創作合宿『道』

 マキが蟻の行列を崩してる。

 二年生にもなって砂だらけになって虫を平気で触るマキが嫌いだ。汚ならしいと心から思う。ブランコに飽きて地面にお絵かきでもしてるのかと思ってたら、なんでそんな事を……。


「マキちゃん、蟻さんが可哀想だよ? 行列から離れ過ぎちゃって迷子になると帰れないんだって」

「……え?」


「それは蟻さんの道、イタズラしちゃダメ」

「……なんで?」


「行列を止めると蟻は巣に帰れなくなるの。止めてあげなさい?」

「帰れないと困るの?」


「困るでしょ、可哀想でしょ、今すぐその手を止めなさい」

「はあい」


 気の抜けた返事、面倒そうな返事、まだ目は蟻を追ってる。何もかもがこうだ。私が何度も同じ事を言ってもマキの手は、本気で止められるまで出来るだけ悪い事をやってやろうと動き続ける。

 虫は嫌いだけど知識として持ってる話、これは何年振りに思い出したんだろう。何千と家族がいるのに一人迷って家に帰れないなんて絶望しか無いじゃないか、虫だって動物だって……マキは砂をいじった手を払いもしない。

 汚ないと思わないんだろうか? その砂は直前に犬のウンコを踏んだ人が通ったかも知れないのに、もっと汚ない物がそこにあったかも知れないのに。バカみたい。


「ママ、チョコ食べたい」

「晩ご飯前だからダメ。ご飯を食べた後にデザートとしてどうぞ」


「えええ、今日サンマでしょ? 食べきれるかなあ? マキ骨取るの嫌いなんだよねえ」

「……あっそ」


 帰り道、私はマキが嫌いだと言ってしまいそうになって夕陽を眺める。網膜に焼き付けるオレンジ、これでしばらくマキの顔が見えない。

 その辺の子供よりは整った顔立ちなのがもったいないと思う。その顔面偏差値は素直で優しい子に譲れたらいいのに、本当にもったいなく思う。

 繋ごうとしてきた手は無視する。もう何ヵ月も自然とそうしてた。

 何を触ってるか分からない指なのに、私が見てないと手は洗わない。水を出す音とペーパータオルを引き抜く音だけ立てて、なぜか洗わない掌。私は潔癖な訳じゃない、でもそんな下らない嘘をく手は触りたくない。


 私は良い母親ではない、分かってる。別に誰かからの評価は求めてないからこれでいいと思ってる。


「ママ? マキさあ、魚の骨……」

「取ってあげるから食べなさい」


「えええ、なんか苦いし……」

「苦くない。お姉ちゃん、サンマ苦かった?」

「別に、美味しかったよ」


 二歳上のお姉ちゃんはもうゴチソウサマ、マキはまだ半分も食べてない。食事に飽きたのか、早くテレビが観たいのか、だったらそれこそサッサと食べてしまえば良いのにグズグズと自分の皿を突っついてる。

 先月はサンマが大好物だった。きっと学校か近所の友達が言う『魚は苦い』とか余計な事を聞いたんだろう。嫌いとか不味まずいとかネガティブな話を格好良いと思ってるフシがある。

 マキがすぐに誰かの真似をして、すぐに被害を受けるのは私だ。

 この人は来月には何を嫌いになって、私は何に怒るんだろう。学校に入学してから友達の種類が変わったのか、こんなバカみたいな生活も二年目。もう叱るのも疲れてる。ただ怒りでサンマの頭からシッポまで骨をキレイに外していくだけ。


 破綻、崩壊、愛せない、嫌い、憎んでる。

 生まれた時の感動や歩き出した可愛らしさ、ママと呼ぶ声も遠い。もう思い出せないぐらい私は我が子マキが嫌いだ。

 人間や女の汚い所ばかり集めたような、人前だけ良い顔をして成りきれてないブリっ子、ヤンデレ、ツンデレ、お嬢様、全部マンガか何かで見たような台詞や仕草、そうか全部に成りきれてないからなんだ、本当に苛々する、何もかもバカみたい、何が楽しいの?


「あ! 帰って来るって、今週!」

「……え? あ、ホントだ。ママにも連絡来てた!」

「なあに?」


「土曜って事は月曜の朝までいる?」

「うん、そうみたい」

「パパ?」


「ねえ、みんなでお出かけ行こうよ!」

「どこがいい? お姉ちゃんの行きたいトコで良いよ?」

「パパ帰って来るの?! お仕事終わり?! やった! よっしゃー! やったー!」


「……うるさいな」

「……早く食べなさい」

「やっほー! フゥーッ!」


 パパが単身赴任先から帰って来る。一ヶ月振りだ。

 この楽しい気持ちですらマキは奇声でブチ壊すのか……お姉ちゃんはスマホを持ってテレビの前に戻ってしまった。せっかく二人で盛り上がってたのに。

 私もわざと音を立ててスマホを充電器に戻す。マキはまだ叫んでる。


 ……のに。だったのに、『のに』ばっかり。


 何もかもマキが居なければこうだった『のに』

 楽しかった『のに』

 何か予定が狂うのはいつもマキのせいな『のに』


 私もお姉ちゃんもマキに振り回されてばっかり……なんでこうなったんだろう? ついこの間まで抱っこして手を繋いで買い物も遊びも楽しかった気がする『のに』……。


「ただいま」

「パパー!」


「マキ、ただいま。お利口さんにしてたかな?」

「うーん……うん!」


「なんだ今の間は? ホントかな?」

「うん、本当だよ!」


「よしよし、じゃあお土産をあげようね」

「わあい!」


 嘘つき、パパが優しいからって甘えてるだけ。

 大嘘つき、どこがお利口さん? どこが本当?

 何もかもダメな子、何もかも気に触る子、薄汚い顔と手の……。


「ママ! これパパがくれた!」

「……良かったね、オルゴール? 大事にしないと鳴らなく……」


「わあい! 初めてのオルゴールだ!」

「え?!」


 投げてる、上に向かって、四角い透明なオルゴールをボールみたいに、天井に付くか付かないかを楽しんでる、チラッと私を見て……何この人、何してるの?

 お姉ちゃんは両手で大事に受け取ってお礼を言って優しくゼンマイを巻いてもう音を聞いてるのに、マキは投げて遊んでるの? この人なんなの?


「マキ! 止めなさい!」

「……うう……うわーん!」

「ママ、キツく言い過ぎだよ? 大丈夫だよ、マキは落とさないよ」


「キツくない! どうせ嘘泣きでしょ! 人前だからって、泣き真似すればパパが優しくしてくれるとか、どうせ、どうせそうなんでしょ?! それで落として壊したら私のせいにするんでしょ?! ママが声をかけたから落とした、ママが見てたから落とした、ママが怒るから壊れちゃったとか!」

「うわーん!」

「ママ! 落ち着きなさい!」


 お姉ちゃんがオルゴールとスマホを持って自分の部屋に戻っていく。

 ほらまたマキのせいで、せっかくパパが帰ってきた楽しい日を、パパも怒っちゃってるし、マキの目から涙は出てないし口から大声で泣いてるフリ、なにそれ? ふざけないでよ、パパは騙せても私は騙されない! マキが居なければみんな楽しくて笑顔だったのに!


「……ママ、子育て任せっきりでごめんね。単身赴任終わったらさ、僕も頑張るから」

「違うの、あの子はおかしいんだってば」


「ママ! そんな風に言ったらダメだよ? マキはああやって甘えてるんじゃないかな。不器用というか、まだ小さいんだから構って欲しいのを上手く表現できないんだよ」

「じゃあ……!」


 マキはパパが部屋に連れて行った。二人で何か話したんだろう、パパだけ戻ってきた。

 あの子の汚さ、表面的な汚さと内側の下らない汚さを説明しようとして止めた。パパはもう丸め込まれてる。温かいお茶でも淹れてあげよう。


 二人が部屋に行ってる間、広いリビングに私だけだった。一ヶ月振りに帰ってきてくれたのに、一ヶ月振りに会えた私を一人に……いや違う……そうなるよう導かれたんだ。あの汚い指で、汚い嘘を並べて私を誘い込んだんだ。

 オルゴールを投げて遊べば私が怒る、パパが庇う、お姉ちゃんは部屋に戻る、私が惨めになりそうな道を作って私を陥れて私を蔑んで笑ってるんだ。番茶の湯呑みをコトンと置いて。


「……じゃあ、ちょっと行ってくる。私も言い過ぎちゃったから」

「うん、ありがと。落ち着いて冷静に、ね?」


 ニッコリ笑顔で返して階段を上る、マキの部屋に向かう。私の初恋の人、私の夫、私の家族には心から笑える。そう、笑えるのに。


「マキ?」

「あ」


 ドアを開けるとすぐ、マキが寝転がってた。

 オルゴールを転がしてブロックに当ててた。


「……なにしてるの?」

「ボウリング」


「……へえ?」

「まだ壊れてないよ、音鳴るし」


「……何の曲なの?」

「分かんない、なんか聞いた事あ」


 会話が途切れた。気付いたらオルゴールが鳴ってる。私が鳴らしたのかな。外からの風が気持ちいい。窓も私が開けたのかな。

 外からマキの泣き声とパパの声、お姉ちゃんの声、オルゴールの曲は映画の……確かに聞いた事はあるけど曲名が分からない。やだ、ママも分かんなかったわ。


「パパ、お姉ちゃん! この曲なんだっけ?!」


 二階の窓から庭にいる家族に聞いてみる。ハッと見上げてくる二人が『そんなのも分からないの?』と言った気がした。そんなに驚く事かな、ちょっと恥ずかしいな、でも本当に思い出せないの。


「ごめんね、アニメだったのは分かるんだけど曲名、なんだっけ?」


 パパが泣いてるマキを抱いて、お姉ちゃんまで泣いてる。泣き声で私の質問がかき消されたのかもね、本当にマキが居なければ何もかもスムーズに事が進むのに……なんか忙しそう。後にしようかな。



  おわり。

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