真夜中

「さあ今夜も始まりました、ママンの一人紅白歌合戦! 本日の一曲目は白組GLAY、と思わせといてやっぱりあかエックスだー!」


 私は泣きながら歌う。

 生後二ヶ月の息子を抱えて、夜泣きの息子を抱いて今夜も歌う。

 ティッシュに手を伸ばしても届かない。だったらTシャツの肩で涙を拭って二曲目だ。


「さて今度こそ白組GLAY グレイ 、お願いしまーす!」


 私達は泣き止まない。いつか二人で北海道行きたいねと、豆電球の暗い部屋で泣きながら笑う。


「はい、LUNA SEA ルナシー 行きます!」


 なんとなく分けた紅白もぐちゃぐちゃだ。同じアーティストでも曲のイメージだけであか組にもなるし白組にもなっちゃう。


「あはは、楽しいねえ。次はBUCK‐TICK バクチク で……おっと」


 右腕にフワッとした生暖かさ。

 先にオムツを代えよう。チマチマ蹴られながら、小さくて細くて頼りない首と背中の骨を感じながら、抱いて立ち上がって揺れる。


 そう、夜泣きってヴィジュアル系だ。


 愛しくて眠れなくて

 涙が止まらなくて微睡まどろんで

 儚くて切なくて

 不意に立ち上がっては崩れ落ちて

 この腕に抱き締めて

 あの丘で抱き締めて

 揺れて揺れて

 君が居なくても揺れて


 寝てる隙にトイレ行ってるのに、手を洗ってると揺れちゃってたりするんだよね。抱っこしてないのにね。


 夜の散歩もよくする。家の前の商店街の坂道を登って降りるだけ、一往復十分の道をのんびり歩くだけ。

 金物屋さんとか古本屋さんとか、お店はもちろん閉まっててピクリとも動かない。だけど、たまに豆腐屋さんが開いてて挨拶が出来るのが嬉しい。真ん中辺りにコンビニもあって少し安心する。

 坂道のてっぺんはあの丘だと思うとテンションだけはアガる。


 でも今夜は雨だね。散歩、行けないな。


「よし、雨といえばエックス! もう一度でも何度でもどうぞー!」


 盛り上がる私の紅白歌合戦と共に、雨足も強くなる。


「次はちょっと懐かしいBY‐SEXUALバイセクシャル!」


 チカッと窓の外が光った。夏の終わりのゲリラ豪雨だ。


「照明が派手になりましたねー、という事はhide ヒデ の登場でーす!」


 今度はピカッと、もうはっきりゴロゴロと音も付いてくる。

 生まれて初めての雷かも知れない。やっとオメメパッチリでクウクウお喋りタイムに入ったのにな。

 また泣いちゃうかな? 怖がるかな? どんな反応をするか想像もつかない。


「いつかロケットに乗ってみたいね」

「ムグ」


 お返事をくれた所で、部屋の中が昼間みたいに明るくなった。

 すぐに巨大な割れ物を落としたような、ビルのガラスが全部砕けるような聞いた事もない音。

 地震みたいな揺れまで感じて、気付けばしゃがみこんでた。


「……ヤバい、雷落ちたよ。すっごい近かったよ……え?! 今のやっば! こっわ!」

「ウックン」


「怖くないの?」

「ウックン」


 なんかニコッてした気がする。もしかして将来大物になるんじゃないかな。

 これは多分、世の中のママみんなが一度はわずらう『うちの子スゴいヤバい天才将来期待大』病だ。


「すごいねえ、強いねえ、可愛いねえ、イイコだねえ」

「ウクウ」


 ああ、この一瞬の為に私は頑張れる。

 次のこの瞬間の為にまた頑張ろう。

 私が泣き止まないから、まだ歌うね。


「次は、次、もう一回hide ヒデ で良いですかね、ママね、大好きなんだよ……」

「ウン」


 そういえばこの曲は子守唄としても一度も歌ってなかった。

 本当はhide ヒデ の為に上京した。イベントにLIVEに、東京にさえ居れば会いに行き放題だなんて思ってた。


 引っ越し代を節約するのに繁忙期から一ヶ月ずらして、五月一日にこの部屋に来たんだ。次の日の朝にテレビをつけて、狂ったように泣いた。

 東京で初めてのhide ヒデ のイベントは築地本願寺に行く事だった。


 もう秋も近いのに、春を思ってる。


「……次は、次も、ね」


 激しく落ち込んだ。食べ物も喉を通らない時に慰めてくれた人の子供を授かって、アッサリ逃げられた。

 お互いの親や沢山の大人と話を付けて、一人で産んだ。実家にも頼らなかった。


 それでも、こんなに可愛い。

 辛い、眠い、何もかも初めて。どこかで聞いた、子供が子供を生むとかいう言葉の意味が分かったりした。

 それでも、こんなに愛しい。


 さっきの落雷の揺れに、咄嗟に私はしゃがんで小さな体に覆い被さってた。

 何か物が落ちて来るかも、危なくないように、死なせないように、私は自分を盾にして守ろうとしてた。

 全部ほんの小さな事で、些細な事なんだ。


 ミルクかな、そろそろだ。

 母乳じゃなきゃ、なんて思った事もない。洗うのは大変だけど、ただお腹いっぱいで幸せに眠って欲しい。


「……次もhide ヒデ ……」


 小さな富士山みたいな唇が哺乳瓶から離れた。

 目を閉じて、もう嘘みたいにスピスピ眠ってる。まだ雷は光ってるし、音も少し遅れて聞こえるぐらいなのに。


 なんだかんだと歌っても、毎晩眠る頃にはhide ヒデ に戻ってる。

 そうだよ、歌えたら歩き出せるんだ。


 ……朝には快晴、もう地面も乾いてるみたい。蝉もシュワシュワ鳴いてるし、私達もワンワン泣いてるし、散歩にでも出ようか。


 何か食べ物を買いに行かなきゃ。作るなんて考えられないし、いつ食べれるか分からない。あそこのお店の安くて大きなお弁当を、昼と夜に半分ずつ食べれたら良いな。


「いやー、こんにちは! ちょっと大きくなった?」

「こんにちは。はい、もうすぐ三ヶ月検診です」


 週に一回ぐらいしか来ないのに、お弁当屋さんは優しい。外に出て良かった。


「いらっ……! ……しゃいませ……あ、起きてる!」

「はい、ゴキゲンです」


 声の大きなパン屋さんは、ちゃんと抱っこ紐の中を覗いてからお喋りしてくれる。今日はパンのミミが買えた。片手で食べれて楽なんだ。


「こんにちは、昨日の雷凄かったねえ? 家電とか大丈夫だった?」

「こんにちは、大丈夫でしたけど……家電?」


 落雷で家電が壊れる可能性があるなんて初めて知った。教えてくれた豆腐屋さんは、豆腐を買ってないのにお弁当のビニール袋にオマケだとオカラを押し込んでくれた。これは貴重、嬉しいな。


「いらっしゃいませー」


 エアコンの効いたコンビニは商店街で買い物中だとオアシス、本当に命綱だ。冬になったら暖かいんだろうな。


「こんにちは、わあ、大きくなって」

「こんにちは。もうすぐ三ヶ月です」


 深夜でも旦那さんと一緒にお店に立ってる時がある奥さんは、明るくて優しい。なんか落ち着く。

 生まれたての赤ちゃんなんて久しぶりに見た、と初めて来た時から気に掛けてくれてた。うちはもう大学生よと笑って。

 

「そっかそっか、三ヶ月か……ちょっと抱っこしてもいい?」

「え?」


 ちょっと迷う。優しい人だ、子育て経験者だ、それでも……。


「……はい、どうぞ」

「わあ、ありがとう」


 抱っこ紐ごと渡すと目を細めて、家にいる時の私と同じ抱っこで受け取ってくれた。

 いつか私も赤ちゃんが懐かしいなんて気持ちになるのかな……あ、抱っこ紐が汗だく、申し訳ない。アワアワしちゃう私に、奥さんは笑う。


「さ、ゴキゲンなうちに買い物どうぞ」

「え?」


「こんな手伝いしか出来ないけど、一人でお店をグルッと見るのもたまには、ねえ?」

「……ありがとございます」


 促されて、買い物カゴを持ったらもう涙が止まらない。

 約三ヶ月ぶりに一人でコンビニで買い物をしてる。体が軽い、立ち止まると揺れちゃう、なにこれ、もう分からない。

 エグエグ言いながらポテトチップスと板チョコとカップのアイスを選んだ。カッコ悪過ぎて笑えて来ちゃった。

 レジを打ってくれる旦那さんも困ってるよ。


「あの、ありがとうございました」

「いえいえ、イイコちゃんだったわ。本当に可愛い」


 抱っこ紐を付ける手伝いもしてくれた。同じぐらいの身長なのに奥さんが大きく見えて、なんかもうまた泣きそうだ。


「うふふ、大丈夫。お母さん頑張ってるよ? もう来年、ああ、再来年かな? そしたらグッスリ寝れるからね? あっという間よ、本当に」

「……はい」


「うちは二十四時間いつでも開いてるから。疲れたり何か困った事があったら夜でも朝でも、泣いてても連れておいで?」

「……あい」


 部屋に帰ると暑くて疲れさせちゃったのか、ミルクを飲んですぐにお昼寝をしてくれてる。

 よし。

 この隙にトイレ、急いでお弁当を半分食べて、半分を冷蔵庫に入れるついでに、お風呂の着替えの準備をしておこう、そのついでにアイスも半分食べちゃおう。

 食べながら、冷たくて甘くて美味しくて泣きそう、ただのバニラ味なのにな。

 起きた時の為にオムツを一枚とオシリ拭きも側に置いて。


 ただの買い物だったのに嬉しくて、眠くて、何だか分からないけど笑えて泣けて、もう感情が迷子だ。

 バタンと倒れたい所を、静かに静かに横になる。今のうちに少しでも寝なきゃ。


 髪の毛で触って起こしてしまわないように、ミルクをあげてる時からシュシュで結んだままだった。まあいいや。


 小さく上下する胸を眺めながら、自分で自分に子守唄。


 ……そうだった、頭の中を誰かに分かって欲しい訳じゃない。ガラクタだらけでも、間違いだらけでも、めぐめぐって私はここに居る。


 外側の私と内側の私、きっと今夜も真夜中の紅白歌合戦を始める私。全部の私は、全力で小さな命を守ってる。今はそれだけで良いんだ、きっと。


 ……いつかこの小さな命がhide ヒデ みたいなスーパーアーティストになったりして。

 この曲もあの曲も、まさか子育て中に刺さるなんて想像もしてなかった。本当に奇跡みたいな人だと思う。


 うちの子なら……今からヴィジュアル系の英才教育を……ギターを……チケット、ママ特典で最前列……取ってもらわなきゃ……。



  おわり。

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