7.ハンカチを巡る攻防(1)

 ブローチを近付けた部分から、ぱぁ……っ、と音を立てて王冠が光る。


 まるで宝石間で色を移動させたように、ブローチのサファイアがくすみ、代わりにガラス玉のようだった王冠のサファイアが青々と輝き始めるのを、アリアはじっと見守っていた。


「……完了、ね」


 昼なお薄暗い、エルスター男爵家の蔵でのことである。

 徐々に形を取り戻しつつある王冠を前に、アリアは重い溜め息を漏らした。


「これでようやく、七分の四。半分は超えたわけか」


 ヨーナスの指輪から回収した、暴食のアメシスト。

 ヒルトマン枢機卿から回収した、怠惰のエメラルド。

 クレーベ子爵家にあった嫉妬のガーネットに、今回奪った傲慢のサファイア。


 指折り数えていると、王冠の周りで寝そべっていたバルトは、呑気に応じた。


『回収を始めて一ヶ月そこそこで半分とは、順調じゃねえか』

「なに言ってんの」


 だが、アリアの声は暗い。

 手近にあった、人骨で作られたと曰わく付きの小テーブルを引き寄せると、ふてくされたように頬杖ほおづえを突いた。


「あの忌々しい聖騎士とやり合ったのは、つい昨夜のことだっていうのに、半日後の今日、噂話に疎いヨーナス様までもが、そのことを知ってんのよ。噂はがんがん広がるし、ヨーナス様は泣き崩れるし、もう最悪」


 脳裏に蘇るのは、朝食の席で縋り付いてきたヨーナスの姿だった。

 彼は、宝石を回収するアリアが「ラーベ」と呼ばれはじめていることや、精鋭と名高いラウル・フォン・ヴェッセルスに追いかけられたことを知り、身も世もなく泣き始めたのである。


 噂の内容は「蒼月の聖騎士は、エルスター男爵家の養女アリアを見初めて迫ろうとした」というだけだったが、ヨーナスはその裏にあった攻防に気付いてしまったようである。


「アリアちゃん……頼むからもうやめようよ。怪盗だなんて、業務上過失より重い罪だよ。捕まれば、それこそ処刑されちゃう。そして、ラウル・フォン・ヴェッセルスは、絶対獲物を逃さない」

「もう。あたしが捕まったら、ヨーナス様は被害者だった、ってことにして切り捨てればいいじゃない。そういうときこそ、元孤児っていうあたしの出自が生きてくるんでしょ?」


 アリアは、ぐすぐすと洟をすする養父にハンカチを差し出してやったが、彼はそれをぐしゃぐしゃに握り締めると、


「なんてことを言うんだ! そうじゃないだろう!」


 と、今度は顔を赤くして怒りはじめた。


「どうして僕のやらかしのために君が捕まるんだ。おかしいじゃないか。そう、おかしいんだ。アリアちゃん、やはり僕は、今日にでも陛下に事の次第を報告してくるよ」

「ああもう! ヨーナス様も石頭ね、固くするならまずそのふわふわボディからにしたらどうなの!」


 初めて養父に怒鳴られて、アリアも咄嗟とっさに、朝食のナプキンをテーブルに叩きつけた。


「いい!? これは賭けと一緒なの。そりゃたしかに、泥棒を続けるのはリスクが高いわ。でも、最後まで勝てば、あらゆる罪は無かったことになる。一方で、今自白すれば、その時点で罪は確定する。ヨーナス様は、自分のことも私のことも殺したいわけ?」


 世間知らずで、馬鹿みたいに善良なヨーナスのために粉骨砕身しているというのに、なぜその彼から叱られなければならないというのか。

 無意識にお守りの金貨を握り締め、アリアはまっすぐにヨーナスを見つめた。


「もう賭けは始まってるの。今さら下りようなんて思わないで」

「でも……」

「でももへちまもない。あたしが、あのすかした聖騎士に捕まるとでも? 舐めてもらっちゃ困るわね」


 養父はなおも言い募ったが、アリアはふんと鼻を鳴らしてそれを躱し、席を立った。


「だって、あともう三つだけなんだから。すぐに片が付く。盗みで良心が咎めるって言うなら、回復、、した宝石からちゃんと返却する。いいから、ヨーナス様は大人しく見ていて」


 そうして、さっさと蔵に引き籠もったのである。


「今後毎日ヨーナス様に泣きつかれるのかと思うと、気が滅入るわ……盗みのペースを上げなきゃ。それと、返却のペースも。クレーベ家のガーネットは、まだ色が戻らないの?」


 痛みを覚えはじめた頭を揉みながら、アリアはぶつぶつと呟いた。


 大罪が宿った宝石の探索と、計画の立案。

 間取りを入手して、潜入して、扮装の用意を含む事前準備をして、それから「烏」に関する噂もしっかり把握しておかねばならない。

 あの聖騎士への対策を講じて、それから、浄化された宝石を、こっそりと返却して。

 やるべきことが山積みだ。


「ああもう。せめてバルトに、大罪の居場所を探る機能があればいいのに」

『そう言うなよう。俺だって正直戸惑ってんだから』


 恨みがましく尻尾を引っ張ると、バルトは激しく暴れて逃れ、肩に乗ってくる。

 彼は、つぶらな瞳をきょろりと動かして、首を傾げた。


『たぶん、王都内っていう近い距離に、大罪が集まりすぎてるんだな。常に、どこからともなく大罪の気配を感じて、正確な場所が特定できねえんだよ』


 これには彼自身、理由がよくわかっていないようで、ばつが悪そうである。


「じゃあせめて、王冠に元々嵌まっていた宝石がなにか、わかればいいのに」

『いやあ、それも、百年くらい昼寝しちまってたもんだから、すっかり記憶が……』


 アリアが、道ばたでひっくり返った甲虫の腹を見るような、冷え冷えとした視線を向けると、バルトは慌てたように尻尾を揺らした。


『色! 色はなんとなく覚えてる! 赤いのが二つだろ? 青いのが一つだろ? 紫と、緑と、えーっと、あとは透明……?』

「赤のうち、一つはガーネットかな。青がサフィア、紫がアメシスト、緑がエメラルド。ということは、残る赤のもう一つは、ルビーあたり? 透明はダイヤモンドなんだろうし」


 アリアは横で数え上げてみせたが、そこで顔を顰めた。


「これじゃ、六つしかないじゃない」


 王冠にこびりついている宝石の残骸を見ても、すっかり色が抜けてしまっていて、なにがなにやらわからない。

 残る三つのうち、一つは黒ずんだガラス玉、一つはくすんだガラス玉、そしてもう一つは、真っ黒な塊といった感じだった。


「うーん。黒ずんだガラス玉と、くすんだガラス玉は、表面がカットされてるから、それぞれルビーとダイヤモンド……かなあ。『色欲』はきっと、情熱の宝石と言われるルビー。『強欲』は、宝石の王者であるダイヤでしっくり来る」


 ルビーとダイヤは、世界的に好まれる四大宝石の一つだから、王冠に用いられていても違和感はない。

 だが、残る一つ、『憤怒』はいったいなにに宿っているのか。


 他の宝石とは異なり、七つ目に嵌め込まれた石は、表面がつるりと磨かれていた。

 多面体にカットされていないということは、水晶やオパールのように、滑らかな曲線を描く宝石ということだろうか。

 だが、水晶から「色が抜けた」なら、ダイヤと同じように、くすんだ色味になりそうなものだが。


「んー。やっぱり王冠の詳細な仕様は、ヴェッセルス家所蔵の目録を見るしかないか」


 アリアは椅子の背にもたれ、蔵の天井を見上げた。


 国宝庫の目録は、エルスター男爵家とヴェッセルス伯爵家で互いに所蔵しあっており、アリアがこの家で見られる第三国宝庫の資料は、簡易のリストだけだ。

 王冠の詳しい経歴や、嵌められた宝石の種類を知るには、ヴェッセルス家の目録を見るしかなかった。


「ここでも、ヴェッセルス家か……なんて忌々しい」


 人目がないのをいいことに、ぐしゃぐしゃと髪を掻き回す。

 あの聖騎士と自分の間に、奇妙な縁があることを、アリアも舌打ち混じりに認めずにはいられなかった。


 エルスター家とヴェッセルス家は、元を辿れば、どちらも金細工師の一族だ。

 芸術を愛した先々代王の時代に召し抱えられ、それぞれ叙爵じょしゃくされた。


 ただ、そのまま男爵として「蔵の番人」に留まっているエルスター家とは違い、ヴェッセルス家は切れ者だった。

 金鉱の発掘や調整業務を引き受け、金細工師集団を指揮して国の造幣を担うことで、伯爵家にまでのし上がっていったのである。


 よって、エルスター家は当主のヨーナス自らが蔵の管理に当たるのに対し、もはや重役となったヴェッセルス家は、その任務を下位の者に任せている。

 今代、蔵の管理役を務めているのは――そう。息子のラウル・フォン・ヴェッセルスであった。


 つまり、詳細な目録を調べるためには、あの彼に頼みに行かねばならないというわけだ。


(いやいや。往来でへそ踊りを披露したほうが、屈辱の度合いとしてはいくらかましね)


 へっ、と行儀悪く失笑してから、アリアは今一度バルトの尻尾を掴んだ。


「もうさあ、バルト。せっかく常人からは姿が見えないんだから、あんたがヴェッセルス家管理の国宝庫に忍び込めないの? それで、各所に散った宝石も回収してくる」

『あんな精霊力がとぐろを巻いてるような聖騎士のところに、俺みたいなか弱いトカゲを放り込むなよ。ついでに言えば、宝石の回収は、ちょっと前なら単身でもできたろうけど、今は無理だ』

「なんで?」


 怪訝さに眉を寄せると、バルトはこのように説明した。


『大罪は、宿る期間が長くなればなるほど、がしにくくなる。すっかり染みこんじまった大罪を引き離すには、清らかな乙女の涙か、ドラゴンのブレスを与える必要があるんだ』

「……へぇー。乙女の涙にそんな効果が。え、すごいんですねー」

『おい、その怪しげな勧誘に対する相槌みたいなリアクションやめろよ』


 バルトがむっとした様子で尻尾をぴちぴち叩きつけると、アリアは「だってさあ」と乾いた笑いで肩を竦めた。


「いかにもすぎるっていうか。清らかな乙女って、要は処女ってことでしょ? その手の伝承を考えつく人って、なんなんだろうね。処女に夢を求めすぎじゃない?」

『いや伝承じゃなくて、事実だし。乙女ってのは魂の有りようだし。つーか、むしろ俺は、ドラゴンのブレスと同列だなんて、乙女の涙って凶器扱いだよなって思うけど』

「たしかに。そういえばこの国じゃ、夏に突然降る雨のことも『乙女の涙』って呼ぶのよ。ああ、つまり、予測不能で厄介なもの枠ってことか」


 ひどい納得の仕方をしていると、バルトはアリアの正面に回り込み、彼女の腕に、ちょこんと両足を掛けた。


『見ての通り、俺は真の姿を取り戻せずにいる。正規のブレスが、今の俺には吐けないんだ。元の姿に戻るために、「精霊の条件」とやらも必死に考えてるんだが、さっぱりわかんねえ』


 そう告げる彼は、とても悔しそうだ。


『だから、おまえの力が必要だ。俺の姿が見える以上、おまえは心清らかな乙女のはずなんだから』

「はずってなに。上下左右天地どこから見ても清廉な美少女でしょうが。ええ?」

『えっごめん、ちょっと風が強くてよく聞こえねえ』

「屋内だし!」


 しっかり突っ込んでから、アリアは嘆息した。


「……ま、今さら辞めたりしないわよ。ここで退いたら、待つのは破滅なんだから」

『さすがアリア! 俺は信じてた!』

「はいはい」


 雑にあしらいつつ、椅子の背に再びもたれる。


 とにかく、片付けていかねばならないのだ。

 一つ一つを。

 ほかの誰でもない、アリアが。


『でもよ……あの聖騎士は、正味な話、怖えよな。なにがって、あんだけ膨大な精霊力を持ってるのに、近付くまで気付けないのが怖え。あれで普段は抑えこんでるってことだ。本気を出しゃ、さらに厄介になるってことだよな……』

「まあね」

『目録を見に行くにしても、盗みを続けるにしても、あいつに捕まったらおしまいだ。どうやったら、やつから逃げ続けられるのか』


 ぐるぐるとテーブルを這い回るバルトに、アリアは「はあ?」と片方の眉を上げてみせた。


「逃げ続けなんてしないけど」

『は?』

「捕まるつもりはないけど、逃げ続けるつもりもさらさらない。攻撃は最大の防御なんだから」


 ほっそりとした器用な指が、首から下げた金貨を握り締める。

 天にまします我らが母の加護があるかぎり、アリアが捕まるはずなんて絶対にないのだ。


『どういう意味? なにするつもりだ?』

「ふふん」


 アリアは軽く金貨に口づけてから、唇の端を引き上げた。


「さしあたっては、しとやかに刺繍でもしようかな」


 金貨が反射する光を映し込み、彼女の琥珀色の瞳は、きらりと輝いていた。

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