10.目録を巡る攻防(1)

「や、や……闇討ち」

『ち、ち……力』

「ら? ら……乱闘」

『う、と来たか……馬』

「ま、ま……待ち伏せ」


 アリアが返したとき、床を這っていたバルトは大げさな溜め息を吐いた。


『おまえが思いつく語彙ってなんでそう、ことごとく不穏ってか、攻撃的なんだ?』

「そう? じゃあ、ま、ま……抹殺? 待ったなし?」

『悪化してんじゃねえか!』


 二人はのんびりと手を動かしながら、しりとり遊びに興じている。

 それほどまでに、彼らはリラックスしていた。


 ヴェッセルス伯爵家の、夕闇に沈む一室でのことである。


「あー。今日に限っては目録を盗み見るだけで、宝石を持ち出さなくていいと思うと、すごく気が楽だわ……。普段はそれだけ、気を張って臨んでるってことよね。あたし、偉いわ。本当に偉い」


 掃除女にふんし、頭巾に口布まで装備したアリアは、引き出しを手際よく開けながらしみじみと漏らした。


 すると、階段状に開いた引き出しをするりと駆け上りながら、バルトがたしなめてくる。


『おいおい、気を抜くなよ。いつこの部屋の主人が帰ってくるかわからないんだからな』

「へいへい」


 そう。アリアは、ラウル・フォン・ヴェッセルスを劇場に呼び出し、その間に彼の書斎を検めているのである。

 狙いはもちろん、王冠の詳細を記した目録。


 エルスター家では、目録は管理者の書斎に仕舞われているので、おそらくヴェッセルス家でも同様と当たりを付けた。


「でもそのときは、掃除女として堂々と立ち去りゃいいのよ。貴族にとって使用人なんていうのは、空気のように見えない存在なの。さすがに気取られないはずよ」


 アリアは自信たっぷりに請け合い、遊び程度にはたきを机に走らせてみる。


 実際、綿で体型まで変えたこの扮装は見事なもので、裏口から伯爵家に潜入する際、メイドからさえ怪しまれなかった。

 使用人の中にも格差というものはあり、執事やメイドは「個人」として認識されても、最下層の掃除女や洗濯女には、視線の一欠片さえ向けられないのだ。


 ラウルの書斎を割り出し、部屋の扉を開けるときだけ、廊下に立つ衛兵――さすがは伯爵家だ――に声を掛けられたが、訛りのきつい口調で「けんども、あのぅ、若様が外出されている間に、髪の毛一本残んねえよう掃除しとけって、女中頭さんが言ったもんで」とおどおど告げると、あっさり部屋に通された。

 ベテラン女中頭の横暴で、下っ端がこき使われるのは、貴族の屋敷あるあるだ。


 そんなわけで、アリアは実に堂々と、机の引き出しや棚の類に手を突っ込んでいるのであった。


「あのきれいな顔で、机が超絶汚かったら笑える、とか思ったけど、なによ、めちゃくちゃきれいね。すごい仕事できそう。むかつくわ、どこもかしこも整いやがって」

『おまえが整ってないからって、ねたむな妬むな』

「失礼なトカゲね……って、うわ、信じられない。馬鹿みたいに高そうなアメシストがしれっと引き出しに入ってる。無防備か、金持ちめ」


 と、文具を収めた引き出しの片隅に、無造作にブローチがしまわれているのを見つけてしまい、舌打ちを漏らす。

 この気取らなさが、いかにも金持ちの余裕という感じだ。


 盗んでやってもいいが、残念、もうアメシストは「お呼びじゃない」のである。

 すっきりと片づけられた引き出しを、アリアは鼻を鳴らしながら乱暴に閉じた。


「ふん、丁寧に生きてる感じよね、部屋も見晴らしがよくて生活リズムも整って……つまり把握しやすくて狙いやすいんだからね。ざまぁみろ」


 負け惜しみのような悪態をつきながら、ぱっとバルトを振り返る。


「把握すると言えば、今あいつはどこにいんの? まだ劇場にいるわよね」

『おう、任せろ、自分の気配を間違えるもんかよ。俺の精霊力は……うん、間違いなくここから離れた劇場にある』

「よし」


 それが一番重要だったので、アリアは真剣な顔で頷いた。

 ついで、にやりと笑い、はたきを雑巾に持ち替えた。


「あの聖騎士、敵は一人も討ち漏らしたことがないそうだけど、今回は相手が悪かったわね。ああいう律儀な男ほど、女に人生をめちゃくちゃにされる運命なのよ」


 傲岸不遜に言い捨てると、引き出しには見切りをつけ、壁にずらりと並んだ本棚へと向き直った。


「すごい蔵書。うわ、あいつ、何か国語読めるの? 文武両道がすぎるでしょうが。一人に能力を詰め込みすぎよ。精霊も雑な仕事をしやがって」

『素直に感嘆しろよ……』

「いやらしい絵でも隠してあれば、それをネタにいじめてやるのに。健全すぎて不健全だわ。つまらない……あ、このへん怪しい。なるほど、目録は書類じゃなくて図書扱いなわけか」


 指で、素早く背表紙をなぞっていく。

 院長ベルタを手伝って聖書を写本したり、代筆業で小遣い稼ぎをしていたから、アリアの識字能力はそこらの貴族令嬢を圧倒するほどに高い。

 移民の友人も多かったので、外国語のタイトルが混ざっていてもへっちゃらだ。

 アリアは膨大な数の背表紙をするすると目で追い、目的のものにあっさりとたどり着いた。


「あった」


 シュトルツ王国第三国宝庫、目録。


 興奮のままに、分厚い冊子をさっと取り出し、アリアはその場にかがみこんだ。

 はやる心をなんとか抑え、床に広げた目録をもどかしい思いでめくっていく。


「ガザラン小王国……冠……ああくそ、これ、登録順なんだ。小王国に攻め入ったのって何年だったっけ」


 やりにくいことに、目録は、国宝の形状ごとではなく、登録された順に綴じられているらしい。

 もどかしい思いでページを進め、見覚えのある王冠のイラストを視界に入れたとき、アリアはつい小さく叫んでしまった。


「あった!」


 一つの国宝あたり、少なくとも三ページにわたって記載がなされているようだ。

 接収時期、経緯、国宝の拡充に成功した王への賛辞――装飾過多な文章が延々と続く。


「ああーっ、邪魔邪魔、そういうのは付け合わせのパセリくらいにどうでもいいから」


 しかめっ面で呟きつつ文字を指でたどり、とうとう次のページに差し掛かったとき、アリアは息を詰めた。


 ――台座の金、および装飾に使用された宝石。


「これだ……」


 素早く視線を走らせる。

 早く情報を得てここから立ち去らないことには、あのやたら勘のいい男は、予想外の方法でこちらに迫ってくるのかもしれないのだから。


「台座および装飾の一部に高純度の金を使用。ルキスター産のガーネットとガザラン小王国内のサファイアは、セブラ工房にて加工されたものを……」

『…………! ぐえ!』


 夢中になって目録を読み進めていると、バルトが引き潰された蛙のような声を上げ、広げた目録の上を走りだす。


「ちょっと、なにすんの。邪魔」

『あ、アリア! アリア! せ、聖、せい、せいせい』

「はいはい、せいせいね」


 ちょろちょろ動きまわるトカゲをひょいと摘まみ、そのへんに放り投げると、アリアは再び文章に目を凝らした。

 飾り文字が多用されているので読みにくいのだ。


「ダズー産のアメシスト……ラフレア産のエメラルド……ここまでは回収した。それから」

『アリア! アリア!』

「ダイヤモンドに、やっぱりルビーか」


 まだ回収できていない三つのうち、二つは――ダイヤモンドにルビーだった。

 予想通り。


「あと一つは……」


 最後の一つが記載されているはずの部分を読もうとしたその瞬間、ページにふ、と影が落ちる。


『来ちゃった!』


 情けなく叫ぶバルトの声に、弾かれたように顔を上げ――。


「…………!」


 さしものアリアも、ひゅっと喉を鳴らしてしまった。


(ひ……っ)

「君は」


 どっと汗が噴き出る。

 心臓が早鐘のように打ちはじめる。


 月光を紡いだような銀髪を垂らし、身を屈めてこちらを覗き込んでいるのは、


「文章を読むのも速いな」


 蒼月の聖騎士、ラウル・フォン・ヴェッセルスであった。

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