第百七十五話 思し召し

 「こんな時にでも冗談を言えるなら、まだ心の奥底まで落ち込んではいないようで良かったよ」


 サッと後ろへ体を引いて包容をやめる。こういうことをする性格でもなければ、過去に1度だって同じことはしたことなかった。なのにやるべきだと、使命感に駆られるように体は自然と動いた。


  正直言えば惜しかった。今まで見てきた大きな背中。前だけを見続けて、時々、後ろにいる私たちを振り返っては追いついてこいと言うような、その剣士としての最高位に立つ背中から離れるのは。


 歳上として、神傑剣士の先輩として、人生の先輩として、イオナの背中を包容するべきだと判断してからは、それしか頭に残らなかった。だけれど離れないのは我儘だ。不意に降りてきた、イオナを落ち着かせろという天啓。従って正解だった。


 離れれば遠くに感じる姿。剣士として、だけではない重みが重ねられているのは小さく曖昧に分かっていた。


 「俺はそうだな。でも今はこの会話で、ルミウの方に気になることが出来たんじゃないのか?」


 「……流石だね」


 隠し事は不可能。だとしても、人は隠したがる生き物。それを見破られるのは、少々厄介。プライベートが無いようなものだ。


 「君の背中が遠いと思ってね」


 素直に言う。


 「背中が遠い?そうだな。確かに敗北は知らないし、後ろにも他の剣士はピッタリとくっつかないな」


 「うん。何度も君に追いつくことや並ぶことは諦めた。けど、それほどの力を持っていると、いつか私たちを失って1人で生きてしまうんじゃないかって思う。それだけは消えない懸念点。私たちが敵わない相手に難なく勝って、気づけば仲間を失って、最期は1人でって」


 「なるほどな」


 自分が死ぬことは覚悟をしている。だが、それだからこそ、イオナが1人で生き残ることを危惧する。実力が遥かに離れた私たちならば、足手まといになるのは私の方。敵わない相手が存在するか怪しいほどの猛者であるイオナ。死が見えないからこそ、それはより強く。


 しかし、それを杞憂だと取り払うようにイオナは口を開いた。


 「第1に俺は仲間を死なせることはしないし、守り続けるから先に死ぬのは俺だ。その上で、仮定で俺が1人で死ぬとして。別に俺は1人で死ぬことは嫌とは思わない。俺が1人で寂しく人生を歩むことを心配してるなら、それは大丈夫だ。過去に1人で歩むってことは経験してるし、だからこそ生き方も知ってる。俺の人生は謎が多いが、それなりに人生については、生き方にについては踏み尽くしてる。1人で死ねるのは、思ってるよりも幸せだと思う」


 「1人で死ぬのが幸せ?」


 迷いはなく、本心からそう思っていると伝わる。


 「ああ」


 何故?という意味を込めて聞いたが、イオナはそれを知っても先を答えなかった。私には分からないことと思っているのか、肯定すると窪みから腰を上げ、膝を曲げて後ろに立つ私と向き合う。


 元々身長差はあるが、イオナが立ち、私が膝から上を立てると更にその差は広がる。


 「これは全部仮定の話だ。あり得ない架空世界の話で、可能性も皆無と言えるほどのな。だから杞憂だし、気にして夜も寝られない、ってほど考え込む必要もない。俺はルミウたちを死なせない。絶対だ」


 私の頭を左手で優しく丁寧に撫でながら、その想いを手のひらに載せて伝えるように暖かく注ぎ込む。ホワッと安心感に包まれるような感覚は、どうしても私の不安感を容易く吹き飛ばす。


 「安心したか?」


 笑顔で、先程の落ち込むようなイオナとは全く変わった朗らかさを全面に出す。私の上がる口角は、撫でられる時よりも更に上へ。


 「……まぁね」


 もっと撫でてほしい。触れていてほしい。そんな甘くて可愛げのあることを、私は言えない。思っていてもそれだけで、剣士としての、歳上としてのプライドとか関係なく、恥ずかしさが邪魔をする。


 離さないでと手を握り返すことも出来ず、今、すぐそこに、頬を赤く染める人が居るからこそ、無言になってしまう。


 「それなら良かった。俺も見つかったし、そろそろ戻るか」


 「そうだね」


 思えば満足だったかもしれない。今は贅沢を言えるような雰囲気だが、長い時間を共有してきて、その上で様々なことを一緒に乗り越えてきた仲間として側にいれただけでも。


 「あっ、そうだ。今日は確か21の誕生日だったよな?」


 「……忘れてたよ。でも多分そうだね13月1日」


 1月から20日刻みの19月だけが5日だけという剣暦けんれき。14月5日に出発したヒュースウィット。思い出せばもうすぐ1年だ。


 私でも色々忙しくて忘れていた。年齢なんて重ねていいことないという思いも入っているが。


 「何もプレゼントとか用意はしてないから、何かしてほしいことがあればいつでも言ってくれ。無理じゃなければやる」


 「うん。ありがとう」


 無数に浮かぶが、今は大切にその権利を持っていよう。いつかいい思いが出来る時まで。


 「そういえば君はもう19なの?」


 自分でも言っていたが、謎の多いイオナ。もちろん誕生日だって不明。


 「俺は永遠の18だぞ。誕生日が19月6日だからな」


 「なるほどね。私と同じ誕生日でも良いんじゃない?」


 「覚えやすいが、俺とルミウの格差が出来そうだから遠慮する。負けた時が悲しい」


 プレゼントのってとこか。人気だけはイオナに勝つためそれはあり得る。


 「まぁ、おめでとうだな」


 「まぁ、そうだね」


 イオナの腕に掴まり、体を起こす。お風呂上がりだったが、これはもう1度入る必要がある。汚れは目立たなくとも、気分的な問題で。その時は一緒になんて考えるのは、冷たく吹きつける風の影響か。


 冷えるだろうと、纏ったローブを肩に掛けてくれると、その端をギュッ握り、私はその暖かさに浸りながらも隣に並んでイオナと宿へ戻った。

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