第32話 友奈…本当に行くのか? あの場所に?
朝。そして、日曜日である。
楽しい日であることは間違いない。
けど、今日は苦しかった。
ベッドから起き上がるのも嫌だったのだ。
「あああ……やっぱ、行きたくないな……絶対、なんかあるって」
「お兄さん? 一度決めたことを諦めるつもりですか?」
近くから友奈の声が聞こえる。
「……」
「お兄さん、ハッキリとしてください! ほら、起きてッ」
「うッ」
浩紀の体を纏っていた毛布が宙に浮く。今、妹の友奈から布団をはぎ取られたのである。
もう身を潜められそうな砦は、浩紀の自室にはいなかった。
「観念してくださいね、お兄さん?」
友奈はベッドの隣に佇み、浩紀を見下ろしているのだ。
「あ、ああ……わかった……」
浩紀はベッドに正座し、緊張した面持ちで、冷や汗をかき、友奈と向き合う。
「では、行きますから、着替えてください」
「朝食は?」
「今から夢姉さんがバイトしているお店に行くんです。朝食を口にしたら、食べられないじゃないですか」
「そ、そうだけど……逆にお腹がいっぱいの方が、食べなくてもいいような……」
「そんなことをして、夢姉さんはどう思いますか?」
「いい思いはしないだろうな」
「そうです。一応、料理なんです」
「いや、それ、さりげなく酷いセリフだな」
「んんッ、それは一先ずおいて。では――」
「話を逸らすなって」
「んんッ、お兄さん、うるさいですよ。お兄さん、逃げようとしていたのに、なんです? その言い方は」
「申し訳ない。ごめん……兄として、終わっていたよな。一度決めたことを、無かったことにするなんて」
浩紀はベッド上で、土下座するのだった。
誠意のある態度を見せたのである。
「お兄さんの想いは伝わりましたので。では、行きましょう」
「あ、ああ。そうだな」
友奈が部屋から立ち去った後、浩紀は外へ出かける用の私服へと着替える。そして、二人は夢のバイト先へ向かうのだった。
店内は以前と変わっていない。
お客もそれなりに入っており、賑わっている様子。
賑わっているより、少々煩く感じた。
けど、混んでいるから、うるさいものだと浩紀は考えることにしたのだ。
二人は入店時、メイド風に姿の店員に導かれ、席を案内される。
そして今、テーブルを挟み、着席しているのだった。
二人はテーブルに置かれたメニュー表に目を通し、何を注文するかで悩む。
「お兄さんは、何にしますか?」
「そうだな……まあ、なんでもいいけど。まずはジュースから」
「……お兄さん、逃げてるんですか?」
「え、いや。逃げてないよ。まさか、そんなことはないよ」
「そう?」
友奈からジト目で見られてしまう。
「そういう友奈は何にするんだよ」
「私は、ケーキとか」
「いや、そういうのは、後で頼むんじゃないのか?」
「いいんです。ケーキを食べてから、食事をしたい気分なんです」
「変わってるな」
「逃げ腰のお兄さんには言われたくないです」
「……」
何も言い返せなくなった。
どうしようもない。
逃げ腰であることは事実であり、それが浩紀の言動に表れているのだ。
やはり、逃げ腰なのか……。
浩紀は潔く。男性であり、兄であり、アレを注文することにした。
刹那、誰かの気配を感じたのだ。
「ご注文はお決まりですか?」
愛らしい感じの声。
浩紀と友奈は声の持ち主を確認する。
その子は、メイド風の衣装に身を包み込んだ――東城夢だった。
二度見してしまうほどであり、バイトし始めた頃と声の出し方が違っていたのだ。
バイトに馴染んできて、バイト専用の声を出せるようになったのだろう。
夢はテーブル前に立ち、二人を交互に見ていた。
「あ、ああ……決まったけど」
「はい……私もです」
二人はぎこちない声で返答してしまう。
「どうしたんですか?」
「いや、学校にいる時と違ってさ。なんというか」
浩紀は緊張し、唾を呑み。
「い、いやなんでもない……」
浩紀はそう言い、夢から視線を逸らす。
声質も服装もそうなのだが、雰囲気や仕草も様になっており、浩紀はドキッとしてしまったのだ。
な、なんで、夢に対して、そんな感情を⁉
浩紀は焦っていた。
「ひろ……ではなく、お客様?」
「いや、普通に話してくれないか?」
「それはダメなんです。この前、店長から色々と指摘されて」
「そ、そうなのか?」
「はい。そうです、お客様」
「……なんか、気まずいな、そういうの。普通に話してくれよ……」
浩紀は緊張しつつ、ポロッとため息交じりの言葉を呟く。
「はい。承知いたしました。トマトパスタと、チーズケーキですね。それと、お二人とも、リンゴジュースでよろしいですね」
夢は愛想のよい笑みを見せてくれる。
「他にご注文は?」
「えっと……友奈は? どうする?」
「私は別にそれでいいです。夢姉さん。注文したくなったら、その時、話しかけます」
友奈はメニュー表をサラッと確認した後、そう言った。
「承知いたしました。では、少々お待ちくださいね」
「あ、ああ……」
浩紀は頷いた。
それにしても、親切にしてくれる夢の対応にドキッとしてしまう。
普段は友達として関わっているだけ。
夢は以前、おっぱいを押し当ててきたり。付き合う趣旨を真司に言ったりとか。好き的な感情を前面に押し出していたことがあった。
彼女は好意を抱いているのだろうか?
そもそも、好きじゃなかったら、他人に付き合ってるとか。そういう話はしないだろう。
だとしたら、本当に?
浩紀は夢の顔を見た。
「ん? どうしたんでしょうか?」
「いや、なんというか……いや、言わない方がいいか」
「何でしょうか? もしや注文のし忘れでしょうか、お客様?」
仕事言葉で、夢から問われる。
彼女の視線が近い。
浩紀のセリフに反応し、まじまじと顔を見つめてくるのだ。
何かを求めているかのような瞳。
逆に気まずい。
注意深く見られていると、話を切り出しづらいのだ。
「あの……」
ダメだ、言い出せない。
無理だと思った頃合いだった。
遠くの方で大きな音が響いたのである。
それは、店内の床に皿のようなものが落とされた音だと思う。
「申し訳ありません――」
「何だよ、これさ。謝って済むと思ってんのかよ」
どこかで聞いたことのある声。
嫌な予感しかしなかった。
その言いがかり的な口調に、浩紀は苦しい意味合いで心臓が抉れそうになったのだ。
ふと、脳裏をよぎる夏芽先輩の表情。
まさかと思うが、先輩に対し、嫌がらせをした人物かもしれない。
そう思い、浩紀は衝動的に席から立ち上がり、声のする方を向いた。
「なあ、わかってんかよ」
「はい。申し訳ありません……別のをお持ちいたしますので」
「そんなことはどうだっていいんだよ。俺らが食べたものはすべてタダってことにしろ」
「それは……」
メイド風の衣装を着こなす子は困った表情を見せ、威圧的な口調のお客の対応と向き合っている。
だがしかし、その店員は女の子であり、複数人の男性らに責められ、おどおどしていたのだ。
「私、行ってくる」
――と、夢は言い、困っている同僚の子の元へ歩み寄っていくのだった。
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