第六感
強く張った糸をピンッと弾いた様な音がした。
隣の席の山田さんが消しゴムを落とした。オレの方に転がってきたから拾ってあげる。
強く張った糸をピンッと弾いた様な音がした。
応仁の乱、と書こうとしてた先生のチョークが折れた。応仁の舌。
強く張った糸をピンッと弾いた様な音がした。
今度はオレのシャープペンの芯が折れてどこかに飛んで行った。
正直、こんな能力いらない。物心ついた辺りから気付いてた。ピンッの後には微妙にイヤな事が起きる。
……あ、山田さんにとってはオレに消しゴムを拾われるのが微妙にイヤな事だったとか?
なんかソレは悲しい。消しゴムを落とした事が微妙にイヤな事であって欲しいと願う。
学校にいると周りにいる人からの音が一日中ピンッピンッと続く。
やっと解放されるのは帰り道。
一緒に帰るのはどうせ渡辺だから気が楽だ。
「うちくる?」
「いい?」
「いいよ」
「宿題持ってくわ」
Y字路で別れようとした時に、強く張った糸をピンッと弾いた様な音がした。
「あ、渡辺」
「あ?」
「気を付けて帰れよ」
「うん?」
こういう時はオレも気を付けた方がいい。
オレか、珍しく渡辺に何かあるのか、二人共なのかが分からない。
でもどうせ、なんか地味な……あ、今のかな?
小石を踏んで足首がグキッていった。
「……はあ」
ただいまと玄関に入る前から、もう甘くて良い匂いがする。ドーナツだ。
「ただいま。今から渡辺来るから」
「おかえりー! ちょうど良かった、今ドーナツ揚げてたのー!」
「やった」
「うふふー、待っててねー」
母さんは毎日のように手作りオヤツを用意してくれてる。ドーナツはオレも渡辺も好きだ。
けど、もうこんな高校生のデカい息子に手作り……強く張った糸をピンッと弾いた様な音がした。
「あ、母さん」
「あっづい! やだー、油はねちゃった、なあに?」
「あ、うん。ごめん、大丈夫? 気を付けて」
「大丈夫。もうー、優しいんだからー! いっぱい作ってあげるねー」
優しくなんかない。いつも間に合わないし、いつも大した事じゃない。小さな油がはねた火傷でも痛いけど、なんか微妙なんだ。
部屋で着替えて一応宿題の準備もしておく。多分、やらない。
渡辺はいつもマンガを持って来てオレに読ませるし、オレも超常現象を集めた雑誌や小説なんかを読ませる。
十五年ぐらい違う人生を歩んで、その間に見付けたお互いの面白い物を共有するんだ。新しい発見が多過ぎて笑える。
ピンポンとチャイムが鳴ってる。母さんは大事な揚げ物中だ。階段を飛び降りてオレが出る。
何でもない、いつものオレの毎日。
渡辺とドーナツを食べて、ピンッてなって熱いとか暑いとかエアコンは寒いとか言いながらゴロゴロする。
なんとなく一生続くような、そんな気がしてた。
「今日は行けないわ」
「うん」
「ばあちゃんの見舞い」
「入院?」
「昨日の夜に倒れたんだって」
「あのおばあちゃんが?」
ついこの間、夏休みに渡辺の家に遊びに来てたおばあちゃんは元気を絵に描いたような明るい人だった。
渡辺にくっついてオレの家にも遊びに来た。孫の友達の家に来るとかウケる、なんて自分で言ってた。可愛いらしい人だと思う。素直に、こんなおばあちゃんがいる渡辺が羨ましくなったんだ。
……そういうの、そういう事を
朝から浮かない顔の渡辺に寄り添いながら、帰り道には腹が立ってきた。
今日も一日中ピンッピンッいってた。どうでもいい事ばっかりに。
「……ただいま?」
家には置き手紙、母さんは買い物に行ってるらしい。メールとかでいいのに。
麦茶をがぶ飲みしながら。
きっと母さんも年を取ったら渡辺のおばあちゃんみたいになると思う。年を取る感じも、おばあちゃんになるのも想像出来ないけど。
強く張った糸をピンッと弾いた様な音がした。
麦茶を飲んだグラスをシンクに置いたら手が滑った。割れはしなかったけど、ヒヤッとした。
「……ふざけんなよ、なんなんだよ、意味分かんね」
強く張った糸をピンッと弾いた様な音がした。
「いや、だからさ」
強く張った糸をピンッと弾いた様な音がした。
「意味分かんねえんだよ!」
強く張った糸をピンッと弾いて、バツンッと切れた音がした。
何度も何度も、バツンッ、バツンッ、バツンッと、強く張った糸をピンッと弾いてバツンッと切れる音がしてる。
なんだこれ? なにこれ?
こんな音、こんな風になったら、何が起きる?
キッチンから動けない。動いたらオレは死ぬんじゃないかと思う。いや、それどころじゃなく大地震とか、なにか大変な事が……テレビは?
リモコンはテーブルの上だ。
強く張った糸をピンッと弾いてバツンッと切れる音がしてる、ずっと。
ソッとすり足で移動、ソッと、バツンッと、ソッとリモコンを取る。
ここまでは、大丈夫。
おそるおそる付けたテレビでは、再放送のドラマとワイドショー、芸能人が100円ショップに行ってる。
バツンッが鳴り止まなくてテレビの音は聞こえない。何も起きてない、バツンッが止まらない。
「……なにこれ」
自分の声も聞こえない。叫んでみても聞こえない。バツンッ、バツンッ、これは何が起きるんだ?
母さんが帰ってきた。何か言ってるけどバツンッで聞こえない。
この状況を伝えたいけど、万が一オレが喋る事で何かが起きたら大変だ。一番近くにいる母さんを巻き込んでしまう。
正面に立った母さんの口が動く、どうしたのと動く。オレは動けない、動かない方が良いと思うんだ。
どうしよう、母さんがオレを揺すって、触っちゃダメだと言いたいけど、いや、触られても何も起きないみたいだ。
落ち着け、オレ。
触られて大丈夫なら、動いても、いや、それはまた違うかも知れない。
深呼吸で落ち着け、いや、呼吸は? してても良いのか?
この音が始まってから今までは大丈夫でも次の呼吸で何かが起きてしまうかも知れないオレの呼吸でオレが生きてる事でオレは、オレは……どうすれば良い?!
……ふと目覚めると朝だった。
……長い長い、とても長い……朝だと?
なぜ朝だと思ったんだ? 鳥の声? なぜ聞こえる? なぜバツンッが聞こえないんだ?
……ああ、終わったんだ。
きっと、終わったんだ。悪夢みたいなバツンッが終わったのか、やっと終わった。
本当に悪夢みたいな現実だった。
誰にも危害を加えないように、何もしないように、ただ生きた。
初日に救急車で運ばれ、オムツを穿かされ、そのままチューブに繋がれ、ただ生きた。
母さんも父さんも医者も、変な宗教や健康食品やもう誰だか分からない色んな人間が入れ替わり立ち替わりオレを見て、診て、視た。
オレはただ生きながら止まった。
泣いているのかも知れない。
起き上がりたいのに手足をジワジワと動かすので精一杯だ。
真っ白な布団から出した手はシワシワで、枯れ枝が動いてるようで、涙で見えなくなって有り難いと思う。
ここはどこだろう。消毒の匂いが微かに漂う。病院か、介護をするような施設か……どれだけのお金をかけさせてしまったんだろう。
いや、オレの部屋にしばらく居たような気もする。分からない、けど、終わった。
パタンとドアが開いた。
腰も曲がって髪も真っ白、あれは小さくなった母さんだ。
……渡辺のおばあちゃんみたいに、ああなって欲しかったのに、なるはずだったのに……ああ、オレのせいだ……。
「……か、かあさ……母さん」
「……て」
声が出し辛い。もう耳が遠いのか返事も無い。いや、何かブツブツと……?
「……ね、おし……」
オレのベッドの横に来て、やっと気付いてくれた。しばらく見つめ合った後に母さんも泣いた。
申し訳なくて、ただ泣いた。
「……もうね、おしまいなの」
「……なに、が?」
「地球がね、おしまいなんだって。今日で消えてしまうって。だから、私もここに居ようと思って」
「……は?」
「大きな星がぶつかるらしいよ。もう爆弾とかも沢山当てたけどダメだったんだって。せっかく起きてくれたのにね」
「……隕石、か?」
母さんがテレビを付けた。自分にも聞こえるようにか、音量を大にした。
ベッドの横の椅子に座ってオレの手を握る。二人分の手の甲にコツと額を付けたまま動かない。
握り返す。
……消しゴムを落としたり、足首がグキッとなるのがピンッ。人が死ぬのがバツンッだとしたら。
カウントダウンは始まってる。
画面の左上には2072年とある。月日は目が霞んでよく見えない。
50年……渡辺のおばあちゃんが倒れた次の日、あれが始まってから50年も経ってるじゃないか。
オレはただ、何十年もかけて78億人分のバツンッを聞かされてただけなのか?
オレの第六感が初めて役に立つ事を、初めて、ずっと報せてたのに、役に立たないオレは、役に立たないバツンッを聞き続けてただけで、ただ、黙って、バツンッと生きた。
50年、聞こえなければ、聞こえないフリでもしてれば、普通に生きていれば。
ああ嘘だ、誰か助けてください、イヤだ、黙って、イヤだ、ただ、聞いて、息をしてた、みんなで死ぬ為のバツンッ、何十年も、ただバツンッ、ああ、あアあ、あ、あはは
おわり。
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