日記

 えー、鶴は千年、亀は万年と申しますでしょ。

 人間様ね、ちょいとソレは頂けないね。


 勝手に万年なんて言われちゃあ困るね、え?

 いやあいや、そうじゃあなくてね、ソレは人間様に飼われたりしてる亀の話ざんしょ? はて、そうでもない?

 やれ数十年で召されるとか笑止千万、人間様に飼われる亀らもそんなに生きないとのたまうか? そりゃあ短いのよ? 飼育環境が悪いってヤツかねえ、可哀想なもんさね。

 お宅は亀は何十年かは生きるという算段だあね? そんなの短い短い、とんと短い、なあに言ってやがる。


 アタシはね、万どころじゃないね、億だよ億。


 嘘っぱちに聞こえるかい? へえへえ、そうだろうねえ、へそが茶を沸かすかい? まあ良いさ、それ笑えや笑え、そうれ笑え。


 はいはいホレホレ人間様よ、これが証拠だい、大事に扱えよ?

 目ン玉かっぽじって耳の穴こじ開けて、逆かい? まあいい、よおく聞きやがれ見やがれよ。


 ホイッとな! ヘッヘッヘッのヘーッ、じゃあな、アバヨ!


 ――……息子と近くの池で昆虫採集を楽しんでただけだった。ヘンな亀に話し掛けられて、ヘンな物を見せられた。

 なんだ? ハッ? 億だと? 手のひらサイズの亀が億年生きているだと?


 馬鹿馬鹿しい、でもダメだ、証拠がある。

 俺の細胞ひとつひとつが叫んで止まない。これが証拠になるのか? 地球の記憶に近い物を見たと、いや、地球の記憶を見せられたんだと体がザワザワして震え始めてる。

 亀の億年分の記録のような、いや、実際に脳内で見たのは夏休みの絵日記のようなつたない紙芝居、喋り口調と同じく人を小馬鹿にしたような物だった。


 でも全身で感じた何もかも天地創造への畏れに震えが止まらない。


 なんだあの亀は?


「パパー! カマキリ見つけたー!」

「……カマキリ」


 ドバッと脳内に熱い物が流れ込んできた。

 白亜紀から生きてる前脚が鎌状肉食性直翅目頭は三角形大きな複眼草上や樹上で産卵する節足動物Mantisマンティス! いや何だこれ?!


「あ、アメンボもいる、すっごい沢山いるよ!」

「……アメンボ」


 昆虫綱半翅目水面で活動するカメムシもく中脚と後脚が長く短い毛が密生黒ないし赤褐色表面張力を利用して水面に浮かび滑走する肉食針のように尖った口器を突き刺して消化液を注ぎ込み、待って、溶けて液状になった体組織を吸汁するちょっと、ちょっと待ってくれ?! 一部のアメンボには前脚の受容器によって水面に落ちた昆虫類を波で察知する能力波を個体間の距離の維持などコミュニケーションに利用しているWaterウォーター stridersストライダー


「パパー? どしたのー?」

「な、何でもないよ、ああ、ちょっと暑くてボーッとした……のかも知れない」


「大変だ! 熱中症かもよ?!」

「……熱中症」


 ……なんだよ構えてたのに?! これは何も無いのか?!

 あ、亀に熱中症は関係無いからか?

 なんだこれ? なんだこの能力チカラは?


 とりあえず、そうだな……コウタに心配されてるから平気なフリでもしよう。麦茶を無理矢理にでも飲ませようとしてくるし。

 ……大きくなったな。親の体調を気遣うなんて事が出来る様になったのか。こないだまでハイハイで……いや待て。池の水で濡らしたタオルで顔を拭かれるのは阻止したい、なんかそれは息子の成長を喜ぶアレとは別問題だ、なんか普通に嫌だ。


「パパだいじょぶ? 帰る?」

「いやありがとう、大丈夫だよ。コウタが好きなだけ虫取りするまで付き合うって約束じゃん? ママとは来れないんでしょ?」


「うん、虫キライって言われたし。じゃパパは休んでて! なんか元気になるヤツ探してくる!」

「はいはい、ごめんな。待ってるよ」


 何か持って来られたら、さっきの能力チカラがまた……コウタ、まさか……ヤマダコウタ……来るのか?!

 霊長目ヒト科ヒト族ヒト属、日本在住、六歳のヒト。性格は自己中心的な部分もあるがおおむね一般的な範囲で成長している(脚注1、年齢相応とする両親の判断有り)。小学校では活発、中学校からはアニメの影響を受け突然クール系の性格を装い、後々まで友人から指摘をされる事となる。成績は一貫して中の上。十六歳で同級生のハナダカオリ(脚注2、後に妻となる)とすったもんだの末に結ばれた。これが性の初体験とな十六歳だと?! 早くないか?! 大学を卒業後は待て待て待て待って!


 ……これはヤバいヤツだ、見てはいけないヤツだ。見ちゃダメと叫んでるのは俺の理性か、ビンビンにシャットダウンした気がする。

 どうするんだ、どうしよう?


「パパー! テントウムシ!」

「うわ、あ、ああ、良かったな? うん……テントウムシ」


 ……テントウムシも来ないのかよ?! 別に良いんだけどな! 意味が分からない!

 ん? いや、違うな? もしかしたら今のは俺が止めたのかも知れない。確かに『テントウムシは要らない』と強く思ってた。

 試しに、あり……要らない。


 なるほど、強く意識を持てばコントロール出来るのかも知れない、なるほど。

 おい、あの亀野郎どこ行った? 人にこんな能力チカラを押し付けて自分はサッサと逃げたのか?


 どうしろって事なんだ、こんなの。俺に何の得があるんだ? いやもうイイ大人なのに情けない、どうしたらいいのかも分からな……。


 ……待てよ? コウタが見えるなら……ヤマダトモミ。

 霊長目ヒト科ヒト族ヒト属、日本在住、三十六歳のヒト。ヤマダリョウタと婚姻関係にある(脚注1、二〇〇一年現在)。旧姓カワダ。性格は穏やかで社交的。幼い頃から小料理屋を営む両親を手伝い、調理師専門学校を経て料理の腕はプロからも太鼓判を押されるレベル(脚注2、小料理屋に偶然食事に訪れたフレンチレストランのオーナーが絶賛。スカウトされる)。三十一歳でヤマダコウタを出産し育児の為に一線を退くが、四十二歳で料理長と店長を兼任して若者向けの居酒屋を出店マジか?! その際スポンサーになったビル管理会社の社長と不倫関係になちょっと待てい! 不倫だと?!


「パパ! カエル!」

「ウオイッ! カエルだな!」


「わ、パパが元気になった!」

「セイッ! 元気だ! 任せろ!」


 不倫?! トモミが不倫だと?!

 俺は離婚するのか?! コウタはどうなる?!


 これは……これは全力で立ち向かうしかない。俺がトモミに店を出してやれば不倫予定の奴に出会わないで済むだろうし離婚の心配も無くなる、男親が親権を取るのが難しいと何かで聞いた事がある、とにかく! 仕事ガンバレ稼げ俺!

 こんなに可愛いんだ、ここまで大きくなったし十六歳で更に大きくなるんだコウタは! トモミだって今でも出会った頃と変わらず可愛いくて正直たまらんと思う! 口に出すのが恥ずかしいだけだ、愛してる! とにかく!


「カエル! イエーイ!」

「ウエーイ! 両生類りょうせいるイエーイ!」


 両生類、要らない……よし!

 とにかく、何があろうと家庭を守るんだ。

 このバカみたいな能力チカラが役に立つのか分からないけど、いや、役に立たせるんだ。俺は家族を愛してる。


 ――……ハア、ドッコイショー、ドッコイショー。やれやれ其処そこな人間よ、大儀たいぎであったな。


「……てめえ、このクソ亀が!」


 おおコワコワや、何をそんなに、ヘッヘッヘ、散々な人生だったのう? 不憫よのう? お疲れさん、フヘヘッ。


「笑うな!」


 えー、コホン、ここで馬鹿馬鹿しいお笑いを一席。


「要らねえ!」


 そんなカリカリしなさんな、お前さんは良くやったじゃあないか。なんせ過去も現在も未来も見えちまうんだもんな、しかしそれを使いこなすに一年たあ見事! 天晴あっぱれ! ヨッ、お代官様!


「ふざけんな!」


 ハイハイハイよ。まあ、ちょっぴし稼ぎ方を間違えたんだなあ、いやいやまさか宗教おっぱじめるたあね。

 んん? 違うか? ああ、そうかそうか。人間っつーのは分からんね。いやいや人間だからか、心の隙間に忍び込むのが一番稼げるなんて悲しいモンさね。

 さてと、ところでお前さん、死にかけじゃあないか。


「お前のせいだろうが!」


 ハテ? 最近トント耳が遠くなってねえ、なんも聞こえんわ、寿命かいな、短いのう、ヒッヒッヒ。

 さてさあて、さて。

 ふむふむ? どれどれ? へええ、ほお?


「なんだ?! 言いたい事があるなら早く言え! 成仏しちゃうだろ!」


 いやいやそうあせらさんな。

 なんたってアタシから引き継いだ分でもね、五十年ちょいと有りんすね。いやあ濃い人生送ったもんだねえ?


「読んでいるのか? そもそもこの能力チカラは何だったんだ?」


 へえ? 何言ってんだい旦那?

 日記っすよ?


「……日記? まさか絵日記みたいな、あれは本当に日記か? ただの日記を俺に渡したのか?」


 そうそ、過去はアタシの書いた絵日記、現在はお前さんが書いた、未来は参考書みたいなモンさあ。アタシが戻るまで生きて貰わなきゃならんからね、カンニングてえ事さ。

 これはね、やんごとなき御方から頼まれやしてね、この地球での事を全て書いておけと。その御方も夏休みは遊びだ旅行だと張り切ってね。


「……はあ?」


 しかしながらアタシだってね、恋のひとつや二つぐらいするモンじゃあ有りませんか?

 あの池でビビビッと来ちゃいましてねえ、やんごとなき夏休みの宿題を手伝ってる場合じゃあ無くってね?


 それでね、私がサボる間はお前さんに預けて書いて貰ってたんよ。ああ別に筆持ってペン持ってとかじゃあ無かったろ、勝手に刻まれていくからね、礼には及ばんよ。参考書もお役に立てて何よりさ。


「……や、やんごとなき、夏休みだと?」


 ああ、そうだよ? 人間様も夏休みの宿題と言やあ絵日記だろうね?

 まあアタシも代筆、お前さんも代筆、いやあ助かった助かった。お陰様で家内安全、商売繁盛、栄枯盛衰、子孫繁栄ってもんだ。


 ところでこりゃ派手にやっちまったなあ?

 ただの全知全能がただの未来予知能力とされたんかい、教祖様にされたんか、ハハッ。変な人間に担がれ捕まりおって、あれま女房も寝取られとるんか、おや相手はお前さんの右腕、幹部じゃあないか、へえへえ、息子も出奔しゅっぽんか、ヘヘヘッ、散々だねえ?


「……夏休みの……日記……誰の……そんな物に……」


 まあ億も生きてりゃお前さんが書いてくれたのは原稿用紙一マス分にもならんがね、抜けちゃあマズいモンでさあ。後から天気なんて調べるの面倒じゃろがい。

 そういうこってえ。



  おわり。



「カマキリ」(2022年5月17日 (火) 23:18 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』

「アメンボ」(2022年5月27日 (金) 10:23 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』

「ヒト」(2022年6月5日 (金) 8:39 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』

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