第6話 京子の1日
屋内に温かい陽光が差し込み、小鳥たちが優しくさえずる。そんな島長家の朝はゆったりと時間が流れる。
「おかあさん、おはよう」
のりことりょうたが、眠い目をこすりながらリビングへやってきた。部屋には挽きたてコーヒーの心地よい香りが漂い、良行は眠気覚ましにブラックコーヒーを飲んでいた。
「二人ともおはよう。ゆうべはよく眠れたかい?」
良行は穏やかな声で尋ねた。
「おねえちゃんはぐっすり寝てたよ。僕はあんまり寝付けなかったなぁ......」
どことなく、りょうたの方が眠そうである。
「おとうさん、呑気にコーヒー飲んでて遅刻しないの?」
良行の悠長な態度に、のりこは疑問を抱いた。
「あぁ、バスがすぐ来ないから心配ないよ」
これまで良行は毎朝通勤ラッシュに巻き込まれ、すし詰め状態の地下鉄道に乗車することが常だった。羽馴島では、その全ての煩わしさから解放されている。それゆえの平穏である。
「そういえば、おかあさんがイライラしてない」
家庭内の雰囲気の違いはりょうたも察していた。専業主婦である京子は、炊事洗濯や家族の起床など多くの家事に追われて苛立ちを隠せなかった。そのため、島長家は朝からさながら戦場の様相を呈していた。羽馴島は、そんな喧騒もどこかへ追いやってしまったようだ。
「朝ごはん、冷凍食品だけど許してね」
京子は申し訳なさそうだが、今のりょうたからすれば、それは些細なことだった。京子が朝から穏やか、ただそれだけで十分だった。
「おかあさん、牛乳はないの?」
のりこは少し不満げに尋ねる。
「お昼に買い物行くから、今日は我慢してちょうだい」
京子は重ねて言う。そして、のりこはしぶしぶコップに水を注いだ。
「みんな、いってらっしゃい!」
京子は良行の通勤を見送った。その後子供二人の通学を見送り、一通りの家事を終えるとバスに乗った。買い出しはもちろん、町役場や郵便局へ行ったりと多忙であった。
「さて、お買い物も済んだしぃ、帰りますか。ところで、初めて見るけどジャージー牛乳って美味しいのかしら?」
ジャージー牛乳は、日本国内でも生産者が少ないため希少なものである。特に、羽馴島のジャージー牛乳はとても濃厚な味わいで全国的に有名な銘柄である。おそらく京子は、そんなことなど知る由もない。
京子は、鼻歌交じりに帰りのバスへ乗る。昼下がりの車内は相変わらず人気がない。この島は、本当に住人がいるのだろうか.....そう錯覚してしまうほどの静寂を京子は感じていた。そうして京子はバスを降り、帰路へ着いた。京子は帰宅してまもなく洗濯物を取り込む。
その後、京子はコーヒーブレイクに入る。彼女は、モカの優しい香味に心が安らいだ。家事と家事の合間のこの休息が、何よりも愛おしい。そんな中、彼女は昨日のことをふと思い出した。
「夕食の支度まで少し時間があるし、例の倉庫を探索してみようかしら?」
京子は、やはり倉庫の事が気になっていた。思い立ったら即行動、これが彼女の気質である。
裏庭に着き、京子は倉庫の引き戸を開けようとする。しかし建付けが悪いのか、なかなか扉が開かない。
「なにこれ......この扉固すぎるーーっ!」
やっとのことで扉に隙間ができた。京子は、ここぞとばかりに蹴飛ばしながら扉をこじ開けた。そこは、倉庫というには違和感があった。
「なにここ、面白いじゃない!!」
どうやら、京子はこの工房に魅入られてしまったようだ。その後も京子の散策は続く。よくみると、先程の鉋に何やら名前が彫られていた。
「
他の道具にも同じく名前が刻まれていた。おそらくここが羽成健造という人物の工房であったことは推測できたが、それ以上のことは分からない。京子は考えるのをやめた。
「とにかく、ここでDIYできそうね。昔からやってみたかったのよねぇ!」
京子の瞳は輝いていた。離島というのは、やはりスローライフが大きな魅力だろう。スローライフにはDIYがつきもの、というのが彼女の持つイメージであり憧れだ。その願いが、思わぬ形で叶ったといえる。
「......しまった、お夕食の支度しないと。楽しみはとっておきましょ!」
彼女は高鳴る鼓動を抑えて家事へ戻った。
京子が夕食の支度を終えたころ、次々と家族が帰って来た。
「京子さん、ただいま!」
良行が帰宅し、家族そろっての夕食が始まる。ここで、それぞれが今日一日を振り返る。
「所長さん、とても優しそうな人でさぁ――」
良行は嬉々として今日の事を語る。それに京子は相槌を打つ。
「のりことりょうたは、学校どうだった?」
良行が二人に尋ねる。
「クラスの人数は少ないけど、みんな仲良しだよ」
りょうたの感触は好調。子供達が学校で馴染めるか、親の立場からすると重要な問題だ。しかし、のりこは何だか不機嫌だ。
「......なんで私のクラスは男子しかいないのよ!」
どうやら、のりこの学年は男子が圧倒的多数らしい。そういえば、この春に女の子が他県へ引っ越したという事を源さんが話していた気がする。良行はそれを思い出した。
「男子たちは、きっと私を雌でも見るようないやらしい目をしているに違いないわ!」
それを聞いたりょうたは、どことなく冷ややかな目で彼女を見つめる。それはおそらく、姉の思い込みでしかないと。昔からやんちゃで、女子とうまく馴染めず専ら男子と遊んでいるのりこのことだ。むしろ好都合ではなかろうか......りょうたは内心そう思っていた。
「だって、いきなり遊ぼうって声を掛けてきた男の子がいたのよ。これってつまりプロポーズじゃない!?」
ここにきて、のりこは変に色気づいている。紅一点という環境は、男勝りな女子でさえ色気づかせてしまうものなのか。りょうたには理解が至らない。
「いいじゃない。のりこきっと人気者になれるわよ!」
京子はのりこの話を面白がっている。のりこの思いは杞憂であると見抜いているゆえの言葉であろう。
みんなの話を聞いて、特別に心配はなさそうだと確信した京子だった。
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