶ。右頬に三日月型の切り傷、ルナで間違いない。しかし、なぜここにルナの写真が掲載されているのだろうか?

「おねえちゃん、タヌキちゃんのこと知っているのね? この子は、近くでよくお散歩しているのよ?」

 彼女の話によると、ルナはこの牧場付近で頻繁に目撃されるらしい。タヌキは基本的に警戒心が強く、人気のある場所はあまり好まないとされる。しかしルナは比較的人懐っこいらしく、こうして頻繁に店付近に現れるようだ。それを知った常連客がルナの撮影を試み、店内へ写真を掲示し始めたとのこと。

「あ! ルナだ!!」

 後から入店してきたりょうたも、ルナの写真に気付く。その写真は癒される場面が多く、中には腹を出して寝そべる姿もあるくらいだ。

「ルナちゃん、いい顔してるじゃない」

 微笑ましいルナの表情に、京子も思わず頬が緩む。そのふっくらした体型も相まって、タヌキのあどけなさは実に可愛らしい。

「せっかくここへ来たし、お茶でも飲んで一服しようか?」

 良行の提案を受け入れ、一家は座敷へ上がる。座敷にはちゃぶ台と座布団が置かれていて、これがまた古民家の雰囲気を再現している。

 のりこは席へ着くなりお品書きを眺める。それには数々のメニューが掲載されているが、他のものに目もくれずある物を指差した。

「ルナちゃんの顔が描かれてる! これに決めた!!」

 のりこが指差したのは、抹茶味のソフトクリームが添えられた白玉あんみつである。その中でものりこは、タヌキの焼印付きワッフルに心奪われたようだ。その焼印のタヌキは、可愛らしく微笑んでいる。

「おねえちゃんだけずるい! 僕もそれにする!」

 姉に乗り遅れまいと、りょうたも対抗心から同じものを注文する。よく見ると、白玉あんみつはと書かれている。数量限定……それはある意味甘い言葉である。

「さて、俺はどうしようかなぁ?」

 良行はお品書きをじっくりと眺める。そんな彼の横で、京子はある物が目につく。

「数量限定・タヌキコーヒーですって!?」

 ここでも数量限定という言葉が登場する。この店、雰囲気とは裏腹に商売上手かもしれない。京子は、その説明文を読んでさらに興味をそそられてしまう。

「タヌキの腸内で発酵したコーヒー......コピ・ルアクみたいなものかしら?」

 コピ・ルアクとは、インドネシアで飲むことが出来るコーヒーである。現地のジャコウネコがコーヒーの実を食べ、その排泄物から回収したものがコピ・ルアクと呼ばれる。コーヒー豆はジャコウネコの腸内で発酵して、何とも言えない独特な香味を放つようになる。

「京子さん、値段をよく見て......」

 タヌキコーヒーの価格を見た良行の顔がどことなく青ざめている。それもそのはず、タヌキコーヒーの価格はなんと1杯3,500円と記載されているのだ!

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